2017年12月18日

【回想録】アクアラインを歩く

 今日、12月18日は、20年前の1997年、東京湾アクアラインが開通した日である。
 その20年ちょっと前の11月、開通前のアクアラインを歩く、という抽選イベントがあり、当たったわたしと細君は、当時はまだ珍しかったデジカメ片手に参加したのであった。

 歩くといっても全路ではなく、木更津側から入って海ほたるパーキングエリアまで。帰りはバスという行程である。距離としては5キロちょっとの道のりだ。

 というわけで、そのときのレポートを20年ぶりにしてみたい。



 まずは参加者ぞろぞろと木更津ジャンクションへ。左側に「自動車専用道路」の看板があるところをこうやって人が歩いているのは新鮮である。



 木更津本線料金所。ETCすらまだない時代。



 ただひたすら一直線のアクアラインを歩く。当日は雨の予報だったのだが、予報は完全に外れ、いい感じで晴れてくれたのだった。



 雨合羽を着ている人がいるのは、上にも書いたが「大雨の予報」があったため。しかしいい天気である。気象庁がいつもやる仕事ですな。



 途中の看板を見上げてみる。もう少しで海ほたるパーキングエリア。



 途中の非常用電話もパシャリ。今もこうなっているかは知りませんが。



 いよいよ海ほたるパーキングエリアが見えてくる。あれですな、日本にゾンビが蔓延したら、こうやってアクアラインをぞろぞろと歩いて東京湾を移動する、そんな感じですな。



 海ほたるパーキングエリア着。当日はいろいろと出店や、警察の「覚せい剤取締りフェア」みたいのをやっていた記憶。逆に言えば、今やっている普通のレストランやフードコート、サービス施設は稼動していなかったのだと思う。



 これは今もある「カッターフェイスの巨大モニュメント」。

 こんな感じで、半日楽しく過ごして帰ってきた。帰路は前述のとおり、バスで海ほたるパーキングエリアから木更津ジャンクションへと送ってくれた。

 今は、アクアラインはごくたまに使うだけだが、この道をクルマで走っていると「開通前にここを歩いたんだよなぁ」と懐かしく振り返る思い出である。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年12月17日

【日記】クリスチャンは偉そうにしている

 以前、知恵袋かなにかで見かけたのだが、こういう質問があった。「どうしてクリスチャンは偉そうにしているのですか。不快です」。

 今、その質問をググッてみたのだが、見つからない。しかし確かにそういうQ&Aがあって、読んだときは質問も回答も面白くて、心に残っていたのである。

 確か回答はクリスチャンから寄せられたもので、「クリスチャンだから偉いなんてわけありません。もしそうお感じになる相手がいたのだとしたら、その相手個人の資質だと思います」とか、そんな感じではなかったかな。もっともな回答である。

 しかしこれ、実はキリスト者(カトリックでは主にこう言う)であるわたしも感じることがある。
 例えば、新興宗教のJW(普通の人が知っている名称だと「エホバの証人」)相手だと、こちらがカトリックだと知ると、あからさまに「あなたは本物のクリスチャンではない」というような態度を取る人がいたりするのだ。

 ま、こちとら二千年の歴史を誇る伝統宗教の信者であるから、たかだか設立百数十年しか経っていない新興宗教とか、数百年の歴史しかないプロテスタントの信者に軽く見られてもフーンとしか思わない(←驕り)。

 が、こういうのって、宗教に限らず、どんなジャンルにでもあるのではないだろうか。

 一番いい例が「社畜」である。社畜な人々は、雨の日も風の日も、灼熱の太陽に焼かれても大雪で電車が止まっても台風で家の屋根が飛んでも出社して、自分のものではない「会社」のために、身を粉にして働く。そう、本来「わが社」などと言えるのは、会社役員と社員(株主)だけ。そこで働く人は社員ではなくあくまで「従業員」なのである。それでも、毎日、会社のために働いていると、だんだんとプライドがわいてくる。

