2017年05月12日

【回想録】DC-1の思い出

この先、なくなる可能性があるプロダクツとして、「ファクシミリ」「コンデジ」「デスクトップPC」の三つが挙げられているそうである。

わたしの個人的な考えとしては、ファクシミリは確かになくなりそうだし、なくなってほしい。デスクトップPCはなくなりはしないだろう。そしてコンデジは――ジリ貧なのかもしれない。気分的にはなくなってほしくないが、やはりスマホで代用されれば、なくなってしまう運命なのかもしれない。

わたしが最初に買ったコンデジは、リコーのDC-1であった。1995年のことである。当時はコンデジという言い方はまだなく「デジカメ」である。一眼レフのデジタルカメラがまだ登場前だったからだ。


(今でもいいデザインだと思う)

DC-1は高かった。アクセサリを全部そろえると、今の高級一眼デジカメより高かった。同時期に、カシオからQV-10という安価なデジカメも発売されたのだが、そちらには食指が動かなかった。やはり格段に画質が違ったからである。

とはいえ、DC-1の解像度だってVGA並だった。撮影される画像フォーマットもj6iといういうjpegの亜流のもの。そして、画像を記録するメモリがまたバカ高い! たしか一枚、八万円くらいしたような記憶。これは動画をとるため、アクセスの早いメモリを使用したからだ、という解説があったが、それにしたって高すぎである。


(本体以外のいろいろ。リモコンもついていたが、これは再生用で、これでリモートレリーズはできなかったと思う)

そう、DC-1は画像だけでなく、動画や音声も録れたのであった。このあたりは先見性があるが、実際録れた動画や音声は質が悪く、実用性はそれほどなかった。

なんと、単体では画像ビューアの液晶部はついていない。二眼式で、ファインダーを覗いて撮影画角を決める。ちょっとした光学ズームもついているが、画角はお世辞にも広角側が十分とは言いがたく、このあたりは、ビデオカメラの設計を踏襲しているなあ、と感じたものだ。


(画像ビューアユニットをつけたところ)

画像ビューアの液晶部をつけても、それで撮影前の画角チェックはできない。あくまで、再生専用である。なんともため息がでる仕様である。

再生は、増設バッテリーユニットを兼ねたテレビへの出力アダプタで行う。テレビに映し出すと、VGA並の解像度とは言え、その美しさは抜群だった。
PCへは、RS-232Cでのシリアル転送か、メモリカードを読めるペリフェラルで行う。
また、前述の通りDC-1はj6iという特殊なjpegフォーマットだったが、これをjpegに変換する専用のソフトがリコーから発売されていた。このインターフェイスがもう、Windows3.1のそれなのである。ふっる! とつっこみたいところだが、Windows95登場前なのだから仕方ない(笑)。


(ソニー仕様のガム型ニッカド電池と莫迦高いメモリ。しかもたった8メガ)

読み返すと文句ばかりだが、DC-1がいい機種であったことは間違いない。なにしろ、ライバル機種がほとんどいない時代である。選択の余地がなければ比較のしようもないのである。

わたしはもともと、動画より静止画が好きなタイプなのだが、デジカメはなかなか民生品として開発されず(ソニーの「マビカ」はあったが)、8ミリビデオムービーカメラの方が開発の勢いの方が強かった。
それでわたしも、取材のときには8ミリビデオムービーカメラを使っていたのだが、やはりビデオというのは(わたしの)取材スタイルにはあわないのである。どうしても、撮影することが主になってしまって、取材メモではなくなってしまう。別にビデオ作品がつくりたくてムービーカムを持ってでているわけではないのだ。

そんなわけで、コンパクトに使えるデジカメの登場は、わたしの夢でもあったのだ。DC-1が高くても飛びついてしまった理由も、半分は夢の成就、というところがあったのかもしれない。

拙著「コール」の中で、目黒の寄生虫館とその周りの様子を描いているが情景があるが、あれが初めて、DC-1で撮影した写真を参考に書いたシーンであったと記憶している。


(クリックで拡大できるのがDC-1の生画質)


(1995年当時の目黒寄生虫館内。クリックで拡大できます)

デジカメが超珍しい時代であったので、ある雑文の一回目でデジカメのことに触れたら「これからずっと、先生がデジカメで撮った一枚を一緒に載せていきましょう」と言われて、「こりゃまいった」と思ったときもあった。
画質がいいと評判のDC-1とて、上記の拡大画像を見ていただければお分かりいただけるとおり、銀塩カメラには遠く及ばない画質である。
しかもこのDC-1、前述の通り、広角側に寄っていない。フラッシュが白トビする。合焦が遅いものだからシャッターチャンスを逃がす。バッテリーがソニー仕様のガム型ニッカド充電池なのだが、これの劣化が早く、二、三枚も撮ると、もう音をあげるようになってしまう。そんなハンデもあって、記事の内容にあわせた写真をとるのにも苦労した。

ちょうどその雑文の連載が終了する頃には、デジカメもだいぶ一般化したような気がする。個人ホームページの製作ブームもそれを後押しした感じだ。

DC-1があまりに高かったので、その減価償却が終わらず次のデジカメを購入できない、というジレンマもありつつ、けっこう長い間、DC-1を使い続けたと思う。

別記事でも書いたが、今は、風景をパシャリ、なにか煙でもあがっていたらパシャリ、珍しいものがあったらパシャリ、が許される時代だが、当時はやたら撮影を警戒する管理者がいて、法律上なんら問題のない風景写真を撮っていても、頭から湯気を立てて「撮影許可取ってんの?」とノシノシやってくるような管理人がいた。
フィルムの現像も、紙焼きも高く、同じ被写体を何枚も写しているのはプロか探偵くらいしかいなかった時代だったからであろうか。極端な話、昭和の頃は、24枚撮りのフィルムを入れたカメラに三年分くらいの記念写真が納まっている家庭も珍しくなかった。

盗撮犯やデジタル万引きは許されるはずもないが、法律上許されている風景写真や、突発的な事件の写真などをすかさず撮れる現代は、実によい時代になったと思う。

あっそうだ。そんな恵まれた時代の若者へ、頭の固い昭和生まれのオッサンから一言。
「ムービーは横画面で撮ってくれ」
以上である。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録