2017年10月18日

【日記】ポメラDM100 & DM200用キャリングバッグ

 購入時のレビューでは「基本、持ち歩く気はない」と書いていたのだが、その後、わりと気に入り、キングジムのポメラDM200を外出時のおともにすることが珍しくなくなった。

 以前にも「【日記】愛用カバン」で書いたが、わたしはポメラDM100、DM200を持って出るときは、どちらもキングジムの純正ケースに納め、Kanana 3Wayバッグのノートパソコン収納エリアに入れている。
 ひとつ工夫をしているのは、剛性を高めるために、そこへ「アクリサンデー」という板を加工して三枚入れてサンドイッチ構造にし、折り曲げ耐性を高めているところ。わりと中身が小物でギチギチだし、リュックとして背負ったりもするので、横長のDM100、DM200が曲がってしまうと嫌だな、という気持ちからである。


(前も貼りましたが、こんな感じ。黄、緑、赤の板がアクリサンデー。ガラスより剛性が高いという)

 ただ、ここまでくるとちょっとモノモノしくなってしまい、近所のファミレスや病院、図書館など、カジュアルな外出にもこのフル装備のカバンを持ち出すのが億劫になってしまってきていた。

 そこで、ポメラDM100、DM200にあうキャリングバッグはないかなぁ、とつらつらと検索していて、見つけたのがこれ。


(クリックで拡大できます)

 PFUが出している、HHKことHappy Hacking Keyboard用の純正「ハードケース DX PD-KB01SD」である。
 検索してみると、これをポメラDM100用のキャリングバッグとして「オススメ」とおっしゃっている方がいたので、これは良さそうだ、と思いつつ、しばらく勘案事項として頭の隅に置いていた。

 気にかかる点は、「オススメ」とおっしゃってくださる方のブログを拝見すると、DM100を「裸のままで」入れている方、DM100を「百均の500mlペットボトルバッグに納めて」入れている方はお見受けするが、「キングジム純正のケースに納めて」入れている方のレポートがないこと。また、ポメラDM200でテストしている方も見当たらない。
 わたしはポメラDM100、DM200とも純正のケースを使っているので、これがすんなり「ハードケース DX PD-KB01SD」に納まってくれないと悲しい。

 というわけで、これは珍しくヒトバシラーになってみるか、と、アマゾンポイントもあったので「ハードケース DX PD-KB01SD」を購入したのであった。
 わくわくしながら中一日。届いた「ハードケース DX PD-KB01SD」を開けて、早速、ポメラDM100 with 専用ケースを収納してみた。


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 ピッタリ! である。DM100右上のケンジントンロック部の出っ張りもすんなり収容できる。「ハードケース DX PD-KB01SD」はマチが広いので、収容物容量の誤差範囲が広いようだ。

 続いて、ポメラDM200 with 専用ケースを入れてみる。


(クリックで拡大できます)

 これもピッタリ! 嬉しい。DM200の純正ケースは「ハードケース」だが、四隅も引っかかることなく、まるであつらえたかのように入ってくれる。

 DM100、DM200とも、専用ケースごとスッポリ収納した上で、チャックを閉めて持ち運んでみても、中で揺れ動いている感じはない。むしろ「ハードケース DX PD-KB01SD」本体に加えてポメラ専用ケースの弾性があるので、多少の衝撃にも耐えられそうだ(むろん、保証はしない。自己責任で)。

 さて、試しに、DM100、DM200とも、この「ハードケース DX PD-KB01SD」に裸で入れてみた。


(クリックで拡大できます。DM100の場合。)


(クリックで拡大できます。DM200の場合)

 うーん、これはどちらも、ポメラの四方に指一本くらいの隙間ができてしまう。このまま持ち運ぶと、中で筐体が揺れ動くのではないだろうか。裸で収納する場合は、もしもの衝撃にそなえて、他にクッション材を入れるなど工夫した方が良いかもしれない。

