2017年04月20日

【回想録】DOOMの思い出

映画「ハードコア」を見てきたら、やはりゲーム「DOOM」の思い出を書きたくなってしまった。
ちなみに「ハードコア」はGoProを駆使した、全編一人称映像のアクション映画で、実に面白かった。感想はネタバレを含みつつ一番最後のほうに書くので、未見でネタバレ嫌いの方は適当なところでページ移動をお願いいたしたく。
もっともネタバレしようがしまいが関係なく面白いタイプの映画ではある。

さて、DOOM。日本語だと「ドゥーム」。



これは、スターバックスのドゥーム型パイをかぶせた新作フラペチーノ「アメリカンチェリーパイ」。この一発ネタのためにスタバに寄ってきた。しかもスペル違うし(DOME)。
あ、とても美味しかったですよ。

まったくご存知ない方のために解説をちょっと入れておくと、このゲームは「ファーストパーソン・シューティング(FPS)ゲーム」といい、一人称視点で銃器等を使ってエイリアンをバンバン撃ち殺していくというものである。
画面には自分の両腕と武器だけが左右から伸びて見えており、敵が出るとバンバン。迷路のようなマップを進み、クリアしていく。

このゲーム、プレイヤーが歩くと画面が微妙に上下に揺れるものだから、ダメな人はダメ、酔うのである。
かなりゲーム上手の方でも、この「乗り物酔い」で音を上げてダメということはあった。幸いわたしは酔わないタイプであったので、本当に飽きるまでやった。

当時、わたしが主宰していた私的ネットでのログを検索してみたら、初出は1994/12/31で、それ以降164箇所にDOOMの単語が使われている。飽きてこの単語が出なくなるまで、どれだけこのゲームに人気があったかがよくわかる。
PC/AT互換機を入れたら、まずはDOOMというのが、当時のPCユーザーであった。

わたし自身は、DOOMの前身の「Wolfenstein」もやっていた。その頃のログに、怪物ではなく人をバンバン撃てるのが快感、と書いてある(ひでぇ)。

チャットで「DOOMすいません」とか「DOOMおめでとうございます」とか、しょうもないダジャレ合戦が行われて深夜に大うけしていたのもいい思い出である。どうしてこんなことで大笑いできたのか不思議だが、深夜のチャットのノリだから、まあそういうものである。

今の時代は通信対戦ができて普通だが、当時はまだそこまで日本のネット環境が進んでいなかった。ネットワーカーという言葉はパソコン通信を使う者の呼び名で、まだまだインターネットはハードルが高かった。

DOOM自体はプレイステーションに移植され、これを二台つなぐことで対戦DOOMができたので、そういうモノがなんでもある畏友R氏宅に皆で集まり、プレステ二台、テレビ二台でプレイした。いやあ、これが面白かった。協力プレイもできれば、敵対プレイもできる。わたしはやはりアクションゲームが苦手なので、上手い彼らにはとうていかなわず、悔し紛れに彼らを後ろから撃つのであった(ひでぇ^2)


(プレイステーション版「DOOM」。「このゲームには暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています」というシールまで保存してあった)

同じ頃、セガサターンから「ROOMMATE」というゲームが出ていた。これは主人公が一人暮らしをしているところに、美少女が転がり込んできて同居生活を営むというものなのだが、サターンの内蔵時計を使って、現実のイベント(クリスマスなど)が連動するという点が物珍しがられた。今で言う「ラブプラス」の原型である。わたしも第一作はプレイしてみたが、謳い文句に比して内容は薄かった、という印象。
この「ROOMMATE」の惹句をもじって、仲間内で「DOOMMATE」というギャグが生まれた。

 ドゥームのモンスターと共同生活する「DOOMMATE」!

 ●モンスターの恐ろしい雄叫びから、ふたりの物語はスタート!
 ●モンスターとのおしゃべりは四六時中起こるので気が抜けないぞ。少しはこちらの都合も考えてほしい……
 ●登校前の朝の時間は、モンスターと過ごす恐怖のひととき、寝坊すると殺されちゃうぞ!
 ●ダンジョンで生活を送っているモンスターは、ただのドゥームメイト、それとも……?