 逆説的に言うと、プライドがないと、上記のように、雨の日も風の日も地震があっても計画停電で信号が止まっても出社などということはできないのである。
 いきおい、そのプライドの矛先は、働いていない人、働けない人へと向けられる。日本では就労に適した年齢で働いていない人への風あたりはとても強い。その人個人の事情など鑑みずに、「無職」と吐き捨て、たたく。

 憲法にも「勤労の義務」は書かれているが、憲法というのは国民が国家を律するために作った法であり(逆ではありませんよ!)、国の方に、労働能力を持つ者が失業状態にならないよう対策を講じる義務があるのである。今の日本で、それがきちんと機能しているだろうか。

「働かざる者食うべからず」は聖書由来の言葉(2テサ3:10)と思われているが、これの本来的な意味も日本人が思うものと違う。驚くべきことに文語訳ですらない。正確に引用するなら――

文語訳:人もし働くことを欲せずば食すべからずと命じたりき。
口語訳:働こうとしない者は、食べることもしてはならない。
新共同訳:働きたくない者は、食べてはならない。


「働きたくない者は食べてはならない」のである。働きたいのにその機会を奪われている者からパンをとりあげるなどと言っているわけではない。
 以前にも書いたが、「働かざる者食うべからず」は、レーニンがパウロの意図を曲解して作文した赤いスローガンなのである。こんな言葉を真顔で言う人は共産主義者と思われてもしかたないですぞ。いや、純粋に共産主義者なら別にいいんですけどね。

 更に言えば、

わたしは更に、あなたたちが自分で労せずして得た土地、自分で建てたのではない町を与えた。あなたたちはそこに住み、自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている。(ヨシュア記 24:13)


 である。神さまの目から見れば人類誰でもみなニート。なにひとつ、自力でゲットしたものなどない。すべて、神さまから与えられたもので生きているだけなのである。

 閑話休題。
「社畜」が「無職」にたいして、薄っぺらなプライドをふりかざすように、クリスチャンもまた、ノンクリに薄っぺらなプライドをヒラヒラさせることはあるかもしれない。
 なにしろわたしを含めクリスチャンは、みな「教会畜」である。日曜日になったら、雨の日も風の日も熱が出ていても体がフラついていても、教会へ行ってミサに与り、あるいは礼拝を守る。そう、プロテスタントの方は「礼拝を守る」と言う。守るのである。カトリックの「ミサに与る」よりも主体的な自覚が必要だ。そんな中で、わたしはノンクリとは違う、カトリックとは違う、という自意識が生まれてもおかしくはない。

 要は「アリとキリギリス」である。苦労している分、必ずなにか見返りがあると思ってしまう。そんな感じ。

 と・こ・ろ・が――そんなクリスチャンが泣きわめいて歯ぎしりするくだりが新約聖書にある。「ぶどう園の労働者のたとえ」である。
 長いくだりなので引用せずまとめると――

 ぶどう園の雇い主が、失業者を一日一デナリオンの報酬で、朝九時、昼十二時、十五時、十七時に雇った。朝九時に雇われた者は、他の者より多くの賃金をもらえると思っていたが、みな平等に一デナリオンだけだったので、雇い主に文句を言った。雇い主はこう答えた「はぁ? もともと一デナリオンの約束で雇っただろうが。他の者もみな同じ。文句たれんなスットコドッコイ」


 まちょと意訳しすぎだが、こんな感じ。神さまの目から見れば、長く働こうが短く働こうが、与える恵みは同じなのである。

 というわけで、あなたの知っているクリスチャンがなぜだか偉そうにしていたら、「あぁぶどう園の最初の方の労働者なんだな」と思って、苦笑で流していただければ、腹も立たないのではないだろうか。

 いやまぁ、わたし自身「教会畜」なので、ちょっとはその気持ち、わかるんですけどね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年12月16日

【回想録】わたしのリアルウンコノオモイデ

 今回は、そういう話である。お食事中の方は、どうぞそちらを済ませて時間を置いてからの再訪をお願いしたく。
 あああそれにしても、下ネタを書かない上品な結城恭介のイメージが壊れてしまうな。
 え、上品?