「ハードケース DX PD-KB01SD」自体のレビューは他ブログでたくさん書かれているので、本稿では軽く触れるだけにする。
 名称は「ハードケース」だが、実際にはソフトバッグである。最初はメンブレンの化学臭が強いかも。わたしはメンブレンのニオイが嫌いではないので全然構わないが、ダメな人はダメかもしれない。
 メイン収納部のチャックに南京錠が掛けられたら、さらに良かったなぁ、と思う。現状、チャックの取っ手に小さな布がついているが、これはループになっていないので、錠をかけることはできない。
 サブ収納部もマチが広く、DM100なら予備電池、DM200ならモバイルバッテリーを十分に入れられる。
 まあこうやって欲張っていくと「カジュアルにポメラDM100、DM200をお外に持ち出す」という本来の目的から離れていくので、これぐらいの収容力でよい。

 ところで、Happy Hacking Keyboardは、二十世紀にはみなが「HHK」と略していたように思う。「PC Watch」の2008年の記事でも、まだ「HHK」と略されている。わたし自身も「HHKB」は違和感を覚えてアレなので、この記事でも「HHK」と書いている。
 今はPFU公式でも「HHKB」と略しロゴもあったりするので、それが正しいということになったのだろうが、かなり昔からのHappy Hacking Keybordの愛用者は、今でも「HHK」と略しているような気がする。いかがだろう>旧いコンピュータ屋の皆様。
 そんなこんなで、「ハードケース DX PD-KB01SD」のブログ記事を拝読していて「HHK」の略称が出てくると、「おっ、この人はほんとに昔からの愛用者だな」とニヤリとしていたりするのである。

 ちなみにわたしもHHKの愛用者だが、こちらは本当に持ち歩かないので、この「ハードケース DX PD-KB01SD」がそちらで活躍する機会はなさそうだ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年10月17日

【昭和の遺伝子】免許証取得の思い出

 ツイッタラーの間で「自分のクルマに友人を乗せたらお礼をもらいたい」という話題が盛り上がっているという。
 もらいたい派、いらない派のそれぞれの主張に納得できるところもあり面白い。決着はそのときそのときの人間関係もあり、つけようがないと思う。

 昭和の遺伝子を持つわたしの感覚だと、率直に「へぇー、今の若い人は、クルマに乗せてあげたらお礼がほしいと思う人もいるのか」という驚きがあった。
 これは、地域性や世代間格差もあると思う。わたしは、誰しもが二十歳を過ぎたら免許とマイカーを持っているような地域で育った。用事や旅行でも「今回はオレのクルマで、次回は君のクルマで」のように、自然、お互いのローテーションがうまくいっていたのである。だから友人を自分のクルマに乗せたからといって、それで代償が欲しい、とは、はなから考えなかった。

 現代では都市部の青年だと、マイカーはもちろん免許証を持っていない、という人も多くなっているだろう。そういう人に「たびたび足代わりに使われてまったく代償なし」というドライバーの憤りも、もちろんわかる。

 わたし自身は、クルマの中でのお喋りが好きな方なので、免許証を持っていない友人を遠距離で乗せても、全然、代償が欲しいとは思わないクチ。友人が寝てしまっても、まあ疲れているのだろう、と起こしたりはしない。
 そんなだから、金銭とか、食事とかの代償を要求したことはまったくない。
 逆に、ツイッターでの指摘通り、クルマに乗せてあげた代償が必要なのだとしたら、今まで乗せてあげた友人に気まずい思いをさせていたのかな? と、もうしわけなく感じているところだ。わりと「いいですよ、乗ってってよ。送りますよ」と気軽に言ってしまう性分だからである。

 ところで、小・中学から知っている友人が「送っていくよ」と初めて運転席に座ったとき、すごく違和感を覚えませんでしたか?(笑)
 これは面白い感覚だよねー、と、当時、笑いあったものである。今はもう、味わえない。

 わたしは免許を二十一のときに取得した。もちろん、教習所で卒検までがんばり、試験場でペーパーテストを受けて取ったのだ。
 当時はマニュアル車、ノンパワステ、窓もレバーをクルクル回して開け、サイドミラーはフェンダーについていた。

