2017年06月25日

【日記】新元号を当ててみせる!

 天皇陛下のご退位も確実になり、新元号は何になるのかに気をもんでいる業界も多いという。カレンダー業界などでは一ヶ月ずれ込むごとに印刷の外注費などで総計数十億の追加費用がかかるとのこと。それは確かにしんどそうだ。

 コンピュータ業界も、既存プログラムを新元号に対応させるのに、あちこちで悲鳴があがるに違いない。

 しかし今のところ、その新元号の発表スケジュールがいつになるかすらも決まっていないような状況だそうである。なんとも、国民みんながやきもきしそうだ。

 1979年の大平内閣時代にまとめられた閣議報告「元号選定手続き」には以下の6項目があるそうである。

1)国民の理想としてふさわしいような良い意味を持つものであること
2)漢字二字であること
3)書きやすいこと
4)読みやすいこと
5)これまでに元号又は諡として用いられていないこと
6)俗用されていないこと

 これらに加えて、現在はコンピュータ、ネット時代であるから、最近の明治、大正、昭和、平成を区別できるアルファベットM、T、S、Hが頭文字になる元号は採用されないとの見通しである

 で、わたしは考えた。
 やはりコンピュータ時代であるから、古いシステムを稼動させている会社も多いことを鑑みて、新元号にUnicodeのみにある漢字はもちろん、JIS第二水準漢字が使われることもないだろう。
 となると使われるのはJIS第一水準の漢字だ。それは2965文字ある。元号は上記レギュレーションから「漢字二字」であるそうだから、その組み合わせは2965の自乗で8791225通りあるわけだ。

 要するに、それを網羅してしまえば、必ず「当たる!」のではないか?

 というわけで、ちょいと簡単なプログラムを作って、その八百七十九万千二百二十五通りの二文字の「新元号予想」をリストアップしてみた。下記からダウンロードしていただきたい。なにぶん大きいもので、zip圧縮してある。

「新元号予想リスト(zip)」

 展開するとほぼ50メガバイトのテキストファイルとなる。スマホなどのプアなエディタだとハングアップするかもしれない。



 なお、過去に使われた元号は[このカッコ]でくくっている。
 絶対に使われそうもない二文字も多量に含まれているが、そのあたりを削除していくとこの作戦の持つ卑劣さが薄まってしまうのでやらない。

 この作戦名は「必殺・暗黒流れ星オペレーション」とする。


(島本和彦「炎の転校生」7巻より引用)


(島本和彦「炎の転校生」12巻より引用)


(島本和彦「炎の転校生」12巻より引用)

「そう! あとは総当りだけだっ!!」

 なんでも新元号は「人目に触れた瞬間、絶対に採用されない案」へと替わってしまうのだそうだ。なので、上のリストはパブリックドメインとする。どんどんバラまいて、政府を困らせていただきたい。ふふふ。はーはっはっは! なんと卑怯な俺。いったいどんな新元号になるのか、今から楽しみである。

 もし新元号が上記リストの中にあったら、わたしは堂々と「新元号をコンピュータを使って当てた男」を名乗るつもりである。間違ってないし(笑)。

 ちなみに過去の元号では、「白雉」「永祚」が上記リストには引っかからなかった。だから可能性100パーセントというわけではない。
 もし、新元号が上記リストになかったら、そうだな、丸坊主になる覚悟である。

 あ、ちょっと不安になってきた(笑)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年06月24日

【日記】あなたは○○が好きなのではなく

「あなたは○○が好きなのではなく、○○が好きな自分が好きなだけなんですね」

 という台詞が、ここ数年、窮鼠猫を噛むための最終攻撃として使われているように思う。
 たいていは、自分の好きなジャンルの話をしていて、とうてい相手の偏った知識量にかなわないと悟ったときに、イタチの最後っ屁のように使われる感じだ。

 たとえばわたしは、洋画が好きで洋画ばかり見ている。そこで「映画好き」の人と話をしていて、相手が邦画専門なので話が合わないとする。「邦画は全然見てないんですよね」などと言うと、相手がドヤ顔でこう言う訳だ。「あなたは映画が好きなのではなく、映画が好きな自分が好きなだけなんですね」

