2017年05月11日

【日記】警察は甘くなくはなくもない

どっちだ!?

さて、以前、ミステリを書いていた頃の話である。わたしの担当H氏は、大学のミステリ研出身者とのことで、ミステリについての造詣は深かった。
対してわたしは「ラジオライフ」マニアであったので(笑)、警察のアレコレには、まあ詳しくないわけではなかった。

で、お話の中で、警察がポカや見逃しをするシーンを書くと、担当H氏は言うのである。

「警察はそんなに甘くありませんよ」

あーまいんだなー、これが!
警察はね、甘いんですよ。もうベリベリスィート。刑務所で出る「アルフォート」より甘い部分≠ェある。あくまで部分≠セが。
これはネット時代になって、そういう部分≠ェあるところ、みなさんもう、よくご存知でしょう?

警察のやり方というのは、旧態依然としていて、一度「犯人だ」と思い込んだ者に対しては、本当は無実なのに自白強要させるくらい、そちらは辛い=B激辛である。
ところが、それ以前のところでは、容疑者を「泳がす」どころか、見逃しちゃったりを平気でするのである。

今回もやっちゃったでしょう? なんの事件とは書きませんが、参考人を「泳がす」どころか、見逃しちゃった。手の届かない世界まで。
警察は以前にも似たようなことをやっている。強盗にあったという被害者≠ェいたのだが、それがいかにも狂言であったのに、被害者≠自由に外出させて、夜中に自殺されてしまった。

もし、こういう話を書いたら、担当H氏は絶対こう言ったことだろう。
「警察はそんなに甘くありませんよ。参考人には必ず尾行をつけるので、自殺なんかできるわけがありません」

現実にやられてんじゃん、警察。

担当H氏はミステリ研だったので、想像上の「切れ者の警察像」しか知らなかったようだが、実際の警察を知っていると、そこはやっぱりお役所のひとつであり、メンツと縄張りと事なかれ主義と前例主義のはびこる魔窟なのである。

残念な話だが、正義感を原動力として働いている組織ではない。むしろそのほうが物語の世界だ。
そういうことではいけないと思うし、警察を志す者は、キャリア組から末端の警察官まで、揺るがぬ正義感を持って職務に当たって欲しい、とわたしも心から願っている。
が、現実に警察官の不祥事が多いことは、このネット時代になって、やっとみなさんにもわかるようになった。

どうみたって他殺なのに、警察によって「自殺」にカウントされてしまう「エクストリーム自殺」などという言葉が作られてしまうような時代である。

ちなみに余談だが、わたしはストーリーの中で「覚醒剤依存のホームレス」を出したことがあるのだが、担当H氏は「覚醒剤は高価ですのでホームレスは買えません」と言い放った。
が、いるのである。覚醒剤依存のホームレスってのは。確実に。あのね、ホームレスが覚醒剤依存になったのではないの。覚醒剤依存だからお金を使い果たして家庭も崩壊して、ホームレスになっちゃったの。そういう例は珍しくないの。
今ならネットで検索して、そういう例をチョチョイのチョイで出せる時代だが、当時の編集H氏を納得させるには、ルポルタージュの書籍などのコピーを渡すしかなかった。

ミステリプロパーの方は、どうもミステリのカテゴリの中でだけで、物を考えるきらいがあると感じる。はっきり言ってしまえば、ご存知の世界が狭い。もっともこれは20世紀に感じた話。今はそうでもないのかもしれない。

閑話休題。
ある日のことだった。ファミレスで靴を脱ぎ、だらしなくドンと足をソファに投げ出して、通路を歩く人の迷惑になりつつダレている若者二人がいた。その手元にあったのは「平成××年警察官募集要項」。
正直、こういう若者たちが警察官に応募するのか! とびっくりした覚えがある。

本稿では、真面目で正義感に燃える警察官の方に対しては、本当にひどいことを書いたと思う。素直に申しわけない。ごめんなさい。
警察が、そういう方の正義感が実る組織となってほしい、と思いつつ、筆を置く。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年05月10日

【回想録】交通事故の思い出・その2

とにかく調停をやるということで、細君と二人、指定の日時に地方裁判所まで行った。調停というのは裁判と違う、話し合いの場である。調停員が両者の意見を聞き、お互いが納得できる線を提示する、というものだ。
わたしたちの場合、相手は保険会社の弁護士が出てきた。調停員の提案で、両者を交えて話し合ってもいいのではないかということになり、その弁護士と、わたしたち夫婦、調停員二人の五人が同じテーブルを囲んだ。
細君は涙ながらに、加害者の態度が悪かったこと、大事なクルマであったことを訴えたが、結局、交通事故というものは、金で解決するしかない問題なのだと、このときわたしは悟った。