 第一段階ではシミュレータなどはなく、タイヤが空回りする台車に実車を載せたものに乗せられた(あれの名称はなんというのだろう)。そんなだから、エンジンを吹かすと前に飛び出しそうで恐い!
 汗をかきながらギアチェンジの教習を終えて下りると、教官に「うまいね、乗っていたんじゃないの?」と言われた。しばらく、言っている意味がわからずキョトンとしていたことを思い出す。「無免許で乗っていたんじゃないの?」という意味だとわかったのは、教習所からの帰り道で、であった。

 第二段階では、狭い教習所の中で、四速まで入れるのが難しかったようなおぼろげな記憶。S字は簡単だったがクランクには苦労したなぁ。
 第三段階は坂道発進だっただろうか。教官に「半クラにして(坂道で)止めて」と言われ、足が攣りそうになった。

 そして初めての路上教習。教官は鼻歌など歌って気楽な顔をしていたが、こちらは全身に汗びっしょりである。緊張につぐ緊張で、本当にこれからまともに運転できるのだろうか、と自信をなくしたものだ。

 この頃、誰しもが経験することだと思うが、他人が運転するクルマに乗ると、とても恐くなるという症状が。運転するほうも「そうなんだよなー、慣れると平気なんだけどね」などとノホホンとしていたりするのが、今思うと可笑しい。

 卒検でも緊張し、わたしは「坂道での後退」と「加速不良」をやらかして、ギリギリの点数での合格であった。
 そうそう、当時は「高速教習」などはなかった。なくてよかったなぁ、と振り返って思っている。きっと、最初の路上教習どころではなくあせっただろうから。

 当時はわたしの住む地方都市に「免許センター」なるものはなく、いくつか分散した試験場のひとつでペーパーテストを受けた。こちらは一発で満点合格だったが、周りに「もう何回も落ちている」という人が幾人もおり、そのことのほうにびっくりしたものだ。

 まだ免許証受付のコンピュータ化が進んでいなかった時代、試験場の周りには「代書屋」とよばれる業者がいくつかあり、そこで免許証の書類を作ってもらって、試験場へと提出するのである。
 初めてもらった免許証は、今の小型のものと違い大判で迫力があった。まだゴールド免許もグリーン免許もない時代、皆、青のストライプである。教習所が免許ケースを贈ってくれたので、それに入れて携行していた。


(おりもとみまな「ばくおん!!」4巻より引用。わたしの母は限定解除*ニ許を持っています)

 免許取得以来、安全運転を続けて、ゴールド免許歴の方が長いが、一度、駐車違反をやらかして、ブルー免許に落ちてしまった(その話は「【日記】自動車免許」「【日記】おかげさまでゴールド免許」に書いた)。
 卒検での「加速不良」といいい「駐車違反」といい、わたしはクルマを「飛ばす」ほうではなく「止める」ほうに問題があるらしい。
 以降、猛反省して、ちょっとの駐車でもパーキングを探して入れるようにしている。今はゴールド免許に復帰した。

 高速での無謀な運転による事故も話題になっているが、クルマの運転というものは、技術ではなくコミュニケーションだと思っている。
 ちょっとネットを見れば、世の中には話が通じない、エキセントリックな方々がいるというのは自明ではないか。
 そういうことを頭の片隅に常に入れて、なにがあっても腹を立てずにスルーが一番、という気持ちでハンドルを握るようにしましょう、ご同輩。
「自分のクルマに友人を乗せたらお礼をもらいたい」かどうかでも意見がわかれる世の中なのだから。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2017年10月16日

【回想録】スタンガンの思い出

「スタンガン」と言えば、もう誰でも「あああのワニ口でバリバリするやつね」と知っているものだが、その昔、まだ出始めの頃は、知る人ぞ知る護身用具であった。

 斉藤由貴さんが若かりし頃、ビデオでのみ発売されたドラマ「漂流姫」の中で、敵をバッタバッタとなぎ倒すのに使っていた――と記憶しているのだが、ここらへんは変質しているかもしれない。

