2017年03月11日

【カットリク!】新興宗教勧誘者のための偽カトリック看破法

最近は「新興宗教」ではなく、ある程度の年月を経たそれは「新宗教」、1970年代後半くらいに登場したものは「新々宗教」という呼び方をするらしい。
が、二千年の歴史を持つカトリックからすれば、プロテスタントすら新興宗教だとのっけから一発、傲慢をかましつつ――(ひでぇ)。

最近はそれら新興宗教も、強引な折伏などをしなくなったせいか、どんどんその信者人口を減らしているとのこと。

先日、細君とファミレスで食事をしていたら、隣の席が明らかに「KS会」の勧誘だった。ネットで聞いていたマニュアル通り、あとからもう一人やってきてニ対一で「東日本大震災がどうたら」「助かるためにはこうたら」言い始めたので、細君と二人、耳ダンボにして聞き入ってしまった(笑)。

この「KS会」は、まさしく新々宗教の部類に入るのだろうが、わたしがカトリック教会の入り口掲示板にポスターを貼っているところに女の子二人連れでやってきて、「これを読んでください」「すごいんです」とチラシを押しつけてきた、なんとも度胸のある宗派である。
(ちなみに、宗教法人の施設は必ず掲示板をつけなければいけない、という法律があるのだそうだ。これ、マメ知識な)
まあ変に無宗教をこじらせた(そう、無宗教にこだわるというのは、実はその者の人格がとても危険な状態におかれている証左なのである)若者よりは好感を持てるので、ありがたくチラシを受け取ってお引き取りいただいた。

さて、前述の「KS会」ほど強引に勧誘する新興宗教はもうそれほどないのかもしれないが、ネットで読むに、勧誘された際「自分、カトリックなので」「家の宗教がカトリックなので」とお断りする、という不届きな「カットリク!信者」がいるという。
そこで、新興宗教勧誘者のために、現役のガチカトであるわたしが、こういった不届きな「偽カトリック」こと「カットリク!信者」をあぶりだすための看破法を伝授したい。

ケース1:「えっと、自分、クリスチャンなので」


まず、カトプロ問わずこう言われたら、こう切り返せ!
「へえー、所属教会はどこですか?」
ここで相手がモニョったり、「今は教会通いはしてないんだけど」などと言ったら「教会に通わなくなったってことは、キリスト教に興味がなくなったか、もうクリスチャンじゃないってことですよね」→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!
所属教会をスラスラ言えるようだったら本物かもしれない、がまだあきらめるのは早い。ケース3を参照せよ。

ケース2:「洗礼は受けてないんだけど、聖書とか読んでて、クリスチャンなんだよね」


こんな戯言を言う相手には、「洗礼を受けてなければいくら聖書を読んでもクリスチャンではないでしょ」→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!
ただ中には、「無洗礼派」や洗礼のない「救世軍」などの教派もあるので注意。もっともそういう相手はかなり理論武装がすごいので、あなたもすぐに「手強い」とわかるはず。
「聖書」という言葉が出たら「なんの訳を読んでるんですか?」といじめてもいい。ここで「新約のほう」とか言ったらそいつはなにもわかっていない偽クリスチャン。→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!
「新共同訳ですよ」「新改訳ですね」とか返されたら本物。「バルバロ訳ですね」「フランシスコ会訳の新しい方かな」ときたらさらにモノホンのカト信者。あきらめるしかない。
もし「新世界訳です」「聖書じゃないけどモルモン書って知ってる?」などときたら、これは相手がまずかった。しっぽを巻いてあなたが逃げろ!

ケース3:「えっと、自分、カトリックなんで」


これはケース1の応用問題。これも「へえー、所属教会はどこですか?」で攻め込むべし。
ここでモニョるようなら偽カトリック「カットリク!信者」だ。→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!
もしスラスラと言えたとしてもあきらめるのはまだ早い。カトリック教会は各地に点在し、その地方のランドマークになっているので名前を覚えているだけかもしれないからだ。そこで追い打ちをかけろ。
「わたしもカトリックに興味あるので知りたいんですけど、その○○教会、今の主任司祭って誰でしたっけ?」
これでモニョるようなら偽カトリック「カットリク!信者」だ。→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!

