2017年03月24日

【日記】「わたしはある」・その1

「今さらに、何をか言わめ、言わずとも、尽くす心は、神やしるらむ」

これは、高橋荘左衛門、十九歳の辞世の句である。父は高橋多一郎。と言っても、あああの、とすぐに思い当たるのは歴史おたくくらいであろう(※荘左衛門は庄左衛門とも)。
この親子は、1860年の今日、3月24日に起きた「桜田門外の変」の首謀者のうちの二人である。現場からはすぐに逃走し、大阪に潜伏。幕吏に探知され自刃したときの句がこれだ。切腹し、自分の血でふすまに書いたものだという。

先に父、多一郎が自刃していたが、息子、荘左衛門は儒教の教えから介錯を固辞したという。

最初に一読したとき、この十九歳が詠んだ壮烈な辞世の句に「神」が出てくることが、わたしには不思議であった。
もちろん、江戸時代末期であるから、キリスト教の「神」のわけはない。儒教で神にあたるものは「天」であろうから儒教的な意識から出た言葉でもない。

「桜田門外の変」で大老、井伊直弼を暗殺した十八烈士は尊皇派であったが、天皇が神格化されだしたのは明治政府からである。となると、この「神」は「すめらぎ」のことでもないだろう。

いったい、この十九歳で自刃した高橋荘左衛門が、この辞世の句で「神」を詠んだとき、どんな「神」を頭に浮かべていたのか、それを知りたいと思った。

自然に考えれば神道の神であろうか。しかしみなさんご存じのとおり、神道の神は「八百万の神」であって、この句のように単独で「神」とひとくくりで出すのはどうかと感じるところもある。それとも荘左衛門は、すでに神格化していた東照大権現(徳川家康)の意で「神」の語を出したのだろうか。

江戸時代には、すべての者がどこかの寺の檀家にならなければいけないという制度から、日本人は全員仏教徒であった。
しかし荘左衛門は辞世の句で、「仏やしるらむ」と詠んだのではない。自刃し腹から血や臓物がこぼれてくる凄絶な苦痛の中で、十九歳の荘左衛門は、自分の心は仏≠ナはなく神≠ヘ知ってくれている、と書き残したのである。
死を前に彼が頼りにした何か≠フ正体を知りたいと思う。
(繰り返すが、荘左衛門が実はキリシタンだったのでは、などの珍説を出す気はまったくない)

不思議なことに、読めば読むほど、この辞世の句は、たとえば現代日本のクリスチャンが自殺するときに詠んでもおかしくない句だなあ、と感じてしまう。ちなみにカトリックは自殺は禁忌だが、プロテスタントにそういうしばりはない。

現代の日本では、神道の「神」と、キリスト教の「神」とがごっちゃになってしまっている。これはある面、不幸であり、ある面、良いことでもあると個人的には思っている(それについては、いつか書く)。

この記事のタイトルとなっている「わたしはある」は、旧約聖書「出エジプト記」第三章で、神がモーセを呼び、イスラエル人を率いてエジプトを出よ、と命じたときの一言である。
モーセが、神の名を問うたときの、神の返事だ。

神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ(出エジプト記 3:14)


旧約聖書を初めて通して読んだとき、最初に震えを覚えた箇所である。ユダヤ教の神、すなわちキリスト教とイスラム教の神は、名を問われて、真正面からは答えず「わたしはある」と韜晦したのである。
いや、せざるを得なかったのだ。それが自分の震えの正体であった。

その後、「わたしはある」とモーセに名乗った存在は、ヘブライ語から他国語へ訳される過程で、Theos=ADeus≠ネどと記され、日本では大日=A天主=A上帝≠ネどと迷いに迷った末に、現代では、英語はGod=A日本語では神≠ニ呼ぶことに定着した。

どうして日本では、古来からあった神道の八百万の存在と、唯一神の「わたしはある」が同じ呼称になってしまったのか――

そしてそれが、日本人にとって良かったのかどうか、この不定期シリーズでは、そのようなところを、書きながら考察していきたい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記