 今でも日本国内では、スタンガンはフツーに買えるのだろうかと調べてみると、特に問題なく購入できるということに少々びっくりしている。
 ただ、電車内への持ち込みなどが禁じられていたり、職質でカバンを調べられたら没収されたり、あらぬ犯罪の疑いをかけられたりする可能性があるなど、あまり実用的に使える護身用具ではないようだ。

 小学生の頃、わたしはスタンガン≠自作したことがある。といっても、006P9ボルトの角形電池を使用し、昇圧した電流をパルスとして電極両端にかける、という代物で、ちょっとビリビリする、といったオモチャ程度のもの。
 さっそく学校に持っていって、度胸のあるやつに試したりしたのだが、電極に使った金属片の方が尖っていて痛いよ、と言われる始末であった。

 うとい方のために書いておくと、電気が体を流れるとき生死をわけるのは、ボルト数ではなく電流量なのである。たとえ君の瞳が100万ボルトを発したとしても電流が少なければ、相手に「地上に降りた最後の天使」と勘違いさせることはできないだろう。
 実際のスタンガンも「何万ボルト」を謳っていても、流せる電流量は数ミリアンペア程度である。

 本物のスタンガンが国内に出始めた頃、何でも持っている畏友R氏が購入し、飲み会でそれを披露したことがある。当時はまだ、こういうのが冗談でできる時代であった。
 皆で回してバリバリやってはその電光に感動である。居酒屋の主人が感心して「娘に持たせようかなぁ」などと言っていた時代であるから、まぁ、のんびりとはしていた。
 せっかく本物があるのだから、そのショックを味わってみないのはもったいない、ということで、わたしの番がきたとき、脇腹に押し当てて、スイッチオン!



 そのとたん、脇腹に激しい衝撃。電撃というより、強い痛みである。いやしかし、思っていたよりマンストッピングパワーはないと感じた。
 おそらく、アドレナリンがたぎっている相手に安易に使えば、逆に奪われ制圧に使われる、という印象。力のない女性や子どもが、これを使えば大の男より有利になるな、という感想はもたなかった。
 実際には、相手に押し当てるより目の前でバリバリやって戦意を削ぐための護身具である。刃物の方がよっぽど恐い。

 護身具としての実用性は、スタンガンより、同時期に売られはじめた催涙スプレーの方が高そうに思う。残念ながら、こちらは試してみる機会が今までない。

 なんにしろ、この治安のいい日本、若い女性がこんなものをカバンに潜めることなく、夜中に一人歩きしても大丈夫な街であってほしいと願う。

 なにで読んだか覚えていないが、暴漢が一番警戒して狙わない相手は「踊りながら帰っている人」だとか。
 暴漢の気持ちはわからないが、確かにそういう相手とは、ちょっと距離を隔ててすれ違いたいもの、かも。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年10月15日

【日記】一回休みとか、あとがきとか。

 考えてみれば、この「いまさら日記」で、「深夜のお茶会いまさら」関係の告知をしてもよいのだよな。

 というわけで、だいたい月の中頃、15日あたりに更新していた小説の方、新作の連載は一回お休みして、単行本未収録短編「PAPA STILL SMOKEN'」を掲載させていただいた。
「妻のみぞ知る」も書き進めているのだが、やはりある程度、目処がついてから載せる方が気が楽ではあるので――。

 今月は予想以上に風邪が長引き寝込んでしまったのが計算外であった。
 ブログの方は平気な顔で毎日更新しているように見えるが、これはストックがあるからで、実は中十日くらい途絶していたのである。
 風邪の記事も書いているので、そのうちお読みいただけたとき「あぁ、こんなにタイムラグがあるんだな」と、お笑いいただければ。

 今月お休みをいただいたからと言って、来月、新作を載せられるかどうかはわからない。お祈りください。

 その昔、「あとがき作家」という冠がつけられる作家さんたちがいらっしゃった。読者が本編よりもあとがきの方に期待してしまう作家さんのことである(と、言いきってしまうと語弊があるかも?)。
 まあ、わからないでもない。昔はネットなどはなく、作家の人となりを知るためには「あとがき」を読むことがファースト・セレクションであったのだ。
 作風より書いた作家の人柄が作品の評価になる、というのは、ある意味、ひとりの人間としての作家さんは幸せかもしれない。

