2017年03月25日

【日記】イサクが好き♪

「好き」のあとに♪マークを入れるのは、パソコン通信時代の名残である。わかる人にだけわかればよろし。

宗教音痴の平均的日本人にとって意外なことかもしれないが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「アブラハムの宗教」と呼ばれ、同一の唯一神を信じる啓典(旧約聖書)の民である。
といっても、その「アブラハム」が教祖というわけではない。彼はあくまで預言者であり、ユダヤ教徒は「神」を、キリスト教徒はイエスと聖霊を含めた「三位一体の神」を、イスラム教徒はこれも預言者ムハンマドによって伝えられる「アッラー」を信じている。

じゃあ別々の神じゃん、という感想をもたれるかもしれないが、それでもこの三つは同じ「創造主」なのである。

「アブラハム」というと、日本語で「脂ハム?」という語感だが、英語名だと「エイブラハム」である。リンカーン大統領の名だ。
アブラハムの息子はイサク。英語名だと「アイザック」。SF作家アシモフの名である。
イサクの息子はヤコブ。日本語だと「や瘤?」というダサい印象だが、英語名だと「ジェイコブ」。映画「ジェイコブズ・ラダー」のそれである。ちなみにこの映画タイトルは、そのまま聖書の「ヤコブのはしご」からとられている。

聖書の中で、神はたびたび「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」と述べられる。それだけ、この親子孫の三人は特別な預言者であったということだ。

わたしはこの三人の中では、イサクが好きだ。なぜって、彼はとても愛妻家だったのである。

アブラハムは正妻サラの他に、妾ハガルがいる。
と言っても、これはサラが子どもができなかったが故に、サラ自身がハガルによって子どもをつくってくれとアブラハムに願った経緯があるのだが。その後、サラもイサクを産むことができ、妾ハガルの子イシュマエルはアラブ人の祖先となって、二十一世紀の今でもなんやかやと紛争の原因となっているわけだ。

イサクはエサウとヤコブという二人の子宝を得ることができた。双子である。聖書中に「二人は似ている」というような記述はいっさいないことから、ニ卵性の双子だったのではと思われる(勝手な想像)。

その昔、日本では双子が産まれると、あとから出てきた方を兄または姉とする習慣があったが、今は法律的にも出生順に順番が決まる。
イサクの息子、エサウとヤコブも、その順番で産まれたので、本来、イサクの家督を受け継ぐのは長兄エサウになるはずであった。が、ヤコブはちょっとズル賢かったので母リベカと組んで父イサクをだまし、ちゃっかり家督を相続してしまったのであった。
詳しい経緯は、それこそ聖書の「創世記」をお読みいただくとして、このヤコブは正妻を二人、レアとラケルをめとった。二人は姉妹である。
まあこれにも経緯があって、ヤコブはだまされて二人をめとらされたようなものなのだが(ヤコブ自身はラケル――英語名だとレイチェル――が本命だった)、とにかく、一夫多妻だったのである。このヤコブはレアとラケル以外にも妾を二人とって、そこからイスラエルの十二部族が産まれていく。

さて、話を戻してイサクだが、彼は愛妻リベカ――英語名だとレベッカ――以外、妾を取らなかった。

古代の厳しい砂漠の生活に、現代の風習を当てはめるのは間違いのもとだろうとは思う。子孫ができないということは、即、民族の途絶につながる時代であったろうし、経済力のある男性が複数の女性を養うのは理にかなってもいたのだろう。

それでも、そういう時代だからこそ、リベカ一筋で浮気をしなかったイサクはいいなあ、と思ってしまうのである。

二人は自由恋愛で知り合ったのではない。リベカはアブラハムの命によって見つけられた、イサクの許嫁であった。
この二人の出会いのシーンがまた、良いのである。

夕方、野原を散策していたイサクが、ふと、目をあげると、遠くにらくだがやってくるのが見える。乗っているのはリベカだ。彼女もイサクを見つけて、従者から、彼が結婚の相手だと知らされる。彼女はらくだを降りてベールをかぶる。
ここから先は、聖書をそのまま引用しよう。

イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。彼はリベカを迎えて妻とした。イサクは、リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た。(創世記 24:67)


最後、ちょっとマザコンっぽいが(笑)、夕方の砂漠で二人が初めて出会うこの情景、まるで、映画のいちシーンのようだ。

が、が、が……ちょっと現代人としてはムムム、なところもあるのである。
このときのリベカであるが――

妹が着けている鼻輪と腕輪を見、妹リベカが、「その人がこう言いました」と話しているのを聞いたためである。(創世記 24:30)


そう、当時の女性は「鼻輪」をつけていたのである。うーん、鼻輪、鼻輪かぁ……。当時の人々の美観からすると、女性のアクセサリーとして美しかったんでしょうなぁ。

でもやはり、少し唸ってしまうのは、わたしの頭が固いからだろうか。鼻ピはやっぱり、ちょっとネ、と思ってしまう昭和のオッサンなのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記