 はい、上等。わたし、映画が好きなのではなく、洋画が好きなんです。だから「映画が好き」という前提からして間違っているので痛くもかゆくもない。
 逆に「そういうことにしないと、この人は自分のプライドが保てないんだな」と、この台詞を言った人を可哀想に思ってしまう。
(実際にこんなことを言われたことはない。あくまで例である。念のため)

「あなたは洋画が好きなのではなく、洋画が好きな自分が好きなだけなんですね」
 と言われたらどうかな? うーん。「そうなんですよ。そんな自分が大好きなんです」と満面の笑顔で受けるかもしれない。

 どんなことにせよ、自分のことを好きだと言えるのは、ものすごく大きなアドバンテージですよ。そういったものは多い方がいい。この自己嫌悪の時代を生き抜いていくためにも。

 いったいだれがこの「イタチの最後っ屁」を編み出したのかは知らないが、どうにもその人には、人間に対する大きな誤解があるように思う。まだ若くて、純粋な人なのであろうか。「人間、○○が純粋に好きでなければいけない」、「ファッションで○○が好き、というのは違う」というような潔癖感を感じずにはいられない。
 しかし人間、長く生きていれば、本来「人が○○を好きであること」と「○○を好きな自分を好きであること」は矛盾しないということを自然に悟るのである。むしろそれは相乗効果で良い結果を生むことが多いということも。
 わたしは細君が好きだし、細君が好きな自分が好きだ。このふたつになんの矛盾もないし、むしろ補完関係にあると言ってもよい。

 と言うわけで、「あなたは○○が好きなのではなく、○○が好きな自分が好きなだけなんですね」という台詞を言った方は、その○○という事象、ジャンルがなんにせよ、大元の○○の本質を好きであるというレベルにおいても、もう白旗を挙げたのだとわたしは感じる。

 逆に「そんなあなたは、なにが好きな自分が好きなんですか?」と、問うてみたくもある。そうすれば、「あなたは○○が好きなのではなく、○○が好きな自分が好きなだけなんですね」という返し方が、むなしい、中身のない、空虚なイタチの最後っ屁であることがよくわかるはず。

 わたしは「テニスが好きな自分が好きです」「美術館巡りが好きな自分が好きです」「食べ歩きが好きな自分が好きです」と、素直に言える人の方に好感を覚える。
 逆に「テニスは好きですがテニスが好きな自分は嫌いです」とか言われたら「うわ面倒な人だな」と引いてしまわないだろうか?

 結局のところ、「あなたは○○が好きなのではなく、○○が好きな自分が好きなだけなんですね」という台詞は、相手を自分の好きなジャンル戦に引き込めず、マウンティングができないがゆえの苛立ちが生んだ言葉に過ぎないのではないだろうか。

 やはり、若い――というより精神の発達がまだ幼い――人が使う台詞だなぁ、と感じる。

 こんなわたしは、最近、「食事が好きではなく、食事を好きではない自分が好きではない」ということに気づいてしまった。
 ほうら、面倒くさい人間でしょう? 自分だってこんな自分が嫌だ。
「あなたは食事が好きなのではなく、食事が好きな自分が好きなだけなんですね」と言われてみたいよ、まったく。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年06月23日

【日記】朝食抜き生活

 いつ頃この習慣を始めたのかは覚えていないが、わたしはもうずっと、朝食抜きの昼夕二食生活である。

 最初のきっかけは、歳を取って生活で消費されるカロリーが少なくなった結果、多少体に肉がつき、BMI22の標準体型になったときかもしれない。
 もとが痩せ型だけに「太った?」と言われ、それならダイエットしてやる、と奮起したくだりは、以前にも書いた覚えがある。
 そこで摂取カロリーを減らすため、単純に「朝食を抜けばいいや」と考えたわけである。
 まあ実際、BMI22は「標準体型」と言われているが、わたしの私感では「太り気味」ではないだろうか。

 いくつか病を抱えている今のわたしが言っても、説得力はないかもしれないが、朝食抜き生活は決して不健康なものではない。成長期を過ぎ、生活での消費カロリーが減った年代の人間にとっては、むしろ理にかなった食生活だと思う。

