2019年07月20日

【日記】書斎の冷蔵庫の入れ替え・その2

 エジプトの王女に助けられたモーセはすくすくと育ち、我が家の書斎の冷蔵庫に呪いをかけコバエをとばしたのだが、わたしは心を頑迷にして、冷蔵庫を入れ替えようとはしなかった。主が仰せになったとおりである。

 というわけで、「【日記】書斎の冷蔵庫の入れ替え・その1」の続きである。

 ナイル川の血の流れのごとく、赤茶色の液体がこぼれている冷蔵庫を前にして、細君と相談し、書斎内で冷蔵庫の扉を開けるのはやめよう、と結論。とにかく、冷蔵庫の扉を閉めたまま、玄関まで持って行き、庭でオープンしよう、ということにした。

 大量の本と書類そのほかを待避させて、冷蔵庫の道をつくるのに半日。そしてズリズリと、コンセントを抜いた冷蔵庫を移動させる。思ったより「赤茶色の液体」がこぼれてこないことは良かったが、この液体が少量でも実に臭い! 腐臭である。まともに嗅いだら、五分で肺が腐ってしまいそうだ。

 書斎は二階にあるので、細君と二人、苦労して階段を降ろしていく。うう、途中で休んだとき、尻に茶色い液体がついた。手もこの臭い液体でぐっしょり。気持ち悪い。
 そして、なんとか冷蔵庫の扉を開けず、玄関から庭に出すことに成功。

「さて、ご開帳といきますか」
「いやなご開帳だね」

 冷蔵庫の扉をそっと開けてみる。すると――

 彼らは言われたとおりにし、アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った。(出エジプト記 8:13)


 ぶよならぬ大量のコバエがまるで黒い霧のように勢いよくドバーッと――のようなことはなく、拍子抜けするほど、中にはハエはいない。ウジがうごめいていることもない。正直、ちょっと、いやかなりホッとした。
 ただ、サナギやその抜け殻は冷蔵庫の中そこかしこについていて、おそらくダメな人はそれだけで「ゲーッ」だろうとは思う。

 コバエ発生の原因は、腐った牛乳であった。紙パック入りの牛乳(未開封)を、ウッカリ庫内に入れておいてしまったのだ。それが腐って、ハエの住処となったらしい。赤茶色の液体は腐った牛乳のなれの果てであった。

 ゴム手袋をして、中を掃除し、可燃ゴミに出す。そのほかの処置も施して、この古い冷蔵庫は庭の隅に置いてシャワーを浴び、新しい冷蔵庫を買いにヨドバシカメラへ。ヨドコムにしなかったのは、今回のことで、やはりちゃんと商品を見て確かめたいという気持ちが細君ともども生まれたからである。

 冷蔵庫売り場で店員さんの話をいろいろ聞き、今回はちょっとおごって、名の通ったメーカーの、そこそこいい製品を購入した。冷凍庫が下についている、今、主流の型である。もちろん書斎用だから、中型のものだ。
 なんでも冷蔵庫は、鉄板の薄さ零点何ミリの差で、内容積がかなり違ってしまう代物なのだとか。冷蔵庫は完成した商品だ、と思っていた自分は大いに反省せざるをえなかった。メーカーは今でも、よりよい製品をつくるために努力を重ねているのだなぁ。

 ヨドバシは即日配達もできるとのことだが、こちらの都合があったので、中一日開けて翌々日に配達してもらうことにした。

 当日の搬入も、書斎の本の隙間を開けておいたままにしておいたのでほぼスムーズに。意外だったのが、古い冷蔵庫の引き取り価格がけっこう高価なコースだったこと。これはメーカーによって引き取り価格が違うのだが、この名も知らぬメーカーの冷蔵庫は高い引き取り価格だったのである。

「やっぱりこういうのは、リサイクル価格まで考えると、名の通ったメーカーのを買うべきなんだねぇ」とは細君の弁。まったくだ。特に長年使う製品は、最初にケチってしまうと後々までそれが尾を引いてしまう可能性があるということを思い知った。

