2017年03月21日

【昭和の遺伝子】おニューの靴の儀式

「【日記】加水分解」で、スマホケースのベタベタを耐水ペーパーで削ったら、もともとの塗装まで剥げてしまってワロタ、けれど使い込んだ味がむしろイイ――というようなことを書いていて、思い出したことがある。

わたしが高校へ通っていた頃までは、新しい靴を下ろして学校へ履いていくと、悪友たちが「儀式」と言って、わざと踏んで汚すのがならわしであった。
こんな風習は、もう二十一世紀の今、滅んでしまっているだろうなぁと「新しい靴 儀式」でググってみると、多くはないが、まだそういうことをやっている子どもがいるという話を読むことができて、嬉しくなってしまった。
主に運動部に残る風習らしいが、わたしたちの頃は、文化部運動部帰宅部の別なく、「新しい靴は踏んであげる」のが、周りの者の務めであった。

そう、これは嫌がらせなどではないのである。おろしたての靴をそのまま履いているのはむしろ恥ずかしいこと。それを汚して「履き慣れた感」を早く出すのに協力してあげるという友情だったのである。
この感覚、今の若い人にはおわかりいただけるだろうか。いや、ご理解くださる方も必ずいらっしゃると思う。わざと汚し穴を開けたダメージジーンズ≠熹р轤黷トいるくらいなのだから。

以前、なにかで読んだのだが、昔の日本人、特に江戸っ子は、新しいモノをそのままひけらかして使い出すようなことはしない。わざとある程度汚してから人目につく場所に出すのものだ、という話を聞いたことがある。江戸っ子にとって、新しいモノは決して自慢にはならず、むしろ使い込み、エイジングの効いた品をさりげなく出す方が「いなせ」だったのである。

とは言えやはり、この「使い込んだモノがいい」という感覚は、今の時代、だいぶ希薄になってしまっているかもしれない。
なにしろ、日常で使うモノの「新品→故障などでダメになる→捨てる→新品」のサイクルが短くなった。古いモノを直して使おうとしても、修理代の方がかかるから新品を買ってくれと、お店の方から断られてしまうような時代である。

子どものような顔つきだったタレントさんが、成長して大人の顔になると「劣化した」とネットで言われてしまう昨今はどうかと思う。若さだけがタレント性の取り柄ではないはず。いい歳の取り方をして、それが表情に出ている方も多いはずだ。
モノも人間も、本当にいい使い方、使われ方、生き方、生かされ方をしていれば、歳を重ねるにつれ、自然といい味が染み出してくるものである。
いやしかしこれに関しては、いい味を出すどころか、加水分解してベタベタになるラバー塗装のように、年齢に比例してくだらない因襲をまとわりつかせるタイプの人間もいるので、必ずしも「古い人間が良い」とは言えないものではあるが。

人生も半分を越えて、日々細々と周囲を見つめながら生きてみると、本当に長持ちするモノは少ない、ということに気づく。
昔は「ブランド」というものは、そういう「長持ちするモノ」への称号だった。今はただのお飾りになってしまっている。本来「ブランド」にこだわるような人が、新しいモノを次々と購入するのは滑稽なことなのだが、現代人はそれを忘れてしまった。


(写真は四十年使い続けている文庫本の革カバー。ハンドメイドの一品だ。エイジングがいい味を出しているでしょう?)


(こちらも珍品なのでついでに。Google社のロゴ入り文庫本カバー。まあやっぱり、新しいモノもいいよね)


(これは細君ハンドメイドのブックカバー集。サイズに合わせていろいろ作ってくれた。感謝。これも長く使っていきたい)

最初に戻って、「おニューの靴を踏んであげるという儀式」がまだ残っているというのは、エイジングに価値を見いだす価値観が細々とでも続いているのだなあ、と、ホッとしたりする。
わたしはコレクターではないので、ただ使わないで古くなってしまったモノには価値を見いだせない。置物には興味がない。使っていて、いい味が出てきたモノが好きだ。
そういうモノに囲まれて生き、往生を遂げられたら幸せだなあ、と思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2017年03月20日

【日記】加水分解

昔のデジタルガジェットにはなかったことなのだが、この十年くらい「ラバー塗装」で高級感を装った製品の表面がベトベトになって使えなくなる、という体験を何度かしている。

