2017年05月20日

【日記】解離性同一性障害(DID)に関する私的メモ

映画「スプリット」を観てきたら、わたしの半生の中で培ってきた「コモン・センス」による解離性同一性障害(DID)、いわゆる「多重人格」に関する考え方を記してみたくなった。
というわけで、この記事は映画「スプリット」の評にはならなそうなので、カテゴリは「日記」とした。
が、最後の方でネタバレするかもしれないので、例のごとく、ネタバレお嫌いの方は途中で他ページへ飛んでいただきたく。



さて、これも入院中の話である。わたしは青年期からひどい不眠なもので、朝までまんじりもせず、ということがよくあった。入院中に強い睡眠導入剤を処方され、その影響で、起床時しばらく「全生活史健忘」になったことは以前記したが、他の種類の睡眠導入剤を処方されたときに「前方性健忘」、つまり服用してから眠るまでの記憶を失ったことがある。

朝起きてみると、これからやらねばならない、やっかいな仕事のチャートを記したメモが、システム手帳に丁寧な字で記されている。わたしの字だ。しかし、書いた覚えはまったくない。誰かの悪戯という可能性も考えられない。わたし自身の脳にしか収容されていなかった技術的な情報が記されていたから確かである。
記されていたチャートと技術的回避法は明晰で、論理の破綻もなく、正常な思考の持ち主が書いたものだとわかる。それのおかげで、この仕事は実に楽に終えることができた。いやすばらしい。

これは睡眠導入剤を使う人々の間で、通称「小人」とよばれる現象である。こういう現象は珍しいものではなく、睡眠導入剤を服用してから、わざとベッドに入らず起きていると発生しやすいと知られている。
人によっては、「部屋の綺麗に掃除されていた」「洗い物がピカピカに終わっていた」などの良い話もあるが、逆に「なにかを食べ散らかした跡があった」「暴食の名残があった」「SNSに変なことを書き込んでいた」のように、小人が悪さをもたらすことも少なくないようである。

共通しているのは「睡眠導入剤を飲んだ後、横にならず起きていたら、自分の知らないところで、小人がなにかしでかしていた。眠って起きてみると、その記憶はまったくないのだが、どうも自分がやっていたことで間違いはない」というものだ。

面白いのは、この「小人現象」が起きると、前回の「小人現象」のときの記憶が連続しているらしいのである。わたしの場合、前回のチャートにさらにヒントやアイデアが記されていた。もちろん、起きてみて、それを書いた記憶はない。ありがたや(笑)。

わたしはこの自分の小人現象を面白がって(主治医は眉をひそめたが)、「カイリさん」と名前をつけ、覚醒時のわたしが解決できないでいる問題を明快に整理整頓してくれるありがたい存在としてしばらく利用していたのだが、やがてカイリさんも自分にばかりやっかいな仕事を押しつけられるのが嫌になったか、出なくなってしまった。

どうだろう。これはいわゆる「解離性同一性障害(DID)」、いわゆる「多重人格」と、「現象的には」なにも変わらない。
ただ、本人が「これは多重人格ではなく、睡眠導入剤による前方性健忘が起き、小人がやったこと」という認識を持っているから「多重人格」にならないだけである。

わたしは精神科医の春日武彦先生の著作のファンで、先生の著作は目につくとたいてい拝読しているのだが、その中に「ロマンティックな狂気は存在するか」という一冊がある。初版は1993年だから、だいぶ初期のご著作になるので、今の先生の考えと当時の考えとは違っている可能性はあるが、その中の第六章に「文学的好奇心をそそる精神症状」として、「二重人格」があげられている。
そこに、とても重要な段落があると思われるので引用する。

 二重人格に相当する患者が診察室で観察されたとき、カルテの病名欄にはおそらくヒステリーと記されることだろう。二重人格という病気があるのではない、それはただの状態像である。肺炎という病名はあっても、咳という病名はなくそれは症状に過ぎないのと同じことである。そして二重人格はヒステリーの一症状・一状態として把握されるべきものである。


春日先生のこの著述に、わたしのコモン・センスも全面的に共鳴する。先に挙げた「睡眠導入剤による前方性健忘と小人現象の発生」と「二重人格」は、状態像としてまったく同じだからである。

わたしを始め、睡眠導入剤によって「小人現象」を体験したものは、それを「二重人格」としては捉えなかった。不思議な現実である。中には「自分は解離性同一性障害(DID)だ」と言い出す患者がいてもおかしくないと思うのだが、明らかに睡眠導入剤がトリガーになっているという意識があるからだろうか。

春日先生のこの「二重人格」についての章は、精神科医らしく細部に気を遣って記されているが、その行間を読むと、先生が「二重人格」に懐疑的であるということが読み取れる(気がする)。

