2017年06月20日

【日記】女のごまかし、男の嘘。

うちの細君のレギュレーションはとても厳しく、制服が可愛らしいファミリーレストランには、細君同伴でないと入ってはいけないことになっている。
以前書いたとおり、わたしは「おひとりさま行動」が平気なタチなのだが、細君の言うことにあえて逆らう利点もないので、もちろん、上記レギュレーションには従っている。
ギリで大丈夫なのは「デニーズ」まで。「馬車道」はダメである。今となっては店舗数もめっきり減ったが「アンナミラーズ」などは言語道断のお店であった。

細君に言わせると、馬車道はすでに風俗店なのである(笑)。いや、馬車道関係者の皆様、すみません。それだけ制服が魅力的ということで、この暴言、平にお許しください。

「男なら誰でも風俗に行く」と言う男がいるが、これは嘘である。事実、わたしは今までの人生で一度も風俗店に行ったことはないし、これからも行くことはない。

もしかしたら、蝶ネクタイの少年によって麻酔針を首筋に打たれ、目が覚めると風俗店に寝かされているとか、高速道路をクルマで走っていると、突然眩しい光に襲われ、気づくと体に何かを埋め込まれているとか(ウホッ?)、そういう超自然的な現象でもなければ、自発的に風俗店に行くことはない。

わたしの家族、親族、友人でも、そういうところに行ったという話を聞いたことがない(もちろん、内緒にされていればわからないだろうが……)。同様に、パチンコやギャンブルで身内を困らせている、という話も聞いたことがない。
結局、こういうのは、環境というところもある。「風俗に行く環境に囲まれている男性」は「男なら誰でも風俗に行く」と思っている。だから、配偶者に風俗通いがバレて尋問されたとき「男なら誰でも風俗に行くんだよ!」と言い訳するのである。

だがそれでも、行かない男は絶対行かない。これも確かである。妻にしろ風俗従業者にしろ、女性をひとりの人格を持った人間として尊重しているのなら、そういう場所へ行けるわけがないのである。

というわけで、「男なら誰でも風俗に行く」というのは男の嘘なわけだが、もちろん、それを聞いて嫌悪感を覚える当事者の奥様方がいらっしゃるのは当然だ。

でもですねぇ……。あのですねぇ……。
言ってしまえば、それ、あなた自身の「自業自得」なんですよ。
だって、そんな旦那さんを、あなたは好きになって、愛してしまって、結婚してしまったんでしょう?

世の中には、「風俗になんて絶対いかない男」が一定数いる。いるのである。確かにいるのである。希少種かもしれないが。

しかし、旦那様に風俗に行かれちゃった奥様方は、妙齢の頃、そういう「風俗になんて絶対いかない男たち」を「なんか頼りない」「男として見られない」「情けない人は嫌い」「もっとグイグイ引っ張ってくれる男性でないと」「ストーカー化しそう」「ひたすらダサいよね」「おたくっぽい人きらーい」「キモくない彼?」「草・食・系(笑)」「彼氏としてはムリ」「空気でしょ、あれは」「いたっけ? そんな人」「告白されちゃった嫌だもう死にたーい」などと言って、最初から相手にしなかったのではないですか?

あなたがたは、男性ホルモンが汗腺からジワジワにじみ出ているような、フェロモンむんむんの男を好きになっちゃったのである。そして、そういう男は当然のように風俗に行くのだ。
行くんですよ、そういう男は。未婚の女性方にも言っておくけれど、一見、あなたには誠実そうにふるまっていても、実は心の奥底で、女性をひとりの人格ある存在として見ていない。そういう男は、金で性を買う風俗へ行けてしまうのだ。

こういうのは、男同士だと、なんとなくわかるのだが、女性はコロッと甘言にだまされちゃうんだなぁ……。

だからもう、そういう旦那様と結婚してしまった奥様方は、これからの人生、「そうね、風俗に行かない男なんていないものね」と、自分をごまかして生きていくしかないのである。可哀想だが、妙齢の頃、男を見抜く目がなかったのだから仕方ない。

まだ未婚の妙齢女性に言っておくと、一応、風俗に行く男性を見分ける方法は、ある。
「店員さんに対して横柄な男」「モテない男の悪口を言う男」「男はかくあれ、という信念がある男」「女はこうしろ、という偏見がある男」「だから○○は、とヘイト発言をする男」「動物嫌い」「暴力をふるう男(論外)」、等々。

そして最重要ポイント。あなたが今風の普通の女性で、女性の友だちがたくさんいるのなら、「あなたが魅力的だと思う男」。要するに、女性たちのマウンティング合戦の中で、あなたの目に魅力的に映る男性は、風俗に行く可能性があるということ。なんとも、皮肉なことだが。