最初に遭遇したのは、ポータブルMP3プレイヤーでだった。細君とおそろいで買ったのだが、わたしの黒いラバー塗装してある製品の方が、数年後、ベトベトするようになり、ホコリはつくし指紋が残るくらいネトネトするしで、「こりゃあ持ち運べない」と捨てざるを得なかったのである。
ちなみに、青くプラスチッキーな表面だった細君の同じプレイヤーは大丈夫だった。

調べると、これは「加水分解」という化学変化で、高級感を出そうとラバー塗装した製品に起こる現象らしい。

二回目の被害は有線マウス。買って一年くらいだろうか。なんかベトベトしだしたなあ、と思ったら、あっという間にポータブルMP3プレイヤーと同じネトネト状態に。
マウスは消耗品だが、吝嗇家のわたしにとって、一年で使えなくなるのは悔しい。が、捨てざるを得なかった。

我が家は決して高湿度ということはなく、むしろ四季を通して乾燥しすぎているくらいである。加水分解が進む好条件が揃っているわけではないはずだ。
ただ、特に潔癖症というわけではないのだが、MP3プレイヤーもマウスも、定期的にアルコール綿で拭いて汚れを取っていた。どうやらそれが加水分解を早く進行させた(というか、ラバー塗装を溶かした)原因のひとつだったらしい。

三回目もマウス。MicrosoftのBluetoothのやつ。これは側面だけがラバー塗装だったので、そこだけがベトベトになった。
お気に入りで、すぐに捨てるのが惜しかったので、分解して本体からケースを外し、アルコールや中性洗剤でベトベトをこそぎ落として再組み立てたら、無事、また使えるようになった。今でも現役である。

四回目はスマホカバー。買ったときから、「あ、これはいつかベトベトくるな」というラバー塗装だったが、数年後、やはりホコリを吸着しだした。
これもアルコールと中性洗剤でネトネトをこそぎ落とそうとしたのだが、面積が広くて面倒くさくなり、耐水ペーパーでゴシゴシ削ったら、本来黒かった下地の塗装まで剥げて一部透明になってしまった。やってしまったときは思わず草が生えたw。が、これはこれで使い込んだ味がいいと思って使用続行。

わたしは買わなかったが、ポメラのDM10の筐体も加水分解でひどいことになったと聞く。あのベトベトは、気づいたときは本当にショックで気分が凹むものだ。ベトベトが原因でDM10の使用を諦めたというユーザーの皆様のお気持ち、本当によくわかる。

こんなことで使えなくなる製品を出すくらいなら、プラスチッキーな製品の方が七倍も良い。
どうかメーカーのデザイナーの皆様、これだけネットで「ラバー塗装は勘弁」というユーザーからの声が上がっているのだから、もうラバー塗装だけはやめていただきたい。
繰り返すが、プラスチッキーな質感の方が、いつかベトベトになるラバー塗装より七の七十倍も良い。

少なくとも、今、わたしがなにか新しいデジタルガジェットを購入するときは「ラバー塗装でない」ことがひとつの条件となっている。

と、こんなことを思い出して書いたのは――ふと書棚から取り出したハードカバーの「モルモン書」の装丁が、なんと、ちょっとベタついてホコリ吸着しつつあることに気づいたからである。「末日聖徒イエス・キリスト教会」なにやってんの!? 装丁をラバー塗装になんてしなくていいんだよ!!


(すごくネットリ。ホコリが吸着しているのがおわかりいただけるだろうか。触るのに躊躇してしまう。)

書籍の装丁が加水分解でネットリベッチョリしだした体験は初めてである。
満寿屋の原稿用紙でカバーしておくか、と思っているが、それ自体がベッチョリ剥がれなくなってしまいそうで憂鬱だ。

あぁ主よ、この世からラバー塗装などというものをなくしてください。と、射祷して筆を置く。

今までのことは仕方ないとして、これから先、製品にラバー塗装を指定したデザイナーは、七の七十万倍赦さないんだからねっ。ツンデレじゃないよ、もうっ。

追記:もしこれをお読みのモルモン教徒の方で、布教のために「新しいのを送りましょうか?」と心を傷めてくださった方がいたら恐縮。もう一冊、ソフトカバーのを持っているので大丈夫です。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年03月19日

