2017年04月05日

【日記】君の名は?

ん?



おや?



どうして君がここに?



これは新手のブラクラ!?(漏貧じゃねーよ)

というわけで、買ってしまった。ポメラDM5を。
ポメラDM100とDM200は、基本、屋外への持ち運びはしないと決めているし、モバイルでの書き物はコクヨの原稿用紙ケ-35Nとプラチナ#3776MSで足りているわけだが、やっぱりお外でもキーボードで打ちたくなる時というものはあるもので、軽量で折りたたみできコンパクトなポメラが欲しくなってしまったのである。

ちなみに、「【回想録】執筆機の思い出・その17」でも――

実を言うと、もう生産していない、折り畳みタイプのポメラの販売残り品を、いまさらだが購入してもいいなあ、と思っている自分さえいるのだ。


と書いているので、衝動買いというわけではない。
折りたたみのポメラは現在、すべての型番が生産終了品となっている。流通在庫で新品で購入できるのは、このDM5だけなのであった(というか、名機DM100ですら生産終了品となっているのは残念だ)。

DM5は、一時、投げ売り状態で三千円以下になったこともあるらしいが、今現在の価格は一万円程度で安定しているようだ。安いときに買っておけばと思わないでもないが、そのときは必要なかった(外ではリュウドの折りたたみBluetoothキーボードとAndroidタブレットで書き物をしていた)ので仕方ない。

もう十分枯れた型番であるので、みなさんのレビューを読んで、メリットデメリット両方を承知の上での導入である。なのでいまさら、私的レビューのようなものは書かない。これはたんなる試し打ちである。

現在、PCではQXエディタを使い、文字入力に専念するときにはDM100、DM200を気分で使い分けている身からすると、こうしてDM5の電源を入れてキーを打っている最中は、なんというか残念なことだが、デメリットしか感じない。
バックライトのない液晶は見にくいし、キーボードもチャチだ。ctrlとcapsの入れ替えすらできない。改行マークが出ないのも、今、気がついた。

キーボードもちょっとガタつくし、全体的に華奢な感じは否めない。
レビューによると、一年以内の故障率も高そうである。

いやしかし、そんなことは承知の上で導入したのである。今まさに味わっている、この、「数十年前のワープロを使っている感覚」を思い出すために。

今こうしてDM5を打っていて思い出す機種は、「【回想録】執筆機の思い出・その3」でも書いた、OASYS Lite K FD20である。単一乾電池四本駆動。いっちょまえにプリンタも搭載していたので(いらないのに)、大きさは機械式タイプライター大。
液晶は確か20文字×2行だった。もちろんバックライトなどはない。取っ手の部分が、量販店で電化製品を買ったときにつけてくれるプラスチックの持ち手のような代物で、数時間も持ち歩くと指の内側にマメができる。電池だって数時間しか保たなかった。

それでも、外でワープロが使えるのが嬉しくて、いろいろなところに持ち出しては使っていたものだった。
長編はもちろん、短編すら書くことができない機種。せいぜい、原稿用紙数枚の雑文を書くので精一杯。そういうワープロだった。

今でも、後の細君の大学の講義が終わるのを駐車場の車中で待ちながら、山田正紀先生の「火神を盗め」の書評を書いていたことを、昨日のことのように思い出せる。そんな思い出深い一品だ。

そのOASYS Lite K FD20に比べれば、このDM5ははるかにすごい。電池は単四二本でエネループも使え(昔は充電池なんてものはなかった)、保ちもいい。
画面だって20字×2行のワープロに比べればかなりの量の文章を表示できる。



そしてなにより、小さく、軽い。なんと3DS LLが360グラムなのに対しDM5は309グラム(電池込み)。このメリットはこうして書斎で打っているとわからないが、これから享受できるのだろうと思う。

なんだろう。原稿用紙プラス万年筆への回帰もそうなのだが、人生の半分を過ぎて、若い頃のことを懐かしむよすがを探しているのかもしれない。

聞いた話だが、認知症気味の方などに若い頃に親しんでいた音楽を聞かせたり、当時の環境を再現した部屋などに住まわせると、心に若さが戻り、治療効果も高いのだという。

きっと、今のわたしも、そんな感じなのだろう。

といっても、1980年代はミュージックニブの万年筆も入手難だったし、顔料ブルーインクなどといういいものはなかった。当時、DM5があったら、超高機能ハイテクワープロがこの値段で!? と業界騒然となったことは間違いない。

過去に思いを馳せることができるが、当時よりはるかに高機能なものが入手できる。わたしはいい時代を生きている。

最近聴くのはクラシック一辺倒なのだが、今夜は佐野元春のSOMEDAYでも流したくなる。DM5は、そんな機種である。

タグ:執筆機
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年04月04日

【カットリク!】頭グリグリ

まつもと千春「頭グリグリ」

「電撃コミック・ガオ!」(メディアワークス)の1995年5月号から1996年6月号に掲載されていた、まつもと千春先生の「頭グリグリ」よりのカットリク!。
ギャグマンガなので、細かいことは突っ込まないが、これだけは譲れない、というところを――



懺悔 懺悔って漢字難しいよね。辞書見ないで書ける人はエライ!