 新しい冷蔵庫が収まるべきところに収まると、書斎の本を積み替えて(笑)、またモノだらけの仕事場になってしまった。これを機に、断捨離すればいいのにね。でもさすがに、そんな気力はわかなかった。
 まあ、古い書類でいらなそうなものは捨てられたのでよしとしよう。本当はスキャンしてから捨てたかったのだけれど、ちょっと思い切ってしまった。

 新しい冷蔵庫の中には、とりあえず細君の手によって、パンと牛乳が入れられたのであった。今はガラガラだが、細君の性格だから、この庫内もきっとすぐにいっぱいになってしまうに違いない。
 まあ、壊れた冷蔵庫よりトラブルレスで、長く保ってくれることを祈るばかりである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月17日

【日記】書斎の冷蔵庫の入れ替え・その1

 ついに最近の自分の恥をネタにしなければいけないくらい、ネタぎれになりつつあるのである(笑)。

 わたしの書斎の奥には、小型の冷蔵庫が置いてあった。もともと、わたしは仕事場で食事、間食をしない主義だったので、この冷蔵庫には(酒が飲めた頃には)ビールしか入れていなかった。間食はしないが、飲酒しながら執筆はしょっちゅうしていた。
 それが細君と結婚してからというもの、細君は仕事場で間食、食事が平気なのである。冷蔵庫には飲み物しか入れておきたくないなぁ、という、わたしの抵抗もむなしく、冷蔵庫には食品がどんどん詰め込まれていくのであった。

 この小型冷蔵庫は個体が良かったのか、二十年保ってくれた。ある日、冷凍庫の霜がひどいので、マイナスドライバーと小づちで氷をたたいて落としていると(これはしょっちゅうやっていた)、そのときに限って、大事なパイプを傷つけてしまったらしく、冷媒が勢いよく吹き出して、故障してしまった、いや、壊してしまったのである。

 その日のうちに、細君と家電量販店へ行き、冷蔵庫なんて完成品は、どうせどこのメーカーのものも変わらないだろうと、一番安い、聞いたこともないメーカーの中型冷蔵庫を買って届けてもらった。結果的には、この判断がいけなかった。冷蔵庫にもピンからキリまであったのである。

 この買い換えた冷蔵庫には苦労させられた。とにかく霜がよくつき、溶けた霜の水は蒸発皿にたまるわけだが、これがとても小さく、蒸発する前にあふれてしまうのである。説明書にはシレッと「定期的に水を捨ててください」とある。今の時代の冷蔵庫に、こんな前時代的な設計のモノがあるとは思わなかった。
 当然、水受けの水を捨て忘れると、あふれて外にこぼれてくる。そのたびに冷蔵庫の下がビショビショである。本当にこれには毎回げんなりさせられた。

 この冷蔵庫、五年は使ったろうか。去年の秋、細君がこう言ってきた。
「なんか書斎の冷蔵庫、冷えてないみたいなんだけど」
「ええー、またかよ」
 わたしがそう答えたのはわけがある。このブログをお読みの方ならお覚えかもしれないが、確か去年の春、キッチンで使っていた大型冷蔵庫も壊れてリプレースしたばかりだったからだ。
 確かめてみると、確かに庫内が冷えていない。まいったなぁ。また故障である。
 すぐに交換――できない理由が今回はあった。書斎が本と書類で埋まってしまい、部屋の奥にある冷蔵庫を廊下に出すのが困難になってしまったのだ。
 モーセなら本と書類で埋まった部屋にドバーッと道をつくることができるかもしれないが、信仰心の浅いわたしは「めんどくさい」という理由で、壊れた冷蔵庫からナマ物を出して、電源を切り、放っておくというしょうもない解決策――やる気がでたらやる――を取ったのであった。

 冬がすぎ、梅雨がきた。
 どうにも、書斎にコバエが飛ぶようになってきた。
 このあたりになって、エッと思うようになったが、一週間は忙しさに追われ、というより、原因から目をそらしていたいという思いもあり(笑)、気づかないフリをしていた。
 しかし、さすがにコバエの量が増えてきた段になって、冷蔵庫の外側を見ると――どうやらそこがコバエの発生源らしいのである。正直、開ける気は起きなかった。

「ナマ物、入ってたっけ?」
「入れてなかったと思うけど――」
 そして見てみれば、冷蔵庫の下から、赤茶色の、なにかドロッとした液体がこぼれている。しかもひどい悪臭だ。

 モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。(出エジプト記 7:20-21)


「げええええーっ」

 こ、これは「モーセの十の災い」の始まりか!?

