2016年12月31日

【回想録】紅白歌合戦の思い出

振り返ってみるに、昔は本当に娯楽が少なかった。
だいたいが、家庭の娯楽はテレビと読書、レコードで音楽を聴くくらいしかないものだから、家族はよくお喋りをしたし、家庭の密度も高かった。

大晦日はNHKの「紅白歌合戦」が面白くて見ていたわけではなく、他に面白いものがなかったから、チャンネルをNHKに合わせていたようなものだ。
それでも、老若男女の家族がそろって同じ番組を楽しめる、良い時間であった。

今のように視聴率にやっきになっていなかった時代のNHKは横綱相撲だった。紅白が始まるのは午後九時から。終わるのは十一時四十五分。今と違って時間が短いから、とても密度の濃い構成だった。

だいたい当時の人々は、その前に「レコード大賞」を流しつつ家族順番に入浴し、レコ大受賞者は誰? へえーあの曲が。などという会話をバトンタッチしつつ準備を終え、テレビの前へと着くのである。
レコ大歌手がNHKホールへと急ぐのも、大晦日の風物詩のひとつであった。

暖房も今のように床暖房やエアコンがなかった時代、石油ストーブとこたつが定番である。そしてやはり、その上にみかんは外せない。

午後九時の開始から最初何曲かは、アイドル系タレントが続き、やがてフォーク歌手、演歌歌手の色が濃くなり、定番の応援合戦、南極基地からの電報があり、大御所の対決になって、最後は日本野鳥の会の活躍で締める、と。紅組白組のどちらが勝つかはそれほど意味がない。
これらは完成された様式美のようなものだった。

紅白を全部通して見られるようになったのは、小学四年くらいからだろうか。それまではやはり子どもだから、どうしても途中で眠ってしまうのである。
今年こそは最後まで見るぞ、というのが、毎年、子ども心にも大晦日の目標であった。
初めて、「ゆく年くる年」まで見られた年は、ひとつ、オトナになったような気がしたものだ。

普通に紅白を最後まで見て、その後の深夜映画が楽しみな年齢くらいになると、紅白の裏番組で「紅白をぶっとばせ」系の対抗番組が出てきた。
しかし、こういうのはやはり定番が大切ということで、我が家では他番組への浮気は一度もなかった。

もっとも、その頃から、紅白歌合戦自体は視聴率の低迷傾向に頭を悩ませていたらしい。
実際、わたしも大学に入ってからは紅白を見なくなった。
その頃は「無意味に年を越す」ことになぜかこだわっていて、友人宅でPCゲームをしながら、気づいたら年が明けていた、というような年越しをしていた。
当時は大晦日や元旦に「今年の総括」「来年の目標」のような特別な意味を持たせたくない、と思っていたのである。淡々と過ごすことに、逆にとてもこだわっていたというか。

そういうこだわりすらなくなってくると、本当に紅白自体に興味がなくなった。その年その年で仕事をして過ごしたり、読書して年越ししたり、たまには第九なんかも聞いたり、風邪で寝込んで新年を迎えたり。

ところが、結婚するとそういうわけにはいかなくなった。なんと細君が紅白大好き女子だったのである。紅白を見ないと年が越せない、みたいな。
この頃、紅白は二部構成になり、冗長で無駄な進行が目立つようになった。とにかく他局にチャンネルを回させまいぞ、というような、遮二無二な感じである。
こんな感じで結婚してずっと、大晦日は細君がテレビをNHKに合わせているので、わたしもつきあって眺めたり、聴いたりしているが、実際、「今年から紅白はなくなりましたー」となっても、全然残念には思わないほど思い入れはない。

それは紅白が、わたしが子どもの頃にはあった「様式美」を捨ててしまったからだと思う。おそらくそこには、視聴率より大切なものがあったと思うのだが、数字に追われる局員からすれば、そんな悠長なことは言っていられないのだろう。