【書評】無宗教こそ日本人の宗教である

島田裕巳「無宗教こそ日本人の宗教である」



まず最初に喩え話を――

ここに、ラーメン職人が腕によりをかけて作った一杯のラーメンがある。それを三人の人間が評価するとして――
一人目は、フレンチ三つ星レストランのシェフ。
二人目は、和食一筋五十年でやってきた日本料理屋の主。
三人目は、世界をまたにかけてさまざまな美食を研究してきたグルメ評論家。

この三人のうち、誰の評価が信じるに価するだろうか。あるいは、誰の評価が信じるに価しないだろうか。
わたしの私感だが、一人目のフレンチシェフ、二人目の和食料理屋の主の舌の評価は「信じられる」気がするのである。料理に打ち込んできたという姿勢は、おそらくジャンルは違っても通用すると。
しかし三人目の評論家の舌は「参考程度かなぁ」という感想しか持たない。この人は、あくまで「厨房の外の人」だからである。実際の料理の現場をある程度の年月を持って体験していない人が、真に料理を語れるだろうか、という疑問もある。

この本の著者、島田裕巳先生は「宗教学者」という肩書きであるが、わたしの中では「宗教評論家」というカテゴリの方である。実際に著作を何冊か拝読し、今またこうして「無宗教こそ日本人の宗教である」を読み終わって、この方は「宗教学者」ではなく「宗教評論家」だなあ、という確信を持った。

念のために書いておくが、学者だから良い、評論家だから悪い、という話ではない。単にカテゴリが違うだけである。世間の大多数の人に支持されている映画を腐す映画学者より、「これはおすすめだよ」と言ってくれる映画評論家の方が、人の役に立ついい仕事をしているのかもしれない。

冒頭の例で言えば、ラーメン職人が腕によりをかけてつくったラーメンを、フレンチと和食の料理人は「まずい」という評価をするかもしれないのである。「化学調味料いっぱいで食えたもんじゃない」などとダメだしをするかもしれない。それは確かに信じられるだろう。しかし料理評論家が「このジャンクな感じこそラーメンだ」と言ってくれれば、それは一般人として参考になるし「まあそういうものか」と、その程度の期待で食べに行こうかともいう気分になるのである。

実は島田裕巳先生には、先生のあずかり知らぬところで、わたし個人のこだわりがあるのである。
あれは1990年、オウム真理教が国政に打って出て惨敗したり、若い信者の「出家」が問題視されていた頃のこと。JICC出版局から「別冊宝島・いまどきの神サマ」というムック本が出版された。
その中で島田先生は「オウム真理教はディズニーランドである!」という記事を書かれている。



記事中、島田先生は決して「オウムは危険な宗教である」というようなことは書かれていない。むしろ、「尊師の言葉はアニメの台詞」、「オウムはサークル宗教」、「オウムはビックリマンごっこ」と積極的に評価していると読者に思われてもしかたないような筆致で論を進めている。

最後の部分を引用してみよう。

 オウム真理教は、『子どもの宗教』であるという点で、まさに時代の象徴である。それが時代の象徴である以上、オウムのこれからの行方は、オウムそれ自身の未来だけではなく、『新・新宗教』の未来を占うことにもなろう。もし、オウム真理教が壁に直面したとしたら、それは新・新宗教全体に共通して起こることであろう。あるいは、現代の社会は次々と宗教教団を消費し続けていくのであろうか。その点でも、オウム真理教のこれからが注目されるのだ。


この記事を読んだ後くらいのことである。わたしは友人に「家族がオウム真理教に入信したらしいんだけど、大丈夫かな?」と相談されたことがあるのだ。
わたしは島田先生のこの記事を読んだ記憶があったので、オウムがその後、テロリスト集団としてあの恐ろしい事件群を引き起こすとは思ってもいなかった。それで「宗教学者の先生も、危険な宗教とはみなしていないみたいだよ」と返事してしまったのである!