 さて、伊藤潤二先生の「伊藤潤二・恐怖マンガCOLLECTION 16 フランケンシュタイン」の中に「リアルウンコノオモイデ」という短編がある。短編というか、エッセイマンガだ。
 内容は、伊藤先生が祭りの屋台でリアルなゴム製ウンコを買うまでの逡巡を描いた、先生の筆致が違う方面でも冴える佳作である。




(伊藤潤二「伊藤潤二・恐怖マンガCOLLECTION 16 フランケンシュタイン」中、「リアルウンコノオモイデ」より引用)

 たまにネットでも貼られていたりするので、この掌編、ご存じの方もいらっしゃるのでは?
 伊藤先生は「伊藤潤二の猫日記・よん&むー」にも、ニューヨーク土産の「リアルウンコ」の話を書いていらっしゃる。かなりのリアルウンコ好きとお見受けした。


(伊藤潤二「伊藤潤二の猫日記・よん&むー」より引用)

 子ども時代の伊藤先生は屋台でお買いになったそうだが、わたしも中学の頃、この「リアルウンコ」を買ったことがあるのである。
 あれはたしか中学二年のとき、正月も終わったオモチャ屋のショウ・ウィンドウに「リアルウンコ」が飾ってあるのを見つけて、わたしも伊藤先生と同じように、一目惚れしてしまったのであった。

 そして伊藤先生と同じように、買うのに逡巡した、した、した。が――やっぱりお年玉があったので買ってしまったのである。当時のわたしは店員さんに変に思われないかと気にしていたが、今思うと微笑ましい。
 そのゴム製リアルウンコは、伊藤先生のマンガにもあるように、「アラレちゃん」に出てくるようなトグロを巻いた戯画化したウンコではなく、まさしく本物そっくりのリアル<Eンコであった。

 買って、自分の部屋に置いて、しばらくは鑑賞の日々を過ごしていた。
 ちょっと見どころか、しげしげと見ても、まるで本物そっくりである。朝目覚めて、帰宅して、宿題の合間に、食事の後に、就寝前に眺めると、このリアルウンコはまさになにかを自分に語りかけてくるようだ。疲れた一日でも、このリアルウンコを見ると活力が沸いてくる。ほら、ライトを当てると輝いているでしょう? これが今ならコーヒー一杯のお値段で買えるんですよ。アートのある生活をお送りになりたいですよね。
 今ならそんな台詞がポンポン浮かんでくるが、もちろん当時、ビバンなどはない。
 わたしがリアルウンコを覗いているとき、リアルウンコもまた、わたしを覗き返している気さえする。ここまでくるともはや芸術品と言っても過言ではあるまい。

 これはやはり、学校に持っていって、皆と感動を分かち合わなくてはいけない。わたしは使命感を胸に、リアルウンコをカバンに秘めて学校へ持っていった。
 そして、朝、登校してきた皆に披露――。

「げぇーっ!」
「ほん、もの、だと?」
「すごいなこれは、ニオイまで漂ってきそうだ」

マジかよ≠ニ書きたいところだが、当時そんな言葉はない。 
 とにかく、鑑賞会は大成功した。リアルウンコはわたしの手を離れ、クラス中の人気者となった。授業中に教卓に置かれていたり、誰かのロッカーに入れられてそこの使用者をびっくりさせたりと、なかなかの活躍ぶりであった。

 それは昼食時であった。仲の良いメンバーと昼食の弁当を広げているとき、そのリアルウンコが我々のところにもどってきたのである。
 当時、悪ガキであったK君とY君が、このブログにもたびたび出てくる畏友H君の弁当の上に、それを、ポン! と置いた。