今年の紅白は、大御所を整理したりして、ずいぶん思い切った人選をしたというニュースを聞いた。
それでも、わたしのような一度紅白を離れた層が、再び熱心にテレビの前に座って「次は誰かなー」と楽しみに観るようなことはないと思う。

石油ストーブとシュンシュンいうやかん。こたつの中には猫。天板にはみかんと新聞――わたしの紅白歌合戦は、すでに思い出の中にしかないのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2016年12月30日

【回想録】マラソン

寒い季節の体育と言えばマラソン、そして校内マラソン大会である。

わたしは足の遅い子であった。いや、短距離はそうでもないのだが、とにかく長距離は苦手だった。
なので、いつも順位はラストかブービー。リタイアしたことはないが、それだけ自分のペースを知っていたともいえる。

授業だと4キロ、大会だと8キロだっただろうか。距離はうろ覚えだ。もっとあったかもしれない。
大会では女子の距離は半分で、これは明らかな性差別だと常々思っていた。いまでも教育現場ではそうなのだろうか。
なんにしろ、授業も大会もマラソンは憂鬱のタネで、できれば病欠したいものだと毎回願っていたが、休めたことは一度もなかったと思う。

まだメガネが必要なかった中学の頃は、冬の寒い風が眼に染みて、涙を流しながら走っていた。
足の遅いラストランナーが、皆に見守られながら流涙しつつゴールするのだから、なにか勘違いされやしないかといつも心の中で舌を打っていた。「別にラストランナーなのが悔しくて泣いてるんじゃねーっつの」

高校は埋め立て地の団地・マンション街にあった。そういう立地の中を走るのだから、路地は四角く、自転車で追ってくる先生からの死角も多い。
そこで小狡い連中は途中で「ワープ」するのである。要するに規定のコースを外れてショートカットするわけ。
わたしはラスト近くを走っているので、先生の見張りが真後ろにあり、そんなことはできない。
わたしより足の速い連中はワープで楽をして、足の遅いわたしは規定の距離をあえぎあえぎ走り切らねばならない。

わたしが「ワープ」のことを知っていたのは、彼らが授業前と授業後に打ち合わせと戦果報告しているのを耳にしていたからである。だからといって先生にチクるということもしなかった。
恨みを買うような真似はしたくないし、自分だって、もしもうちょっと足が速かったら、彼らと同じ真似を絶対にしなかったと言い切れるだろうか。
「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである(マタイ5:28)」
彼らがうらやましいと思った時点で、わたしもまた、心の中でワープしたのと同じようなものではなかったか、と。これは今になって思うのだが。

これで彼らが一度でも先生にバレて処分でもされれば当時の自分の溜飲も下がったのだろうが、そういうことは高校生活通して一度もなく、マラソンという授業でわたしが学んだことは、まことに世の中というものは、理不尽で、小狡い連中がうまく立ち回れるようにできているということだった。

ところで、学校レベルの全員参加のマラソン大会と言えば、100人中99人は知らない悪習がある。それは「ラストランナーに拍手をする」という悪習、悪癖である。まさしく善意の皮をかぶった意地の悪さの極みである。

これは、マラソン大会の最後のランナーにしかわからない気持ちかもしれない。

あれは本当に嫌なものなのだ。あの拍手の中を走らなければならない辛さは、爪を剥がす拷問と同じである。「おまえは遅いけどよく頑張ったよハハハ」という嘲笑にほかならない。

足の速い人にこの事実を訴えたことがあったが、「どうしてよ? よくやったから拍手してるんだからいいじゃない」とすました顔で言われた。
ラストランナーに拍手をすることが、自分でも気づかないほど底意地が悪い行為であることすら理解できていないのである。

もし「足は遅いけれど完走したのはエラいじゃん」という意味で拍手をしているのなら、同様に、ペーパーテストの結果も上位者だけではなく全員貼りだして、赤点の者にみんなで拍手してやるべきだ、というのが当時の自分の持論であった。