 が、わたしはこの「あとがき」が苦手であった。書けば売り上げが上がりますよ、と編集者に言われても、書く気が起きない。だいたい書いたすべての「あとがき」が、編集者に言われて渋々筆を執っている。
 わたしは作品に全力投球してしまうタイプなので、書き終わったときは余力が残っていないのである。ヒーローインタビューで爽やかに応える野球選手というより、はぁはぁ息をつきながら「っすねー」と応えるのが精一杯の関取という感じ。そんな状態で「あとがき」を書いても書いても、読者に楽しんでいただけるだけのものはできないだろうという気持ち。

 もうひとつ、語りたいことは明示的でも暗喩的なものであっても、すべて作品中で語っておけ、という自分的美学があったのである。マクガフィンなどを作家自身が語ってしまうのはつまらない。そこはわかるひとだけがわかってニヤリとしてくれればいい、みたいな。
 たとえば、一作目で人工妊娠中絶した娘が、二作目では脇役として出てきてタンポポコーヒー(カフェインレス)を飲んでいる。これで特に語らずとも「ああ、前回の心の傷を乗り越えて、また赤ちゃんを授かることができたんだな。産む決意をしたんだな」と、わかる人にわかればよし、などというちょっとした茶目っ気である。

 現代は「あとがき」などなくとも、ツイッターでその作家の人となりがわかってしまう時代であるから、こういう「あとがき作家」の冠もなくなってしまったのかもしれない。
 逆にどうだろう、皆様、ツイッターなどで「人柄を知らなかった方が良かった」という作家さんはいらっしゃいませんか、ね?

 そんなこんなで、モノカキとしてほとんど「自己開示」をしてこなかったわたしだが、ここ一年ばかりは、このブログであることないこと毎日書いていて、「ファンです」とおっしゃってくださる方々の期待を削いでいないかが心配である。

「♪好きとか嫌いとか、最初に言い出したのは、誰なのかしら?(作詞:SANOPPI/2番をつくらなくちゃネ!実行委員会/作曲:メタルユーキ「もっと!モット!ときめき」より引用)

 人生の折り返し点を過ぎて、今思うのは、「あとがき」をもっともっと書かなかったのは、サービス精神に欠けていたなぁ、ということである。わたしは間違っていた。
 自分が好かれるか、嫌われるかなどは、わたしの責任ではないのである。わたしはここにいて、わたしとして現存している。これはどうしようもない。あることがきっかけで、そのことを思い知ったのだが、そのことはいつか書こうかどうか、まだ迷っているところだ。

 こんなわたしの書く物を「好きだ」。わたし自身を「好きだ」とおっしゃってくださる方々には「ありがとう」。「嫌いだ」と言う方々には「そうですか」。そう返すことにして、この稿、筆を置く。

 ほらね「あとがき」みたいなものを書くと支離滅裂になってしまう。だから嫌なんですよ(笑)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年10月14日

【日記】バッハを聞きながら

 今この記事は、バッハのBWV951a、「アルビノーニの主題によるフーガ ロ短調」を聞きながら書いている。特に脈絡はない。

 今はいい時代なので、クラシックならその作曲家の「全曲集」が廉価で買える。しかもmp3化すれば、スマホの64G Micro SDカードに数集収まってしまう。
 わたしのスマホに入れてある全曲集は、Bach Complete WorksとChopin Complete Edition、それにMozart Complete Worksである。
 当の作曲家たちが、自分たちが生涯かけて作曲した音楽が、こうやって指の先に乗るメモリに全部収まってしまうと知ったら、どんな顔をするだろうか。