「ぐぎぇぇええ、やめろぉお!」

 H君の悲鳴がクラス中に響き渡った。彼はその日、弁当を食べられなかったと記憶している。

 しかしそれは、悲劇の序章に過ぎなかったのである。リアルウンコはすでにわたしの手を離れ、所有者が誰なのかもわからなくなっており、わたしはまあ、それでもいいかと思っていた。芸術は人々の手の中にあって完成されるものである。

 翌日のこと。H君が弁当を開けて、食べ始めてみると――

「ぐぼぉぐぇああきききさままらゆるさぁんぞぉおお!!」

 H君の怒号が学年中にこだました。
 なんと! 恐るべきことに、H君の弁当のごはんの中に、あのリアルウンコが埋め込まれていたのである!!
 やったのはまたK君とY君であった。わたしもこのことは知らされておらず、あまりのことに、食べていた弁当を吹いてしまった。

 もうH君にもずいぶん会っていないが、きっとあの「弁当にリアルウンコが埋め込まれた事件」は覚えているはず。なにしろ「俺はあれでしばらく弁当食えなかったんだからな」という恨み言を、成人してからもたびたび聞かされていたから。
 地雷を埋めたのはわたしではないが、買ってきたのはわたしだったもので、なんとも、申し訳ない気分に……、ブーッ! ごめん、やっぱり思い出すと吹き出してしまう。おかしくて。

 その後のリアルウンコの行方は、ようとして知らない。
 商品としてのリアルウンコは、続編として「ハエつきウンコ」なども発売されたと記憶しているが、これはハエがすぐに偽物とわかる出来で、いまいちだった。

 いやはや、本当にみんな、悪ガキだったものである。
 H君には陳謝。食べ物の恨みは恐ろしいからね。

 え、食べ物?
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年12月15日

【回想録】電話局

 わたしが街へ行くために乗っているバスには「電話局前」という停留所名が残っている。
 バス停にも「電話局前」とはっきりと書かれている上、アナウンスでも「次は電話局前、電話局前」とお嬢さんの声が響く。
 しかし、この「電話局」はもう存在してない。もう20年も前から電話局としての役目を終えて、NTTの回線基幹基地の建物となっている。

 1990年代前半の頃からだろうか。携帯が爆発的ブームになるちょっと前あたり。NTTは各地の営業所を次々と閉めていったのだった。「電話≠フ相談は電話≠ナなんでもおうかがいいたします」という姿勢をあからさまにしていたように思う。
 また、回線基幹基地はテロ対象≠ニなるので、地図上の場所を明らかにしないのだ、という話も聞いた。しかし上述のように、バス停の名残に「電話局」という名前がついているのだから、この言い訳は噴飯物である。

 わたしは電話の仕組みは好きだが、電話で話すのは億劫なタチなため、この「電話≠フ相談は電話≠ナなんでもおうかがいいたします」という姿勢は苦手であった。なので、なにか用事があると、電話で相談ではなく、その電話局へ直接行って契約変更や回線増設の契約を行っていた。
 当時、まだ電話は自由化されておらず、今の若い人には信じられないことだろうが、壁にはモジュラージャックさえなかった。黒電話の電話線を伸ばすためですら、電電公社(NTTの前身)に工事のお願いをして、自宅まできてやってもらっていたのである。

 さて、当時、電話を新しく入れるためには、電話加入権≠買わなくてはならなかった。これは資産として計上されるため、一般には電話債権≠ニも言われた。一回線で八万円もした。
 よく、税金が払えない場合、税務署に差し押さえされる対象の一番が、この電話債権≠セとはよく言われたものである。
 つまり電話債権≠ヘ売り買いできるものだったのである。電話が不要になった者は業者に売って、新しく必要になった者はその業者から買う。そんなことが普通に行われていた。

 そんなわけで、新しく回線をいれるために、莫迦正直に電電公社へ行って電話加入権≠買うというのは、よほどのお人好しでもなければやらなかった。
 たいてい、電話局の近くに、この電話債権≠売っているお店があったからである。
 バス停に名残のある、わたしの街の「電話局」にも、はす向かいに電話売買します≠ニ看板をつけた業者が営業をしていた。