「頭は悪いけれどテスト受けたのはエラいじゃーん。パチパチパチ、さ、帰ろかーえろ」

これがバカにしているように感じられるならば、ラストランナーへの拍手もバカにしている拍手なのである。論理的には同じだ。
今でもこの持論は変わっていない。

なにも、ラストで入ってくるランナーを布で隠せ、と言っているわけではない。ただ、ごく普通のランナーのように迎えてほしいだけなのだ。拍手などまったく不要。それどころか、それは満腹した狼がおもしろ半分に兎の喉を食いちぎるような残酷な行為だと理解してほしい。

本当の勝者は、敗者の弱さも理解できる者である。敗者にさらにむち打ち、自分は強いとマウンティングする必要はないことを知っている。
ラストランナーへ拍手する者は、本当は自分が弱いことを自覚していない、精神の敗残者なのである。

再度書く。学校レベルの全員参加のマラソン大会で、ラストランナーへの拍手は不要だ。

わたしの人生で、このことを訴えて、理解してくれたのは、今のところ、細君だけである。細君も足が遅く、マラソンではラスト近くが多かったと聞いた。

所詮、足の速い者には理解されない感覚なのかもしれない。
これは最近話題の「障害者の感動ポルノ」と同じロジックでもあるのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2016年12月29日

【書評】失われたノアの方舟

ボイド・モリソン著/阿部清美訳「失われたノアの方舟」



原題は「THE ARK」のみだが、邦訳副題には「タイラー・ロックの冒険(1)」とつく。きっと(2)、(3)と続いていくシリーズなのだろう。

タイトルに「ノアの方舟」がついているからといって、聖書学的な解き明かしや伝奇的謎解きがあるわけではなく、むしろ完全な冒険アクション物語だ。

主人公はエンジニアという職業だが退役軍人で、頭も切れる上に爆薬の知識にも長け拳銃もバンバンぶっぱなし、格闘術も身につけており、はっきり言ってスーパーマンである。スーパーカーを数台所有する程度にお金にも困っていない長身イケメンの三十代だ。
一応、妻を事故で失っていたり、父親との確執はあったりするのだが、そこらへんは味付け風味。
相棒も電気工学のエキスパートな上にレスリングのチャンピオンときている。もちろん、そちらも元軍人で銃器の扱いは任せろー(バリバリ)である(やめて)。
彼らが役員を勤める会社もスーパーハイテクなエンジニアリング会社で、表から裏から政府関係の機密仕事まで扱う大企業。

正直、主人公の設定に謙虚さのかけらもない。おいおい、そんな「ぼくのかんがえたさいきょうのヒーロー」な設定でいいのかよ、と、市井のいち市民としては、ちょっとしらけてしまうほど。

アメリカのヒーローと言えばマーベルの主人公たちだが、彼らは最近、自己存在に悩みすぎでストーリーが暗くなりがちになり、受け手がスカッとしない症候群に陥っている、という話を聞いた。
そういう時代だから、上記のような「ぼくのかんがえたさいきょうのヒーロー」でもいいのかもしれない、とも思う。

ネタバレになるのでさわりだけ書いていくが、このヒーローに黒髪の美女考古学者が絡み、さらに敵として、これもまた典型的サイコパスな大金持ちが登場。彼が企てる狂信的な「愚民抹殺計画」をタイラーが阻止するというお話。

この「愚民抹殺計画」に使われるアイテムが、実在のノアの方舟にキーとして残っていた、というのが、ちょっと伝奇風味なだけで、全体としては、最初に記したとおり、完全に冒険アクションである。

最大のネタバレとなる、(作中)実在したノアの方舟の設定は、ああ、なるほどいいアイデア、という感じ。

聖書絡みということで、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」のような内容を期待して読むと肩すかしだが、アクションもの、と割り切って読めば十分楽しい時間を得られる作品である。

本書の原書が発行されたのは2009年。
ところで、2014年には「ノア・約束の舟」という映画が公開されている。こちらは直球ド真ん中のノアの方舟物語そのまんまであった。では、本作を映画化したら興行収入で抜けるかな? と言ったら、それはナイナイ、というくらいの印象。むしろテレビシリーズとかのほうがいいかもしれない。

