2017年04月02日

【回想録】脳がとける奇病

「【日記】脳」でこう書いていたことを思い出した。
「脳の存在は、物心ついた頃から、なにか特別な不思議な思いをわたしに抱かせていた。この話はまたそのうちに別口で」
というわけで、今回は、その別口の話である。

「特別な不思議な思い」というのは、むしろトラウマに近い。
あれはわたしがまだ小学校低学年の頃、当時の小学生たちを恐怖のどん底に突き落とした一冊の本があったのだった。その書名を「絵ときこわい話・怪奇ミステリー」という。著者は佐藤有文氏。
これは学研が出している本で「ジュニア・チャンピオン・コース」というシリーズ本の中の一冊である。


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わたしの手元の一冊には「昭和47年12月15日初版発行」とあるから、その頃に小学生だった方はご存じの方もいらっしゃるのではないだろうか。
なにしろこの本、学校の図書室に入っていたのだから。

目次からいくつか拾ってみよう。

・恐怖の幽霊城
・予言する亡霊
・空中を舞うろくろ首
・ふしぎな血の十字架
・消える少年
・動き出した死体


どうだろう。なんとも外連味溢れる内容であることがおわかりいただけることだろう。
しかもこの本、なにより、掲載されているイラストレーションが、子ども心に恐ろしいのである。


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小学校の図書室で、クラスメートといちページいちページめくるたびに、怖くて怖くてドキドキしていた覚えがある。
五章仕立てとなっていて「幽霊」「妖怪」「超科学」「ミステリー」「名作ミステリー」となっている。

もちろん、幽霊話や妖怪話は恐ろしかったのだが、中でも当時のわたしが一番ショックを受け、トラウマになったのは「超科学」の章にあった、タイトルの「脳がとける奇病」であった。

実は、文章にはそれほど怖いところはないのである。ちょっと引用してみよう。

 もしかすると、人類がほろんでしまうかもしれない、おそろしい奇病が現れた。
 この病気はある日とつ然に目がおかしくなることから始まる。ものが二重に見えたり、風景がゆがんで見えたりするのだ。
(中略)
 日本の黒岩教授の研究によると、左の図でわかるように、この奇病はつい最近、世界じゅうの文明都市にかぎって起こり始めているという。
(中略)
 この奇病は、多発性硬化症(MS病)といって、脳が自然にとけるという、まったくおそろしい病気なのだ。そして、この奇病にかかった人は、最後には狂人になってしまうという。
(後略)


大人の目から見ると、思わず「いきなり出てくる黒岩教授ってどこの誰だよ!」というツッコミを入れたくなるが、子ども心には、なんとなくそんなことを言われてしまうと、とてつもない信憑性があるように感じてしまうのだった。

「多発性硬化症」自体はリアルにある病気である。現在、厚生労働省により特定疾患に認定されている指定難病だ。

今、Wikipediaなどで同病を調べてみると、上記の文章はいささか煽り気味ではあるが、45年前に書かれた子ども向けの本として考えれば、初期症状のあたりなど、わりと誠実な筆の回し方ではあるまいか。
いやしかし「脳がとける」という断言や「狂人になる」という脅かしはいかがかと思う。

そしてこの文章に、左側の絵がつくのである。


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逆さになった男の頭から、脳みそが溶け出しているイメージ。これが恐ろしかった! 他のどんな幽霊や妖怪の絵より怖かったのである。
同書を図書室から借りてきた友人が、自分がこの絵を怖がっていることを承知していたので、教室でわざと「恭介、ほれっ」と見せてきて総毛立った覚えがある。

なぜこの絵がそれほど怖かったのかは、今となってもよくわからない。脳という、特殊な皺のある臓器が特別怖かったのかもしれない。加えて、それが溶けたり、狂人になるという脅かしは効いた。
ちょうど有吉佐和子氏の「恍惚の人」が話題になったあたりでもあり、なぜかわたしは、映画の「恍惚の人」を劇場で見ていたのである。そのイメージに重ねて、人が狂うというのは怖い、という強い印象があったのだった。
今の方からすると、「恍惚の人」を子どもに見せる親というのもすごいと思われるかもしれないが、当時の映画館では併映で子ども向けの映画をやるというようなとんでもない興業が普通に行われていたのである。そして大人になったわたしは、映画「恍惚の人」の方しか覚えていないのであった(笑)。

あれから数十年。この本の「脳がとける奇病」はわたしのトラウマとなって、「あれは恐ろしい!」という先入観念となり、ずっとわたし自身の脳に残っていた。

数年前、ふと、あれは恐ろしかったなぁ、と思い出し、今ならヤフオクで買えるかも、とチェックを入れておいたら、出品されたのである。「怪奇ミステリー」が。
あんなに子どもの頃、怖い思いをしたのに、トラウマにもなっていたのに、思わず落札してしまった。

ひょっとしたら、今見ても怖いかも。怖いと感じたその瞬間、わたしはタイムスリップして、今までの人生は、実は小学生の自分が教室で「脳がとける奇病」を直視したときのショックで夢見ていた幻となるのかも、と、そこまで期待して、届くのを待ったのである。

届いたそれを震える手で開封し、ページをめくる――


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ふうん。なんだこれ。


(いみぎむる「この美術部には問題がある!」6巻より引用)

不思議なものである。小学生の頃の自分があんなに怖かった本を、薄明かりの書斎でパラパラとめくっていて、なんの怖さもわいてこない。残念ながら、タイムスリップはもちろん、あの頃のピュアな恭介少年の心が戻ってくることもなかった。

もしあの頃の、この本を怖がっていた自分に、なにか声をかけてあげられるとしたら、なんと言おうか。
「こんな本に載っているような内容は、本当は全然怖くないんだよ。なにしろ一番怖いのは、生きている人間だからね」
と言っても、理解はできないだろうなあ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録