 書く仕事のために、自分専用の電話を入れなければならないと決意し、この業者のお店に入ってみて驚いた。

「えっ、ここはハンコ屋さん!?」

 なんとなれば、カウンターの内側に、クルクル回る三文判をたくさんつめこんだケースがドーンと置いてあったからである。

 おそるおそる「新しく電話を一本欲しいのですが」と伝えると、話はスムーズに進み、カウンターのお姉さんは、電話債権委譲の書類をポイポイポイと作成してくれた。そう、実際には買うのではなく、要らなくなった人からの債権委譲なのである。
 もちろんタダではない。お金はかかる。五万くらいだったかな? それでも、電電公社で新しく電話加入権≠買うよりは三万安い。

 カウンターで書類を作成していたお姉さんが言った「今日はハンコはお持ちですか?」
 えっ、と思った。今のわたしなら、カバンに必ず三文判を入れているが、当時はまだ十代、そういう知恵はなかった。
 時間はもう十六時をすぎていたと思う。近くの文房具店を探して買って戻ると電話局も閉まってしまうか、などと計算しつつ、あいにく持っていなくて――というわたしに、お姉さんはにっこり。そして、窓からの夕日で長い影を落としている後ろの三文判ケースをくるりとまわし、「結城」のハンコを探しだすと、それを書類にポン! なんと、売るためではなく、そういう用途のためにあらかじめ用意してあった三文判だったのである。

 あとは即金でお金をお支払い。「まだ間に合いますから、残りの手続きは電電公社の方へ行ってやってください」と言われ、はす向かいの電電公社へ。こちらもこういうことは日常なので、トントンと書類はコンピュータに入力され電話番号も決まり、あとは工事日を決定して、終わりである。

 こうして三十年以上も前に得た電話番号は、ひかり電話になった今でも現役で使っている。
 当時は電話というものは「一家に一台」であって、自分専用の電話を持てたことは本当に嬉しかった。

「電話局」が営業所として閉所し、はすむかいにあった、この電話債権売買業者も、自然、廃業となった。今は花壇が美しい普通の民家となっている。

 バスのアナウンスで「次は電話局前、電話局前」と聞くたびに、この電話債権業者に置いてあった三文判ケースが、夕日に長い影を落としていたことを思い出す。

 この当時はまだ電電公社。まだ電話の自由化はされていなかったことは記した。つまり机の上に乗せられた、わたしの初の「マイ電話」は黒電話≠ナある。
 留守番電話を入れて、締め切りの催促に劇的な効果を得られるようになった思い出話は、またの機会に――。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年12月14日

【日記】詐欺メールさんすげぇ、進化してる!

 例の、ヘッダにUser-Agent: Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64; rv:45.0) Gecko/20100101 Thunderbird/45.2.0がつく詐欺グループから来る、楽天名義を騙った詐欺メールが進化しているので吹いてしまった。

 こんどはただのhtmlメールではない。文字だけではなく、ちゃんと装飾がついている!


(クリックで拡大できます)

