2017年03月11日

【カットリク!】新興宗教勧誘者のための偽カトリック看破法

最近は「新興宗教」ではなく、ある程度の年月を経たそれは「新宗教」、1970年代後半くらいに登場したものは「新々宗教」という呼び方をするらしい。
が、二千年の歴史を持つカトリックからすれば、プロテスタントすら新興宗教だとのっけから一発、傲慢をかましつつ――(ひでぇ)。

最近はそれら新興宗教も、強引な折伏などをしなくなったせいか、どんどんその信者人口を減らしているとのこと。

先日、細君とファミレスで食事をしていたら、隣の席が明らかに「KS会」の勧誘だった。ネットで聞いていたマニュアル通り、あとからもう一人やってきてニ対一で「東日本大震災がどうたら」「助かるためにはこうたら」言い始めたので、細君と二人、耳ダンボにして聞き入ってしまった(笑)。

この「KS会」は、まさしく新々宗教の部類に入るのだろうが、わたしがカトリック教会の入り口掲示板にポスターを貼っているところに女の子二人連れでやってきて、「これを読んでください」「すごいんです」とチラシを押しつけてきた、なんとも度胸のある宗派である。
(ちなみに、宗教法人の施設は必ず掲示板をつけなければいけない、という法律があるのだそうだ。これ、マメ知識な)
まあ変に無宗教をこじらせた(そう、無宗教にこだわるというのは、実はその者の人格がとても危険な状態におかれている証左なのである)若者よりは好感を持てるので、ありがたくチラシを受け取ってお引き取りいただいた。

さて、前述の「KS会」ほど強引に勧誘する新興宗教はもうそれほどないのかもしれないが、ネットで読むに、勧誘された際「自分、カトリックなので」「家の宗教がカトリックなので」とお断りする、という不届きな「カットリク!信者」がいるという。
そこで、新興宗教勧誘者のために、現役のガチカトであるわたしが、こういった不届きな「偽カトリック」こと「カットリク!信者」をあぶりだすための看破法を伝授したい。

ケース1:「えっと、自分、クリスチャンなので」


まず、カトプロ問わずこう言われたら、こう切り返せ!
「へえー、所属教会はどこですか?」
ここで相手がモニョったり、「今は教会通いはしてないんだけど」などと言ったら「教会に通わなくなったってことは、キリスト教に興味がなくなったか、もうクリスチャンじゃないってことですよね」→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!
所属教会をスラスラ言えるようだったら本物かもしれない、がまだあきらめるのは早い。ケース3を参照せよ。

ケース2:「洗礼は受けてないんだけど、聖書とか読んでて、クリスチャンなんだよね」


こんな戯言を言う相手には、「洗礼を受けてなければいくら聖書を読んでもクリスチャンではないでしょ」→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!
ただ中には、「無洗礼派」や洗礼のない「救世軍」などの教派もあるので注意。もっともそういう相手はかなり理論武装がすごいので、あなたもすぐに「手強い」とわかるはず。
「聖書」という言葉が出たら「なんの訳を読んでるんですか?」といじめてもいい。ここで「新約のほう」とか言ったらそいつはなにもわかっていない偽クリスチャン。→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!
「新共同訳ですよ」「新改訳ですね」とか返されたら本物。「バルバロ訳ですね」「フランシスコ会訳の新しい方かな」ときたらさらにモノホンのカト信者。あきらめるしかない。
もし「新世界訳です」「聖書じゃないけどモルモン書って知ってる?」などときたら、これは相手がまずかった。しっぽを巻いてあなたが逃げろ!

ケース3:「えっと、自分、カトリックなんで」


これはケース1の応用問題。これも「へえー、所属教会はどこですか?」で攻め込むべし。
ここでモニョるようなら偽カトリック「カットリク!信者」だ。→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!
もしスラスラと言えたとしてもあきらめるのはまだ早い。カトリック教会は各地に点在し、その地方のランドマークになっているので名前を覚えているだけかもしれないからだ。そこで追い打ちをかけろ。
「わたしもカトリックに興味あるので知りたいんですけど、その○○教会、今の主任司祭って誰でしたっけ?」
これでモニョるようなら偽カトリック「カットリク!信者」だ。→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!