 吼えたり炎を吐いたり、時にはかみついたりも。一緒に生きているモンスターにキミはなにを感じ、なにを思うのか? そして数ヶ月後、ふたりの気持ちは……


今読んでみても、すっげぇ遊んでみたい(笑)。
実は、上記のくだらないギャグを紹介したいがために、この記事を書いたようなものである。


(これが「ROOMMATE」。こんな可愛い女の子が咆哮をあげつつ襲ってくるんですよ(萌?))

DOOM2はチートモードがあったので、アクションゲームが苦手なわたしでも最終面までクリアできた。エンディングデモで敵が次々と出てきて、順番に撃っていけるのだが、最後にOUR HEROが登場し、こいつも撃ち殺せるというところに爆笑した。やはり肉食人種の作るゲームは一味違う。

     *     *

さて、映画「ハードコア」。全編FPS視点のアクション映画で、本当にDOOM系のゲームをそのまま映像化したようなアイデアである。
なもので、酔う人は酔う、とネット評で言われていた。わたしは「ブレアウィッチプロジェクト」を劇場で観ても酔わなかったが、その後、病気をして三半規管が弱くなっていたので心配ではあった。
念のため、少し後ろ目の席を取って観劇。が、最後まで酔うことなく観ることができた。わたしは乗り物酔いはしないタイプ。これは、幼小中高と電車・バス通学だったからかもしれない。
FPSゲームで酔う、という方には薦められない映画である。
細君はDOOMをやらせたとき「あ、あたしこれダメ、酔う」と言ったので、最初から誘わず一人で劇場へ。

ストーリーは本当に薄い。が、楽しい。久々にバカ映画である。途中の「馬ミッション失敗」で思わず笑ってしまった。同じ時間に観ていたカップルさんごめんなさい。一緒に笑っていたからいいよ、ね(観ていたのは我々三人だけ)。

そのうち出るであろうDVDで十分、という評もあるが、劇場の大画面でFPSゲームのリプレイを楽しめる、と思えば、観る価値はあるかと思う。おそらく地上波放送はない。
あと、かなりグロい描写シーンが連続するので、それがダメな人もダメだろう。

と言うわけで、かなり人を選ぶ映画だし、人によっては「金返せ!」になりかねないが、観ておけば「あ、俺、ハードコアは劇場で観たよ」とドヤ顔をできる程度には後世に名を残す佳作ではないだろうか。
タグ:ゲーム
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年04月19日

【日記】土地鑑 vs 土地勘

児童が被害者となった痛ましい事件の容疑者が逮捕された。
そのこと自体は、ひとまず一歩前進と思うが、まだ容疑者の段階で大騒ぎするマスコミの真似はしたくないので、思うことは伏せる。
ただ、被害者の児童の安らかな眠りをお祈りするばかりである。

さて、この事件に限らず、「犯人は土地勘があると思われる」「土地勘が働いた」などと書かれることがある。
これは「土地鑑」の誤用である。わたしはミステリも書いていたので、警察の内部用語にはある程度詳しいのであった。

「鑑」というのは「おたくの鑑」というような使い方でもわかるように「その方面に詳しい」という意味の語である。
その土地に詳しいと思われる犯人像だからこそ「土地鑑」と言うのである。「土地勘」では、その土地に詳しくはないが、勘が働く犯人像になってしまう。



では、ニュータイプになってしまう。

しかし、この「土地勘」の誤用は、もう一般化してしまったようで、おそらくこれから先「土地鑑」と書いた方が「おかしいのでは?」と言われてしまう時代になるのかもしれない。
もともと警察内部の言葉であったものが一般化するにあたって、変質したものだと言える。一般人にとっては「土地勘」の方がピッタリするものだったのだろう。

誤用だが一般化してしまった語を使うかどうかは、わりと気を遣う。
そういった言葉を使うと、知っている人には「こいつ誤用だってことを知らないな」と思われてしまうだろうし、逆に正しい言葉を書いて「漢字間違ってますよ」と、誤用が一般化したことを知らない読者に指摘されるのも気分が凹む。