男「……それで悪いと思いつつ、盗んでしまったのです…。僕は死んだら地獄へ落ちるのでしょうか?」
シスター「神様は裁くものではありませんよ。許すものなのです。あなたが心から悔い改めればきっと許してくださいます」
男「ありがとうございました。早速品物を返して謝ってきます!」


というわけで、もうこのブログ、特に「カットリク!」をお読みの方ならおわかりかと思うが――

カットリク!ポイント11――
カットリク!には、カトリックの「ゆるしの秘跡」を模した「懺悔」という謎の儀式がある。


現在のカトリックでは「懺悔」などとは言わない。「ゆるしの秘跡」あるいは「告解」。

カットリク!ポイント40――
カットリク!ではシスターも聴罪しちゃう!


カトリック二千年の歴史の中で、聴罪シスターなどという者は一人もいない。聴罪ができるのは司祭(男)だけ。

カットリク!ポイント41――
カットリク!では「懺悔」したらもう神様OK。償いはしなくていい。


「告解」と「償い」は一連のもの。告解したら告解室から出て晴れ晴れ気分♪ などということはない。その罪に応じた「償い」が必要なのである。
以前にも書いたが、この償いを金で買えるようにしたのが「免罪符」(正確には「免償符」「贖宥符」)。
まあ、現在はほとんどの場合、司祭が指定するのは「主の祈り」とか「アヴェ・マリアの祈り」とか「ロザリオ一環」くらいに落ち着くだろうと思われるわけだが、それでもまったく「償い」なく「ゆるしの秘跡」が完了することはないのである。

以上三点、復習問題だが、「カットリク!」の間違いを正すためには見つけたらその都度指摘しておいたほうが良いと思うので、何度でも何度でも書くことにする。

それにしても、一般人とガチカトの持つシスターのイメージのなんと違うことよ。
いや、どう違うかはここでは書きませんけどねゴニョゴニョ……。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年04月03日

【日記】ウイルスではなく

最近は夏よりも冬の夜の方が改造バイクの爆音が聞こえてくるような気がするが、それは単に冬の深夜は空気が澄んでいて、遠くからの音波も届くからだろうか。なんにしろ、この寒い時期にエンジンを「ブオンブオン」空ぶかししている珍走団はご苦労様なことである。

昭和の時代は珍走団こと暴走族は普通にそこかしこにわいていた。夜、国道を走っていると、珍走団の群れが後ろからやってきて、巻き込まれたら嫌だなあと思ってクルマを左に寄せると、赤信号を無視して善良な車両を蹴散らしつつ、うるさいエンジン音をふかしながら去っていくのであった。

夏休みの夜、MZ-80Bでプログラミングしていると、遠くからバルンバルンバルバルと爆音を響かせてやってきて、近所を何十台もの改造バイクが通り過ぎていくのも、当時をしのぶ、懐かしい思い出である。

うちの高校は進学校だったが、やはり勉強についていけない生徒がいて、彼は自慢げに「ゾクの集会に参加したぜ」とうそぶくのであった。それがなにかのステータスになると思っていたのだろうか。彼は留年したあと、退学していった。元気にしていればよいが。

いやべつに、珍走団の思い出話をしたいのではないのである。なにしろわたしは、そういうクラスタとは無縁の生活を送ってきたのだから。

珍走珍走書いてきたが、もちろん、昔はそんな言われ方はしなかった。「暴走族」である。
インターネット黎明期の頃であろうか、これを「珍走団」と言い換えようぜ、という流れがあり、わたしも「それはいい呼称だ」と思い、今もこうして、言い換えをしているわけだ。
「珍走団」という呼称が根付いたかどうかはわからないが、まあその前に「珍走団」そのものがもう絶滅寸前という話も聞く。