ケース4:「家の宗教がカトリックなんですよ」


ケース3で所属教会が言えない者が、こうやって逃げようとするときは、こう切り返すべし。
「ケンシンは受けていられるんですか?」
ケンシン――「堅信」はカトリック七つの秘跡のひとつで、大人になった信者が自分の信仰を宣言する儀式である。いい年をしてこれを受けていないカトリック信者はいない。
もしここで「定期検診なら受けてますよ」などというトンチンカンな返事を返すような相手なら、偽カトリック「カットリク!信者」だ。
「そのお年で、堅信を受けていらっしゃらないということは、むしろこれから先、カトリックであることに逡巡してらしてるとお見受けしますが?」とツッコんで→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!

ケース5:「良くわからないけど、家がカトリックなんでダメなんです」


ケース4からの続きでこう抵抗してくる相手には「もう自立していらっしゃる方が、自分の信仰を家が云々って、恥ずかしいと思うんです。だって、信仰って、自分の意志で決めるものじゃないですか。お見受けしたところ、あなたは純粋にカトリックというわけでもなさそうですし、信仰的にはニュートラルですよね」→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!

ケース6:「いや、自分、宗教とか興味ないし」


ケース5からこう来たらしめたもの。「でもあなた、最初はカトリック(クリスチャン)っておっしゃってたじゃないですか。いまさら宗教に興味がないなんて言って、なんで嘘ついたんですか?」
人間、嘘がばれると心理的に追い込まれるものだ。→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!

冒頭で、「無宗教をこじらせた人は、実は人格がとても危険な状態におかれている」と書いたのは、結局のところ、この点に集約されるのだ。
宗教というのは、人生の機微におけるケース・バイ・ケースの系統だったデータベース集であると言ってもいい。無宗教であるということは、そういったことを全部、誰かからの借り物の考えや、自分の頭の中だけで想像した偏った見方のツギハギ集で対応するということなのである。
たかだか数十年生きてきただけの人間が、多くの人間と月日によって組み立てられた系統だった回答集にかなうわけがないのだ。たとえそれが新興宗教であったとしても。

また別の例をあげれば「格闘技」である。宗教とは心の格闘技でもある。ふだん「ケンカなんて野蛮人がやるものだよ」とうそぶいている人間が、格闘技経験者に勝てるわけがないのと同じように、「宗教なんて弱い人間がやるものだよ」と思いこんでいる人が、心の格闘技経験者に勝てるわけがないのである。たとえそれが新興宗教であったとしても。

というわけで、上記の例で言えば、からまれたケンカ相手に「俺、ボクサーなんだけど」などと嘘をつくのが一番危険なように、宗教勧誘に対し「カトリックです」などと嘘をつくのはとても危ない。

よくネットには「宗教勧誘者を撃退してやったぜ」などという弁慶譚があがるが、撃退しようなどという考え自体が危険なのだと知っておいたほうがいい。からまれたケンカは買わないのが一番、である。

もし売られたケンカを買わねば男が(女が)すたるというのなら――ちゃんとひとつの格闘技をまともにマスターしてからにしましょうね、ということだ。

シューキョーをやっている人間ならばわかると思うが、新興宗教はもちろん、たとえそれが伝統宗教であっても、実は「危なさ」を内包しているという点では同じなのである。
「危ない宗教」はよく挙げられるが、本当は「危なくない宗教」などありえないのだ。カトリックだって、プロテスタントメインラインだって、仏教だって「危なくない」わけではない。

どんな格闘技でも、一歩間違えば死につながるのと同じなのである。

わたしはカトリックなのでカトリックをお勧めするが、もし、家の宗教が仏教ナニナニ宗派だというのならば、それも縁であるから、一度、その宗派の教えをいちから学んでみたらどうだろう。

きっと、なにか得られるものがあるはずである。少なくとも「カットリク!信者」になるよりよっぽどいい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年03月10日

【日記】ポメラDM200いらっしゃい・その3

キングジムのポメラDM200の私的感想。実際に打ちながら、いろいろ感じたことを脈絡なく書いている。



さて、DM200では日本語IMEのATOKがパワーアップしているという。そのために乾電池駆動を諦めて、内蔵リチウムイオンにしたというのがキングジムの弁だし、レビュアーの評判もいい。
その実際の使い心地だが、わたし的に、数記事書いてみての感想は――