このところ使用を憚っているのは「真逆」である。これは誤用ではなく新語だが、文脈によっては「正反対」と書くよりしっくりくるときもあり、使いたいという感覚で書いてしまうこともある。
が、細君はまだ抵抗があるようで、細君校正に引っかかって書き直したりする。

それにしても、ネット時代は言葉の流動性が高い。「壁ドン」や「バブみ」も、もう本来の意味から外れてしまった。
「壁ドン」が、うるさい隣室へのアラート行為として壁を殴ること(あるいは「自室居住性の高い方が親に食事を催促するために床をドンする行為」を自虐的に呼ぶことの類型)から、イケメンが女性を壁際に追い詰めて壁に手を当て迫るセクハラ行為に変わったのは、まだ容認できる。
しかし、「バブみ」が母性を感じさせる年下キャラクターの属性という意味から、「男性キャラに赤ちゃんプレイをさせること」に変わりつつあることは受け入れがたい。立てよ提督。雷ちゃんのためにも、ジーク・ダメ男。

閑話休題。
わたしが新語や、誤用だが一般化した言葉を使うかどうかの判断はわりとアナログなもので、一言で言って「勢い」である。そのときの文脈で、「行ける!」と感じたときは使ってしまう。経理の智子さんである(←こんなふうに勢いで)。

人生の半分を終わって、普通の人よりは文章を多く書く生活を送ってきたが、それでも「正しい日本語」を書いているという自信など持つことができない。
若い人に「正しい日本語を使え」と言える人はすごいと思う。

ちなみにC言語でmain関数の戻り価は絶対にintである。これをvoidとするのは許せない。
これは自然言語と違って、正誤が規格によって決められているからである。
ところで、そんな規格によって決められている人造言語であっても、古いソースを読むと「あ、90年代前半ぽいな」などと感覚でわかることがある。そんなとき、プログラミングの本質も実は文系的だな、と思ったりするのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年04月18日

【カットリク!】イースターを流行らせないで!

今年の「復活祭」前後は、企業が「イースター」を流行させようと躍起になっていた感がある。
新しくできたスーパーに寄ってみると「イースタースイーツ」。タマゴ関連でもアイスやケーキ。ディズニーランドでもイースターイベントを行っているし、今年からはディズニーシーでも実施。東京ディズニーリゾート全体で「イースター」のお祝い感を展開する、とのこと。

ネットニュースでも「そろそろイースターが流行るかも」「企業ゴリ押しのイースターなんぞ流行らん」と、肝心のキリスト信者をよそに、意見が交わされている。

これは、ガチのカトリックとして、ひとりのキリスト信者として、意見を言わせてもらう権利があると思う。。

「切に、切にお願いします。日本でイースターを流行らせないでください」


「復活祭」は、その前の「過ぎ越しの聖なる三日間」が大事なのである。この「復活祭」前の木、金、土で体験される、イエス・キリストの磔刑死からの葬式ムードがあってこその、「イェーイ!」な「復活祭」なのだ。

暗く、重く、陰鬱とした「過ぎ越しの聖なる三日間」の体験なくして、めでたくハッピーでウサギが飛び跳ねる「復活祭」はありえないのである。

さらに言えば、その前の四旬節、灰の水曜日にまでさかのぼって、節制と祈り、慈善の40日間があるのである。四旬節の期間、キリスト信徒はイエス・キリストの受難を思い、口数も減り、体重が落ち、教会には沈鬱ムードが漂う。
そして、キリストの華々しいエルサレム入城から一転しての十字架上の死を追体験する「過ぎ越しの聖なる三日間」でどん底に落ちて、こ・そ・の「復活祭!」なのである。

キリスト信者の中にも、いろいろな意見はあると思う。わたしと違って、宣教のきっかけとなるなら「イースター」を流行りものとしてでも知られることはいいのではないか、というクリスチャンもいるかもしれない。
それを機会に教会へ来るひともいるかもしれないではないか、と。

