2017年06月30日

【日記】モバイルnanacoが使えなくなったとき

 わたしの使っているスマホは、正式にはnanacoに対応していない。Google Playから入れようとしても「お使いの端末はこのバージョンに対応していません。」とすげなく表示されてアプリをインストールすらできない。

 が、もちろん、蛇の道はヘビということで、apkを直接インストールすればモバイルnanacoが使えるようになるのである。
 そんなわけで、nanacoは還元率もいいし便利に使っていたのだが、今日、外出中に、ふと残金を確認しようとしてみると――



 やられた! バージョンアップダイアログである。
 nanacoアプリは実に卑劣きまわりないインターフェイスを用いており、こうなったら、バージョンアップ以外のことはまったくできなくなる(もちろん、Felicaなので、残高内ならお買い物は可能ではある)。

「バージョンアップする」をタップすると――



 Google Play Storeに飛ばされ、アプリである『電子マネー「nanaco」』が表示されるが、例の「お使いの端末はこのバージョンに対応していません。」が表示されて、なにもできない。

 こういう状況になったとき、単なるカードのnanacoにポイントやマネー残高を移せるのかどうかは知らない。
 しかし、バージョンアップのたびにこういう卑劣きわまりないインターフェイスで強制的にバージョンアップさせるアプリというのは大っ嫌いである。プログラマの常識を疑う。少なくとも「あとでバージョンアップする」という選択肢を入れるべきだ。

 さて、こんな状況になっても、上の方に書いた「蛇の道はヘビ」で、新しいバージョンのnanacoアプリをインストールする方法があるのである。これは自分が忘れない為のメモでもある。

1)まず、PCでGoogle Playのサイトへ。
2)そこの検索窓でnanacoを検索。



 無事、nanacoのページが表示されたら、そこのURLをコピー。

3)apkpure.comというサイトを開く。
 そこの(現時点では)右側にある、APKPURE or com.apkpure.aegonと表示されている検索窓に、さっきのURLをコピー。

4)素のapkがダウンロードできるので、それをPCにダウンロード。今回の場合は、『電子マネー「nanaco」_v3.0A_apkpure.com.apk』というファイル名であった。

5)そのファイルを目的のスマホに移動させる。野良apkをインスコできる設定に一時的に変更して、新しいnanacoのapkをインスコ。



6)はい、無事、バージョンアップできました。



7)野良apkインスコ可の設定を閉じるのを忘れずに。

 しかし、今後とも同じ方法でバージョンアップができるとは限らない。もう、今の残高を使いきったら、モバイルnanacoの使用はやめようかとも思っている。
 なにより、上に書いたような「卑劣きわまりないインターフェイス」を平気で用いるようなアプリを使用する電子マネーはお里が知れるというものだ。

 もともと非対応機種なのだから文句を言うのは筋違い……というのは想像力を欠いている。たとえばこの先、モバイルnanacoアプリのAndroid対応バージョンが上がり下位バージョンへの対応が切られないとも限らない。そのとき「アプリではバージョンアップ以外できないのに、GooglePlayで弾かれる」仕様は最悪のものとなる。

 細君は楽天っ子なので、メインは楽天Edyである。自分もメイン電子マネーを楽天Edyに変えようかと思案中だ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年06月29日

【回想録】「戦場の狼」の思い出

 映画「ハクソー・リッジ」を見ていて、わたしと同じ年代の人はきっと、これをもう一度プレイしたくなってウズウズしたに違いない。
 1985年にカプコンが発表したシューティングゲーム「戦場の狼」である。
 わたしはこれをアーケードでさんざんやった世代。もちろん、ファミコン版も購入した。


(カプコンのファミコン版「戦場の狼」より引用。以下同じ)。

 ゲーム内容は、一人の兵士が敵戦場にヘリで降り立つところから始まる。



 そして、ワラワラやってくる敵を撃って撃って撃ちまくるシューティングゲーム。手榴弾も投げられる。この手榴弾がパワーアップすると画面の敵が一層できて楽しいんだこれが。