「あんま変わらない」

である。
なんとも拍子抜けでドッチラケだが、他のDM200ユーザーからは反論があるかもしれない。「こんなに良くなっているじゃないか」と。
いや、マジでそう変わらないんですよ、わたしの場合。
なぜかというと、以前も何かの記事で書いたが、わたしは「単文節変換」の人だから。古くからのワープロユーザだと、やはり指や頭がそれに慣れてしまっているのである。
それより、ローマ字入力で「変換」すると、候補にアルファベットの羅列(たとえば「いまさら」で「変換」すると候補の中に「imasara」が出る)ような要らない機能がDM100そのままで継承されているのがガッカリである。この変換は要らないんじゃないかなぁ。キングジムさん。


(こういう変換。便利だと思って使う人がいるのだろうか……)

おそらく、実際には単文節変換でもDM100より頭が良かったり、反応が速かったりするのだろう。けれど、わたしはもともと訓練された単文節変換の人なので、辞書にないときは語句の組み合わせで合成してしまうのに慣れているのである。
「羸痩」なんて単語はDM200の標準辞書にも入っていない(「ツール」の「明鏡国語辞典MX」にも入っていない)ので、「羸弱」と打って「弱」をctrl-hで削除し「痩せる」と打ち込んでctrl-h、ctrl-hで合成。こういうことが、それほど苦にならない打ち手なのであった。
なにしろ、黎明期のワープロから始め、超絶お莫迦と定評のあったX68kのFEP「ASK68K」なども長く使ってきた身である。連文節変換そのものを元から信用していないのである。
「貴社の記者が汽車で帰社した」、おぉすげーなDM200のATOK。連文節変換でも一発だ。「隣の客は欲か効く右脚だ」。なんだよやっぱり駄目じゃん。
正直、わたしは単文節変換でいいし、その方がよっぽど速くて正確だ。

画面が白黒反転できる点を「良い」と評価しているレビュアーも多いが、わたしはコレ、ダメだった。やはり白地に黒文字の方がいい。黒地に白文字だと目がチカチカしてきて、閃輝暗点のトリガーになりかねない(ちなみに「閃輝暗点」も変換できないから「閃光ctrl-h輝くctrl-h暗いctrl-h点」で合成している。エディタ内でctrl-hがバックスペースになったのはとてもとても素晴らしい! 何度でも賞賛したい)。



DM100のときは貼らなかったが、DM200には「PDA工房」が出しているノングレアの画面フィルムを貼ってみた。不器用ゆえ、最初、盛大に気泡が入ってしまったが、丁寧に端へ抜いていったら、なんとか見栄えのよい貼り具合になってホッとしている。

他には、そうだな――滅多に持ち運ぶ気はないのに、キングジム純正のケースを買ってしまった。こういうのは買えるときに買っておかないと、あとで入手できなくて悔しい思いをする可能性があるからである。



DM100のケースがソフトケースだったのに対し、DM200のそれはハードケースである。といっても、カチカチに堅牢なわけではない。たとえるなら「段ボール並の堅さ」である。これに入れておけば、ポンとカバンに放り込んで折り曲げ耐性も万全――とはとても思えない。
わたしはDM100の頃から、カバンに硬性アクリル板を二枚入れ、その間にDM100を挟んで持ち運んでいた。DM200も「このケースに入れれば安心」とは思えないので、もしモバイル運用するときは、同じようにしようと思っている。
「このケース本体がパームレストになるよ」というのがウリのひとつだが、使わないなあ、そういう風には。DM200のキーボード自体が十分薄いので、パームレストの必要がないのだ。これは褒め言葉である。ちなみにHHKではパームレストを常用している。
あと、ケースの蓋がマグネットというのは、ちょっと唸ってしまう。今どきフロッピーなどを使うことはないにしても、帯磁するとまずい精密機器はあるはずだ(時計とかね)。
正直、ケースの出来は、DM100専用のそれの方がおシャレで良かったかな、と感じている。どうせハードケースにするなら、もっと硬く、剛性の高いものにしてほしかった。


(ちなみにこちらがDM100のソフトケース)

