2017年04月26日

【日記】読書時間

最近、なかなか読書する時間がとれずにいて、本が積まれていくばかりである。
文庫本や新書版ならカバンに放り込んでおいて、外出時のちょっとした時間にチョコチョコと読むこともできるのだが、最近は代わりにポメラDM5を入れているものだから、隙間時間に書き物を回すことができる反面、インプットの量が減ってしまうという現象が起きている。

一応、電子書籍が読めるよう、タブレットもカバンに突っ込んでいるのだが、頭がアウトプットに向かっているときは、なかなか落ち着いてインプットの方向に心を向かわせられない。時間がないことを言い訳にしたくはないのだが、若い頃と違って、睡眠時間を削ってでも本を読むということはできなくなった(主治医に八時間睡眠を厳命されていることもあるし)。

そんな中、読書時間ゼロの大学生の割合が、ほぼ50パーセントになった、というニュースが入ってきた。
こういう統計の数字は印象操作されやすいものなので、これをもってして「今の若い人は本を読まない」と決めつけるのはナンセンスだと思う。だが、なにか理由を見つけては若い人を叩きたいメディアの格好のデータにはなってしまうのかもしれない。
特に、バブルより上の、活字信仰がある、頭が鉛でできている世代からは。

わたしが思うに、読書はもう、現代では趣味の領域になってしまっているかもしれないのである。
これだけ情報伝達の手段が高度化高速化密接化している時代に、読書だけが「知性のメルクマール」として特別視されるのは旧態依然としている。

今の若い人たちは、我々オッサン世代が若かった頃に比べて、ネットでたくさんの情報を瞬時に得ているし、仲間同士のコミュニケーションもSNSで密である。それらに時間を取られていたら、読書時間が減るのもいたしかたあるまいとも思う。

読書というのは、基本的に孤独な作業である。きっと今の若い人は、孤独な時間自体が減ったのだ。それはいいことでも悪いことでもない。時代が変わったということである。

そんな風に思いながら、記事の元データを見てみると、おや、と、気づくことがある。
元データとなっているのは、全国大学生活共同組合連合会の「第52回学生生活実態調査の概要報告」のうち、「(2)読書時間・勉強時間」の下記のグラフである。

【図表20】1日の読書時間

このグラフを見ると、30〜60分の読書時間を持っている大学生と、60分以上の読書時間を持っている大学生が、両方合わせると、ほぼ40パーセントもいるのである。いやはやどうしてどうして、これ、頼もしい数字である。どうしてマスコミはこちらの方を報じないのか。実に印象操作があからさまである。

「一日30分の読書時間」というのは、簡単そうに見えて、かなり大変なものである。

新共同訳聖書のメジャーな版はたいてい二段組になっているのだが、一段がほぼ一分で読める分量である。それで計算してみると、新旧約聖書(旧約聖書続編を除く)を通読するのに、一日30分読めば130日ちょっとで読了できるペースなのだ。
「年間二回は聖書を通読しています」というクリスチャンはプロテスタントでもそういないのではないか。
わたしの新旧約聖書通読のトップギアペースは75日間である。正直、このペースで読んでいると、他の本を読むことはほとんどできないと感じる。

上記のデータによると、一日60分以上読書している大学生は19.1パーセントもいるという。「読書はすでに趣味の領域かもしれない」と前述したが、社会人にしろ学生にしろ、ほかにやるべきことをやりながら、一日に趣味の時間を一時間とるというのは、かなり難しいということは、体感でわかるはず。

今の大学生は本を読まなくなった、と、上のデータを引いて嘆く論者は、試しに聖書を通読してみると良い。旧新約を通して何日で読み通せたか、さらにそれ以外に何冊の読書ができたかデータを取ってみれば、おそらく、日常生活を営みながらだと「けっこう読めない」ことがわかると思う。
長患いで入院生活でもしていれば、また話は別かもしれないが……。

わたしも40パーセントの大学生に負けていられないなあ、と思う。なんとか時間をやりくりして、聖書以外に30分の読書時間を作る努力をしないと。ふんす。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記