ところで本書にも、「【カットリク!】無垢な恋心」「【カットリク!】聖なる恋」で取り上げたあの格言「天は自ら助くる者を助く」が登場する。



「天は自ら助くる者を助く――」タイラーはぽつりとつぶやいた。
「聖書の言葉ではありませんね」
 司祭に言われ、彼は「ええ、違います」と答えた。「ベンジャミン・フランクリンの格言です」自分自身で努力する者には、天の助けがあり、幸福になれるという意味だ。ところがこの言葉、聖書の教えに反すると考える人もいる。そもそも神に造られた人間は、神の助けがなければ何もできない弱い存在であるとし、神ではなく自分の心に頼る者は愚かだとも聖書では書かれているからだ。

おぉ、ほぼ満点。異論を挟むとしたら、「ベンジャミン・フランクリンの格言」と言い切ったところか。
わたしも孫引きになってしまうが、検索によるとこの言葉はラテン語の古いことわざで、アルジャーノン・シドニー、ベンジャミン・フランクリン、サミュエル・スマイルズらが引用。そのサミュエル・スマイルズの「自助論」冒頭部分を中村正直が訳したものが「天は自ら助くる者を助く――」となって日本人にも知られるようになったのだという。

本書、阿部先生の翻訳がすばらしい。実に日本語として読みやすく、また、聖書的にセンシティヴなところはとても注意深く、独自の訳を用いている。
作中に聖書の一文があると、新共同訳などを用いずいい加減な聖書の訳を使用する翻訳物は多いが、本書はむしろ、内容的にそれができなかったために、意識して流通している日本語訳聖書を使わず独自の表現で聖書翻訳を行っている。
そのあたりも、日々、聖書通読しているキリストもんとしても、違和感がなく楽しめた。

ところで、ダン・ブラウンの「インフェルノ」でもそうだったのだが、どうもこのテの大がかりな物語には、作者に都合の良い「狂信的な選民思想をもったお金持ち」が出がちであるように思う。
本当のお金持ちは愚民から搾り取っていることを承知しているので、選民思想はあっても愚民抹殺計画などは立てないのではないだろうか。

貧乏な狂信的選民思想集団が罪を犯した例は現実にたくさんあるのだが……。日本の場合、それこそ歴史のトラウマになるようなあの事件も含めて。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2016年12月28日

【日記】自動車免許

自動車免許を取ってから、もう30年以上が経つ。
ゴールド免許制度ができたのが1993年のこと。それ以前にも無違反だったので、次の更新時にはすんなりとゴールド免許に移行し、そのままずっとゴールドのままだった。

けっこうクルマは日常で運転していたのに、無違反で通したというのはたいしたものだ。
まあ。無茶はしないドライバーだから。わたしは友人から「ハンドルを握っていても、ふだんと人格が変わらないタイプ」と言われている。

なのに、ああそれなのに、もう、七、八年前のこと、やってしまったのである。駐車違反を。
クライアントに頼まれていたPC修理完了品を、近所にクルマを停めて搬入して、設置して請われるままに動作を確認し(これがいけなかった)、ホッとして路上に出たら……貼られていたのである。青切符が。
ううーん、交通のじゃまにならないところにとめていたのに、どうも、路上駐車禁止強化月間に引っかかってしまったらしい。
しかし、言い訳は言い訳。そんな勝手な理屈はお巡りさんには通用しない。

貼られた青切符は放っておいて、出頭命令が来たらノコノコ警察に顔を出して「使用者は誰かわからない」とうそぶけば、反則金は払うことになっても免許の失点はない、という裏技は知っていたが、そういうずるいことはやはりできない。
嘆きながらも、即、警察署へ出頭し、うなだれたまま調書を取られ、見事「前科一犯」ならぬ「前科一違反」に。カツ丼は出なかった。
即、郵便局で反則金を納めたが、一万なにがし円で、その日の収支は結局パーに。結構凹んだ覚えがある。