本当に悔しいことだ。加害者の理不尽な運転で、人身事故で身内を亡くされた方も、この世には多いことだろう。それでも、この世界で交通事故を「解決」するということは、結局「金」で換算される事象になってしまうのである。

今日、示談を成立できるなら、調停前に相手の保険会社が提示してきた倍くらいの補償金を出せる、と、弁護士が提示してきたので、泣いている細君の手を握り、これで解決にしよう、とうなずいた。
なんにしろ、ナメた金額を提示してきた相手の保険会社から弁護士をひきずりだして、倍額の保障を取れたのだから、調停はやってよかったと思う。

前回の最後で、「調停での丁々発止」などとヒキを書いたが、実は上記のように、ことはスムーズに進んだのであった。
もし交通事故に遭い、保険会社の理不尽な提示額に納得できない、という方がいらっしゃるのなら、調停は決して堅苦しい場所ではないので(そこにいたるまでは面倒だが)、やってみる価値はあるかもしれませんよ、とお伝えしたい。保険会社が脅しのように「調停でもやりましょうか?」と言ってきたら、怯まず乗ってやればいい。

さて、こんなことが二回あったので、「クルマなんて消耗品だなぁ」という気持ちもあり、昔乗りたかったクルマが中古車で出ているのを安く買って乗り継ぐように。

次の次だっただろうか。プリメーラP10だったと思う。これは若い頃乗りたかったクルマだったので、中古車でも乗れたことが嬉しかった。それを細君の実家の駐車場に停めていたとき(またかよ)、隣家のトラックが駐車の取り回しに失敗して、トランクルームをドーン、とやってくれた。もちろん、10:0である。わたしの事故はこんなことばっかりだ。
このときはもう、経済的全損になるだろうことは承知していたが、隣家の方が「つきあいのある車屋に直してもらう」と言って、実際、綺麗に直して戻してくれた。きっと、中古車価格より修理費用の方が高かっただろうに。

その数ヶ月後、同車の車検の見積もりをディーラーでしてもらうと、エンジンを降ろして整備しなければならないとのこと。その費用、数十万円也。なので、このプリメーラP10は廃車にして別のクルマに乗り換えることにした。
ああ莫迦らしい。数ヶ月前の事故のとき「経済的全損ですから修理せず廃車にします。補償額は今の市場価格でいいですよ」と言って、お金を受け取っておけばよかった、と思わないではいられなかった。

次の次のクルマが、今乗っているクルマである。これは新車で買ったが、細君が道を走っているとき、駐車場から出てきたクルマに横からぶつかられた。こちらも動いていたので9:1くらいだったかな。
もう何度も事故は経験していたので、こういうのは保険会社まかせにしましょう、ということで、スムーズに修理も済み、細君も怪我がなかったので人身にはしなかった。
加害者の方がお詫びにいらしたが、調停のときの事故の学生とは違い、大変恐縮しておられ、ちょっと気の毒になってしまった。お人好しなわたしである。

振り返ってみると、こちらが加害者になった事故はないのであった。しかし、クルマを運転している以上、ついウッカリということは誰にでも起こりうる。ハンドルを握るときは、十全に気をつけなければならない。
また、わたしのように、もらい事故だって避けることはできない。
自動運転の開発で、少しでも交通事故が減れば良いな、と、心から思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年05月09日

【回想録】交通事故の思い出・その1

免許を取って30余年。日々、安全運転に努めてはいるが、それでも、もらい事故というものは避けられない。
今まで、この手の事故に四回、遭遇している。いずれも、身体にまで被害が及ぶ大事故にならなかったのは不幸中の幸いであった。

一回目は深夜の国道。細君と一緒に所用でドライブしていて。こちらが赤信号で停車しているとき、後ろからズドーンと追突を食らった。
初の交通事故で、衝撃にけっこうびっくりした。二人ともシートベルトをしていたので、人体にさほど被害はなかった。
近くに警察署があったのですぐに警官を呼ぶことができ、二台でその警察署まで。加害者はお医者様だった。とくに飲酒運転などではなくウッカリしていたとのこと。
こちらのクルマの被害は、ハッチバックがパカッと開いて、閉まらなくなってしまった。

加害者は大変恐縮しておられたが、起こってしまったものは仕方がない。こちらは停止していたので、過失相殺は10:0である。
被害に遭ったクルマは、細君の祖父が彼女に買ってくれたものだったが、クルマの現在の価値より修理費用の方が高いということで、相手の保険会社は雀の涙ほどの補償金しか提示しなかった。これを保険用語で「経済的全損」と呼ぶことをこのとき知った。ただ、こちらはクルマに搭乗していたので人身扱いになり、細君が病院に通ったので、その治療費と慰謝料が出て、トータルでは納得できる保障額ではあった。
細君の祖父がプレゼントしてくれた、一緒に北海道まで行ったことがある思い出深いクルマを、廃車にせざるを得なかったことが残念であった。