 たまに、捕虜にされている自軍の兵士を助けたりもできて、点数UP。



 地下壕もあったりする。捕虜の兵士が捕らえられていて助けられることもあるが、ガス室やヘビだらけの罠の部屋のことも。



 4ステージごとに敵の基地が出てくるのでそれを撃破。最終基地を占拠すると――



「CONGRATULATIONS♥ YOUR FIRST MISSION IS ALL OVER♥」

 ハートマークは内地に残した恋人からのものだろうか(笑)
 ヘリが迎えに来てそれに乗ると、再びステージ1から悪夢の始まりである。

 さて、この「戦場の狼」、良ゲーかと問われると、うーむ、なのである。いや、わたしは好きだった。好きだったのだが、チャチいグラフィック、いい加減なあたり判定。なにより人をバンバン撃ち殺すというゲームというのは、当時でもあまり見なかった。
 画面をご覧いただければおわかりかと思うが、ファミコンのゼビウス(1984年)後のゲームとしては実にプアとしか言いようがない。
 しかしそれでも、ゲーセンに入ると、なぜかやってしまうゲームだったのだなぁ(あ、アーケード版はもっと綺麗であった)。

 ファミコン版もかなり遊びつくした。そうすると、ちょっと飽きてくるので、マイ・レギュレーションを加えたくなる。
 そこで「ハクソー・リッジ」である!
 自分は一発も弾丸を撃たずに、味方捕虜の解放だけでどこまでできるかチャレンジ。これはかなり難しい。ま、ステージを終わらすために、結局最後は人を撃つんだけれどね。

 あと、このゲームは音楽が妙にいいのである。軽快なメロディでどんどん人を撃ち殺せて行く。誰が作ったか、歌詞までついていたはずだ。

「♪殺せー殺せー、もっと殺せー、いいぞいいぞ、もっと殺せー」

 なんともまあ……。これはうちのローカルで流行った歌詞なので、きっと各地で違うバージョンもあると思う。

 わたし的評価では、クソゲーぎりぎりの線で面白い、という稀有なゲームであった。当時、もっと美麗で世界観も凝り動きもスムーズなシューティングゲームはたくさんあった。なのに、このキャラがカクカク動く「戦場の狼」、好きだったのである。
 なによりこの「戦場の狼」、接待ゲームとしてはかなり優秀であった。なぜかウチに来て遊ぶ友達全員が笑顔になれるゲームなのであった。男の子って、やっぱりドンパチが好きなのね。

 検索して知ったのだが、今年2017年の3月23日には「戦場の狼」スマホバージョンが発売になっているとのこと。世紀を越えて愛されるゲームとなったのだなぁ。
 せっかくだから映画配給元とタイアップして、撃たないけれど、味方を助ける「ハクソー・リッジ」モードでもつけてバージョンアップなんていかがでしょう、カプコンさん。
タグ:ゲーム
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年06月28日

【映画評】ハクソー・リッジ

 病院帰りで血を見たあとに観に行くのには、まあ、最適な映画ではあった、かな?

 戦争映画はあまり好きではないのだが、良心的兵役拒否をするクリスチャンが志願して衛生兵となり、沖縄の「前田高知」こと「ハクソー・リッジ」という地獄の戦闘地帯で「怪我人を救助する闘い」をするというお話と聞いては、キリストもんとして「観ても損はしないかな」という感じでふらりと鑑賞。

 監督のメル・ギブソンはカトリックで、以前、イエスの受難から磔刑死までを詳細に描いた「パッション」を監督した人でもある。
 ただしカトリックはカトリックでも教皇空位論を信奉するちょっとアレなカトリックであり、浮気や離婚までしちゃう人なので、わたしの定義としては「ガチカト」ではない。

 ところでこの、「ハクソー・リッジ」という邦題、なんとかならなかったのだろうか。語感があまりよいとは思えないのである。なんとなく、汚い言葉を連想してしまう。「ハクソウ・リッジ」の方が良かったのではないかなあ。



 さて、ストーリーは上記でも少し触れたとおり、主人公デズモンド・ドスという青年が武器である銃を持つことを拒否しながらも兵役に志願し、実際にあった沖縄の激戦地「前田高知」で、負傷した兵士たちを一人でも多く救うために、実弾、爆薬、手榴弾、瓦礫が飛び交い、血しぶきが舞い、腕がとび、足が千切れる地獄の中を奮闘する、というもの。
 映画冒頭でTRUE STORYと出てくるが、もちろん正しくはBASED ON A TRUE STORYだろう。