あれ以来、反省して、たとえちょっとの時間でも、駐車は必ずパーキングを探して入れるようになった。

駐車違反のツケはその日の反則金だけではなかった。次の更新時には、免許取得時以来久々のブルー免許。わたしが取得したころは、免許取得後三年間の「グリーン免許」はなかった。

しかも「軽微な違反」なので、ブルー免許だが有効期間が五年なのである。違反点数の多いブルー免許ドライバーの方は有効期間三年で、早くゴールドに復帰できるという現行制度はどうなのだろう……。

免許証の写真が、心なしか悲しげに写って見えるのは気のせいか。

免許証というのは、なんやかやと身元証明のために公的機関の窓口で見せることがある。そのたびに「あらこの人ブルーなのね」と思われていそうで、眉はハの字、口はヘの字になってしまう。

免許証の話となると、ネットではよく「AT限定免許 vs MT免許」の話がでる。
わたしの頃は問答無用でMTで取るしかなかったのだから、選択肢が増えたのは良いことだ。
書き込みでは「男ならMT取っとけよ」みたいな言い方をされることが多いが、そこは現代っ子らしく「AT限定でなにが悪いの?」と開き直る子の方がわたしは好きだ。
実際わたしも、最初のクルマだった「ダイハツ・シャレード」以来、マニュアル車には乗ってない。あ、一度引っ越しで軽トラを借りたときはマニュアルだったか。しかしその後、ホームセンターで借りた軽トラはオートマで、「おぅ、もうマニュアルの時代は終わったなぁ」と思ったものである。

私感だが、AT限定と割り切れる人の方が、安全運転に気を配れる余裕が多い分、運転が総合的にうまくなるのも早いのでは、という気もする。
運転のうまさというものは、機械を操れる技術のうまい下手ではなく、路上のコミュニケーション能力によるものだからである。
我々はスピードレーサーではないのだから。

MTは切符、ATはSUICAみたいなもの。十分にこなれた便利な技術は使った方がいい。

さて、わたしは十二月生まれなので、やっとそろそろ、念願の免許更新時期が来る(これを書いているのは11月上旬)。
よりいっそう安全運転に心がけて、次はゴールド免許に復帰といきたい。

「俺、ゴールド免許に復帰したら、ひさびさに海ほたるにでもドライブするんだ……」

と、こうやってブログに書いたりして、変なフラグが立ってしまわなければいいのだが。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2016年12月27日

【日記】調子

「全盛期の川上哲治は、調子の良いときにバッターボックスへ立つと、ピッチャーが投げたボールが止まって見えた」という逸話があるが、あれは実は、小鶴誠選手が発した言葉なのだそうだ。

小鶴選手はあまり有名ではなかったため、新聞記者が川上選手の言葉として借用してしまったのだという。

なんにしろ、野球に詳しい人でも、わたしのように野球に無知な人でも「ほーん、ありそうやな」という説得力を持つエピソードであるわけだ。

しがない文章書きのわたしにも、やはり調子の波がある。
たとえばこういう雑文だが、調子のいいときは、字引をパラパラッとめくって目に付いた単語について、内容はともかく思いついたことを原稿用紙三枚は書けるだろうという感じがある。

小説を書いているときは、また別の調子がある。確か「【昭和の遺伝子】映画館」でも触れたが、物語が立体構造物として脳内に見える≠フである。

物語というのは、時間軸で流れる直線的なストーリーと思われがちだが、それは表現手法による制約からくる受け手の印象であって、作る側にとっては、設定、過去、伏線、現在、未来、結末などのいろいろな材料で組み立てられた立体構造物なのだ。

脳内で組み立てたその立体構造物をスキャンして、文章という3Dプリンタで再構成したものが作品となるわけである。

少なくとも、わたしはそういうタイプ。
だから、「結末は決まってないけど書きだしてしまおう」ができない。最初の一文字目を書き出したときに、ラストまでお話はできあがっている。筆に任せてキャラクタが暴走したりはしない。風呂敷を広げに広げて最後は閉じずに読者の想像へ丸投げ――そういうことができる作家のタイプを羨ましいと少し思ったりもする。