二回目は、次に購入したクルマを細君の実家の玄関脇に停め、足の悪い彼女の祖母を降ろして。応接間で一息いれていたときのこと。ちなみに停めていた道路は駐車違反区域ではない。
突然、ドカーンという爆音が玄関先で鳴り響いた。飛んでいって見ると、わたしのカローラが細君の実家宅の塀にめり込み、その後ろで、スポーツカーが煙をあげていたのであった。

乗っていたのはまだ若い大学生。この道路は長い直線で、スピードを出せる。わたしのクルマはハザードを出していたはずだが、おそらくいい気持ちでアクセルを踏んでぶっとばしてきて、接触したのだろう。
学生に身体的な被害がなかったのは良かったが、もし、細君の祖母を降ろしている時間に突っ込まれでもしていたら、と、ゾッとした事故であった。

これも当然、こちらは停車していたので、過失相殺は10:0である。前回と違ったのは、誰も乗っていなかったので、人身扱いにはならず(それ自体は喜ぶべきことなのだが)、クルマ自体の保障しか出なかったことだ。
これがまた、前回と同じで「経済的全損」。クルマなどというものは、どんなに大事に乗っていても、10年も経てばほとんど価値がなくなってしまうものなのだ、ということを、このとき思い知らされた。
相手の保険会社から提示された額は、とても納得できるものではなく、また、加害者の学生の態度があまり良いものとは言えなかったため(払えないものは払えないと開き直った)、相手の保険会社に「調停をやりましょう」と伝えた。

もちろん、こちらも保険会社に入ってはいたが、当時の契約では、10:0で当方にまったく否がない事故の場合、こちらの保険会社は動けない、と、代理店の人に言われたのであった。
その後、この話を同じ代理店の人にしたら、今は違いますよ、と言われたので、事情は変わっているようである。

けっこう長くなってきたので、その2に続く。調停での丁々発止に乞うご期待。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年05月08日

【日記】カタツムリ

ずいぶん前のこと。細君と一緒にドライブしていたときの出来事。
交差点の赤信号で止まったとき、後続の小型トラックのドアが開き、ドライバーがのっそり降りてきた。いかつい男性である。バックミラーでそれがわかったとき、なにか難癖をつけられるのではないかと身構えてしまった。

が、彼はわたしたちのクルマの運転席にくることはなく、後部のバンパーからなにかをそっと両手でとると、路肩の草むらへそれを放したのである。

わたしと細君は顔を見合わせて、すぐになにが起こったかを理解した。
というのも、当時、わたしたちが借りていた駐車場は屋外で、クルマをバックで入れると草の茂みにバンパーが接触するようなところで、しかもその茂みには、カタツムリが繁殖していたのである。

おそらく、クルマを出して走っているうちに、茂みから移ってきたカタツムリがノソノソと這いだして、バンパーの上に顔を覗かせたのだろう。
それを見つけた後続のドライバーさんが、このままではカタツムリも大変だろうと、助けてあげてくれたのである。
この大柄な男性の両手の優しさに、二人で和んだひとときであった。

当時「カタツムリは寄生虫の温床である」という事実は、まだ語られていなかった。

そう、今でこそカタツムリは寄生虫の温床であると知られ、素手で触ってはいけないということが常識化しているが、それが言われるようになったのは、今世紀に入ってからだと思う。

わたしが子どもの頃は、「♪でーんでんむしむしカタツムリ」という陽気な歌とともに、カタツムリは愛される虫であった。
数ミリの小さなカタツムリから、5センチ大の大きなカタツムリまで、よく掴まえては腕の上を這わせたものである。
ニョキニョキと上下する触覚が可愛らしく、触れては縮ませ、伸びては触れて、と繰り返したものだった。

調べればすぐにわかる時代なので、詳しくは触れないが、カタツムリは広東住血線虫の寄生主となってヒトへそれを媒介する可能性がある。他にも多種の寄生虫の温床であるという。
当時の子どもたちは、今の子と比べて、体が強かったのであろうか。

旧約聖書には食事禁忌が山ほど記載されているが、カタツムリに関する記述はない。
聖書の舞台となっているパレスチナの荒れ野にも生息しているカタツムリはいるそうだが、食べる≠ニいう発想にはならなかったのだろう。