それでもわたしは、「過ぎ越しの聖なる三日間」の体験なく「復活祭」だけにやってきて、教会からなにかを感じ取る未信者がいるとは思えない。
イエス降誕を祝う「クリスマス」とはわけが違うのである。

イースターは移動祝日であるし、教派によって日付も違うので、そう簡単に日本で流行するとは思えないが、おそらく流行させようとしている企業は西方教会の教会暦を使うだろうから、ひとりのカトリック信徒として、その気持ちを表明しておく。
もう一度、書く。

「切に、切にお願いします。日本でイースターを流行らせないでください」


こんなことを書くのは、聖木曜日の晩に入ったスーパーで、「イースタースイーツ」が売られていて、少々ショックだったからである。
キリストが磔刑死したことの追体験を教会でしてきた直後に、何も知らない日本人から能天気に「ハッピーイースター」とやられては、キリスト信者は莫迦にされているとしか思えない。

考えてみてほしい。あなたのとても大事な人が、病床に伏せ、余命数日と言われつらい思いをしているそのとき、なにも知らない他人から「ハッピーお盆〜」などとやられたら、殴りたくならないだろうか。

もし、もし、日本でイースターを流行させるのなら、少なくとも、毎年、正確な「復活祭」以後にしていただきたい! 「復活祭」後なら、めでたい雰囲気大歓迎である。

「復活祭」前にそれを祝うのは「フライング」「大チョンボ」だということを知っていただきたい。新興宗教カットリク!ここにきわまれり、である。

カットリク!ポイント67――
カットリク!では、復活祭前にイースターのお祝いをしちゃう。

posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年04月17日

【日記】ネコにアジの干物を与えてはいけない

乳児にハチミツを与えてはいけない、という知識を知らず、生後五ヶ月の乳児にハチミツを食べさせてしまい、その子が乳児ボツリヌス症で他界してしまったという、痛ましい事件が起こってしまった。

それに関連し、原作:雁屋哲先生、画:花咲アキラ先生の「美味しんぼ」で、過去に離乳食にハチミツを与えるという話があったということが、再び話題になっている。

これは第469話「はじめての卵」という話だそうだが、単行本には収録されていない。
単行本派のわたしは、ネットで拾える「お詫び」の画像しか見ることができないのが残念だが、間違った知識が広まるよりは良いのだろう。

ところで、「美味しんぼ」は、ずいぶん以前の巻から、こういう「食問題」以外に無知な点を露呈することがあった。
他に触れている方がいらっしゃらないようなので、注意喚起のため記事にしておく。
29巻の「天日の贈り物」という話である。内容は下記の通り。

 小泉局長の元気がない。原因は愛猫の食欲がなくなったこと。前の飼い主(ブリーダー)に聞いてみたところアジの干物≠ェ好物だという。局長はさっそくアジの干物を買ってきて焼いて与えてみたが、愛猫は食べない。
 主人公・山岡は、そのアジの干物が天日干し≠ナはないことを看破し、局長にアジの干物の製造の現実を教える。
 天日干しのアジの干物を与えると、愛猫は喜んで食べるようになった。大団円。




局長モノローグ「キャットフード、猫まんま、ナマリブシ、牛乳、チーズ、鶏のささみ……。あれこれやってもぜんぜん食べないんだ……。そこで、仔猫を譲ってくれたもとの飼主に電話をしたところ……」
局長「え! アジの干物!? この子が一番すきなのはアジの干物ですか!? 助かりましたどうもありがとうございます!」




山岡「前の飼主が買っていた魚屋の干物は自家製なんだそうです。」
局長「だから、ほかの魚屋やスーパーで買った干物をこの子は食べなかったんだ。」


最初に結論を書いておく。「ネコにアジの干物を常食させてはいけない」。

まず、塩分濃度が高すぎるので、猫にとって一番弱い臓器である腎臓にダメージがたまる。また不飽和脂肪酸が多いので、「黄色脂肪症」(イエローファット、汎脂肪組織炎とも)を起こす可能性がある。
ネコは魚が好物、というのは、メディアによって刷り込まれた誤った知識である。青身魚はネコには禁忌なのだ。