今でも、そう返事してしまったことを、後悔している。

その後、あの恐ろしいテロリズム事件群が起こり、日本社会はオウム真理教が隠していた、どす黒い一面を知ることとなった。

そしてあの事件について、島田先生は今の今まで「自分が間違っていた」というような発言を一回もしていないと聞いている。これは学者の態度ではない。自分の唱えた説が間違っていたら素直に頭を垂れ、そこから新たに学ぶからこそ「学者」のはず。しかし島田先生はことオウム事件について、むしろ清々しいほど他人事のような態度を貫き通している。
そういう姿勢は「学者」ではなく「評論家」だからこそできるのだ。

そこで本作「無宗教こそ日本の宗教である」だが、表4にはこんな惹句が踊っている『「無宗教こそ日本の力」宗教学の第一人者が断言する!!』。
大した自信である(もちろんこういうのは、編集者の作文だろうが)。そしてその中身は――

1)多くの普通の日本人は、新興宗教などの既存の宗教に染まっていないことを強調するために無宗教≠ニ主張する。
2)そして無宗教≠ナあることを、内心、恥じている。
3)しかし、無宗教≠ヘ信仰心がないというわけではなく、日本人はむしろ信仰熱心なのだ。
4)よって無宗教≠恥じることはない。


と論を進め、あとは手を変え品を変え「無宗教≠ヘいいぞ」と勧めてくるのである。

ところが……その手を変え品を変えの部分が、ことごとく説得力に欠けているのである。端的に言って、無宗教≠ノ魅力を感じない。
わたしは今はカトリックだが、かつては典型的日本人、つまり無宗教者≠セった。だから無宗教者≠フコンプレックスはよくわかる。しかし、読み進めて行っても「ああ無宗教者≠チていいな」とは決して思えないのだ。
感じるのは、自分探しをしている若い女の子に、「君は今のままでいいよ」とささやくジゴロのような薄気味の悪さである。

原因は明白である。無宗教≠ニいうものは既存宗教のカウンター宗教であるという大前提のもと、無宗教≠ニいう宗教≠フ教えを明確に提示できていないからだ。

「アンチジャイアンツ」、「アンチ阪神」はお互いに野球というフィールドで話をしているので、「野球の面白さ」は語り合える。しかし「アンチ野球」を唱える人が「野球の面白さ」を語れるか、というと、それは無理な話だろう。

本書のタイトルは「無宗教こそ日本人の宗教である」である。だが、本書の中には宗教としての無宗教≠フ教義や、それから導き出される宗教としての求心力は記されていない。ただ「アンチ既存宗教」であるという一点のみで無宗教≠ニいう宗教≠フ魅力を語ろうとしている。これでは上記野球のたとえのように、大きな矛盾を抱えざるをえない。

ここに、同じく「日本の民俗宗教」を研究した、別の二冊の書籍がある。



ひとつはもう45年も前の書籍。イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏が提唱した「日本教について」。もう一冊はひろさちや先生がお書きになられた2008年の書籍「やまと教」。ちなみに島田先生の「無宗教こそ日本人の宗教である」は2009年刊なので、ひろ先生の著作と同じ時代の民族宗教論と言っていい。

山本氏の「日本教について」は、45年も前の書籍だというのに、今もなおとてつもない先鋭的な説得力を持って、日本人の持つ「空気を聖典とするその場の和を神とした日本教」を論じている。
ひろ先生の「やまと教」は、本物の神道を軸にそれを仏の心で柔らかくしたような日本人の民族宗教論となっている。
この二冊は読み応えがあり、まだわたしの中で完全に咀嚼し消化するまでは時間がかかりそうだ。

対して島田先生の本書「無宗教こそ日本人の宗教である」は、薄くて軽いのである(実際、書籍自体も物理的に薄くて軽いわけだが)。それが悪いというわけではない。が、気迫に欠けているのである。
山本氏は「日本教」を発見したが、同時に「日本教」の創唱者、教祖ともなった。
ひろ先生は本物の神道を「やまと教」と名前を変え再提唱した。これも創唱者、教祖である。
では島田先生は、本書で「無宗教という宗教の教祖たらん」とする覚悟があったのか、というと、それがない。ここでもあくまで他人事なのである
ちなみに、山本氏はプロテスタントのクリスチャン、ひろ先生は仏教徒である。島田先生は一時ヤマギシ会のメンバーであったとのことだが、同会が宗教≠ネのかは一考あるところだし、しかも同会の窮屈さに離脱したという経歴をお持ちだ。