新共同訳聖書の詩編58編9節には「なめくじのように溶け」という一文があり、同箇所は口語訳で「溶けてどろどろになるかたつむりのように」となっている(ちなみに翻訳により節番号は微妙に違う)。文語訳だと「蝸牛(かたつぶり)」。新改訳第二版でも「かたつむり」である。フランシスコ会(原文校訂による口語訳)だと「なめくじ」。
英語聖書だと、NIVは「Like a slug」だからなめくじ派、KJVだと「As a snail which melteh.」だからカタツムリ派だ。プロテスタントリベラル派福音派あるいはカトリック問わず、統一性を感じられない。
ヘブライ語原典にあたる元気はないので、上記のことから類推するに、ここの原文は「なにかネバネバトロトロした生き物」を指していたのだと思われる。カタツムリもナメクジも同じ扱いだ。

日本では背中の貝がないだけでナメクジは忌み嫌われ、カタツムリは愛唱歌までつくってもらえたのだから、不思議なものである。

小学生のとき、グループの自由研究で、このカタツムリをテーマにしたことがあった。友人宅に集まり、カタツムリを刃物の上に這わしたり、水につけてみたりと実験をしたことを思い出す。
その中で、ナメクジと同じように塩には弱いのか? という実験があり、実際にカタツムリに塩をかけてみると、ナメクジと同じようにシオシオになっていくのであった。水分を吸われるのだから、当たり前と言えば当たり前だが。
一緒に実験をしていた女子から「可哀想だよー」という声があがり、すぐに水洗いをして飼育ケースに戻した。

まだカタツムリが「可愛らしい虫」であった頃の思い出である。ナメクジなら可哀想ではなかったのだろうか、当時、女子に聞いてみなかったことが悔やまれる。

今は駆虫されたのか、都市部ではカタツムリをみかけることも少なくなった。
カタツムリ自身は、昔からなにも変わらないのに、可愛らしい存在から、害虫扱いになってしまった。そのこと自体を、可哀想に思う。

でももう、うちのクルマのバンパーには乗らないで。お願い。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年05月07日

【日記】デスクトップ

これが今のわたしのWindowsデスクトップである。



なんとも殺風景だが、Windowsを使い始めて20余年、結局これに落ち着いてしまった。
これでも自分にとってはアイコンが多いほう。定期的に掃除して減らすことにしている。
右側はマルチディスプレイを縦で使っている。そちらにはアイコン類をいっさい置かない。主にブラウザを全画面にして使っている。

実はWindows3.1や、それ以前にX68000でSX-Windowを使っている頃から、わたしは壁紙にいろいろ貼ったものだった。
昔のWindowsは壁紙を貼ると確実にパフォーマンスが落ちたのだが、それでもこれだけは譲れん、みたいな。

当時のコンピュータ屋らしく、ゲームの萌え二次絵もよく貼っていたし、キャラクタで再帰画像を作って連続で違和感なく貼れるようにしたり、緩やかにスクロールさせたりなどのギミックも入れたりしていた。
えっ、客先でノートPCを出すとき? もちろんMYSTの美しい風景画にしてましたよ。恥ずかしいじゃないですか(笑)。

WindowsではIE4以降の拡張機能としてActive Desktopというのがあったが、あれは大嫌いだった。廃れて良かったと本心から思っている。
デスクトップはユーザーの領域である。コントロール権を奪われるのは気持ちが悪い。同じ理由で、ウェブサイトでスクロールバーやカーソルをcssでいじってくるサイトも嫌いである。そういうのは自分のcssで無効にしている。

キリストもんとなってからは、そのときそのときで気になる聖句や、キリスト教関係の名画、写真などを貼っていた頃もあった。
海外にはけっこうキリスト教系の素材をダウンロードできる有料サイトがあり、ShareFaithというところの会員になって、いろいろ美しい写真やイラストをダウンロードしては壁紙にしていた。

ある教会のコンサートポスターを見て「あ、これ、ShareFaithのあれを使ったな」とニヤリとわかってしまうこともあったり。

そんな風に、おりおりでいつもデスクトップにはなにか画像を置いていたのだが、今はごらんの通り。
いつからこんな殺風景なデスクトップになったのだろう、と、今、振り返ってみると、そうか、息子が帰天した後あたりからかもしれないな、と気づく。

この灰色のデスクトップは、今のわたしの心を反映しているのだろうか。
それでも、二十余年の試行錯誤の末、たどりついたこのデスクトップは、それなりに良いと思っている。シンプル・イズ・ベストである。
いまさら萌え絵を貼る歳でもなく、聖句や名画でも心に開いた穴は塞ぐことはできない。たかが作業場のデスクトップは、これでいい。

これから先、おそらく、どんなに美麗な壁紙を見つけたとしても、わたしがそれをデスクトップに貼ることはないだろうと思う。
なぜだか、そんな気がするのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記