 主人公は土曜日が安息日の教派であるということなので、「セブンスデー・アドベンチスト」かな、などとキリストもんは思ったりもする。プロテスタントで、メインラインとは言えないが、まあそこそこ大きな教派ではあろうか。日本では関連企業に「三育フーズ」などがあったりする。

 特にネタバレのあるような映画ではないのでストレートに感想を書くと、ガチカト、キリストもんのひとりとしては、正直「うーん」という感想であった。
「良心的兵役拒否」者でありながら、戦場へ行って「銃を持たずに衛生兵として活躍するならよし」という感覚は、わたしのクリスチャニズムと相入れないものがあるのである。

 主人公ドスは、真珠湾攻撃に衝撃を受け、友人たちが兵役に出る中、また、兵役検査に落ちて自殺した友人がいたという経験もあり、自分も戦わなくてはいけないと、「銃をもたない」という主義を通しながら兵士として志願したのだという。

 まるで(下世話な話だが)、会社の仲間が飲み会の後「風俗へ行こうぜ」と盛り上がり、自分はクリスチャンなので信仰上そういう買春行為はできないから、つきあいで行くことは行くけれど、風俗嬢と話して帰るだけにしょう。だから俺って敬虔なクリスチャン。とでもいうようなごまかしを感じてしまうのである。

 もちろん「TRUE STORY」を謳う本作は、一部の人には「感動作」になると思う。その感情は否定しない。すばらしい。良い作品に巡り会えてよかったね、と心から思う。

 しかしその感動を、主人公ドスの神への敬虔さからだ、と、勘違いしていただいては、フツーのクリスチャンは口がヘの字になってしまうのである。特に日本人は、キリスト教や信仰というものに対し、妙な畏敬を持つことがあるから。
 はっきり言うが、ドスはクリスチャンとしては、かなり変人である。クリスチャンだからあのような「戦場内であっての英雄的行為」ができたのではなく、むしろほかのなにか、強いこだわりに拠っているもののように思われる(実際それは、父母の喧嘩と拳銃を巡るトラウマからきているという描写がある)。

「銃を持って戦うのが兵士の正しいありかただ」と、作中で何度も言われているのだが、同じように、クリスチャンの正しいありかたは「良心的兵役拒否を貫くこと」であったり、「教会という組織を通して戦争に反対」したり「政治に働きかけて戦争をやめさせること」であったりするのではないだろうか。

 極端な話、クリスチャンの闘いは、「一人でも多くの人間を自分の教派に入れること」なのである。

 想像してごらん、戦争なんてないんだと
 ほら、簡単でしょう?
 地面の下に地雷なんてないし、
 僕たちの上には、ただ教皇様がいるだけ
 さあ想像してごらん、みんなが
 カトリックとして生きているって……。

 ほうら、平和だw。

 いろいろネガティブなことを書いてしまったような気がするが、まあ、さすがはアカデミー賞二部門受賞作ではあるかな、という感じで、楽しめたことは記しておく。

 ところで、主人公ドスへ婚約者ドロシーが渡した聖書、ドロシーの写真が挟み込まれている箇所がサムエル記上の17章なのである。やるな、メル・ギブソン。
 同箇所は、少年ダビデが、普通の武器を持たず、敵ペリシテ人の巨人ゴリアトを倒す章なのである。

ダビデは、その装束の上にサウルの剣を帯びて歩いてみた。だが、彼はこれらのものに慣れていなかった。ダビデはサウルに言った。「こんなものを着たのでは、歩くこともできません。慣れていませんから。」(サムエル記上 17:39)


だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。(サムエル記上 17:45)


ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。ダビデの手には剣もなかった。(サムエル記上 17:50)


 どうだろう? 銃を持たず、本当の戦場の英雄となった主人公ドスにふさわしい箇所ではないだろうか。
 思わず、劇場でニヤリとしてしまった。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2017年06月27日

【日記】おひとりさま

「【日記】プラネタリウム」で、カップル溢れるクリスマス時期のプラネタリウムに、一人で行き観ていたことを書いた。そしてわたし、実はそういう「おひとりさま」行動が、全然平気なのであった。

