2017年05月29日

【日記】字下げふたたび

もうすぐ、このブログ「いまさら日記」を始めてから一年になる。
そのとき始めたチャレンジが「段落の字下げをしないこと」であった。そのことは「【日記】字下げ」にも書いた。

当初は慣れず、どうしても段落の頭でスペースバーをポンと叩いてしまうクセが治らなかった。
が、半年くらい経った頃だろうか、今度は逆に、ブログの記事ではない仕事のレジュメや、顧客にお渡しするマニュアル文書などで、字下げを忘れてしまい、「ああいかん」ということが増えてきてしまったのである。

そして今や、そういう文書の方で字下げを忘れてしまうことの方が多くなってしまった。
縦書き文章ならば字下げは忘れないのだが、横書きだともう、字下げなしがデフォルトになりつつある。そのあたり、自分があまり器用ではないことを、改めて知った。

どうにも、困っている。
ブログなどで字下げをすると、「こいつ、ネットに慣れてないな」と思われかねないというデメリットがある(実際にはそう思う人より、わたしのネット暦ははるかに長いと断言できるのだが)。
逆に、ネット外の正規の文書で字下げをしていないと「この人、国語の高等教育を受けていないのね」と判断されかねない。

かれこれ一年、このアンバランスな状態を続けてきて、やはりこれは、どちらかに統一せねばならんだろうなあ、という気がしてきた。
統一するのなら、断然「字下げ敢行」である。もともと、字下げをしないネット書き込み文化の方が未成熟だし、現状、正しい文章の書き方ではないのである。

ひとつには、わたしが長文派ということもある。ネットの書き込みの大半は、ツイッターを見るまでもなく短いセンテンスで完結するものが多い。2ちゃんなどでは「長い三行で」が慣行になってしまっているくらいだ。

わたしは、文章を削りに削って書くのが嫌いなタチなのである。おしゃべりなのである。言いたいことはすべて書くべきだと思っている。行間に漂わせて「書き手の意図を感じて欲しい」というのは書き手のエゴだ。もちろん、そういうテクニックを使うときはあるが、それは必要があるときだけで、通常、伝えたいことは千の言、万の語を使ってでも文章にしないと、本来、相手に届かないと信じている。

その上で、必要なときは文章を削る。千の言、万の語を使って書いた後、削るのである。

ネットに流れる文章の多くは「削った文章」ではない「言葉足らずの文章」だ。そこを多くの人々は勘違いしている。変に言葉足らずの文章を何度も連ねるより、一本、長文を書く方が、よほど誤解を生まずに済むというものだ。

そして長文を書く上で、やはり段落は見やすい方が良いし、そのためには行頭の字下げはあった方が、読者にもわかりやすいはずである。

というわけで、話を戻して、ブログで「字下げなし」を続けるかどうか、迷っている。
このブログを開始したのが、2016年6月13日だったから、2017年6月13日まで迷って、結論を出すつもりだ。

もし、字下げを敢行するのなら、過去の書き込みもスクリプトを通さず、一年かけて前年の書き込みを校正しつつ、直していくのもいいかな、と思っている。けっこう「このことはあとで書くよ」と記しつつ、忘れている事柄も多そうだからだ。

また、カテゴリわけ、タグの利用があまりうまく行われていないことも反省材料である。もともとあまりカテゴリやタグを増やすのが好きなタチではないというのはあるのだが、読者の利便性を考えると、ここはもうちょっと自分の頭の柔軟性を増さなければいけないのかもしれない。

まあ、あと数週間、迷わせてくださいな。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記