 というわけで、ちょっと気持ち悪くなったので、この記事次回に続く!
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月13日

【日記】ビーガンと商業捕鯨再開に想う

「ベジタリアン」という言葉は、もう二世代くらい前の古くさい言い回しになってしまったのかもしれない。今はNHKニュースの小コーナーで紹介されるくらい「ビーガン」という単語も一般化して、普通に通用する世の中になったようだ。

 わたしが「ビーガン」という言葉を知ったのは、パソコン通信の頃で、ベジタリアンよりもっと厳しい、卵まで食べない主義の人、という感じだったが、現在ではそんな簡単な区分けではなく、同じ「ビーガン」でも、いろいろな主張があるとのこと。
 驚いたのは、「ホタテ」は脳がないから食べていい、という「ビーガン」の人がいるということ。個人的には、目に見えて動く生物≠ヘ生き物に入るのではないかと思うのだが、この派の人々は脳≠フありなしで生物かどうかを選別しているわけだ。まあ、それもひとつの見識ではあるかもしれない。

 さて、日本は今年、IWC(国際捕鯨委員会)を脱会して、商業捕鯨を再開した。これはわたしには意外であった。日本はIWCを脱会するなどという度胸はないだろうと思っていたからである。
 わたしは10代の頃「特効薬コードKUJIRA」という小説を書いた。これの大筋は、「謎の死病がパンデミックを起こし、その特効薬がクジラの肉で、それとわかった世界中の人々がクジラを採りまくり、ついには絶滅させてしまう」というストーリーである。

 言わば、「生きるためには、おまえら、いくら知能が高いから殺してはいけないといっている生物でも食べるだろう?」という皮肉をキールに、若さに任せて筆を走らせたのだが、あれから数十年経って、自分の中で、なにかが変わっているのを感じている。
 今のわたしだったら、ストーリーの中に、絶対に鯨肉を食べないで死んでいく人々の描写を入れるだろう。少数派でも、そういう人々も存在するだろう――そんな想像は、若いわたしにはできなかった。

 そんなことに気づかされたのは、ある友人とのたわいない会話からであった。彼とわたしは互いにネコを飼っていて愛しているのだが、彼は、もし食糧危機の時代が突然訪れたら「その飼いネコを食べてでも生き延びる」というのである。
 わたしはエッと思って言った。「いや、俺は絶対にそんなことはしない。あの子を殺すなんてできないよ」
「ウソだね。絶対に自分を優先させるよ」
「いやいやいや。たかが十数日長く生き延びるために、自分が愛するネコを殺すなんてできない。オレはむしろ、自分の肉を食わせてでもネコを長生きさせるよ。自分が先に死んでもいいから」
「ウソウソ。絶対に自分の命の方が大事だから」
 この議論とも言えない議論は、水掛け論になると思われ、ここで互いに気まずくなって終了したのだった。

 このことがあって、つらつらと食≠フことを考えるにつれ、わたしはひとつの結論にたどりついたのであった。それは「動物というのは、自分が殺せる範囲の動物を食べて生きるのが自然である」ということである。
 人間は群れを作り道具を使って生きている動物であるから、このことを忘れているが、本来、徒手空拳のヒト個体は、ブタを殺すのさえ苦労する動物である。できてせいぜいニワトリを絞めるくらいだろう。
 わたし個人ができることを考えれば、ニワトリすらも殺すことができないかもしれない(可哀想で)。できてせいぜい魚や昆虫くらいか。となると、わたしにとって、自然な「自然食」は、野菜と穀物、魚と昆虫くらいとなる。それ以外の「自分で殺せない」食物は、本来、食べられないものなのだ。


