2017年05月14日

【日記】五大陸のロザリオ

普通の人にとって、「ロザリオ」はネックレスのようにぶら下げる、先に十字架がついているアクセサリーである。多少、詳しい人になると、それがカトリックの「数珠」であり、首から下げるのは良いことではないことを知っているくらい。別名は「コンタツ」。カウンターという意味だ。

カトリックの信仰生活を送っていると、ロザリオは、溜まる。それこそ、なにかの記念ミサや贈り物でいただく機会が多いので、数十個のレベルである。腕輪のように小さい一連ロザリオや、指に通して使う指ロザリオのような珍しいものもある。

そのラインナップの中でも、五大陸のロザリオ≠フ美しさは、信徒でなくとも心惹かれるものがあるようだ。

ロザリオには十個つながる珠の連≠ェ五つ連なって、ひとつの輪を構成しているのだが、五大陸のロザリオ≠ニは、その五つが緑、赤、白、青、黄の各色となっており、それぞれの色が「アフリカ」「アメリカ」「ヨーロッパ」「オセアニア」「アジア」の各大陸を表している、というものである。ちなみに南極大陸は華麗にスルーである。

わたしが持っている五大陸のロザリオ≠ヘ半透明の美しい珠の物だが、素朴な木製の珠のそれも良いな、と思っている。そのうち機会があったら入手できることだろう。



さて、五大陸のロザリオ≠ノは、マザー・テレサが関係する逸話の都市伝説がある。が、日本語で「マザー・テレサ 五大陸のロザリオ」などで検索しまくってみても、出てこない。しかし、確かにわたしは聞いたことがある。はて、ネットで読んだ話ではなかったのかしらん。
そこで英語でググってみると、こちらは一発で、しかもいくつも出てきたのであった。以前そちらのページを読んで覚えていたのだろうか。

というわけで、わたしの拙い訳、それもドラマタイズ含む意訳で、この逸話を日本に紹介したい。

 1981年のこと。ジム・キャッスルはヘトヘトの状態でオハイオ州シンシナティで飛行機に乗っていた。45歳のこの経営コンサルタントは、一週間にわたるビジネス・ミーティングやセミナーを開催し、今は、自宅カンサスへと向かうシートに深く身を沈めて、飛行機が飛び立つのを待っていた。

 飛行機に多くの乗客が入りはじめると、雑多な会話やバッグを開閉する音が混入しだした。と、そのときである。突然、人々がサーッと沈黙するのがわかった。その沈黙の空気は、見えないボートのように通路をゆっくりと移動してくる。ジムは何が起こっているのかをその目で見て、口をポカンと開けた。

 機内の通路を歩いているのは、青いラインの引かれたシンプルな白い修道着をまとった二人のシスターであった。ジムはそのひとりに見覚えがあった。しわを帯びた肌、暖かい目。ニュースやTIMEの表紙で見た顔だ。二人はジムの隣席に座った。それが、マザー・テレサだった。

 最後の搭乗者が機内に入ったとき、マザー・テレサともう一人のシスターはロザリオを取り出した。ジムは、そのロザリオのビーズが、十珠ごとに色が違うことに気がついた。ジムの視線に気づいたマザー・テレサはこう説明した。
「この五色の色は、地球のそれぞれの大陸を表しています。わたしは、この五つの大陸で、貧しさの中で亡くなっていく人々のために祈っているのです」
 飛行機は滑走路へとタキシングし、二人の修道女は小さな声で祈りつつ、ロザリオを繰り始めた。
 ジム自身はカトリックではなく、教会へ行く習慣もなかった。しかし、彼女たちの祈りの声が、自分の心にスッと入り込んでくることを、彼は快く感じていた。
 そして飛行機は巡航高度に達した。
 マザー・テレサは、ジムに微笑みかけた。そのとき、ジムははじめて、なにか「オーラ」をもっている人と対面したときに、人がなにを感じるのかを悟った。それは平和と、暖かい夏の微風のようであった。
「あなたは――」マザー・テレサは尋ねた。「頻繁にロザリオを祈っていますか?」
「いいえ、すみません」と、彼は答えた。
 マザー・テレサは、ジムの目を見ながら、彼の手をとり、その手に五大陸のロザリオ≠握らせて、言ったのだった「そのうち、そのようになります」

 一時間後、カンザスシティ空港に飛行機は降り立った。ロビーで彼と合流した妻のルースは、彼の様子がいつもと違うこと、また、手にしていた五大陸のロザリオ≠ノ気づき、尋ねた「なにかあったの?」
 ジムはルースにキスをし、マザー・テレサとの出会いを説明した。クルマを運転して家に戻ると、ジムは言った。「俺は、神様の本当の妹に会ったような気がしているんだ」


ここまでが前半部である。
わたしが以前、知っていたのは、この前半部だけであった。ここから先は初見な気がするが、以前は読まなかっただけかもしれない。
後半いってみよう。

 九ヶ月後、ジムとルースは数年前からの友人であったコニーを尋ねた。彼女は卵巣ガンを患っていることを二人に告白した。「医者は厳しいケースだと言っているの。けれど、わたしはそれと闘うつもりよ。あきらめないわ」
 ジムはコニーの手を握った。そして、ポケットに入れていた、マザー・テレサの五大陸のロザリオ≠、優しく彼女の指の周りに巻いた。ジムは、このロザリオがどうやって彼の元に来たかを彼女に話し、言った。「これを持っていて、コニー。きっと君の助けになるよ」
 コニーはカトリックではなかったが、彼女はそのロザリオをそっと握りしめ、つぶやいた。「ありがとう」

