2017年05月03日

【昭和の遺伝子】運動部>文化部

今の時代は知らないが、昭和の学校には、確実に「運動部>文化部」という序列があったのであった。
運動部に入っている生徒はなんだかんだと贔屓目に扱い、文化部の生徒は、脆弱で根性がないと公言する教師すらいた。
「運動部の生徒はなにをやらせてもがんばるが、文化部の生徒は途中で投げ出してしまう」と言うのだ。まさしく脳筋。ひどい偏見である。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉が無条件に信じられていた時代である。
当時から腺病質だったわたしは、この言葉が大嫌いだった。

こんな言葉が正しいのなら、運動部を辞めようとした生徒のリンチ事件とか、いじめのような新歓シゴキとか、有名高が飲酒喫煙で甲子園辞退など、起こりうるはずがないではないか。これが「健全な精神」の発露とは大したものだ。

逆に、華道部が新入部員を剣山に正座させたとか、美術部がモデルを全裸に剥いて金粉を塗り窒息させたとか(それは都市伝説)、生物部がバイオハザードな微生物をばらまいてアンブレラ社が大騒動とか、そういった物騒な話を、みなさん、お聞きになられたことがあるだろうか?

わたしは当時から、問題を起こすのはむしろ運動部の生徒の方で、文化部の生徒は良識を知り、情緒豊かで優しい生徒が多い、と主張していた。

「正直なところな」と、ぶっちゃけた話を漏らす先生もいた。「運動部に入るようなやつは元気が良すぎるから、ヘトヘトになるまでしごいてやってエネルギーを減らして、悪いことをさせないようにするって考えもあるんだよ」
なんとも正直すぎる教育方針だが、実際、他のルートからも「ヘトヘトに疲れさせて性的なことを考える余裕をなくし、不純異性交遊を防止する」という話を聞いたことがある。どこまで本当かわからないが、なんとも、滑稽な話である。

だいたいが、保健体育教育からして科学的ではなかった。有名なのは「運動中に水を飲んではいけない」などの謎ルール。熱中症(当時は日射病と言った)で倒れると「根性が足りない」と、バケツで頭に水をかぶせ、木陰に転がしておく。
食物アレルギーは「偏食」だったし、性教育は「寝た子を起こすな」でほとんど行われなかった。

とにもかくにも、運動部は「努力と根性」を養う善なるところであり、文化部は「怠惰と弛緩」を生む落ちこぼれのいくところ、という雰囲気はあったと思う。

そんなこんなで、中一のわたしも最初は周りの圧力に負け「バスケ部」に入ったのであった。夏の合宿までは頑張ったが、同級生と比べ、小さく細い体ではついていくのもおぼつかない。
秋口になると練習を休むようになり、やがて、部活の教職に呼ばれて、クビを宣告された。
このバスケ部の担当顧問だったI教職は、わたしにしては珍しく、尊敬心のかけらも持てない教職であった。夏合宿のとき、夜、酒を飲み、生徒とマージャンをしていた。教職という権力を笠に着て、それを自分の力だと過信しているタイプだった。
今、自分が、そのときの彼の年を越えてみても、やはりくだらない男だったと思える。
I教職が顧問をしていたバスケ部をクビになったのは、むしろ神の恩寵だったのかもしれず。今でも、わたしをクビにしたときのニヤニヤした薄ら笑いを気味悪く思い出せる。


(井上雄彦「スラムダンク」8巻より引用。安西先生はいい先生ですが、わたしはもう、バスケはいいです)

教師≠ニ呼ぶのも気持ち悪いので、この方については教職≠ニあえて書いた。

バスケ部で懲りたので、もう二度と運動部には入らない、と決めた。中二のときは写真部に入り、暗室でUFO写真や心霊写真を良く焼いた。

顧問の先生も自由にやらせてくれたし、運動部とは全然違うなぁ、という伸び伸びとした雰囲気で、楽しい放課後を過ごした。
当時、デジカメなどは当然なく、一眼レフもオートフォーカス出現前であった。フィルムの現像はカメラ屋さんでやってもらって、部室で焼けるのは白黒の印画紙のみ。赤い電灯と、酢酸臭い部屋は、いい思い出である。

その頃はまだ「帰宅部」という言葉は生まれていなかった。生徒は部活に入っているのが当然、という雰囲気が強かったからだろう。

今でこそ――


(河合克敏「とめはねっ!」1巻より引用)

とか、


(いみぎむる「この美術部には問題がある!」1巻より引用)

とか、


(三上小又「ゆゆ式」1巻より引用)

とか、文化部のマンガは珍しくなくなったが、昭和の時代にそんなものはなく、マンガの世界も運動部ものばかりであった。

平成の今では、「運動部≧文化部」くらいの価値観にはなっているのだろうか?
もし人生をやり直せるなら、あのとき同調圧力に負けてバスケ部に入ったりなどせず、相性のいい文化部で三年やって、なにか成果を出したかったな、などと思ったりする。

振り返ってみると、わたしはバスケ部一年中退だし、その後、写真部、高校で生物部、非公認電算部と、男臭い部活ばかりやっていたので、可愛い後輩に「先輩!」と呼ばれたことがないことに気づいた。これは悔しい。

というわけで――


posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子