この記事冒頭の「料理の喩え話」を思い出していただきたい。
島田裕巳先生は、実は、一貫して宗教という厨房には踏み入らず、出てきた料理のみを評価している方なのである。厨房の中を覗くこともない。わたしが島田先生を「宗教学者」ではなく「宗教評論家」のカテゴリに入れている所以がそこにある。
「宗教評論家」だから、宗教の深くセンシティヴで微細な感覚を、肌で理解できないのである。
一連のオウム真理教に関わる島田先生の考察の「微妙な外し具合」も、島田先生が学者ではなく評論家だとわかれば合点がいくことが多い。

宗教家は、どの宗派、教派であっても、実は危険性を孕んでいるということを承知している。安全な宗教などというものはない。二千年の歴史を持つカトリックだって同じだ。たとえば次のコンクラーベで選出された教皇が、他宗教に対し非常に好戦的なタイプにならないとは、誰も言えないのである。トランプ大統領だって実現してしまったではないか。

本書でも、島田先生が宗教評論家であるが故に、微妙に現実の宗教界を肌で感じていないというところが多々ある。
たとえば――

日本は、特定の宗教が社会全体を覆い、それ以外の宗教を排斥する状況にはなっていない。したがって、外国人が自分たちの信仰を持っていても、日本人の側が干渉を行ったり、差別したりすることがない。


という一文がある。2009年の著作とは思えない。現実が見えていないのである。日本人は、山本氏の「日本教」やひろ先生の「やまと教」の無自覚な信者である。それが社会全体を覆い、それ以外の宗教を、時にやんわりと、時に激烈に排斥している。現実に、イスラム施設が建てられようとすると、周囲の人々から反対運動が起こるではないか。

という感じで、読んでいて「違うなあ」「滑ってるなあ」と思うところは多いのだが、我が意を得たり、というような記述もある。

 その点は、拙著『日本人の神はどこにいるか』(ちくま書房)のなかで詳しく論じたが、民族学者の原田敏明は、村で祀られる神はただ一つである点を強調し、日本人の信仰が実態としては一神教に近いことを指摘している。


などは「日本人は多神教といいながら一神教に近い」と常々思っているわたしの考察の道しるべになってくれるかもしれない。上記の書籍は読んだことがないので、一度、目を通しておきたい。

なんにせよ「無宗教こそ日本人の宗教である」と謳いながら、島田先生自らがその無宗教≠ニいう宗教≠フ創唱者、教祖たらんという気概がないおかげで、本書は読み終わったあと、「でっていう?」という気分にしかならない。

同時に、これはわたしの勝手な想像だが、アンチ既存宗教として、日本人に無宗教≠勧めたいという島田先生のこの思索の道程は、ある意味、自分がオウム真理教事件で「失敗してしまった(とはご本人は思っていないだろうが)」ことへの贖罪的なところもあるのではないかと感じたりもする。

だが残念だが、日本人は島田先生が期待するような、本当の意味での無宗教≠ノはなれない。これからもずっと、無自覚な日本教徒であり、やまと教徒であり続けるだろう。
日本人は日本人である限り、空気という聖典を読み、その場の和を神として行動し続ける。そして無自覚に、他宗教への弾圧(空気を読めない人へのいじめ、いやがらせなど)を続けるだろう。

正直、タイトルの「無宗教こそ日本人の宗教である」からして、もう大滑りだなあ、と、わたしなどは思ってしまうのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2017年03月18日

【回想録】ケータイと電車とペースメーカー

もう「回想録」カテゴリに入れてもいいだろう。20年以上前の話だから。

わたしは新しい技術には常に懐疑的で、ある程度こなれて人柱が立ってからでないと導入しない、というのは、何度か書いてきたが、携帯電話を導入するのはけっこう早い方だった。
アナログの車載電話は入れる気がしなかった。通話がダダモレなのを承知していたからである。
ちょうど、アナログの車載電話がデジタル化し、携帯電話が本当に携帯できる大きさになったあたりで導入した。

最初に入れたのはDOCOMOではない。今はAUだが、当時はIDOという社名だった。これのIZAという契約。「イーザ」という名の通り、いざというときに使う契約、という感じ。一通話一分100円、くらいだったかな? もちろん、着信の料金は発呼側持ちだから、待ち受けとして使うならば普通に使える。発呼側はそう高くなかった(普通の携帯との通話料金だった)と記憶している。