(荒川弘「鋼の錬金術師」6巻より引用。罠でウサギを捕まえたものの、殺すことができないエドとアル。気持ちはよくわかる)

 もちろん、人間の「本来の姿」を、集団で生き、道具を使って狩りをする動物だと定義すれば、食べられるものの範囲はぐんと広がる。クジラ食ももちろん可能になる。

 われわれは「ビーガン」の人々を「なにか小難しい理屈を言って食習慣に制限をくわえている人々」と笑ってはいられない。これは、人間とはどういう動物であるか、というものの再定義なのかもしれないのだ。

 それにしても、旧約聖書を読めばわかるとおり、ユダヤ教の食事禁忌は多かった。
 たとえばダニエル書には、捕囚となったイスラエル人の少年たちが、自分たちには肉を食べさせないで欲しいと願い、十日後、肉を食べていた他の少年たちより健康状態が良かった、というくだりがある(ダニ 1:8-15)
 また、マカバイ記二には肉を食べることを固辞し、処刑されたエレアザルの殉教の記もあったりする(マカ二 6:18-31)

 その厳しい食事禁忌をスッパリなくしたのがキリスト教であり、そのせいもあってかキリスト教は世界の普遍宗教となったというのに、この飽食の時代に「ビーガン」という人々が現れつつあるというのは、人間、なにか自分にルールを課さないとむしろ生きにくい%ョ物なのかなぁ、とも思ったりもする。

 なんにしろ、わたし自身がネコの肉を食べられない、と知ったときから、わたしは、鯨肉を食べられない、という人々を莫迦にすることはできなくなってしまった。

「特効薬コードKUJIRA」を書いた当時は、IWCが「駄々っ子のような非科学的な屁理屈で捕鯨国を責める」という背景があり、それを嘲笑する、という若さが自分の中にあったのだが、今のIWCにはそれほどの力もないようだ(だからこそ日本は脱退したわけで)。

 こんなわたしの考え方の変わり様を、昔からの読者は「変節」だと怒るだろうか……。
 でもね、言い訳ではないけれど、人間、成長はしなくとも、変化はするものなのですよ。
 というところで、昔からの読者の皆様にお詫びしつつ、この稿、筆を置く。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月10日

【日記】常駐ソング

♪ブイ・エー・エヌ・アイ・エル・エルエー・バニラ!
♪ブイ・エー・エヌ・アイ・エル・エルエー・バニラ!
♪バーニラ、バニラバーニラ求人、バーニラバニラ高収入!
♪バーニラ、バニラバーニラ求人、バーニラバニラでアルバイトー!

 最近、この歌が妙に頭に常駐してしまっているのである。
 これは知る人ぞ知る風俗の求人ソングで、渋谷などに行くと、専用バスがこれを大音響で流しながら街を回っているのだそうだ。
 ツイッターで読んだ話だが、これを年端もいかぬ娘さんが覚えてしまって電車の中で歌ってしまい、父母が慌てふためいたという。わはは。それは確かに恥ずかしい。

 メロディも知りたい方は、Youtubeで「バニラ 求人」などで検索ヨロ。

 ところで、ここに歌詞をこうやってババンと書くこことができるのは、この曲、著作権フリーなのだ。やるな広告代理店。ヘンに著作権を主張するより、こうやって話題になって広まる方が効果的だという判断だろう。実際、こんなふうに風俗に無縁なわたしのブログでさえ紹介されているわけだし。

 あんまり自分の頭の中でばかり曲が繰り返すのが悔しくて、通っているジムのトレッドミル(ネットに繋がっていてYoutubeを見ることができる)をあがるとき、必ずこの「バニラ」を最後にしておくことにしている。こうすると、次に使う人がチョロメを立ち上げたとき、いやがおうにも「♪ブイ・エー・エヌ・アイ・エル・エルエー・バニラ!」を聴かざるを得ないからである(ひでぇ)。

