2017年03月26日

【日記】占い

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする(ヨハネによる福音書 8:32)」

キリストもんになって、自由になった部分は少なくないが、「占い」に一喜一憂、右往左往することがなくなったというところは確実にある。

たとえば毎日テレビでやっている星占いとか(細君がテレビをつけているので嫌でも耳に入ってくる)、雑誌に載っている干支占いとか、手相とか、風水とか、縁起かつぎとか、六曜とか、天中殺とか、そういうものに振り回されなくなった。

なお、血液型性格診断は、ある考察により「無視はできない(必ずしも非科学的とはいえない)」と思っている。このことはそのうち、また別記事で。

意外に思われる方がいらっしゃるかもしれないが、キリスト教は占いの類に頼ることを良しとしていない。どっちもオカルティックといえばオカルティックだが、オカルティック同士、縄張りがあるということである。
主に占いを禁じているのは旧約だが、たとえば「占いや呪術を行ってはならない(レビ記 19:26)」のように、占いや占い師を排斥せよとする文言は少なくない。

教会学校の子に「どうして占いに頼っちゃいけないの?」と訊かれたときは、こう答えた。
「創世記のヨセフ物語は知ってるよね(皆で「ヨセフと不思議なテクニカラー・ドリームコート」見たことがあった)。もしあの日、ヨセフが占いで外出とお兄さんの意地悪に注意≠チていうのを聞いて、ヨセフがお兄さんたちのところに行かなかったら、彼はエジプトで活躍できなかったし、最後に一族の飢えを救うこともできなかったでしょう? つまり、神さまが立てた大きな計画が、人のこざかしい知恵でダメになっちゃうことがあるから、占いはあてにしない方がいいってことなんじゃないかな」

この説明で、子どもたちが納得してくれたかどうかはわからない。が、結局、キリスト教が占いを良しとしないのは、そういうことなのだろうと思う。

なんにしろ「今日の俺の星座は最悪かよー」と朝から暗い気分になることがないのは良いことだ。
良いことも悪いことも、主におまかせである。

ハナっからあてにしなくなると、そういう記事や放送も目や耳に留まらなくなるから不思議だ。
それにしても、NHKはやっていないからまだマシだが、朝の情報番組でこぞって「今日の星占い」をやっている先進国というのはどうなのだろう。新聞も日曜版に占いが載っていたりする。

この記事で、わたしはこれまで、慎重に「占いは信じられない」とは書いてこなかった。というのも、これは紙幣の価値と同じようなところがあるからだ。たかが紙切れに価値を見いだすのは、それに価値があるという約束事≠ナある。
たとえば今月の乙女座はラッキー≠ニいう価値があって、皆がそれに注意を向けるようになれば、ああ、確かに乙女座のわたしは今月ラッキーなことばかり≠ニいう気持ちが強化されることがないとはいえない。逆のパターンもあるだろう。
占いは「当たるから占い」なのではなく「当てるから占い」になっていくのである。

よって「占いは当たらない」と言い切ってしまうのは、福沢諭吉の肖像が印刷された紙を「たかが紙切れに価値はない」と言う程度に論理的である。

上のちょっと皮肉めいた書き方で、思い出したことがある。
二十年位前だっただろうか。黄道十二宮が実は十三宮で、星占いも新たに「へびつかい座」を増やすべきではないか、という揶揄含みの指摘があり、占星術界が騒然としたことがあった。
そして――結局定着しなかったが――十三星座占いというものが生まれたのである。
その本の前書きに、たしかこんな文言があった。

「心理学者のユングはこう言っています。心理学というものは、占星術と同程度に信じられるものだ≠ニ。このように学者が保証するくらい、占星術は確かなものなのです」

いやそれは――ユング自らが心理学への皮肉をこめて言った台詞じゃないの!? それを真に受けるなんて、と、当時吹き出してしまった。
と、同時に、占星術界の逞しさも感じられて、いやはや、この世界から星占いが消えることは当分なさそうだ、と思ったものだ。

ところで、わたしはカトリックなので、いろいろなものに司祭から「祝福」をいただく。代表的な物はロザリオとかメダイだが、他にもクルマとか、新築した家とかにも祝福をいただく。
そして、基本的に、祝福をいただいたものは「聖品」となるので、売買できなくなるのである。
わたしは数年前に新車を買って、神父様に祝福をいただいたのであった。このクルマはもう「聖品」なので、中古になっても売ることはできない。乗り潰すしかないのである。

新しく買った一眼レフは、将来、売る可能性もあるかと思い、祝福は受けなかった。
が、復活祭を撮影しているとき、お茶目な老司祭に聖水を真正面からパパッと掛けられて(防水防塵仕様なのでメカ自体は大丈夫)、聖品化してしまった(笑)。なのでこのカメラも、もう中古で売れないのである。

ま、そこまで堅く考えることもないのだけれどね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記