ここで一度、話を精神科医療の現実について向けてみる。精神科の三大疾病と言えば「統合失調症」「鬱病」「双極性障害(躁鬱病)」だが、教会というものはこういった方々が救いを求めてくることが多いもので、わたしも実際に、そういう方とマンツーマンで勉強会を開いた体験などもあり、ある程度は「本物の」患者像を知っている。
そこで言えるのは「統合失調症患者」というのは「すっげー妄想を持っている人」ではなく、「鬱病患者」というのは「むっちゃ落ち込んでいる人」ではなく、「双極性障害」というのは「バリバリにハイになってるときとむっちゃ落ち込んでいるときの落差が激しい人」では決してないのである。
それらの人々は、上記のような、「すっげー」「むっちゃ」「バリバリ」などといった健常者が想像できる延長線上の精神状態にはない。
彼らは明らかに次元が違うレベルの病層におり、健常者の想像できる延長線上の病層とは断絶している。だからこそ精神病者は「獣偏に王」と書く差別の歴史を歩まされてきたのである。

同様に、「解離性同一性障害(DID)」が現実の病層であるとしたら、それは、「会社では真面目だが、家に入るとDV夫。風俗店では赤ちゃんプレイを楽しみ、友人にとってはいい相談役」といった、誰にでもある「ペルソナ」の延長線上にはないはずなのだ。

前述の「解離性同一性障害(DID)」に話を戻せば、日本はこの病名を名乗る人が多く、そういった人が作っているブログも少なくない。
が、文章読みとして、わたしは彼らの多くが記す「わたしの中の各人格」が、上記「ペルソナ」の想像の延長線上の人格ばかりに読めるのである。「獣偏の王」たる存在の病層にはとうてい至っていない。

はっきり言って、ブログなどで「自分は解離性同一性障害(DID)です」と自己紹介する人々は、時と場合によって「すっげー」「むっちゃ」「バリバリ」態度を変える人、というレベル。あくまで健常者の想像の延長線で作られている「病態」なのである。
果たして彼らは、本物の「解離性同一性障害(DID)」なのだろうか。
それは、精神科医ではなく、直接お会いしたこともないわたしにはわからないことだ。
もちろん、彼らがその病に苦しんでいることは理解でき、また同情も禁じ得ない。だが、これはあくまで私見だが「解離性同一性障害(DID)」を自称する多くの方々は、精神障害というより、いろいろな点で知的障害に近いのだと思う。

ところで、世の中には「時止めAV」というジャンルがあり、なんとこれは男優の超能力によって時間が止められ、セクシー女優に好きなことがし放題、というものである。
しかし世のAVソムリエに言わせると「時止めAV」の八割はヤラセなのだという。さもありなんという感じだが、わたしはもっと懐疑的に、実は九割ぐらいがヤラセではないかと睨んでいる。
そして「解離性同一性障害(DID)」の現実も、この「時止めAV」と同じ割合で、おそらくは「患者の精神的ヤラセ」ではないだろうかというのが、わたしの私感だ。

さて、映画「スプリット」は、この「解離性同一性障害(DID)」で23人格を持つという男が女子高生を誘拐し云々というお話。監督はいつもなにかラストで観客を驚かせるM・ナイト・シャマランだが、「ラストは誰にも内緒だよ」と言うほどのラストがない、というのが衝撃のラストであった。

春日先生は、「ロマンティックな狂気は存在するか」の中で、こうもお書きになられている。

 世界を解釈する方法として「狂気」を持ち出すのは便利至極であり、しかも正鵠を得ているように感じさせる部分がかなりあるから、その「お手軽な」ところが逆に何も語っていないこととなりかねないのである。


 ジャンルを問わず、とにかく狂気を作品の題材とする場合、
(a)蓋然性をいいことに、現象としての狂気を都合良く拡大し、現実の臨床的ニュアンスとかけ離れたものをさも本当らしく流布させる。
(b)自分が安全圏にいるのをいいことに、狂気をまったくの記号として扱い、そのくせ他人の偏見をあげつらうような小賢しい態度をとる。
 以上の二つを私は大いに警戒するのである。


まったくもって、全面的に賛成である。
また、物語を書く者として、狂気を「便利なアイテム」として使うようなことこそが、精神病者に対する差別と偏見を助長することなのだということは、強く指摘し、また自戒しておきたい。

この「スプリット」の映画評でも、まだ「解離性同一性障害(DID)」のことを「精神分裂病」と書いている人がいることに慄然とする。
精神科医療はまだまだ偏見と差別に満ちている。
それはときに、ある種の方々の憧れにもなるほどに。

最後に、有名なコピペを貼って、この記事のしめくくりとしたい。

昔、妹は二重人格だった
中学生の頃、妹は二重人格だった。
なんでも、火を見ると「影羅(エイラ)」という魔族の人格が現れるそうで、真っ暗な部屋の中で唐突にマッチを擦っては、「……ヘヘ、久しぶりに外に出られた。この小娘は意思が強すぎて困るぜ(笑」などと乱暴な口調で叫んだりしていた。
ある日、夕食の時に「影羅」が出たことがある。
突然おかずの春巻きを手掴みでムシャムシャと食べ始めて、「久々の飯だぜ(笑」と言った。
食べ物関係のジョークを一切許さない母が、影羅の頭にゲンコツ振り落とすと影羅は涙目になっておとなしくなった。
それ以来、食事時に影羅が出たことは無い。
そして別人格とやらは、妹が高校に入った辺りでパタリと出なくなった。
最近になって、大学生になった妹にその頃のことを尋ねたら、クッションに顔を埋めて、手足をバタバタさせてのた打ち回っていた。

posted by 結城恭介 at 08:00| 日記