2017年03月03日

【日記】吸っていい?

ツイッターであるユーザーが喫煙者と交わしたエピソードが話題になっているという。
投稿者は、喫煙者から「吸っていい?」と聞かれ、勇気を出して断ったところ、その喫煙者が「一本だけだから」と言って、結局吸い出してしまったとのこと。
投稿者はこの件に関し「あの言葉は非喫煙者への配慮ではなく、単なる挨拶みたいなものなのか」と不満を訴えている。その気持ち、とてもよく理解できる。

わたしはタバコをやめて、もうずいぶんになるが、以前は喫煙者だった。当時は吸わない男の方が少なかった時代である。
その頃、食事で同席した非喫煙者の友人に「吸っていいですか?」と訊いたら、いたずらっぽい顔で「ダメと言ったら?」と返してきたので、「オッケー。吸いませんよ」とお返事した。そして吸わなかった。
なぜだかお互い、ニヤリとしたと思う。

あのとき、わたしは試されていたのだろうか?
「吸っていいですか?」と訊いて「ダメですよ」と言われたことがなかったので(そういう時代だった)、とても鮮烈に覚えている記憶である。
というか、今の人には信じられないかもしれないが「吸っていいですか?」と訊くことすらなくスパスパやるのが当然だった時代があったのである。飛行機だって離着陸時以外はタバコが吸えたくらいだ。

日本専売公社(今のJT)が「吸うときは一言声をかけてから」などとマナーCMを流していたような気がする。これもよく考えると、単に「声をかけて」であって、断られることは想定していないのである。このあたり、記憶がおぼろだが、確かそうだった。

それで友人も、ニヤリと笑いながら、想定にない「お断り」をしてみたのかもしれない。わたしもニヤリと笑って想定外の事例を受けたのである。

現代は禁煙が当たり前なので、ショッピングセンターなどに行くと、小さな喫煙室が設けられており、横を通ると、まるでガス処刑室か!? というような狭い場所で喫煙者の皆さんがスパスパやっておられるのでビックリしてしまう。
わたしは元喫煙者なのでタバコの旨さは知っているが、あそこまでして喫もうとは思わない。

個人的な体験だが、タバコをやめるのは簡単だった。わたしは病気がきっかけではあったが、「吸わない」と決意すればいいだけだった。実際、タバコ数本を残していつでも吸える状態で断煙を決意し、そのままもう吸わずにいられた。

あまりニコチン依存ではなかったということかもしれない。

それでも数年間は、たまに夢で吸ってしまい「やっべ吸っちゃった」と起きてホッとする、という体験があった。これ、断煙した人はけっこう見る夢らしい。今はそういう夢もとんと見なくなった。

タバコは、やめて良かったなあ、と思っている。健康上の理由というより、今の喫煙者の肩身の狭さを思うと、とてもではないが続けていられると思えない。街中で路上喫煙はできず、禁煙店も増え、ベランダ喫煙でも近所から苦情が出る。自由に吸える場所は自分の部屋だけだ。そこまで虐げられてまで吸う気がない。

今の喫煙者は意志が弱いなんてとんでもない。むしろ意志が強いから、こんなご時勢でも自室外で吸えるのである。

最初のツイッターの投稿者のお話だが、なにしろ今の喫煙者というのは、上記のように「喫煙する意志が強固な人」が残っているわけだ。「吸っていい?」と挨拶≠オてくるだけまだマシな部類かもしれないのである。もちろん、その後断られても吸うというのは非常識極まりないが。

並行して、末期医療の現場では余命いくばくもない患者さんのために、好きなタバコを吸わせてあげられる場所をつくれないだろうか、という議論もあがっている。これの気持ちもよくわかる。

わかるということは、こんなわたしも、いつかはまたタバコを吸い始めてしまう可能性があるということだ。一度知ってしまったタバコの味というものは、抜いた釘跡のようにポッカリと残ってしまっているのである。何十年経っても、その釘跡は埋まらない。

できれば、そのような日がこないことを祈るばかりだが――いやそういう日がきたら、タバコの前にお酒を解禁だね。わたしの場合(こら)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記