2017年05月10日

【回想録】交通事故の思い出・その2

とにかく調停をやるということで、細君と二人、指定の日時に地方裁判所まで行った。調停というのは裁判と違う、話し合いの場である。調停員が両者の意見を聞き、お互いが納得できる線を提示する、というものだ。
わたしたちの場合、相手は保険会社の弁護士が出てきた。調停員の提案で、両者を交えて話し合ってもいいのではないかということになり、その弁護士と、わたしたち夫婦、調停員二人の五人が同じテーブルを囲んだ。
細君は涙ながらに、加害者の態度が悪かったこと、大事なクルマであったことを訴えたが、結局、交通事故というものは、金で解決するしかない問題なのだと、このときわたしは悟った。

本当に悔しいことだ。加害者の理不尽な運転で、人身事故で身内を亡くされた方も、この世には多いことだろう。それでも、この世界で交通事故を「解決」するということは、結局「金」で換算される事象になってしまうのである。

今日、示談を成立できるなら、調停前に相手の保険会社が提示してきた倍くらいの補償金を出せる、と、弁護士が提示してきたので、泣いている細君の手を握り、これで解決にしよう、とうなずいた。
なんにしろ、ナメた金額を提示してきた相手の保険会社から弁護士をひきずりだして、倍額の保障を取れたのだから、調停はやってよかったと思う。

前回の最後で、「調停での丁々発止」などとヒキを書いたが、実は上記のように、ことはスムーズに進んだのであった。
もし交通事故に遭い、保険会社の理不尽な提示額に納得できない、という方がいらっしゃるのなら、調停は決して堅苦しい場所ではないので(そこにいたるまでは面倒だが)、やってみる価値はあるかもしれませんよ、とお伝えしたい。保険会社が脅しのように「調停でもやりましょうか?」と言ってきたら、怯まず乗ってやればいい。

さて、こんなことが二回あったので、「クルマなんて消耗品だなぁ」という気持ちもあり、昔乗りたかったクルマが中古車で出ているのを安く買って乗り継ぐように。

次の次だっただろうか。プリメーラP10だったと思う。これは若い頃乗りたかったクルマだったので、中古車でも乗れたことが嬉しかった。それを細君の実家の駐車場に停めていたとき(またかよ)、隣家のトラックが駐車の取り回しに失敗して、トランクルームをドーン、とやってくれた。もちろん、10:0である。わたしの事故はこんなことばっかりだ。
このときはもう、経済的全損になるだろうことは承知していたが、隣家の方が「つきあいのある車屋に直してもらう」と言って、実際、綺麗に直して戻してくれた。きっと、中古車価格より修理費用の方が高かっただろうに。

その数ヶ月後、同車の車検の見積もりをディーラーでしてもらうと、エンジンを降ろして整備しなければならないとのこと。その費用、数十万円也。なので、このプリメーラP10は廃車にして別のクルマに乗り換えることにした。
ああ莫迦らしい。数ヶ月前の事故のとき「経済的全損ですから修理せず廃車にします。補償額は今の市場価格でいいですよ」と言って、お金を受け取っておけばよかった、と思わないではいられなかった。

次の次のクルマが、今乗っているクルマである。これは新車で買ったが、細君が道を走っているとき、駐車場から出てきたクルマに横からぶつかられた。こちらも動いていたので9:1くらいだったかな。
もう何度も事故は経験していたので、こういうのは保険会社まかせにしましょう、ということで、スムーズに修理も済み、細君も怪我がなかったので人身にはしなかった。
加害者の方がお詫びにいらしたが、調停のときの事故の学生とは違い、大変恐縮しておられ、ちょっと気の毒になってしまった。お人好しなわたしである。

振り返ってみると、こちらが加害者になった事故はないのであった。しかし、クルマを運転している以上、ついウッカリということは誰にでも起こりうる。ハンドルを握るときは、十全に気をつけなければならない。
また、わたしのように、もらい事故だって避けることはできない。
自動運転の開発で、少しでも交通事故が減れば良いな、と、心から思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録