2017年04月19日

【日記】土地鑑 vs 土地勘

児童が被害者となった痛ましい事件の容疑者が逮捕された。
そのこと自体は、ひとまず一歩前進と思うが、まだ容疑者の段階で大騒ぎするマスコミの真似はしたくないので、思うことは伏せる。
ただ、被害者の児童の安らかな眠りをお祈りするばかりである。

さて、この事件に限らず、「犯人は土地勘があると思われる」「土地勘が働いた」などと書かれることがある。
これは「土地鑑」の誤用である。わたしはミステリも書いていたので、警察の内部用語にはある程度詳しいのであった。

「鑑」というのは「おたくの鑑」というような使い方でもわかるように「その方面に詳しい」という意味の語である。
その土地に詳しいと思われる犯人像だからこそ「土地鑑」と言うのである。「土地勘」では、その土地に詳しくはないが、勘が働く犯人像になってしまう。



では、ニュータイプになってしまう。

しかし、この「土地勘」の誤用は、もう一般化してしまったようで、おそらくこれから先「土地鑑」と書いた方が「おかしいのでは?」と言われてしまう時代になるのかもしれない。
もともと警察内部の言葉であったものが一般化するにあたって、変質したものだと言える。一般人にとっては「土地勘」の方がピッタリするものだったのだろう。

誤用だが一般化してしまった語を使うかどうかは、わりと気を遣う。
そういった言葉を使うと、知っている人には「こいつ誤用だってことを知らないな」と思われてしまうだろうし、逆に正しい言葉を書いて「漢字間違ってますよ」と、誤用が一般化したことを知らない読者に指摘されるのも気分が凹む。

このところ使用を憚っているのは「真逆」である。これは誤用ではなく新語だが、文脈によっては「正反対」と書くよりしっくりくるときもあり、使いたいという感覚で書いてしまうこともある。
が、細君はまだ抵抗があるようで、細君校正に引っかかって書き直したりする。

それにしても、ネット時代は言葉の流動性が高い。「壁ドン」や「バブみ」も、もう本来の意味から外れてしまった。
「壁ドン」が、うるさい隣室へのアラート行為として壁を殴ること(あるいは「自室居住性の高い方が親に食事を催促するために床をドンする行為」を自虐的に呼ぶことの類型)から、イケメンが女性を壁際に追い詰めて壁に手を当て迫るセクハラ行為に変わったのは、まだ容認できる。
しかし、「バブみ」が母性を感じさせる年下キャラクターの属性という意味から、「男性キャラに赤ちゃんプレイをさせること」に変わりつつあることは受け入れがたい。立てよ提督。雷ちゃんのためにも、ジーク・ダメ男。

閑話休題。
わたしが新語や、誤用だが一般化した言葉を使うかどうかの判断はわりとアナログなもので、一言で言って「勢い」である。そのときの文脈で、「行ける!」と感じたときは使ってしまう。経理の智子さんである(←こんなふうに勢いで)。

人生の半分を終わって、普通の人よりは文章を多く書く生活を送ってきたが、それでも「正しい日本語」を書いているという自信など持つことができない。
若い人に「正しい日本語を使え」と言える人はすごいと思う。

ちなみにC言語でmain関数の戻り価は絶対にintである。これをvoidとするのは許せない。
これは自然言語と違って、正誤が規格によって決められているからである。
ところで、そんな規格によって決められている人造言語であっても、古いソースを読むと「あ、90年代前半ぽいな」などと感覚でわかることがある。そんなとき、プログラミングの本質も実は文系的だな、と思ったりするのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記