 こういう、曲が頭に常駐して離れない状態のことを「イヤーワーム(earworm)」と言うそうだ。耳回虫とは言い得て妙である。

 これは個人差があるようで、わたしはけっこうイヤーワームに寄生されるタチ。というか、毎朝、なにかきっかけがあると、なにか古い目の曲が常駐してしまい、頭の中で繰り返すようなことがたびたびある。

 そこでこのバニラの登場なのである。なにか曲が常駐するたびに――
「♪バーニラ、バニラバーニラ求人、バーニラバニラ高収入!」
 と、頭の中でリフレインしてやるとあら不思議、前に常駐した曲が消えている。バニラの曲は常駐はするが単調なので、思考を妨げない。そして徐々に消えていく。
というわけで、わたしの中では「常駐ソングを消す常駐ソング」として、この「♪バーニラ」は重宝しているのであった。

 常駐と言えば、このWindows時代には常駐ソフトを書くのは簡単だが(タスクトレイに適当なアイコンを出すなどして終わらせなければいいだけ)、DOS時代に常駐ソフトを作るのはアセンブラでなければ難しかった。
 わたしはC使いだったので、Cでも簡単に常駐ソフトを作りたく、ディスクマガジン「電脳倶楽部」にその旨質問したら、編集部の舩本さんがCでサンプルプログラムをつくってくださった。いやぁ、うれしかった。
 そのスケルトンを使って、当時ハマっていたダンジョンマスターをジョイパッドで操作できる常駐ソフトを作成し、同誌に投稿したのだが、これは採用されなかった。
 Cでの常駐方法、常駐解除の方法は、構造体とユニークな文字列を使った目からウロコなもので、こんなことを考えつく舩本さんはすごいなぁ、と思ったものだった。

 音楽が常駐するイヤーワームの話から、ずいぶん話題が飛んでしまったが、こんなふうに、わたしの頭の中の常駐ソングを常駐解除する曲として、♪バーニラは活躍してくれているのである。

♪バーニラ、バニラバーニラ求人、バーニラバニラ高収入!

 はっ、今度はこっちが消えていかない。どうしよう。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月06日

【回想録】シャーペンの思い出

 今日はISOTでビッグサイトへ来ている。ISOTについては「【日記】ISOT」の記事ですでに書いている。「国際 文具・紙製品展」である。あれ? 去年はどうしたのかな? と思って日記を見てみたら、去年はなぜか(わたしが)お休みしていたのだった。
 30周年記念だという今年は、なのに西館一階でのみの開催。キングジムもコクヨも出展していない。うーむー。正直、ショボくなったなぁ(ごめんね開催社のリード・エグジビション・ジャパンさん。VIP招待券もらっておいて)。

 今回は呉竹のブースが大きかったのが印象に残った。「令和」の筆書きで毛筆ブームがきているのだろうか。毛筆の達筆にはあこがれるが、河合克敏先生の「とめはねっ」を読むと、基本から着実に身につけていかなければならないようで(当たり前だ)、ちょっとハードルが高い。とはいえ、自分が適当に毛筆で書いた文字はけっこう好きだったりする。

 毎年、日本文具大賞というイベントもやっていて、今年の大賞がシステム手帳だったのにはちょっと驚いた。わたしもシステム手帳愛用者だが、最近はスマホのメモやジョルテでスケジュール管理をすることの方が多くなってしまっている。
 しかもこの手帳は女性向けを意識してつくられていた。ライフログをつける女性が多くなっている傾向から、システム手帳も復権していくのだろうか。えっ「恭介くんとガンダム」w いや、わからない方はわからないままでいいから、大丈夫だから。安心して。約束するから。

 思い出に残る文房具は多々あるが、振り返ってみると性格がらか、わたしは実用本位、質実剛健な文具が好きで、「ロケットペンシル」とか「差し替え式色鉛筆」とか「多機能筆箱」とかは、それほど好きではなかった。でももちろん、ここに名が出るということは、一度は買ってみているのだな。