絶滅の原因のひとつに「珍走団」という言い換え運動があったかもしれないと思うと、ちょっと愉快な気分になる。

さて、本題はタイトルにもある「ウイルス」だ。人体に病を引き起こす本物のウイルスではなく、コンピュータウイルスの方。

わたしがコンピュータウイルスの存在を知ったのは、まだX68000無印を使っていた頃だ。
当時は常時接続などというものは研究機関関係者でもなければ夢のまた夢だったので、ウイルス自体は驚異ではなかった。海の向こうではこんなものが流行っているのだなあ、と、レポートを読みながら興味深く思っていた。
当時のコンピュータウイルスやインターネットワームはUNIXシステムに潜り込むものだった。
その頃レポートで読んだ、UNIXシステムが持っているコンパイラを利用し自分でソースをコンパイルして実行ファイルを作成、さらに別のシステムへ自己を複製し増殖していくというインターネットワームの仕組みが実に興味深かったので、それを参考に、X68000のGCC真里子版を使っているユーザならば似たような状況が楽しめる「自己複製プログラム」を作成したことがある。それはディスクマガジン「電脳倶楽部」にも掲載された。

実際、インターネットワームやコンピュータウイルスを作るなど、手練れのプログラマなら簡単なことだ。誰でも、片手間でできる程度のこと。
包丁を持つ料理人だって、それで人を刺すのは容易いが、そんなことはしないだろう。それと同じである。

ところが最近は、ウイルス作成で警察に捕まった中学生や高校生が(その内容はスクリプトキディレベルであっても)、「自分の実力をひけらかすためにウイルスを作成した」と言ったりするらしい。
なんとも、そういう話を聞くと、大きなため息をついてしまう。
そして実際、「そんな若いのに凄い」「将来、スゴ腕のハッカーになるのでは」「警察は捕まえるのではなく雇うべき」などというような声もネットで散見したりする。

繰り返し書くが、手練れのプログラマにとって、インターネットワームやコンピュータウイルスをつくることなどは、朝飯前の仕事なのである。
バイクを運転する者だって、その気になれば赤信号で十字路に突っ込み、横断歩道を渡っている人に怪我をさせることができる。
ただ、常識があるからやらないだけだ。

コンピュータウイルスの作成というのは、その程度のものなのだ。むしろ作成したことをドヤ顔で自慢する方が恥ずかしい、という常識を、世間に根付かせることはできないものだろうか。

そこで、最初の「珍走団」である。同じような言い換えをコンピュータウイルスでもできないものだろうか。
「コンピュータウイルス」という、いかにもカッコよさそうな(とはわたしは思わないのだが)名称ではなく、たとえば「ウジ虫ソフト」とか呼んだらどうだろう。作成者は「便所バエ」。「コンピュータウイルスに感染した」ではなく「便所バエに卵を産みつけられた」と表現の言い換えをするのである。

「ワクチンソフト」も、そんなご大層な名称ではなく「ハエ取り紙」と呼び換えをすればいい。

いかがだろうか、このアイデア。上記の呼び方が一番だとは思わないが、コンピュータウイルス作成を「カッコいい」と思うような子どもを減らせるのではないだろうか。

これから先、小学生にプログラミング教育をするという話があるらしいが、こういったことも教えるべきだと思う。ウジ虫ソフト作成などというものは、家庭科で「包丁を振り回しちゃいけません」レベルの話なのだということを。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年04月02日

【回想録】脳がとける奇病

「【日記】脳」でこう書いていたことを思い出した。
「脳の存在は、物心ついた頃から、なにか特別な不思議な思いをわたしに抱かせていた。この話はまたそのうちに別口で」
というわけで、今回は、その別口の話である。

「特別な不思議な思い」というのは、むしろトラウマに近い。
あれはわたしがまだ小学校低学年の頃、当時の小学生たちを恐怖のどん底に突き落とした一冊の本があったのだった。その書名を「絵ときこわい話・怪奇ミステリー」という。著者は佐藤有文氏。
これは学研が出している本で「ジュニア・チャンピオン・コース」というシリーズ本の中の一冊である。


(クリックで拡大できます)

わたしの手元の一冊には「昭和47年12月15日初版発行」とあるから、その頃に小学生だった方はご存じの方もいらっしゃるのではないだろうか。
なにしろこの本、学校の図書室に入っていたのだから。

目次からいくつか拾ってみよう。

・恐怖の幽霊城
・予言する亡霊
・空中を舞うろくろ首
・ふしぎな血の十字架
・消える少年
・動き出した死体


どうだろう。なんとも外連味溢れる内容であることがおわかりいただけることだろう。
しかもこの本、なにより、掲載されているイラストレーションが、子ども心に恐ろしいのである。


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小学校の図書室で、クラスメートといちページいちページめくるたびに、怖くて怖くてドキドキしていた覚えがある。
五章仕立てとなっていて「幽霊」「妖怪」「超科学」「ミステリー」「名作ミステリー」となっている。