キーボードに関しては、DM100よりはチャタることは少ないが、やはりある程度気を遣って打たないと、HHKのように快適にはならない。DM100のときにも書いたが、カーソルキー以外にキーリピートは不要だと思う。
こういうのは欲を言い出せばきりがないが、ctrl-mでEnterになるとさらに良かった。現状、ctrl-mにはなにも機能が当てがわれていないのだから、これもctrl-hのように実現してくれてもいいのではないか(ATOK内ではctrl-mでEnterである)。

ハード&ソフト的な不具合としては、DM100のときは何度も何度もトラブルに巻き込まれたが、今のところ、わたしの手元にあるDM200は快調に動いてくれている。ネットでみなさんのレビューなどもひと通り読んでみたが、DM100のときのように個体差が大きいようなこともなさそうである。

総論としては、やはり大きな画面と、アウトラインフォント、エディタ内でctrl-hがバックスペースになったことが、わたしにとってはとても良い。メールを使った原稿送信機能も便利である。FlashAir+Evernoteなんぞを使わなければならなかったDM100とは雲泥の差である。
DM100に比べて悪くなったのは、諸般の事情とはいえ乾電池使用ではなくなってしまったことだ。いくらモバイルバッテリーが使えるからと言って、それは乾電池の代用になるものではない。これから先、内蔵バッテリーが弱ってきたときにキングジムで修理扱いの交換になることは、正直、億劫だ。
内蔵バッテリーの充電コントロールがちゃんとしているのかも気になる。リチウムイオン関係は下手な充電コントローラだとすぐにヘタってしまうからだ。


(左DM100、右DM200を並べて横から撮影。DM100は電池ボックスの分、左側に空間ができて斜めになっているが、DM200はリチウムイオン充電池を内蔵したためまっ平らだ。剛性感はDM200に軍配があがる)

とはいえ(今の人は知らない世界だが)、わたしは単一乾電池四本駆動のOASYS Lite K FD20や、単三乾電池4本駆動のOASYS30ADを使っていた世代である。これらの機種はバックライトもなく、電池も二時間くらいしか保たなかった。エネループなどという便利なものはなく、いつもカバンに量販店で買った交換用乾電池を入れて持ち歩いていたものだ。機能もDM100の足下にも及ばないほど貧弱だった。
なので、これから先の技術革新で、このDM200と同等の機能を乾電池駆動で実現できる日が来る、と信じている。
キングジムさんには「やっぱりポメラは乾電池駆動」という信念を忘れないでいただきたいなあ、と、切に願う。
DM200は、これからのポメラの「目標」の現実解のひとつだと。これから、これだけの機能をもったワープロを、乾電池でも動くようにつくりますよ。という気概を、是非とも持っていただきたい。

なんにせよ、DM100でお終いか、と半分諦めていたポメラの火が、どんな形であっても再び灯されたのは嬉しいことだ。
素晴らしいプロダクトを世に送り出されたキングジムの皆様に、感謝の声をお伝えしたい。ありがとう! と。
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posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年03月09日

【日記】ポメラDM200いらっしゃい・その2

ポメラDM200の私的感想、その2である。

なにげに、USB入力端子の規格がDM100と変わっている。DM100はミニB-USBだったが、DM200のそれはマイクロUSBである。スマホなどに充電するモバイルバッテリーとケーブルを統一するための変更なのかもしれないが、これは別の意味でも歓迎したい。以前にも書いたが、ミニB-USBの挿抜耐久性は5,000回、マイクロUSBは倍の10,000回が保証されているからである。



ところで、わたしは黎明期からワープロやマイコン、パソコン通信を使っていたため「新しもの好き」と思われることが多いのだが、実際にはかなり保守的なのは、このブログを続けてお読みの方はご存じと思う。
特に新しい規格や機械は、絶対に人柱にはならない。新しい沼を目の前にしたら、そばの石に座ってひとまず一服。誰かが沼を通って溺れていくのを冷静に観察し続け、犠牲者によって沼が埋まり、そろそろ渡れるかな、という頃になったら、やっと腰を上げて、累々と重なった彼ら犠牲者の上を歩くのだ(ひどい喩えだ……)。

そんなわけで、本機DM200もすぐには飛びつかず、多くの先人のノウハウが溜まるのを待っていたのである。おかげで、Windows機との「ポメラSync」機能も簡単に使えるようになった。ヒトバシラーの皆様に感謝!
しかし、この機能はあまり自分的には使いそうにない。とりあえず、できるということがわかったのでよしとする。