ケース4:「家の宗教がカトリックなんですよ」


ケース3で所属教会が言えない者が、こうやって逃げようとするときは、こう切り返すべし。
「ケンシンは受けていられるんですか?」
ケンシン――「堅信」はカトリック七つの秘跡のひとつで、大人になった信者が自分の信仰を宣言する儀式である。いい年をしてこれを受けていないカトリック信者はいない。
もしここで「定期検診なら受けてますよ」などというトンチンカンな返事を返すような相手なら、偽カトリック「カットリク!信者」だ。
「そのお年で、堅信を受けていらっしゃらないということは、むしろこれから先、カトリックであることに逡巡してらしてるとお見受けしますが?」とツッコんで→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!

ケース5:「良くわからないけど、家がカトリックなんでダメなんです」


ケース4からの続きでこう抵抗してくる相手には「もう自立していらっしゃる方が、自分の信仰を家が云々って、恥ずかしいと思うんです。だって、信仰って、自分の意志で決めるものじゃないですか。お見受けしたところ、あなたは純粋にカトリックというわけでもなさそうですし、信仰的にはニュートラルですよね」→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!

ケース6:「いや、自分、宗教とか興味ないし」


ケース5からこう来たらしめたもの。「でもあなた、最初はカトリック(クリスチャン)っておっしゃってたじゃないですか。いまさら宗教に興味がないなんて言って、なんで嘘ついたんですか?」
人間、嘘がばれると心理的に追い込まれるものだ。→以降、怒濤の勧誘、レッツ折伏Go!

冒頭で、「無宗教をこじらせた人は、実は人格がとても危険な状態におかれている」と書いたのは、結局のところ、この点に集約されるのだ。
宗教というのは、人生の機微におけるケース・バイ・ケースの系統だったデータベース集であると言ってもいい。無宗教であるということは、そういったことを全部、誰かからの借り物の考えや、自分の頭の中だけで想像した偏った見方のツギハギ集で対応するということなのである。
たかだか数十年生きてきただけの人間が、多くの人間と月日によって組み立てられた系統だった回答集にかなうわけがないのだ。たとえそれが新興宗教であったとしても。

また別の例をあげれば「格闘技」である。宗教とは心の格闘技でもある。ふだん「ケンカなんて野蛮人がやるものだよ」とうそぶいている人間が、格闘技経験者に勝てるわけがないのと同じように、「宗教なんて弱い人間がやるものだよ」と思いこんでいる人が、心の格闘技経験者に勝てるわけがないのである。たとえそれが新興宗教であったとしても。

というわけで、上記の例で言えば、からまれたケンカ相手に「俺、ボクサーなんだけど」などと嘘をつくのが一番危険なように、宗教勧誘に対し「カトリックです」などと嘘をつくのはとても危ない。

よくネットには「宗教勧誘者を撃退してやったぜ」などという弁慶譚があがるが、撃退しようなどという考え自体が危険なのだと知っておいたほうがいい。からまれたケンカは買わないのが一番、である。

もし売られたケンカを買わねば男が(女が)すたるというのなら――ちゃんとひとつの格闘技をまともにマスターしてからにしましょうね、ということだ。

シューキョーをやっている人間ならばわかると思うが、新興宗教はもちろん、たとえそれが伝統宗教であっても、実は「危なさ」を内包しているという点では同じなのである。
「危ない宗教」はよく挙げられるが、本当は「危なくない宗教」などありえないのだ。カトリックだって、プロテスタントメインラインだって、仏教だって「危なくない」わけではない。

どんな格闘技でも、一歩間違えば死につながるのと同じなのである。

わたしはカトリックなのでカトリックをお勧めするが、もし、家の宗教が仏教ナニナニ宗派だというのならば、それも縁であるから、一度、その宗派の教えをいちから学んでみたらどうだろう。

きっと、なにか得られるものがあるはずである。少なくとも「カットリク!信者」になるよりよっぽどいい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究