もちろん、幽霊話や妖怪話は恐ろしかったのだが、中でも当時のわたしが一番ショックを受け、トラウマになったのは「超科学」の章にあった、タイトルの「脳がとける奇病」であった。

実は、文章にはそれほど怖いところはないのである。ちょっと引用してみよう。

 もしかすると、人類がほろんでしまうかもしれない、おそろしい奇病が現れた。
 この病気はある日とつ然に目がおかしくなることから始まる。ものが二重に見えたり、風景がゆがんで見えたりするのだ。
(中略)
 日本の黒岩教授の研究によると、左の図でわかるように、この奇病はつい最近、世界じゅうの文明都市にかぎって起こり始めているという。
(中略)
 この奇病は、多発性硬化症(MS病)といって、脳が自然にとけるという、まったくおそろしい病気なのだ。そして、この奇病にかかった人は、最後には狂人になってしまうという。
(後略)


大人の目から見ると、思わず「いきなり出てくる黒岩教授ってどこの誰だよ!」というツッコミを入れたくなるが、子ども心には、なんとなくそんなことを言われてしまうと、とてつもない信憑性があるように感じてしまうのだった。

「多発性硬化症」自体はリアルにある病気である。現在、厚生労働省により特定疾患に認定されている指定難病だ。

今、Wikipediaなどで同病を調べてみると、上記の文章はいささか煽り気味ではあるが、45年前に書かれた子ども向けの本として考えれば、初期症状のあたりなど、わりと誠実な筆の回し方ではあるまいか。
いやしかし「脳がとける」という断言や「狂人になる」という脅かしはいかがかと思う。

そしてこの文章に、左側の絵がつくのである。


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逆さになった男の頭から、脳みそが溶け出しているイメージ。これが恐ろしかった! 他のどんな幽霊や妖怪の絵より怖かったのである。
同書を図書室から借りてきた友人が、自分がこの絵を怖がっていることを承知していたので、教室でわざと「恭介、ほれっ」と見せてきて総毛立った覚えがある。

なぜこの絵がそれほど怖かったのかは、今となってもよくわからない。脳という、特殊な皺のある臓器が特別怖かったのかもしれない。加えて、それが溶けたり、狂人になるという脅かしは効いた。
ちょうど有吉佐和子氏の「恍惚の人」が話題になったあたりでもあり、なぜかわたしは、映画の「恍惚の人」を劇場で見ていたのである。そのイメージに重ねて、人が狂うというのは怖い、という強い印象があったのだった。
今の方からすると、「恍惚の人」を子どもに見せる親というのもすごいと思われるかもしれないが、当時の映画館では併映で子ども向けの映画をやるというようなとんでもない興業が普通に行われていたのである。そして大人になったわたしは、映画「恍惚の人」の方しか覚えていないのであった(笑)。

あれから数十年。この本の「脳がとける奇病」はわたしのトラウマとなって、「あれは恐ろしい!」という先入観念となり、ずっとわたし自身の脳に残っていた。

数年前、ふと、あれは恐ろしかったなぁ、と思い出し、今ならヤフオクで買えるかも、とチェックを入れておいたら、出品されたのである。「怪奇ミステリー」が。
あんなに子どもの頃、怖い思いをしたのに、トラウマにもなっていたのに、思わず落札してしまった。

ひょっとしたら、今見ても怖いかも。怖いと感じたその瞬間、わたしはタイムスリップして、今までの人生は、実は小学生の自分が教室で「脳がとける奇病」を直視したときのショックで夢見ていた幻となるのかも、と、そこまで期待して、届くのを待ったのである。

届いたそれを震える手で開封し、ページをめくる――


(クリックで拡大できます)

ふうん。なんだこれ。


(いみぎむる「この美術部には問題がある!」6巻より引用)

不思議なものである。小学生の頃の自分があんなに怖かった本を、薄明かりの書斎でパラパラとめくっていて、なんの怖さもわいてこない。残念ながら、タイムスリップはもちろん、あの頃のピュアな恭介少年の心が戻ってくることもなかった。

もしあの頃の、この本を怖がっていた自分に、なにか声をかけてあげられるとしたら、なんと言おうか。
「こんな本に載っているような内容は、本当は全然怖くないんだよ。なにしろ一番怖いのは、生きている人間だからね」
と言っても、理解はできないだろうなあ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年04月01日

【日記】赤ちゃんは泣くのが

ある生命保険会社が、「赤ちゃんは泣くのが仕事」というフレーズを合い言葉に、困っている親に見せるステッカーや、「大丈夫」と表示するスマホアプリを開発する、というプロジェクトを始動させたらしい。