むしろ、ちょっとひっかかったのはメール送信を行う「アップロード」機能の方であった。Gmailアカウントを使えば、すんなり任意のメアドへ送信できるのだが、他社のSMTPサーバを使おうとすると上手くいかない。メールのプロトコルログが見られれば問題の切り分けもできるのだが、ポメラではそれもできない。
いろいろやっているうちに、「アカウント設定→その他」の「メール」に、きちんとメールアドレスを書かなければ通らないということがわかった。「アップロード」の表示が「アカウント」なので、自分で判別できるエイリアスで良いと思っていたのが間違いだったのである。

このメールでの送信機能(キングジムさん、悪いけれど「アップロード」とは違うと思う……)はとても良い。そうそう、こういうのが欲しかったんですよ。EvernoteとかDropboxとか、Gmailもそうだけれど、他社のサービスを使わず、電子メールというIETFによって発行されたRFC準拠の国際標準規格でファイルが送信できる、こういう標準化されたものを使ってくれると安心できる。

もっとも電子メールも簡単な実装だった頃から、送信がpop before smtpになり、SMTP認証が必要になりと、古い機器が使えなくなっていく可能性はあるので、安心はできないのだが……(あるIoT機器でモロにその被害を受けた経験があるのである)。

ポメラで書いたテキストは、メール本文として送られる。これは賛否があるだろう。添付ファイルにしたほうが良いという考えもわかる。わたし自身は、正直、どちらでもいいのだが、メール本文として送られる方がシンプルで好きだ。
このメール送信機能を使えば、メール投稿できるブログシステムならば、直接、投稿もできるはずである。

とはいえ、今はメールアドレスなどいくらでも作れる時代なので、ポメラ受信用に一個作って、そちらで整理するほうがいいのかもしれない。

DM100では、まだEvernoteのアップロード失敗率に閉口している(「【日記】その後のポメラDM100」参照)。スマホならばBluetoothでファイルを受け取ることができるのだが、今度はそのスマホからPCへ送らなければいけないので、二度手間でほとんど使っていない。

次回は、キングジムがこのためにバッテリをリチウムイオン内蔵にしなければいけなかったという、新ATOKの使い心地なんぞを――。
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posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年03月08日

【日記】ポメラDM200いらっしゃい・その1

やはり、というか、予想通りというか、キングジムの「ポメラDM200」を購入してしまった。
愛用のDM100がけっこうトラブって、キングジムサービスのご尽力をいただき、やっと良品に巡り会えた経緯は下記に書いた。

「【日記】ダメなときはなにをやってもダメ」
「【日記】来た、また、初期不良!?」
「【日記】ポメラDM100の帰還」
「【日記】お前が俺には最後のポメラ」
「【日記】その後のポメラDM100」

「【日記】お前が俺には最後のポメラ」の記事の最後で、「DM200買っちゃうかも」と筆を滑らせて細君の顔色をうかがっていたのだが、その細君がネット通販のポイント倍増月間ということで、ポンとプレゼントしてくれたのであった。
好い女でしょう、ホント。いくらノロけてもノロけ足りないくらい。感謝感謝である。


(クリックで拡大できます)

というわけで、この記事はDM200で書きつつ、いろいろ感想を記している。
けっこう店頭でいじって、イメージは固まっていたのだが、実際に蟄居房でゆっくりと「自分のマシン」にして触ってみると、印象も実際の使い勝手も違ってくるものだ。

箱から出したファーストインプレッションは「重っ!」。DM100が400グラム、DM200が580グラムだから、その差180グラム。専用ケースも一緒に揃えたのだが、こちらもハードケースで、ずっしり重い。
基本、持ち運ぶ気はない(「【回想録】執筆機の思い出・番外編その1「わたしの、最強のモバイル執筆環境」「その2」参照)ので良いのだが、モバイルで使用する方はこの差はこたえるかもしれない。

重量の増加は、主にバッテリが内蔵リチウムイオンになったからで、今までの「ポメラシリーズは乾電池駆動」という暗黙の了解を破ったDM200の判断が良と出るか否と出るかは、まだ保留しておきたい。DM200のポテンシャルを乾電池で実現するのは無理だというキングジムの判断なのだろうが、やはり乾電池駆動は素直に良い、と思う。

特筆すべき点――エディタ画面内で、ctrl-hがバックスペースになっている!