 上の画像をごらんいただければおわかりのとおり、いかにも楽天からきそうなメールを模倣している。これはだまされる人も少しはいそうだ。

 検索にひっかかるよう、文字情報も記しておこう。

不正なログイン画面にご注意ください
楽天カード カード利用お知らせメール
楽天e-NAVIへについて詳しいことは こちらでしお調べください。
Gmailアドレスをご登録の会員様へ
--------
楽天カードを
ご利用いただき、誠にありがとうございます。
--------
お客様のカード利用情報が弊社に新たに登録されましたのでご案内いたします。
カード利用お知らせメールは、加盟店から楽天カードのご利用データが弊社に到着した原則2営業日後にご指定のメールアドレスへ通知するサービスです。
--------
カードご利用情報
--------
>すべてのご利用明細の確認はこちら
<<後からリボ払いへ変更可能なショッピングご利用分>>
下記は、後からリボ払いへ変更可能なショッピング1回払い(ボーナス1回払い)のご利用一覧です。
「リボ払い変更選択」にチェックを入れて「チェックして確認画面へ」をクリックいただきますと、簡単にリボ払いへ変更いただくことが可能ですので、ぜひご活用ください。
また、お客様のご利用環境により「リボ変更選択」のチェックがご利用いただけない場合がございます。
その際は、楽天e-NAVIにログインいただきお手続きをお願いいたします。
<ご注意>
※自動リボサービスにご登録にいただいているお客様で割賦枠を超えたご利用分は、リボ払いではなく1回払いとなります。(お客様のご利用可能額のご確認はこちら)
※自動リボサービスにご登録いただいた後のご利用など、既にリボ払いへ変更となっておりますご利用分は、<<後からリボ払いへ変更可能なショッピングご利用分>>のご利用一覧には含まれません。なお、ご利用額が割賦枠の上限を超えている場合、後からリボ払いへの変更は出来ません。
※カードの年会費・分割払い・ボーナス2回払いのご利用分や家賃のお支払いなど一部の加盟店のご利用分については、リボ払いへの変更はできません。
ご利用一覧
リボ払い
変更選択 利用日 利用先 支払
方法 利用金額 支払月 カード利用獲得
ポイント ポイント獲得
予定月
2017/12/12 Edyチャージ 1回 1,000 円 2017/12 5 ポイント 2017/12
リボ払い変更可能合計金額 1,000 円 ポイント合計 5 ポイント
--------
>>後リボについて
※支払月の請求確定日を過ぎるとリボ払いの変更手続きができなくなりますのでご注意ください。
--------
安心・安全に楽天カードをご利用いただくために
--------
お客様に楽天カードを安心・安全にご利用いただくために、カードの適切な保管方法・不正への取り組み・トラブルの事例などを掲載しております。
詳細につきましてはセキュリティ関連事項ページよりご確認ください。
--------
楽天カードの取り組み
--------
お客様より頂戴したご意見・ご要望の一つひとつを真摯に受け止め、さらなる安心と信頼をご提供できるよう、日々改善に取り組んでおります。
>>お客様の声への取り組みについてはこちらから
--------
■ カード利用お知らせメールの登録・変更は、楽天e-NAVIよりお手続きください。
■ 一部メールの受信環境によって正しく表示されない場合がございます。本メールに記載のご利用明細は、楽天e-NAVIのご利用明細にてご確認ください。
■ このメールアドレスは配信専用です。お問い合わせの際はこのメールアドレスは配信専用です。お問い合わせの際は
このメールアドレスは配信専用です。お問い合わせの際は│楽天e-NAVI メンテナンス情報
発行元 楽天カード株式会社
https://www.rakuten-card.co.jp/
Rakuten Card Co., Ltd.


 すごいなぁ。基本莫迦な詐欺連中だけど、いろいろ工夫しているんだなぁ。

 いくつかのリンクは本物のサイトにつながるようになっているが、大部分のリンクは詐欺サイトにアクセスし、トロイを送り込もうとしてくる。
 また、「楽天銀行の重要な情報.zip」をダウンロードさせようとも。中身は「楽天銀行の重要な情報.DOC.js」というJavaScriptファイルだ。

 本当に手を変え品を変え、飽きることなく送ってくる。
 ということは、逆にこの詐欺グループ、あまりだまされる人がいなくて、実は実行効率が悪いのではないか、とも思えてくる。

 とにかくなにかと忙しい年末、読者諸兄姉にはご注意および周囲への注意喚起をば。

 そうそう、この詐欺グループのメールは、何度か記しているとおり、ヘッダに特徴がある。

User-Agent: Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1; WOW64; rv:45.0) Gecko/20100101 Thunderbird/45.2.0


 が記されているのである。いまどきメールクライアントにThunderbirdを使っているユーザもそういないだろうし(偏見)、これでスパムフォルダへ振り分けるというのも手である。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記