ティーンエイジャーの頃から、一人映画館はもちろん、一人焼き肉、一人ファミレス、一人ボウリング、一人プール、一人展覧会、一人動物園も、なんら抵抗がない。細君というパートナーができてからは、二人で出かけることも多くなったが、都合が合わないときは、やはり「おひとりさま」行動、平気の平左である。

二駅ばかり離れたところに、知る人ぞ知る評判のスイーツバイキングの店があって、ある日、ひとりでふらりと寄って楽しんできた。ここのスイーツはウェイトレスさんに頼んでサーブしてもらう形式。
気に入ったので、翌週、細君をつれて再来したら、ウェイトレスさんに「この前、たくさん召し上がってくださいましたよね。今日は奥様もご一緒でありがとうございます。楽しんでくださいね」と笑顔で言われた。大の男が「おひとりさま」で甘い物をパクパク平らげていたので、印象に残っていたらしい(笑)。

上記のようなスイーツバイキングはもちろん、普通のビュッフェ(食べ放題)も、スーツにネクタイ姿の「おひとりさま」でずんずん入っていく。奇異の目で見られたことがまったくないと言えば嘘になるが、気にしなーい。「おひとりさま禁止」とか「カップルで」という但し書きがあるなら、もちろん無理矢理乱入したりはしない。
わたしはクリスチャンなので「お客様は神様です」なんてのはナンセンスな戯言だと思っているが、特にお店側の禁止事項に抵触しておらず、マナーもドレスコードも問題ない店に「おひとりさま」で入っていくことに抵抗はない。
いいお店だな、と思ったら、後日、細君を連れて再訪するのも楽しみのひとつである。

最近は食が細くなってしまい、体調的に家にこもることも多くなってしまったので、こういうことができなくなってしまったのが残念だ。

もともと、「おひとりさま」行動が苦手ではないのは、ハイティーンの頃から、小説の取材で、一人で出歩くことが多かったからである。
男性編集者との打ち合わせのとき「そういえば、少女マンガ≠竍女性誌≠買うのって恥ずかしいですか?」という話になったことがあった。もちろん、別に恥ずかしいことなどない。相手の編集者も「あ、やっぱりそうなりますよね」という返事だった。業界人は一般消費者とは購買動機が違うので、どんな雑誌でも買うのにてらいはないし、それに慣れてしまうのである。
今では男性が女性誌を買っても違和感がない時代かもしれないが、上記の逸話は昭和のもの。男が少女マンガ≠竍女性誌≠買うのはまだまだ珍しい頃のお話。

そんなこんなで「おひとりさま」行動に抵抗のないわたしであるが、ネットで「難易度が高い」と言われている次の「おひとりさま」行動はできずにいる。

・一人旅
・一人カラオケ
・一人遊園地

「一人旅」がダメな理由は自分でもわかる。もともと旅行が好きではないし、基本、インドア派だからだ。取材・出張が一人旅に含まれるならアリかもしれないが、それは「仕事」であって「旅」が目的ではないから、わたしの中では一人旅ではないのである。
「一人カラオケ」は、もともと「カラオケ」をしないから。二人カラオケでも多人数カラオケでも乱取りカラオケでも、しない。細君に「カラオケ行こうよー」と誘われ続けているが「聖歌なら毎週教会で歌ってるからいいよ」と言って袖にしている。
最後に残った「一人遊園地」。これが難物だ。さすがにできる気がしない。どうせ行くのなら、やはり細君と、と思ってしまう。単に入場単価が高いから、近所にないから、というのはあると思う。
評判の名古屋の「レゴランド」が近所にあって、入場料が1,000円くらいだったら、入ってのんびりと過ごしているかもしれない。

ちなみに話題にもならないが「ひとり教会」というのも、普通人には難易度が高いかもしれない。カトリック教会は(基本、昼間は)聖堂を開けていて、信徒の「ご聖体訪問」ができるようになっている。
他に人のいない、時計の針の音すら聞こえるくらい静寂なお聖堂で、一人、ご聖体を前に祈る時間が好きだ。
「おひとりさま」行動に抵抗のない方は、一度、訪ねてみるとよいかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年06月26日