 今回はその中でも、シャーペンの思い出を追ってみた。
 ちなみに、わたしの行っていた学校は自由な校風だったので、小学生でもシャーペンの使用は特に禁じられていなかった。なので、うろ覚えだが、鉛筆を使っていたのは一年生のときくらいである。
 多くの小学校でシャーペン禁止なのは、生徒が分解整備をして授業に集中できないから、という理由らしいが、鉛筆の方がナマったら鉛筆削りを使わなければいけないし、授業に集中するならシャーペンの方がいいという合理的な考え方が、わたしの行っていた小学校にはあった。

 そんなわけで、最初はふつうのノック式の、安いシャーペンを使っていたが、これはいい、と最初に思ったのは、たしか小学校二年のときに売り出された、ノック部分が軸部についているシャーペンであった。
 たしかオレンジ色をしたこのシャーペンで、早朝の誰もいない教室で、何度も漢字の書き取りをしたことを覚えている。
 次に気に入ったのも、やはり小学生時代。四年だったかな? 軸を折り曲げると芯が出てくるシャーペンだった。これは画期的だと思った。書いていて実にテンポよく芯を出していける。
 前後して、ペンを上下に振ることで芯が出るシャーペンも出てきたが、こちらは試験中にカシャカシャやるのがはばかられ、自分はあまり使わなかった。

 中学に入ると、あまりギミックにはこだわらなくなり、シンプルなシャーペンが好きになる。
 時代もそういう波だったのか、一見六角形の鉛筆そっくりなシャーペンが売り出され、しばらくそれを愛用していた。

 当時の男の子なら誰でも一度はハマッた、製図で有名なロットリング社が出していたシャーペンや、これはシャーペンではないが、ステッドラーの芯ホルダーを使っていた頃もある。しかしロットリングのものはすぐに壊れてしまった。

 その後は長く、どこかの国産ブランドもののシャーペンを利用していた。さすが当時の国産ブランドものだけあって、故障することもなく、長く使っていられた。

 高校生当時から小説を書いていたのだが、原稿用紙に走らせるのは、下書きでも鉛筆は使わず、ぺんてるの水性ボールペンと決めていた。これは下書きを削除したり、訂正したり、段落を入れ替えたりと、そういう「悩んだ」痕跡を残しておきたかったから。
 その下書きの清書はモンブランの万年筆でやっていたのは、以前も書いた通り。

 今のわたしは、シャーペンをめっきり使わなくなってしまった。普段のメモ書きや手帳は万年筆だし、長文はポメラやPCを使ってしまう。
 わたしがシャーペンを離れているあいだに「クルトガ」という、常に先端がとがっているという製品が出て心惹かれたが、「でもシャーペン使わないしなぁ」ということで購入には至っていない。

 これからもシャーペンはまだまだ進化していくのだろう。
 振り返ってみて、シャーペンで漢字の書き取り練習を何度も何度もやっていたあの少年の日々を懐かしく思う。
 文房具がいつの時代も「わくわくするもの」なのは、みな、こういった経験をしているからではないだろうか。

 追記:今回、ISOTと同時開催の「国際 雑貨EXPO」も観ていったのだが、会場がビッグサイト西館二階と、新しくできたという「青海展示棟」に分かれていた。両会場には無料バスがひっきりなしに運行しているので、行き来は大変ではないが、距離がかなりあってびっくりしてしまった。青海展示棟はほとんどビーナスフォートの裏である。
 青海展示棟には、ルービック・キューブの商標を使える正規販売社の「メガハウス」が出展していたので、それを目的に行ったのだが、今回は「九谷焼ルービック・キューブ」のようなものはなく、「キャラクションキューブ」という、フィギュアの立体パズルの展示であった。ちょっと残念。



 あと、コーヒー用品で有名なハリオのところで、ジオン軍仕様のミルとドリッパーを見かけた。撮影禁止なのが残念である。まだテスト品らしいが、そのうち話題になるだろう。

 ところでこのブログ、去年ハマっていたルービック・キューブの話題がめっきりなくなったと思いませんか? か? か……? あのね、あのね……。それについては、また今度、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録