このプロジェクトの内容自体の感想は置いておくが、「赤ちゃんは泣くのが仕事」というフレーズが前面に出ていることに、日本人はどれだけ「仕事」が好きなんだよ、と少々鼻白んでしまった。

また、このプロジェクトの「仕事」という言い回しに違和感を覚える、という人が少ないことにも暗澹としたものを感じる。
ブラック企業、ブラックバイトがこれだけ槍玉にあげられているのに、赤ちゃんにまで「仕事だから仕方ない」という考えを押しつけるのはどうなのか。

もちろん「仕事」という言葉に含まれているのは、日々の糧を得る作業という意味だけではないが、たいていの意味で「仕事」は金銭的対価を得るための「work」であり、たとえばいい大人が毎日パチンコをやっていて「わたしの仕事はパチンコです」と言ったら、普通「いやそれ仕事じゃないから」という答えが返ってくるのが当然なのである。

「赤ちゃんは泣くのが仕事です」を英語にすると「That's what babies do.」となるそうだ。「赤ちゃんてそういうものだから」という訳し方がいいだろうか。

このプロジェクトも、仕事という言葉を使わず、「赤ちゃんは泣くのが当然です」という言い換えで始めることはできなかったものだろうか。
とにかく「仕事」ならば無理が通せる、まわりに迷惑をかけても仕方ないという発想がまかり通ってしまうのは、実は日本人は、なんだかんだ言っても一人一人が根っからのブラック企業容認体質なのである。

「仕事だから仕方ない」という理屈で、最後の一滴まで血を搾り取られ命を絶っていく若者たちのニュースが流れる横で「赤ちゃんは泣くのが仕事です」というのは、もう、ブラックユーモアとしか思えない。

日本人にとっては、仕事が神事なのである。だから仕事をしないでいる人間が不信心の不心得者に見えるのだ。なので「ニート」「自宅警備員」「ナマポ」などと侮蔑的な言葉を作り出して「仕事を神事とする共同体」の幻想を守ろうとする。
その上、赤ちゃんにまで仕事をさせようとするのだから、もう本当にどこか感覚がおかしくなっている。

キリストもんにとっては、仕事なんてものは、本来、懲罰である。

 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に。
 お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」(創世記 3:17-19)


有名なアダムとイブのお話。アダムがイブから「善悪を知る実」を受け取って食べ、神に怒られる箇所である。「せっかく衣食住の心配ないエデンに住まわせてやったのに、約束を破ったお前は、一生苦しんで働いて死ね!」というわけだ。神さまヒドス(>_<)

日本人はよく「働かざる者食うべからず」と言い、これは「テサロニケの信徒への手紙二」の3章10節にあるパウロの言葉がもとになっているのだが、実は正確な聖書翻訳ではない。レーニンが意図的に曲解し赤くして広めた社会主義国家のスローガンなのである。
聖書だと――

文語訳:人もし働くことを欲せずば食すべからずと命じたりき。
口語訳:働こうとしない者は、食べることもしてはならない。
新共同訳:働きたくない者は、食べてはならない。


どうだろう。「働かざる者食うべからず」とは、微妙にニュアンスが違っていることに気づかれるのではないだろうか。大事なのは「働きたい」という意志であり、「働く」という行為そのものではないのである。

だいたいパウロ自身、(パンを得るという意味の)労働をしないで、信者から献金を受けつつキリストの教えを宣教していたエルサレムのペテロ派への対抗心から「施しも受けずに宣教してるオレってスゲー」という自負心でこんなことを言っていたわけで、もともとキリスト者にとっては宣教そのものが「働き(仕事)」なのである。「使徒言行録」も「使徒の働き」と訳している聖書があるくらいだ。

まったくもって余談だが、中世ヨーロッパ貴族の間では、娘の結婚相手が無職だと喜び、仕事を持っていると難色を示したという話がある。貴族は当然、働かずに優雅に毎日を遊んで暮らしている身分であり、職を持っている人は神に祝福された存在ではないと取られていたのだ。
「労働懲罰説」ここに極まれリ、という逸話である。



とにかく個人的には、赤ちゃんが泣いて困っているパパママに「赤ちゃんは泣くのが仕事ですから」というような文言で慰めたくないなぁ、という気持ちである。
それを言ってしまうと、今度は「パパママの仕事は赤ちゃんを泣きやませることですからね!」という無言の圧力にもなりかねないとも思う。

だからわたしは、やっぱりこう言おう。
「赤ちゃんは泣くのが当然ですからね」と。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記