2017年05月16日

【回想録】PHSの思い出

ワイモバイルブランドを擁するソフトバンクが、現在、国内唯一残っていたPHS事業について、一般向けの新たな契約の受付は2018年3月で終了と発表。
また、ひとつの時代が確実に終わったのだな、と思う。

PHSはその昔、開発途上ではPHP(Personal Handy Phone)と呼ばれていた。その頃からわたしはとても期待を寄せていた。携帯電話より通話・通信料金が安く、また、携帯より高速な32kbps通信が期待できるとされていた。
この32kbpsという数字がいかにも時代を反映しているが、その頃はインターネットもまだ一般化しておらず、パソコン通信で使うのには十分な速度であったのだ。

携帯電話の初期にIDOのそれをいれたことは別記事で書いたが、当時は携帯でパソコン通信をするのは、通信の価格的にちょっと無理な時代であった。
それで、多くのパソコン通信ネットワーカーは、通信用にPHSを買い求めたのであった。
その頃のニフティサーブも、PHS通信用のPIAFSアクセスポイントを用意してくれていたという記憶。
最初期は、ドコモ、DDIポケット、アステルの三社があった。今や統廃合が進み、一応名前が残っているのはドコモだけ、である。
ネットワーカーの評価では、DDIポケットが一番人気だったという印象が残っている。

わたしはSHARPのPaldio 611SというPHSを使用していた。これはとても名機である。二つ折りの筐体で、通話も普通にできる。下部のカバーを外すと、PCのPCMCIAスロットにプスッと挿すことができ、通信カードに早代わり。いちいちケーブルをつなげる必要もないという優れものであった。



これは、PCMCIAスロットに挿すと充電できるという機能がついていたが、Windows95 OSR2やWindows98では省電力機能が働いてしまいうまく動作しなくなってしまった。ので、わたしは「PALDIO PC充電ユーティリティ」というフリーソフトを作って配布していた。使ってくださった皆様には、そこそこ好評だったと思う。

PHSは事業者の意図とは違う方向に流れ、「安い携帯電話」として、ポケベルの代わりに女子学生が使うようになっていったのだと思う。「ピッチ」という言い方が一般化していったが、ネットワーカーはそういう呼称は最後まで使わなかったような。

そのうち、携帯電話の通話料金も格段に落ちていったので、女子学生以外の社会人にとって、PHSはネット接続専用機になっていった。

Paldio 611Sは、一部のISDN TAに子機として収容できた。わたしはその機能を使い、事務所内ではPaldioとTA間をPIAFS接続で接続し、PCをISDN無線接続していた。WiFiが当然の今となっては、なんとも信じられない話かもしれないが、その時代はノートPCであっても、フツーはネットに有線接続だったのである。

今でこそWOLで地球の裏側からでもネットがあれば自宅PCの電源を入れられる時代だが、当時はまだ常時接続は夢のまた夢。そこでWOR(Wake On Ring)という機能があるモデムカードを使って、それにISDNのサブアドレスを組み合わせ、自宅のPCの電源を入れる、などという、珍しいことをやっていた。

インターネットが一般化していく流れの中で、PHSも転換期を迎えた。そして登場したのがウィルコムの京セラ製「京ぽん」である。ちなみにウィルコムは2005年2月2日に社名変更した、元DDIポケットである。

それまでのPHSが、なんらかのPCにつながないとネット接続できない時代、京ぽんは筐体自身にブラウザ(Opera)を搭載し、Webブラウジングができたのであった。わたしもさっそくとびついた。



こんなAAが2ちゃんねるの各所で見られた頃である。
今、過去ログを検索してわかったのだが、わたしは「京ぽん」をオンライン通販で買っていた。こういう買い方は初めてであった。付録に「わたしが京ぽんを使う50の理由」という非売品の本がついてきていた。


(今読むと、「携帯と二台持ち推奨」とかのコラムがある。うーむ)


(京ぽんを使って出張先から通信中)

京セラはその後「京ぽん」の後継機である「京ぽん2」を発売。さらに、2006年1月27日に、パケット通信が32kbpsから64kbpsに変わるという発表がウィルコムからあり、これは「京ぽん2」でしか使えなかったので機種変更を決意。
実際に使ってみると、剛性感が「京ぽん」よりちょっと落ちていて残念であった。



上の写真は「京ぽん2」の上部画面だが、上についている丸二つはクッションとしてわたしが貼り付けたもの。これがないと、二つ折りにしてもピッチリ閉まらなかったのだ。

そんな欠点はあるものの、「京ぽん2」は重宝していたが、やがて、ドコモが携帯の方にパケホーダイのサービスをはじめたので、その頃使っていたN901iSに「jigブラウザ」を導入した。これは月額/年額利用料を払うサービスだったが、支払う価値がある性能であった。

となると、「京ぽん2」の出番も少なくなる。携帯とPHSの二台持ちは面倒だし、モバイルでPC接続ができなくなるという不安はあったが、「最近、Jigブラウザで十分だしなぁ」という考えもあって、ウィルコムと契約解除。以降、PHSと縁が切れてしまった。
ウィルコムには、W-ZERO3という、今のスマホを先々取りしたような端末もあったのだが、その頃の日記には「自分の用途には合いそうにない」と書いてある。どう用途に合いそうにないのか記していないので、なぜその機種に乗り換えなかったのかどうかわからない。

なお、モバイルでのPC接続はやはりその後必要になって、数ヵ月後、E-Mobileと契約している。これは二年縛りの満期が来てやめた。
スマホを入れた時点で、当然、「Jigブラウザ」も契約を解除。

今のモバイルPC環境は、mvnoのsimを使いテザリングでWiFi接続である。もっとも、ほとんどの調べ物がスマホかタブレットで事足りる。便利な時代になったものだ。

思い返してみると、わたしのPHSの思い出は、簡易携帯電話としての使い方はまったくなく、すべて通信絡みである。
PHSがなくなるということに、ひとつの時代が終わるのだなあという感慨はあるが、特に残念感はない。

PHS黎明期には、街を歩いていて「あ、ドコモのアンテナ発見」「DDIポケットのアンテナは派手だな」「お、駅構内にアステル基地局発見」というような楽しみがあったことを思い出す。そういえば、電柱についていたPHSのアンテナもあまり見なくなった。

技術革新は確実に進み、新しいものに移っていくのである。
我々は、いい時代に生きている。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録