この点に触れている記事などを読んだ覚えがないのだが、これはわたしにとって革命的な改善である。今までのポメラでも、ATOK内で変換前の文字列ならばctrl-hでバックスペースが効いたのだが、一度確定してエディタ画面になってしまうと、ctrl-hが「検索・置換」になってしまうのである。
店頭でいじっていたときは、正直、この変更に気づかず、2016/12/01の記事「【日記】ポメラDM100の帰還」でも、この点を見逃している。どうにも先入観で決めつけて書いてしまっていたようだ。
というか、ポメラを使うときはATOK内ではctrl-h、エディタ内では右手小指でバックスペースという癖が無意識についてしまっていたようである。知らぬ間に調教されていたらしい……。ポメラ、恐ろしい子……。

しかし、エディタ内でctrl-hのバックスペースが効くのはありがたい。欲を言えばctrl-gで「一文字削除」が効いてほしかったが(これもATOK内では可能)、これは「行指定ジャンプ」に固定されてしまっている。残念である。
まあ、欲を言えばきりがない。ワードスター系のダイヤモンドカーソルまで使え、ctrl-qとの複合ショートカットまでできれば、まさしく最強のエディタなのだが、一般の人も使う日本語入力機としてはバランスもあるだろう。

しかし、ATOKのctrlショートカットとエディタ内のそれを同一にできるというのは、本来、あってしかるべきだとは思う。キングジムにはぜひとも、ctrl-gの「一文字削除」も検討していただきたい。

あぁ、しかし思い出すなあ。あれはポメラ初号機のDM10を初めて触ったISOTでのこと。キングジムのブースでいじらせてもらって、ATOK内ではctrl-hでバックスペースが効くのに、エディタ内ではペロンと「検索・置換」画面が出てしまい「これは使いにくいですよ」とキングジムの方に訴えたのだ。
こういう声は、わずかずつでも上げていれば、開発の現場へと届くのかもしれない。キングジムさん、エディタ内でのctrl-gで「一文字削除」、お願いします。「行指定ジャンプ」なんて、そんなにちょくちょく使う機能じゃないでしょう。

逆に、2016/12/01の記事の時点で、可能だと思っていたことができない点も見つけてしまった。禁則が思っていたほど完璧ではない。ぶらさげ禁則が一文字分しかないので、句点のあとに改行が来るような場合(これはけっこうあるケースだ)、改行が行頭にきてしまい、一行無駄に開いているように見えてしまう。ぶらさげ禁則は二文字分の余裕が必要だと思う。

グリッドで「方眼」を指定し、20字×20行表示にすると、疑似原稿用紙っぽくなるが、こういうのはお遊び機能だなと感じる。
その昔、葉書サイズの原稿用紙箋というものがあって、ある方がそれにシナリオを書いていらっしゃってびっくりしたことがあるのだが(この思い出はそのうち別口で書きたい)、それを思い出した。所詮、ルビがふれないのだからそれっぽい方眼にする意味はないと思うのだが、こういうニーズがあるのだろうか。

そうそう、縦書きの半角文字の処理がいまいちである。すべて回転させて横書きにしてしまう。これは業界的には、二文字までは回転させず、三文字以上になったら回転させるというのが常識だ。


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でないとたとえば、「!?」のような感嘆疑問符まで横書きになってしまい、見た目が悪くなってしまう。


(こんなふうに。見るからにおかしいでしょう? 横書きならば大丈夫なのだけれど)

わたしが駆け出しの頃は、二重感嘆符(!!)や前述の感嘆疑問符(!?)などは、ここぞというところに使うもので、そうやたらめったら使うものではないとされた。
が、今のマンガに慣れた書き手には珍しくない符号だと思うので、この点も改良できるものなら直していただければと思う。ちなみにいにしえのOASYSの縦書きでも、このあたりはちゃんとしていた。