 朝食をとらなければ、午前中の力がでない、というのは嘘である。食べ物の消化というのは、けっこう体にとって負担になるのである。朝食を食べなければ、それだけ胃腸の負担は減る。一日数時間はそういう胃腸を休ませる℃條ヤが必要だ。
 脳だけは糖分が必要なので、頭がどうしても働かないから朝食が必要、というのなら、バナナでも一本、食べておけばよろしい。

 朝食抜き生活を続けていると感じるのは、こういう話をすると、「朝食はとらなければいけない」という謎の勢力が、シュバババとやってきて、ああだこうだと屁理屈をこねるということだ。

 曰く「朝食をとらないと、体がカロリーを余計にため込むようになり、太りやすい体質になる」。曰く「朝食をとらない子どもは成績が悪いという統計がある」。曰く「お通じが悪くなる」。曰く「栄養失調になる」。エトセトラ、エトセトラ。

 こんな戯言は、ぜーんぶ嘘か、統計を恣意的に解釈したイカサマである。ただ、自分が食べたいがための言い訳。わたしはこういう人たちを「朝食信仰」「三食信仰」の狂信者だと思っている。
 特に「食べないと太りやすい体質になる」という謎理論。バッカじゃなかろうか。わたしは魂の不滅を信じるキリスト信者だが、リアルな肉体は、摂取カロリーと消費カロリーの差のみで痩せたり太ったりし、食べていないのに太るような超常現象はありえないという常識的思考の持ち主である。
「食べないと太りやすい体質になる」という人で、「食べるのが嫌い」という人は一人もいない。結局、自分が食べたい言い訳として謎のオカルト理論を発明しているのである。未開の人種なみ、いや、未開の人種の方が痩せている分、未開の人種以下のおめでたいお脳の持ち主とは言えまいか。

 いささか攻撃的に書いたが、本心だから仕方がない。「自分は太りやすい体質」と述べる方は、食事がそれほど楽しい行為ではないわたしからみたら、食べなくてもふくよかな体を維持できる奇跡のお体をお持ちなのだから、むしろ一日一食、いや、三日に一食生活にしてみたらどうでしょう。きっとお望み通り、お痩せになられると思いますよ?

 もっとも、「朝食信仰」「三食信仰」は強力な洗脳力を持っている新興宗教なので、ブログではこんなことを書いていても、実生活でそれにハマっている方と宗教論争などはしない。「わたしは胃腸が弱いので朝食はとらないんですよ。主治医にもその方がいいと言われていまして」と、華麗にスルーである。

 朝食をとらなくていいメリットはたくさんある。ひとつは、朝の忙しい時間を、朝食でムダにせず有効に過ごせるということ。朝食についてあれこれ考えなくてすむので、ほかのことに頭を使えること。後片付けをしなくてすむこと。
 そして実際に、午前中、体が軽い。お通じもいい。私は一日二食生活にしてから、食べれば必ず出る体質になった。
「食べないと太りやすい体質」どころか「食べないから出やすい」体質になったのである。胃腸に余計な老廃物をため込まない体質になったのだろうか。もちろん、これもなんの根拠もないオカルトだが。

 最近、自分が「食事を面倒に思うタイプ」だと再認識したら、抜けるときは昼食すら抜くようになってしまった。昼食はアイスクリームか甘いコーヒーで十分である。
 さすがにこれはよろしくない。むしろ生きる気力の低下につながると自分でも思うのだが、本当に、それだけで腹一杯になってしまうのだよなぁ……。

 今の時代、右を向いても左を向いても美食の情報が溢れ、美味いものは正義≠ェまかり通っている。上のようなことを書いているのは、所詮、味音痴の負け惜しみ。三食、楽しんで食べている方が本当は羨ましいのである。
 なので「健康のため朝食抜き生活はお勧め」などと書いたりはしない。
 でもね、逆に、食べない人にあなたの「朝食信仰」「三食信仰」を押しつけようとするのはやめて、それは折伏大行進だから。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記