【日記】ヅラ疑惑

その昔、「深夜のお茶会」という個人サイトを開いているとき、妙にアクセスが多いページがあったのである。

そのページは、プレイステーション版「同級生2」というゲームの付録についてくるフィギュアについて触れていたものであり、そのキャラクターの髪がカポッと取れる仕様になっていたため(いや正確には、カポッとつけて完成させる仕様なわけだが)、「ヅラ疑惑」というタイトルをつけて、確か週刊誌風に面白おかしく書いたページであった。

そのページのページビューがけっこう多かったのである。そんなに評判がいい理由はなんだろうとアクセスログを精査してみると、なんと「ヅラ疑惑」という検索ワードでいらっしゃる方が大勢いた、というのが真相なのであった。

世の中のみなさん、そんなに「ヅラ疑惑」を検索しなければいけない日々を送られているのだろうか……。見破る立場の方なのだろうか。それを阻止する立場の方なのだろうか。興味はつきない。

そのときのページがHDDから発掘できたので貼ってみる。


(クリックで拡大できます)

いやぁ、しょうもないページを作ってましたなぁ(笑)。

自分がハゲるかどうかは、「母の叔父」を見ればわかる、と聞いたことがある。「母方の叔父」ではない。「母の叔父」である。
本当かどうかはわからないが、わたしの父も両祖父も髪が寂しい状況であったにも関わらず、母の叔父がフサフサであったわたしはフサフサである。
いや、年齢並に後退はしていると思うが、ベジータではあってもナッパではない。今のところはね。

父も両祖父も、そういう状況だったから、若い頃から覚悟だけはしていた。細君にも「薄くなったらヅラなんて使わず逆にスキンヘッドにするからね」と宣言していた。

指の手術後、衝動的にQBハウスで丸坊主にした話はすでに書いたが、そのとき、スキンヘッドも試してみなかったことを後悔している。
髪の長さが戻っていったら、教会でなじみの信徒に「お、若返ったねぇ」と言われた。自分ではそんなに感じていなかったのだが、やはり髪があると若く見られるのだろうか。

わたしは年相応に老けて見られる方が好きなので、髪の量はともかく、白髪が増えるのは歓迎である。白髪でフサフサの年輩の方を見ると、とてもうらやましい。

ハゲと言えば、聖書にはこんな記述がある。

エリシャはそこからベテルに上った。彼が道を上って行くと、町から小さい子供たちが出て来て彼を嘲り、「はげ頭、上って行け。はげ頭、上って行け」と言った。エリシャが振り向いてにらみつけ、主の名によって彼らを呪うと、森の中から二頭の熊が現れ、子供たちのうちの四十二人を引き裂いた。(列王記下 2:23-24)


率直に言って、あまりにひどい内容であるので、いろいろな解釈がなされている箇所であるが、まあ教訓として言えるのは「ハゲを莫迦にしてはいけない!」ということである。

カトリック教会では、主日ミサのたびに「聖書と典礼」というパンフレットを配布する。その表紙には、折々の美しい聖画などが描かれているのだが、ある日のパンフレットにはこのようなものが印刷されていた。



これだけではわからないと思うので、左端の柱の文言をアップに――



おぅ、「カール禿頭王」!

自分「おっ、今日の表紙はカールハゲアタマ王か」
細君「(苦笑)トクトウ王って読むんじゃないの?」
自分「いいんだよ細かいことは!」
細君「熊がくるよ!」
自分「やばい、熊くるか。主よお許しを(十字を切る)」

諸説あるが、カール禿頭王は、カトリックへの敬虔を自ら表すために剃髪をしていたのだという(説もある)。わたしのような不敬の輩にどうこう言われる筋合いはない。ごめんなさい。

熊こないでぇーッ!

追記:この記事は字下げしていないことからおわかりいただけるとおり、ずいぶん前に書いていたものなのだが、時事ネタのたびにラストに回されていたものなのであった。
が、このところ、豊田真由子議員の「このハゲーッ!」という暴言が話題になっているので、急遽ラストから今日の記事に回してきたのである。
二頭の熊は急遽、豊田議員の元へ向かっている最中……かもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記