2017年05月19日

【昭和の遺伝子】レンタルビデオ

もうずいぶん、レンタルビデオ屋さんで映画などを借りるということをしていないのだが、最後に行ったときには、もう「ビデオテープ」は置いていなかった。DVDだけである。
それでも、「レンタルDVD屋」ではなく「レンタルビデオ屋」の名称が今でも残っているのはなんとなく苦笑してしまうが、貸しているのはメディアとしてのビデオプログラムなので、間違いはないのだろう。

今回の記事は、それこそ本物のビデオテープが置いてあった時代の「レンタルビデオ」屋の思い出話。VHSとベータの両方が、まだしのぎを削りあっていた時代のこと。

黎明期のレンタルビデオ屋は、ダークゾーンであった。法的にも、存在感的にも。
映画のビデオテープも、アダルトのそれも、一本が一万数千円していた時代である。それを販売せずレンタルするというのは目利きなアイデアであったと思う。
しかし当時、ビデオは「セル(販売)」が目的で、レンタル業者は著作権的には「法の網をかいくぐって」営業していた。

当然、TSUTAYAのような大きなチェーンはない。みなほぼ、バックがついていそうな個人経営で、それぞれが小さな店舗を構えて、会員を募っていた。
なにしろ、最初に入ったレンタルビデオ屋は、マンションの一室で営業していた。怪しかったが、さほど怖いという感じを受けなかったのは、わたしがまだ若かったからかもしれない。
わたしを含め、当時の若い男の子たち(今のわたしにとって感覚的に20代は青年≠ナはないのである)は、市内あちこちのレンタルビデオ屋の会員証を持っているのが普通であった。なぜって、それぞれの店で品揃えが違うから。A店にはあってもB店にはあるかもしれないからである。お目当てのブツが(笑)。

大抵の店が、一回に借りられるのは二本まで、ではなかったかな。ビデオテープなので、巻き戻して返却する、というマナーもあった。
ビデオデッキがテープを噛み込んでしまい、デッキを分解してテープを取り出して返却した、などという話は、当時、レンタルビデオを利用していた誰しもが一度は経験したことがあるのではないだろうか。

わたしはベータ派だったので、当初はけっこう、寂しい思いをした。レンタルビデオ屋黎明期からVHSとベータは勝敗が決まっていた。ベータの棚は小さく狭く、置かれるビデオも有名作品ばかりで、それもVHSに比べて遅れる始末。こりゃダメだと、ソニーが白旗広告(*1)を上げる前にVHSを買わざるをえなかった。

(*1)いよいよ劣勢になったソニーは、「ベータはなくなるの?」という新聞一面を使った広告を、数日間、連載で出したのである。広告の最後は「そんなことはない。ますます広がるベータの世界」という趣旨でおさめたのだが、消費者にはベータの事実上の敗北宣言と取られ、以降、VHSが趨勢を覇するまでに数年かからなかった。

ベータとVHS、画質はベータの方が優れている、というのが常識だったが、今のDVDやハイビジョンから比べれば、どんぐりの背比べだったなあ、と思う。
ソニーを盟主とするベータが負け、ビクターが開発したVHSが覇権を取ったのは、みなさんご存知の通りだが、その大きなきっかけとなったのは、ベータ派だった東芝のVHSへの寝返りである。
その東芝が、まさか巨額な赤字を抱えて日本のお荷物になる日がくるとは、ベータ派だったわたしは愉快愉快――というわけでもなく、これを書くまで東芝が裏切った会社であるということを忘れていたくらいだ。
ま、ソニーももう好きじゃないしね。
国民の誰しもが、東芝がああなったり、シャープがこうなったり、サンヨーがなくなったりするとは思っていなかった時代である。

当時はビデオにコピーガード信号などは入っていなかったので、借りたビデオをダビングする人も多かった。レンタルビデオはグレーゾーンな時代だったが、そこから借りたビデオをダビングするのは明らかに著作権違反である。しかしそれで捕まった、警察が動いた、などという話は聞いたことがない。
ダビングすれば画質は格段に落ちるので、ビデオの発売元はそれほど問題にしていなかったのであろう。それよりも大元の、野放し状態だったレンタルビデオ屋の問題を解決する方が先決だったはずだ。

当時、絵の出るレコード≠アとレーザーディスクはまだまだ普及しておらず、これを置いているレンタルビデオ屋はほとんどなかった。
ちなみにレーザーディスクはパイオニアが盟主であり、ビクターが開発したVHDというライバルがいたが、これはVHDの負けで最初から勝負がついていた。なんとVHDは再生するたびに画質が劣化していくという情けない仕様だったのである。

レーザーディスクは当時、ビデオテープに比べてずばぬけて画質がよく、これがレンタルされてダビングされるようになったら、ビデオの発売元はさぞや頭が痛かっただろう。
が、肝心のレーザーディスク再生機の普及率が低かったので、これも問題にはならなかった。

さて、そんなこんなで、市内の各レンタルビデオ店の会員であった当時の若い男の子たちは、クルマで各店を回っては、良いビデオを探すのが常であった。
友人Y君はレンタルビデオ通で、映画からアニメからあっち方面まで片っ端から見る趣味人だった。

Y君「イーエッチないかなぁ」
わたし「イーエッチねぇ」
Y君・わたし「イーエッチ・エリック!(笑)」

と笑いあったことを思い出す。って、今の人はE・H・エリックをご存知ないか。

そうこうするうちに、ビデオデッキがほぼ全家庭に普及するようになって、レンタルビデオ屋と販売元はなんらかの協定を結んで手打ちとなったのだろう。街からどんどん、小さなレンタルビデオ屋は消えていき、いまやTSUTAYAばかりである。しかしそのTSUTAYAが徳間書店を買う時代がくるとは思わなかったが。

当時、数人で小さなレンタルビデオ屋を回っていたわたしたちに、今の日本の現状を伝えても、絶対に信じやしないだろうなあ、と思う。

レンタルビデオの思い出、といいつつ、ビデオデッキその他の話ばかりになってしまったのは、やっぱりアレですな。レンタルビデオとは切っても切れない関係のジャンルの話はしにくいというところがありましてなw

それに不思議なことだが、あの時代の雰囲気をそのままビデオテープに磁気転写していた若い女性たちの名前を、今こうして思い出そうとしてみても、とんと思い出せないのである。
彼女たちにとってみれば、思い出されない方がいいことなのかもしれない、とも思う。

若い男の子は、レンタルビデオ屋さんの一角で、紳士同士の礼儀を覚える、そんな時代だったのでありまする。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子