2017年05月09日

【回想録】交通事故の思い出・その1

免許を取って30余年。日々、安全運転に努めてはいるが、それでも、もらい事故というものは避けられない。
今まで、この手の事故に四回、遭遇している。いずれも、身体にまで被害が及ぶ大事故にならなかったのは不幸中の幸いであった。

一回目は深夜の国道。細君と一緒に所用でドライブしていて。こちらが赤信号で停車しているとき、後ろからズドーンと追突を食らった。
初の交通事故で、衝撃にけっこうびっくりした。二人ともシートベルトをしていたので、人体にさほど被害はなかった。
近くに警察署があったのですぐに警官を呼ぶことができ、二台でその警察署まで。加害者はお医者様だった。とくに飲酒運転などではなくウッカリしていたとのこと。
こちらのクルマの被害は、ハッチバックがパカッと開いて、閉まらなくなってしまった。

加害者は大変恐縮しておられたが、起こってしまったものは仕方がない。こちらは停止していたので、過失相殺は10:0である。
被害に遭ったクルマは、細君の祖父が彼女に買ってくれたものだったが、クルマの現在の価値より修理費用の方が高いということで、相手の保険会社は雀の涙ほどの補償金しか提示しなかった。これを保険用語で「経済的全損」と呼ぶことをこのとき知った。ただ、こちらはクルマに搭乗していたので人身扱いになり、細君が病院に通ったので、その治療費と慰謝料が出て、トータルでは納得できる保障額ではあった。
細君の祖父がプレゼントしてくれた、一緒に北海道まで行ったことがある思い出深いクルマを、廃車にせざるを得なかったことが残念であった。

二回目は、次に購入したクルマを細君の実家の玄関脇に停め、足の悪い彼女の祖母を降ろして。応接間で一息いれていたときのこと。ちなみに停めていた道路は駐車違反区域ではない。
突然、ドカーンという爆音が玄関先で鳴り響いた。飛んでいって見ると、わたしのカローラが細君の実家宅の塀にめり込み、その後ろで、スポーツカーが煙をあげていたのであった。

乗っていたのはまだ若い大学生。この道路は長い直線で、スピードを出せる。わたしのクルマはハザードを出していたはずだが、おそらくいい気持ちでアクセルを踏んでぶっとばしてきて、接触したのだろう。
学生に身体的な被害がなかったのは良かったが、もし、細君の祖母を降ろしている時間に突っ込まれでもしていたら、と、ゾッとした事故であった。

これも当然、こちらは停車していたので、過失相殺は10:0である。前回と違ったのは、誰も乗っていなかったので、人身扱いにはならず(それ自体は喜ぶべきことなのだが)、クルマ自体の保障しか出なかったことだ。
これがまた、前回と同じで「経済的全損」。クルマなどというものは、どんなに大事に乗っていても、10年も経てばほとんど価値がなくなってしまうものなのだ、ということを、このとき思い知らされた。
相手の保険会社から提示された額は、とても納得できるものではなく、また、加害者の学生の態度があまり良いものとは言えなかったため(払えないものは払えないと開き直った)、相手の保険会社に「調停をやりましょう」と伝えた。

もちろん、こちらも保険会社に入ってはいたが、当時の契約では、10:0で当方にまったく否がない事故の場合、こちらの保険会社は動けない、と、代理店の人に言われたのであった。
その後、この話を同じ代理店の人にしたら、今は違いますよ、と言われたので、事情は変わっているようである。

けっこう長くなってきたので、その2に続く。調停での丁々発止に乞うご期待。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録