(液晶はモノクロでカタカナ表示しかできなかった。待ち受けもアンテナを伸ばした状態でやっとインジケータが一本立つくらい。基地局の制限で発信規制もたまにあった)。

使用周波数はたしか800メガヘルツ帯で、発呼、着呼時に安定した会話をするには、アンテナをビローンと延ばす必要があった。東芝の機種だったはずだ。
カバーエリアも首都圏以外は貧弱なもので、取材に行った北海道(の場所失念。札幌ではなかった)では、一回もアンテナマークが立たなかったことを覚えている。
当時は「ケータイ」という呼び方がまだ違和感を持って受け止められていた時代である。「携帯」という言葉は「携帯する」とサ変名詞の形で使うのが常識であった。なので「携電」という略し方をすることもあったが、そちらが廃れて「ケータイ」が一般的になってしまうとは、わたしも想像できなかった。

今でこそ、誰しもがケータイ、スマホを持って、安価で通話ができる時代だが、当時はまだ「持つ者と持たざる者」の格差が大きかった。
わたしが当時、危惧していたのは、「持たざる者」の僻みで、ケータイの未来が狭まされることだった。

たとえば「電車の中で通話するな」という「マナー」。わたしはこの声が出始めた頃から、こんな「マナー」はナンセンスだと思い、ある雑文にも「電車内で携帯の通話を禁止するくらいなら、お喋りも禁止しなければおかしい。携帯が自由に使えない電車は囚人護送列車と変わらない」と書いたくらいである。
しかし、これは21世紀にもマナーとして定着してしまった。わたしは他人が誰かとケータイで話していても一向に気にならないタイプだが、そういうのがダメなタイプも一定数いるらしい。
それはともかく、当時の「電車の中で通話するな」は持たざる者の僻みからスタートしたと、今でも思っている。

そしてもう一つ、「ペースメーカーが誤動作するから電車では電源を切れ」である。
これも実は当時から、「根拠がない」ことは知られていた。パソコン通信で活発な議論も交わされ、データも出され、そのようなペースメーカーはない、今までに実際そういう事故が起こったケースは一度もない、と、結論がでていた。
にも関わらず、これも「持たざる者」の僻みで、「ケータイの電波でペースメーカーが誤動作する」という都市伝説が生まれ、紆余曲折の末、「優先席付近ではケータイの電源を切る」という莫迦莫迦しい「マナー」が生まれた。

本当に莫迦莫迦しい。スマホを使いこなしている若い世代には申し訳ないが、今、電車の中で「マナー」によって通話できなかったり、「ペースメーカーの人に配慮しろよ」と絡まれたりするのは、すべて当時、「持たざる者」が持っていた僻みから生まれた偏見なのだとわたしは思っている。

最近になって、やっと「ケータイ、スマホでペースメーカーは誤動作しない」という情報が一般的になりつつあるが、それでも絡んでくる相手はいるだろう。

若い世代にくだらない因襲を残してしまったことを、当時、「持たざる者」の僻みからケータイに因縁をつけまくった世代は、今、猛省するべきだ(具体的にどの世代とは言わないが、バブルよりは上、さらにその上も)。

今はその世代もケータイを使い始め、やっと上記のようなくだらない因襲も緩くなりはじめたかと思ったら、今度はスマホバッシングである。スマホを使う子どもの成績は落ちる、学習能力が低下する等々。
はっきり言ってしまえば、スマホを使って成績が下がる層というのは、もともと学習意欲が低い層なのだと思う。スマホがない時代には、別のモノ、たとえばゲーム機、カードゲーム、その他の遊びなどで時間を潰して勉強をしない層だ。「なにか」が悪くて成績が悪いのではない。もともと、勉強をしない層なのである。どの時代にも、その「なにか」は成績低下の原因として叩かれた。それが今度は「スマホ」になっただけである。

わたしが通っていた小学校ではそんな莫迦莫迦しい因襲はなかったが、その昔、小学生にシャーペンを使わせると成績が落ちる、という話が真剣に流布されていた時代があった。
今の子どものスマホ使用に対するバッシングは、このシャーペンと似たような阿呆らしさである。

どの時代にも、新しい技術を便利に利用して生活を充実させていた層と、その技術に溺れて沈んでいった層がいたのである。
生まれたときからスマホがある若者は、ぜひともそれを便利に使いこなして、くだらない因襲を残した老害世代を見返してやっていただきたい。