一番おかしいのは「愛猫家」であるこの小泉局長はもちろん、「前の飼い主(ブリーダー)」までもが、このことを知らなかったばかりか、進んで与えていたという、このあらすじの設定である。こんなことはあり得ない。むしろ、緩やかな虐待である。

他にも、局長が与えていたという「猫まんま」や「ナマリブシ」も薦められないし、「牛乳」も人間用のものを与えてはいけない。

この話が載っている「美味しんぼ」29巻は1991年発行のものなので、今のように手軽にネット検索で情報が得られる時代ではなかったが、猫を飼っていて、その健康に関心のある家庭ならば、このことにすぐ気づいたと思う。少なくともわたしはすぐ気がついた。
なので、ネコの飼育本の類には触れられていたということだろう。原作者や編集者が、労を厭わず、少し調べればわかることだったはずだ。

が、今のようにすぐネットで過ちを指摘できる時代でもなかったし、一介のモノカキ風情が、天下の小学館の「美味しんぼ」様にぉヵしぃと言えるような空気ではなかった(うーん、日本教徒)。第一、そんな指摘記事を載せてくれるメディアもなかったろう。

というわけで「ネコにアジの干物を与えてはいけない」と、いまさらながらこうやってブログで指摘できる今はいい時代である。

「乳児にハチミツを与えてはいけない」というのも、「美味しんぼ」がやらかす前から常識だと思っていたが、2017年の今になっても、まだ乳児にハチミツを与えてしまう家庭があるということに、少々、驚きを隠せない。

同じように、ネコに青身魚、しょっぱい干物はダメ! である。よろしく。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年04月16日

【日記】ハッピーイースター!

昨夜の「復活徹夜祭」、そして今日の「復活の主日」のカトリック教会の挨拶は「主のご復活おめでとうございます」である。クリスマスで「おめでとう」。新年明けて「おめでとう」。そして復活祭で「おめでとう」。カトリックはなんとめでたい宗教であろうか。

どうです? 法事で正座してポクポク念仏を聴かされるより、めでたいことの多いカトリック。お勧めですよ。ほかにもめでたい行事ありまくりだしね。

Wikipediaによると、ロシア正教会だと「実に復活!」という挨拶が交わされるとのこと。それもすごいな、と思ってしまう。
ロシア正教会とカトリックとでは教会暦が違うので、イースターが同じ日になる年はあまりないのだが、今年2017年は珍しくシンクロし、今日、4月16日が復活大祭とのこと。素晴らしい。教派を越えて実に復活!(ちょっと憧れている(笑))。

日本人にまだなじみのあるイースターの言葉としてはOSやソフトのちょっとした裏プレゼントが「イースターエッグ」であろうか。



本物の教会では、本当にゆでたまごを各家庭で用意して持ち寄り、復活の主日ミサで司祭の祝福を受け、わけあう。
最近は絵をラッピングしてあるものも見かけるようになったが、我が家では細君がポスカでいろいろと綺麗な模様を描いていくのが定番だ。
わたしはそのときそのときで、十字架に西暦を入れただけだったり、司祭の似顔絵を描いたり、いいかげん。
細君の描いたタマゴはあっという間に取られていくが、わたしのは残っている。寂しいw

というわけで、先週木曜から今日まで、カトリック信徒はめまぐるしく忙しい四日間なのであった。
聖木曜日から腰を落とし、聖金曜日で膝を折って精一杯しゃがみこみ、復活徹夜祭で大ジャンプ、という心境である。
このダイナミズムこそが、キリストの死と復活を実によく表している。二千年の時を越えて、当時、使徒たちが味わった喪失感と喜びを伝えてくる。典礼というものはよくできているなぁ、と思う次第だ。

今年の復活祭で洗礼を受けたみなさん、おめでとうございます! あなたのこれからの人生に、主がともにいてくださいますように!

というわけで、はからずも木金土日とカトリックネタばかり書いてしまったが、明日からは通常運行である。たぶん、きっと、おそらくは。

実に復活!(けっこう気に入っている(笑))
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記