2017年04月01日

【日記】赤ちゃんは泣くのが

ある生命保険会社が、「赤ちゃんは泣くのが仕事」というフレーズを合い言葉に、困っている親に見せるステッカーや、「大丈夫」と表示するスマホアプリを開発する、というプロジェクトを始動させたらしい。

このプロジェクトの内容自体の感想は置いておくが、「赤ちゃんは泣くのが仕事」というフレーズが前面に出ていることに、日本人はどれだけ「仕事」が好きなんだよ、と少々鼻白んでしまった。

また、このプロジェクトの「仕事」という言い回しに違和感を覚える、という人が少ないことにも暗澹としたものを感じる。
ブラック企業、ブラックバイトがこれだけ槍玉にあげられているのに、赤ちゃんにまで「仕事だから仕方ない」という考えを押しつけるのはどうなのか。

もちろん「仕事」という言葉に含まれているのは、日々の糧を得る作業という意味だけではないが、たいていの意味で「仕事」は金銭的対価を得るための「work」であり、たとえばいい大人が毎日パチンコをやっていて「わたしの仕事はパチンコです」と言ったら、普通「いやそれ仕事じゃないから」という答えが返ってくるのが当然なのである。

「赤ちゃんは泣くのが仕事です」を英語にすると「That's what babies do.」となるそうだ。「赤ちゃんてそういうものだから」という訳し方がいいだろうか。

このプロジェクトも、仕事という言葉を使わず、「赤ちゃんは泣くのが当然です」という言い換えで始めることはできなかったものだろうか。
とにかく「仕事」ならば無理が通せる、まわりに迷惑をかけても仕方ないという発想がまかり通ってしまうのは、実は日本人は、なんだかんだ言っても一人一人が根っからのブラック企業容認体質なのである。

「仕事だから仕方ない」という理屈で、最後の一滴まで血を搾り取られ命を絶っていく若者たちのニュースが流れる横で「赤ちゃんは泣くのが仕事です」というのは、もう、ブラックユーモアとしか思えない。

日本人にとっては、仕事が神事なのである。だから仕事をしないでいる人間が不信心の不心得者に見えるのだ。なので「ニート」「自宅警備員」「ナマポ」などと侮蔑的な言葉を作り出して「仕事を神事とする共同体」の幻想を守ろうとする。
その上、赤ちゃんにまで仕事をさせようとするのだから、もう本当にどこか感覚がおかしくなっている。

キリストもんにとっては、仕事なんてものは、本来、懲罰である。

 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に。
 お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」(創世記 3:17-19)


有名なアダムとイブのお話。アダムがイブから「善悪を知る実」を受け取って食べ、神に怒られる箇所である。「せっかく衣食住の心配ないエデンに住まわせてやったのに、約束を破ったお前は、一生苦しんで働いて死ね!」というわけだ。神さまヒドス(>_<)

日本人はよく「働かざる者食うべからず」と言い、これは「テサロニケの信徒への手紙二」の3章10節にあるパウロの言葉がもとになっているのだが、実は正確な聖書翻訳ではない。レーニンが意図的に曲解し赤くして広めた社会主義国家のスローガンなのである。
聖書だと――

文語訳:人もし働くことを欲せずば食すべからずと命じたりき。
口語訳:働こうとしない者は、食べることもしてはならない。
新共同訳:働きたくない者は、食べてはならない。


どうだろう。「働かざる者食うべからず」とは、微妙にニュアンスが違っていることに気づかれるのではないだろうか。大事なのは「働きたい」という意志であり、「働く」という行為そのものではないのである。

だいたいパウロ自身、(パンを得るという意味の)労働をしないで、信者から献金を受けつつキリストの教えを宣教していたエルサレムのペテロ派への対抗心から「施しも受けずに宣教してるオレってスゲー」という自負心でこんなことを言っていたわけで、もともとキリスト者にとっては宣教そのものが「働き(仕事)」なのである。「使徒言行録」も「使徒の働き」と訳している聖書があるくらいだ。

まったくもって余談だが、中世ヨーロッパ貴族の間では、娘の結婚相手が無職だと喜び、仕事を持っていると難色を示したという話がある。貴族は当然、働かずに優雅に毎日を遊んで暮らしている身分であり、職を持っている人は神に祝福された存在ではないと取られていたのだ。
「労働懲罰説」ここに極まれリ、という逸話である。



とにかく個人的には、赤ちゃんが泣いて困っているパパママに「赤ちゃんは泣くのが仕事ですから」というような文言で慰めたくないなぁ、という気持ちである。
それを言ってしまうと、今度は「パパママの仕事は赤ちゃんを泣きやませることですからね!」という無言の圧力にもなりかねないとも思う。

だからわたしは、やっぱりこう言おう。
「赤ちゃんは泣くのが当然ですからね」と。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記