若いうちからネットやスマホのような高度情報通信機器を使える若者がうらやましいと思う反面、今の世代の若者ではなくて良かったなあ、と思うこともある。
学校から家に帰っても、SNSで学校の人間関係をひきずるようなことは、わたしのようなタイプには苦痛である。書斎にこもってホッとできる一人の時間まで、誰かと繋がっていたいとは思わない。
Skypeのグループチャットでは技術屋仲間と話しているが、これも自分の気が向いたときだけ、仲間みんなそんな感じである。特に義務感もない。気楽な関係である。

そのあたり「既読スルー」などを気にする今の子はかわいそうかな、と感じるが、そういう感覚は老害のそれなのかもしれない。危ない危ない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年03月17日

【回想録】徳間書店旧社屋時代の思い出

なんとあの徳間書店が、レンタルビデオのツタヤを展開しているカルチュア・コンビニエンス・クラブに買われるというニュースを聞いて、びっくり仰天している。
まさか、そういう時代がくるとはなあ……。

徳間書店からは拙著も何冊か出していただいたし、OVA化をはじめメディアミックス展開してくださったので、とてもお世話になっていた。
ファミコン雑誌やアニメージュも元気で、映画の大映、音楽では徳間ジャパン、あのスタジオジブリもまだ擁していた頃である。

徳間書店は、バブル崩壊後くらいに芝大門にピカピカな新社屋を建ててそちらへ移ったが、わたしが知っているのは、JR新橋駅からちょっと歩いたところにある、薄汚れた(失礼)旧社屋の方だ。

といっても、当時はひょっとしたら、編集部ごとに入っていたビルが違ったのかもしれない(というか、遊びに行ったファミコン雑誌の編集部は確かに違うビルだった)。
入り口は「これが出版社!?」と思うくらいに薄暗く、階段を上ったところに、受付嬢ではなく守衛のおじさんがいるのであった。
そのおじさんに、これから行く先を告げて、ノートに行く先と記名をするのである。あるいは、外に出かける打ち合わせだった時は編集者を呼び出してもらう。
当時、アニメージュの呼び方は、内的には「メージュ」だったが、おじさんは「ああ、アニメのね」と言うので、違和感があってちょっと面白かった。

わたしの最初の担当者は、もじゃもじゃ頭が印象的なYさんだった。Yさんは本当に良い人で、細かい気配りをしてくださる、そしてなにより、人情深い人だった。今でも、Yさんの笑顔を思い出すと、胸が暖かくなる。
アニメージュから異動して、アサ芸の編集長になられたと記憶している。ここ最近では「めしばな刑事タチバナ」の巻末でお名前を拝見して「わぉっ! いいお仕事をしていらっしゃるなあ」と嬉しくなってしまった。

次の担当者となったのはNさんだった。Nさんは女性で、美人である。なお、わたしの担当となる女性は例外なく美人であり、男性は全員出世するというジンクスが(わたしの中で勝手に)ある。
Nさんは美人の上に、手練れであった。以前書いた、「こちらが長電話を切った直後の催促電話攻め」「教えたはずがない携帯電話番号への催促電話攻め」を易々とやってくださったのもこのNさん。
Nさんはわたしの人生の転機に担当してくださったこともあり、仕事とは関係ない愚痴なども聞いてくださって、とても頼りになるお姉さん、という気持ちだった。
ジャッキーチェンがお好きで、たしか夢がかなって、徳間でムックを出されたのではなかったかな。
今はジブリ映画のエンドテロップでお名前を拝見したりして「おぉー、こんなお仕事をなさっているのか」とびっくりしたりしている。

当時、アニメージュの編集長だった尾形英夫さんには、旧社屋時代に細君と一緒に編集部へ行き、結婚の報告をした覚えがある。

そうだ、たしかホワイトデーに編集部へ行って、Nさんに「いつもお世話になってますので」とお菓子を渡したら、尾形編集長から「Nさん、ほんとにちゃんとお世話してんの?」と茶化されたのも、懐かしい思い出だ。

どんな出版社にも、その会社独特の色や匂いがあるが、わたしは徳間書店の色や匂いが大好きだった。飾らず、塀をつくらず、仕事の関係を越えた人間同士の交流があった。

そういう社風は現在でも残っているのだろうか。今のわたしにはわからない。
CCCに買われても、徳間書店のいいところは残ってほしいなあ、と思いつつ、筆を置く。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録