 それから一年、ジム夫妻は再びコニーに出会うことができた。コニーは顔をパッと明るくして、ジムに駆け寄り、あのロザリオを渡した。「聞いて。わたしはこのロザリオと、一年中、一緒にいたの。先月、外科手術を受けたんだけど、そうしたら腫瘍は消えてしまっていたのよ! 今は化学療法で治療しているところ」そして、続けて「今のわたしには、このロザリオはもう必要ないみたいなの。あなたにお返ししなきゃと思っていたのよ」

 1987年の秋、ジムの妻ルースの妹、リズは、離婚後の落ち込みからうつ病になっていた。ジムにロザリオを借りることができるかどうか聞いてきた彼女に、彼は快く了解した。そして彼女は、マザー・テレサの五大陸のロザリオ≠ベルベットの袋の中に入れ、ベッドの上にかけた。
「夜になると、わたしはそれを手にとって、胸にいだきました。とても寂しくて、一人ぼっちになることを恐れていたんです」と、彼女は後に言った。「でも、そのロザリオを握ったとき、わたしはそのロザリオが、暖かく、わたしのことを握り返してくれるように感じたんです」
 やがてリズは人生を立て直し、前向きに生きる道を見出すことができた。彼女はジムにロザリオを返した。「もうわたしは大丈夫。誰か他の人が、これを必要とするかもしれないから」

 1988年のある夜、見知らぬ女性がルースに電話をかけてきた。彼女はマザー・テレサの五大陸のロザリオ≠フ噂を聞いて、借りることができないかと助けを求めてきたのだ。彼女の母は昏睡状態に陥っていたのである。ルースは快くロザリオを貸した。
 数日後、女性はルースにこう報告してきた。「ナースは昏睡状態の患者さんでも、まだ声は聞こえると言っていたの。わたしはロザリオを母に握らせたわ。そうしたら、母はとてもリラックスした顔になって、平穏で、まるで、わたしが子どもの頃知っていた溌剌とした表情になったのよ。そして、数分後、亡くなったわ」
 彼女はルースの手を握り。言った。「ありがとう。このロザリオを貸してくれて」

 このつつましいビーズで組まれた五大陸のロザリオ≠ノ、なにか特別な力があるのだろうか? あるいは、ロザリオを借りた一人ひとりの精神力が、なにか新しくなったのだろうか?
 ジムはその後も、人々の突然のリクエストに応じてこのロザリオを貸し出している。彼自身、そのたびに、なにか特別なものを感じている。
 彼は言う。「あなたがロザリオを必要としているときに、これをお貸ししましょう。必要としなくなったとき、送り返してください。他の誰かが必要としているかもしれないから」と。

 飛行機での、予期せぬマザー・テレサとの出会い以来、ジム自身の人生も変わった。
 彼は、マザー・テレサが、小さなカバンひとつですべてのものを運んでいることを実感したとき、彼自身の人生をシンプルにするようになった。
「わたしは、お金や名誉や財産ではなく、他人を愛することこそが、本当に重要なことだと知ったのです」


というのが、この「マザー・テレサの五大陸のロザリオ=vの都市伝説である。「都市伝説」と書いたのは、これの真偽がわからないからだ。果たして、ジム・キャッスルなる人物が本当にいて、マザー・テレサから五大陸のロザリオ≠手渡されたのか、誰かの創作なのか、そのあたりは全然わからない。

どうもこの逸話は、Webに載る前は、アメリカを中心にメールで回されていたようである。

ロザリオの逸話と言いつつ、後半部は単に「マザー・テレサのパワーを伝えるオマモリ」化してしまっていて、肝心の「ロザリオの祈り」がまったくなくなってしまっているあたりも、ちょっとヘニョってしまうところだが、今や「聖人」となった「聖マザー・テレサ」の逸話としては、こういうものもあってもいいかな、という感じだ。

ちなみに、キリスト教は、ローマやバチカンの印象から、ヨーロッパ発祥の宗教だと思われがちだが、実はアジア起源の宗教である。旧約、新約の舞台であるパレスチナは西アジア圏に位置する。
五大陸のロザリオ≠ナいうと、黄色の珠の一連である。

マザー・テレサの逸話はいろいろあるが、わたしは次の実話が好きだ。

 あるエキュメニカルの(教派を越えた)集いで、プロテスタントメインライン、プロテスタント福音派、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教などそれぞれの教派、宗派が、これからの世界の平和について意見を述べあった。場は和やかに終盤になり、最後に、有名なマザー・テレサに一言、という段になった。マザー・テレサは言った。「わたしは、毎日のミサでいただくご聖体によって生かされています」


教派・宗派を越えたエキュメニカルの集いである。最後に一言「主義主張を乗り越えて、平和は実現できるのです」とでも言わなければいけない空気の中、マザー・テレサはガッチガチのカトリックだったのだ。

そんな空気を読まないマザー・テレサが大好きである。
五大陸のロザリオ≠フ都市伝説も、マザー・テレサらしい、本当にあったことかもしれないな、と思いつつ――。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記