2017年05月06日

【日記】コレクター

ネットでコレクターというと、例の有名なコピペがある。ご存知の方も多いと思うが、長いけれど、一応、貼っておく。

802 :おさかなくわえた名無しさん :06/03/10(金) 17:32:24 ID:s2RHsW2o
上にコレクションについての話がありましたけど
私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした
鉄道模型でしたけど

かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした
結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが
毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい
留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました

帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました
残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです

でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました
会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり
今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって

あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが
夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい
かえって私が苦しくなってしまいました

これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです
こういう場合ってどうしたらいいんでしょう


この奥様、ネットでは「ひどい妻」「鬼嫁」「女房失格」「人の心をわからない奴」「人間のクズ」と総バッシングになるのが普通だが、わたしはこの奥様、わりと好きだし、やったことも理解できるし、むしろ、よくできた嫁だと思っている。
そう、わたしもひどい奴なんです(笑)。

一点、それは違うよ、というところをあげれば、ご主人が「モノを持たなくなってから」それを反省してしまっているところ。わたしがこの奥様なら「せいせいしました。主人の理解も得られて良かったです」でおしまい。
そう、わたし、この奥様より、もっとひどい奴なんです(笑)。

逆にご主人の立場に立ってみろ、と言われるかもしれない。どれ、と想像してみると「面倒なことをよく進んでやってくれたね」という妻へのねぎらいの言葉しか浮かばない。いい女性と巡り会えてよかった。この妻を一生、大事にしよう、と思うこと間違いなしだ。

おそらく、こんなことを、このコピペが貼られるようなスレで書いたら、「人の心をわからない奴」として叩かれまくるだろうなぁ。しかしこれ、わたしの嘘偽らざる本心であることも確かなのである。

なぜって、わたしには「コレクター」の趣味がほとんどないから。

まったくない、とまではさすがに言わない。例えば、聖書などは翻訳や装丁が違うモノを何となく求めて書棚に並べてしまっている。
しかしこれらが、ある日、細君によって捨てられてしまっても「あ、捨てちゃったんだ」程度で納得しそうだ。「書斎も手狭だったから、かえってよかったかもね」で済んでしまう。
他に集めているモノは、特に意識しているわけではないが、HDDの中にいろいろなドキュメントはある。デジカメで撮り続けた写真などは大切だ。それが壊れたら、人並みにショックだろう。そうならないよう、バックアップは取っているし、もし家が火事にでもなったら、モノとしてはまずこのHDDを持って逃げると思う(写真をクラウドにあげるなどという恐ろしい発想はない)。
ただ、これらのドキュメントは「ただ取ってあるだけ」のコレクションではない。必要なときに「あのファイルには情報があったな」と検索でき、ちゃんと役だってくれるから残してあるのである。自分の脳の外部記憶装置として使っているのだ。

以前、別の記事でも書いたような覚えがあるが、わたしは、「ただ飾って置いておくモノ」「本来使うモノなのに、ただのコレクション品としてとってあるモノ」が大嫌いな性分なのである。
冒頭のコピペでも、ご主人が毎週、その鉄道模型で遊んでいたりしたのであれば話は違う。しかし、本来、動かして価値がでるモノを、ただの置物、コレクション品として並べておく、というのは、わたしの人生観と相容れないことなのである。

「いつか使うかもしれないから」という発想が一番嫌いなのだ。それを言うなら、ゴミ屋敷の住人が取っておくカップラのドンブリも「いつか使うかもしれないモノ」だ。

モノというものは、定期的に使ってやらないければ、モノとしての意味がない、というのが、わたしの根っ子にある思想。
加えて、必要なモノは必要なときに必要なだけ、神様が与えてくださる、という、創造主への信頼感があるから、わたしはモノを捨てることにそれほど頓着しないのである。

別の記事で細君に「あなたは多趣味に見えて無趣味なのよね」と言われたくだりを書いたが、けっこうそれは正しい指摘なのかもしれない。人間の趣味の多くが、結局は単なる「コレクター」だからである。

私が人より多めに持っているものと言えば、聖書、メガネ、万年筆くらいだろうか。にしても、これらすべてを死蔵はしていない。そのときの気分や用途により、回転させて使っている。
こんな性格だから、反対に長く使っているモノも多い。モンブラン・ノブレスやセイコーの腕時計は、もう30年以上使っていることは別記事で触れた。

とにかく、集めて、並べて、眺めて、ニマニマするというコレクター気質が、わたしには希薄なのであった。

細君を初めてわたしの部屋に招待したとき「あまりのモノの少なさにびっくりした」という。今で言うミニマリストである。
その細君はモノが捨てられない人。おかげで、結婚後モノが増えモノが重なりモノが山となり、今や部屋中、モノだらけ。
わたしも病気をして、モノを捨てる気力がなくなってしまった(セルフネグレクト!?)。モノを捨てるというのは、かなり気力が充実していないとできないことなのである。

なので冒頭の奥様はやはりエライ。あまり責めては酷である。むしろお雇いして、ウチの余分なモノを一気に捨ててしまっていただきたい、とお願いしたい人も(掲示板では黙っているけれど)けっこういるんじゃないかなぁ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記