逆に言えば、DM200になって、やっと縦書きがまともに使えるようになってきた、という感想だ。DM100の縦書きは、現実的に見栄えのいいフォントが32×32しかないため、文字数が少なく縦書きでは書く気が起きなかった。
しかしDM200はフォントがアウトラインフォントになっているため、小さい文字でも見栄えが良いのである。このアウトラインフォント、特に明朝体は素晴らしい。
老眼もきつくなっているが、このくらいの文字の大きさならなんとか実用になる、という感じで、縦書きで書くのが楽しくなってくる。


(クリックで拡大できます)

多少長くなってきたので、今夜はこの辺で一旦筆を置く。
某所の該当スレは、ポメラが乾電池駆動を捨てたということで荒れているようだし、わたしもそのことは残念だと思っているが、どうしてどうして、実際使ってみると、DM200もお気に入りの一台になりそうだ。
なにより、DM100は(わたしにとって)トラブルが多すぎたし、今でもコイン電池アイコン点滅病が発生する。トラブルの多くが、電源が電池であるということに起因しているのなら、バッテリのリチウムイオン化も悪くはないのかもしれない、と思う。

DM100もお気に入りなので、並行して使っていくことになりそうである。
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posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年03月07日

【カットリク!】真昼の悪魔・その5

フジテレビの土曜深夜のドラマ枠「オトナの土ドラ」で放映中のドラマ「真昼の悪魔」の「カットリク!」。今回はその五回目、2017/03/04放映分。

このドラマの一回目から、洗礼を受けていない未信者がズカズカ告解室に乱入して「懺悔(ぷ)」をしているというありえない点について、わたしは「【カットリク!】真昼の悪魔・その1」でこう書いた。

ものすごーくこのテレビドラマ製作者の肩を持って解釈するとしたら「この女医は幼児洗礼で、初聖体も子どもの頃に済ませているが、大人になってからはずっと教会に通っておらず、ここ一年、また通うようになった」という設定なら、まだいける。
遠藤原作にそのような設定がないことは前述の通りだが、今後、上の設定を匂わせたり回想シーンがあるのならウルトラCだ。


さて、前回見逃していたのだが、ヒロイン女医の父親の死後のシーンで、こんなカットがあった。



なんと父親はブッキョートである。位牌はよく判読できないが、戒名に「和○○○○○○○信士」と読める。ほかのカットには仏壇もある。ヒロイン女医の家の宗教が仏教で、常識的に考えてヒロインだけが幼児洗礼ということはありえないので、上記のような設定は――


(原作:神尾龍/漫画:中原裕「ラストイニング」42巻より引用)

ヒロインの女医葉子がカトリック未洗礼のノンクリスチャンであることが判明した。なので以降、この点で容赦はしない。

というわけで、今回は冒頭から、ノンクリ葉子女医のどこかでの告白から始まる。



葉子「わたしが初めて患者を死なせたのは、医師になって一年ほどしたときでした。ある手術でわたしがミスをしたと患者が言い出して、ヤブ医者よばわりして、ハッとしたんです。我慢してたんですけど、ふと思ったんです。そうだ。わたしは医者になったんだ。もう我慢しなくていいんだって」
神父「あなたの勇気ある告白に感謝します。神のご加護があらんことを」




なんと、また告解室!
何度も何度も何度も何度も書いてきているが「洗礼を受けていない未信者は告解室でゆるしの秘跡を受けることはできません!」
もういいかげん出禁にしろよこの女! つーか、そんな中二病な話はガルちゃんでスレたててやれっての。

カットリク!ポイント65――
カットリク!では、未信者が告解室で神父に相談しちゃったりする。


さて、その神父が葉子の勤める病院に現れる。



神父「すみません。お尋ねしたいのですが。人間ドッグの申し込みはどちらに行けばよろしいでしょうか」
葉子「ご案内いたします」


いきなり他人行儀な会話で始まるこの不思議。
イグナチオくらい大きな教会ならともかく、この神父が司祭を勤めている小教区くらいの大きさで、「一年くらい通っている」求道者(未信者のことをこう言う)の顔を、司祭が覚えていないということはありえない。
外で他人行儀ということは求道者の事情を考えてそうすることもあるかもしれないが、告解室にまで入れるような相手にそこまでするかどうか。普通に知己のようにふるまうと思う。