 バッハは高校の頃、「ブランデンブルク協奏曲第3番」から好きになり、ぽつぽつレコード、そしてCDを集めるようになったが、まさか、こうやって簡単に全曲集を入手できる日がくるようになるとは思わなかった。
 ちなみにCD160枚である。最初は好きなものばかり選んで聞いていたが、どうせなら最初から通して聞こうと今年春からチャレンジを始め、今、31枚目。それで流れていたのがBWV951aだったというだけ。先は長い……。

 わたしは寝付きが悪いので、ヒーリングミュージックなどを流しながら眠りに落ちるのを待つのが習慣なのだが、ここ数年、BWV988、「ゴルトベルク変奏曲」を睡眠導入曲として試してみた。同曲はグレン・グールドのピアノ演奏で妙な鼻息を聞かされるより、鈴木雅明の演奏が素晴らしく軽やかで良い。
 ご存知の方には周知のことだが、ゴルトベルク変奏曲はもともと、不眠症に悩む伯爵のために作曲され、バッハの弟子のゴルトベルクが夜な夜な演奏したという逸話からきているので、不眠症には本来もってこいなはずである(もっとものこの逸話は後に作られた伝説のようだ)。

 全曲が終わるまでに眠れる確率は三分の二から二分の一というところであろうか。あまりいい数字ではない。

 そこで、このところ聞く曲をBWV232、「ミサ曲ロ短調」に変えてみた。
 同曲はかなり好きなので、指揮者もカール・リヒター、グスタフ・レオンハルト、ジョシュア・リフキン、ジョン・バット、フィリッペ・ヘレヴェーゲ、ペーター・シュライアー、ルネ・ヤーコプス、ロバート・キング、ロリン・マゼール、鈴木雅明と、みかけるたびに入手してしまうのだが、「この一曲!」と決めるのならロリン・マゼール指揮のものにトドメを刺す。なにしろ最初に聞いたのがロリン・マゼールで、出だしの「Kyrie eleison」に頭をガツーンとやられたのであった。

 なお、バッハはルター派のプロテスタントである。その彼がカトリックのラテン語ミサ曲をつくったのはカトリックの貴族へ就活の一環だったという話もある。が、ここは信仰の高みにたどりついたバッハが、カトプロを越えた最高傑作として神に捧げたもの、という気持ちを取りたい。

 講談社現代新書、磯山雅先生著の「J・S・バッハ」を読むと、音楽の巨人バッハとしての一面もそうだが、家庭人バッハ、宮廷作曲家として就活に励むバッハなどの面も知ることができ面白い。
 息子たちが「オヤジの音楽はもう古いんだよ(意)」と言ったという逸話も傑作だ。

 現代に住む我々は、豪華な構成の「ミサ曲ロ短調」を聞くことができるが、当時の楽器は今でいう「古楽器」であり、コーラス構成も貧弱だった。上記指揮者の演奏のいくつかは当時のそれを再現したものであるが、やはり、頭にkyrie eleisonをガツンと奏で、ラストにDona nobis pacemを歌い上げるモダンな演奏が好きだ。

 現代の日本のカトリック教会にも「歌ミサ」というものがあり、これは事前に会衆へ「今日は歌ミサでやるよ」とアナウンスされることは(わたしの知っている限り)ない。このあたりは司祭とオルガニストの間では決められているのだろうが、会衆は阿吽の呼吸で歌で返すのが通常である。
 この歌ミサは歌ミサで好きだが、もし普通の人がカトリック教会に来て体験したとしても、クラシックのミサ曲を聴くような感動はないだろうと思われる。残念なことだが。

「ミサ曲ロ短調」で眠りにつける確率は四分の三というところ。いい数字である。

 以前、中学時代の畏友H君に、「朝はタイマーでCD演奏されるブランデンブルク協奏曲で起きるんだよ」と言ったら「いいね。貴族だね」と即妙されたことがある。
 そう、考えてみれば、われわれは当時の裕福な貴族さえそうそうできなかった、オケを聴きながら眠りにつき、バロックで目を覚ます、といった最高の贅沢ができるのである。

 それでは、眠りましょう。主の平和のうちに。
 神に感謝。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記