反対に、ラストだけ先に書いて、最初を書いて、最後にストーリーのど真ん中で脱稿、ということができる。けっこう計算づくめなのだ。

調子の悪いときには、この計算ができない。頭の中の立体構造物がジェンガみたいになってしまう。あーもう倒れそう、どうしてそこに乗せるかな。あーもうダメやばいやばい、みたいな。

もっとも読み手としては、どんな地震が来ても倒れそうのないしっかりしとた構造物より、一時でもハラハラドキドキできるジェンガゲームの方が楽しいのかもしれない。

調子と言えば、昭和の時代には「バイオリズム」というものがあった。今の若い人はご存知かな? 1970年代位にはブームがあって、カシオからバイオリズム電卓なんてのも出ていたくらいだ。

これのロジックは、人間、身体は23日、感情は28日、知性は33日周期で回っているので、それにあわせて調子が巡るというもの。それが生まれてからずーっと乱れることなく周り続けている、というのだからびっくりだ。
下に貼った青、赤、緑の三つの波グラフが有名である。一度は見かけたこと、ないかしら?



(このグラフはWikipediaから)

メディアリテラシーの高い今の若い方なら、一瞬で「うそくさっ」と思うのではないだろうか。
人間、ちょっと不規則な生活をしただけで睡眠リズムさえズレてしまうのだから、ある特定の生体リズムがあるとしても、生まれてからそれがずーっと乱れなく続いていくわけがない。
月齢に影響される狼男の方がよっぽど科学的である。

もっとも、世の中、現在の科学ではわからないことも確かにあるのである。
わたしの中学の時の保健体育の女性教諭は、結婚して半年後、丸々と太った健康な赤ちゃんを出産した。
この件について祝福しつつ、我々生徒たちは、ない頭を寄せ集めて議論した。
「性教育や避妊について十分熟知しているはずの保健体育の鈴木先生(仮名)が、結婚前に妊娠するなどということは科学的にありえない
「それは非常に説得力がある。皆はどう思う?」
「賛成だな。しかし現実に出産は行われたのだ」
「うむ。よってこれは科学を越えた超常現象が起こったとしか考えられない」
「我々は奇跡を目の当たりにしたということか」
「君(結城)はオカルティストだからそれで納得できるかもしれんが、現実を奇跡と言ってごまかすのは科学者として(誰だよ)敗北だよ。俺はむしろ、これをひとつの新しい発見として捉えたい」
「まあそういう視点も大事だな」
「そこで、ここはひとつ、この事象を鈴木先生(仮名)効果≠ニ呼んで研究を深めたらどうか」
「いや、それは違うだろう。これは効果というより現象だ。鈴木先生(仮名)フェノメナ≠ニ呼ぶべきではないか?」
つたない中学生たちの議論により、以降、この超常現象――結婚後半年で健康な子どもを出産できる謎現象――は、その教諭の名を取って「鈴木先生(仮名)フェノメナ」と呼ばれるようになった。

勝手に呼称をつけられた鈴木先生(仮名)も(知っていたら)迷惑なことだったろう。

「鈴木先生(仮名)フェノメナ」は、われわれが大人になって結婚する歳になっても、誰にも再現されなかった。
今振り返ってみても、あれはやはり、オカルトだったのだと思っている。うむ。

「デキ婚」などという言葉ができる、数十年前の話である。

あらら、ずいぶんと話が飛んだ。
なぜこんなことを書いているかというと、ここのところ、わたしはとても調子がジェンガなのである。
みなさんに、読んだ時間だけ楽しんでいただけている自信がない。
ブログにアップする前に細君に目を通してもらって「調子が悪いようには思えないよ」との評価はもらっているのだが、同じ100メートルを泳ぐのも、気持ちよくスイスイクロールでいけるときと、あえぎながらアップアップ犬掻きでいくのとでは、本人は大違いなのである。

というわけで、いささかとっちらかった記事でご容赦。しばらくもがけば、また調子も戻るでしょう。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記