勘違いしている人は多いと思うが、イグナチオのように大きな教会は別として、普通の規模の小教区では、神父様に「告解お願いします」とまずお願いしてから、二人でコソコソ告解室に入るものなのである。
まさか皆さん、神父はヒマなとき、いつも告解室にいると思われているのだろうか? ちょっと考えれば、そんなことはないとわかると思うのだが……。
もちろん、クリスマス前や四旬節中の告解シーズンには「何時から何時まで、神父様は告解室にいらっしゃいますので、ゆるしの秘跡を受けたい方はどうぞ」ということもある。しかしそういうときはたいてい「行列のできる告解部屋」となっているのである。未信者が並んでいられるような雰囲気ではない。「あらあなたは洗礼をお受けになってからね」と注意されるのが関の山である。

というかもう、未信者を告解室に招き入れてしまうという最大の矛盾が、この混乱を招いている元凶なのである!



神父「わたくし、近所の教会の神父でして」
葉子「そうですか」
神父「どこかでお会いしましたか? お声に聞き覚えがあるような気がして」
葉子「もう、へたなお芝居やめたらどうですか? 最初からわかってたくせに。いつわりは、聖書で禁じられていないんでしたっけ?」
神父「懺悔にきておられた方ですね。大河内葉子さん」


現役神父が「懺悔(ぷ)」なんて言わねーよ! 「告解」か「ゆるしの秘跡」だバーロー。

カットリク!ポイント65――
カットリク!では、神父が自ら「懺悔(ぷ)」って言っちゃう。


さて、神父と葉子女医は、病院の外で対峙する。



神父「最後に教会にいらしたとき、あなたは言いました。ご自分の父親を殺すつもりだと」
葉子「はい」
神父「実行されたのですか? ここは懺悔室ではありませんが、ここでの会話は外に漏らさないと約束します」
葉子「していません、できませんでした。実行する前に、父がみずから死んでしまったので」


だーかーらー、現役神父が「懺悔室(ぷ)」なんて言わねーよバーロー。

まず、「告解室で信者が話した内容を聴罪司祭が外で話すというのはどうか」と思う方もいらっしゃるかと思うが、葉子は未洗礼のノンクリなので実は問題はない。
このあたりの混乱も、未信者の告白を告解室で聞いてしまうという最大の矛盾からきてしまっているのである。
もちろん、洗礼を受けたカトリック信徒が告解室で話したことを、聴罪司祭が外に漏らすことはありえない。

話は進んで、葉子と婚約者が教会に現れ――

葉子「今度あたし、結婚するんです」
大塚「彼女の希望で、こちらで式をあげさせていただきたくて、さっそくお邪魔しました」




このシーンでも「懺悔」「懺悔」とうるさいが、もういちいちツッコむ気力もない。
大塚婚約者を「懺悔室(ぷ)」へ入れた後、神父を挑発する葉子。
神父様には、カトリック教会で結婚式を挙げたいのなら、結婚講座に通ってからにしろと言い返していただきたかったですな。



あーあ。カトリックの祈り方は、基本「合掌」。もちろん、人や状況にもよるが。こういうふうに握りこむ祈り方はあまりしない。「合掌」でも仏教のそれとは違い、左右の親指を重ねて十字架をつくる、独特の合掌なのである。

カットリク!ポイント66――
カットリク!では、祈りのときに手を握りこんじゃう。


さて……。
ちょっとこれは――太字で改めて書いておいたほうがいいよなぁ。

「カトリック教会の告解室で罪の告白をできるのは、洗礼を受けたカトリック信者だけです!」

「カトリック教会の告解室で罪の告白をできるのは、洗礼を受けたカトリック信者だけです!」

「カトリック教会の告解室で罪の告白をできるのは、洗礼を受けたカトリック信者だけです!」


大事なことなので、コピペ厨レベルで何度も書きました。
本当に、このドラマ後、全国のカトリック教会に、悩みを抱えた未信者が告解室で罪の告白をしたいとやってくるケースが増えそうで憂鬱である。

なお、カトリック作家遠藤周作の名誉のために書いておくが、このドラマ、すでに原作からかなり乖離している。遠藤原作にも「ん?」と思うところなきにしもあらずなのだが、ここまでカットリク!の限りを尽くしてはいないので、念のため。

さすがに「新・警視庁捜査一課9係「殺意のロザリオ」」ほどのカットリク!ではないが、現役ガチカトとして、見ていてつらくなりつつありますよ……。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究