あなたが自分を、同性の中でも浮いている「変人」だと思っているのなら、あなたが恋する相手は大丈夫かもしれない。
きっと、希少種同士、うまくいくでしょう。

まぁあれだ。本当に風俗に行かないような男性と結ばれたいのなら、カトリック教会へいらっしゃい。
でも頼むから、司祭になりたての若い神父様は誘惑しないで、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年06月19日

【回想録】Mの思い出

 この記事は、2017年6月17日に書いている。この日がなんの日か、もう、忘れてしまった人も多いだろう。そして、人々の記憶から消えていく方が良い日でもあるのかもしれない。
 2008年6月17日は、宮崎勤の死刑が執行された日である。

 もう、若い読者にはピンとこないかもしれないが、宮崎勤は、昭和63年から平成元年にかけて起きた「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の犯人であった。
 わたしより年上だが、ほぼ同世代の男と言ってよい。いま、わたしは、彼が死んだ年よりも年上になった。
 宮崎勤の死刑が執行されたその日、わたしはどこか、なにかのひとつの時代が終わったような気がしたものであった。

 わたしはクリスチャンであるし、死刑には基本的にも応用的にも反対である。しかし、宮崎勤の死刑を聞いたその週、教会にご聖体訪問をしに行き、いったいなにをどう祈ったらよいのか、頭に浮かんでくるものがなかった。まずは、彼によって天国へ送られた子どもたちの安らかな眠りを祈り、次いで、彼によって傷ついた人々の心の平安を祈った。それから――彼自身の為に祈れたかどうかは、正直、わからない。

 ひとつお断りしておくと、今でこそ「結城さんて○○おたくですよね」と言われることは少なくない(のかもしれない)が、わたしは宮崎勤の事件の頃、いわゆる「おたく」ではなかった。部屋はミニマリストのようになにもなく、メジャー出版社で小説を書き、アニメ制作に関わっていた。スマートな体躯で(自分で言うか)、女子大生のフィアンセがおり、新人類の旗手と呼ばれ、システム手帳と洋書を持ち歩くような、むしろ昭和バブルを引きずった青年であった。
 根っ子のところはともかく、当時は、いわゆるマスコミがバッシングした「おたく像」とは正反対であったと思っている。
 なので、宮崎勤の「おたく性」にはまったくシンパシーを感じなかった。

 ただ、当時、週刊誌で公開された彼の部屋の写真は、わたしの友人にもビデオテープと雑誌に囲まれた部屋に住む者がおり、「言うほど異常じゃないよな」という感想は持っていた。

 あれは暑い夏の日だった。別件で捕まっていた宮崎勤が一連の誘拐殺人逮捕で再逮捕されたという一報が入り、将来の細君と、クルマの中で号外を読んだ。夏コミ直前のことである。
 報道合戦が始まり、宮崎勤が以前、コミケに参加していたというニュースが入ってきた。
 将来の細君は、当時からコミケの島の中の人だったので、夏コミがどうなるのか心配していた。
 当時、古いコミケットカタログを並べていた専門店に寄って、宮崎勤が参加していたときのそれをめくってみたら、すでに誰かの手によって四角く切り取られてなくなっていた。

 その年の夏コミも、なんの問題もなく開催され、平和に終わった。
 ワイドショーレポーターの東海林のり子氏が「ここに10万人の宮崎勤が――」発言をしたのは都市伝説化したデマであることがわかっている。


(記事と直接関係はないが、別冊宝島の「おたくの本」。宮崎勤逮捕の年のクリスマスイブ(1989年12月24日)に発行されている。宮崎勤によってマスコミが根付かせようとした「おたく族――アニメやマンガのファンでファッションや恋愛に興味のない暗い青少年」像を壊そうという意欲的なムックであった)。

 わたしが当時、「おたく」ではなかったのは、自分が得意とするコンピュータ分野から、意識的に離れていたからだと、今になって分析できる。コンピュータから離れていたのは、それはやはり、文芸の方で身を立てたいという気持ちが強かったからだろう。

 そんなわたしが、事件からかなりの年月が経った21世紀になって、宮崎勤の死刑で「ひとつの時代が終わった」と感じたのは、本当に心の底から正直に言ってしまえば「わたしが嫌悪するタイプのおたくの象徴が消えたから」ということなのかもしれない、と思う。

 今の「おたく」は社会とのバランスが取れている人の方が多い。そう、信じたい。「宮崎勤タイプのおたく」は、皆無ではないだろうが、少なくなった、と。

 宮崎勤は本物のペドフィリアではなく、大人の女性との交際ができなかったので幼女を狙った、という考察がある。これを現代で「二次ロリ」に言うと「そんなことねぇっすよ」という返事が返ってくる。まあそうだろうな、とは思う。しかし、現代のマンガに描かれている女性は、年配であっても総じて目が大きく幼い顔立ちだ。
 昔の「エロトピア」はすごかった。アニメ絵ではなくリアル絵路線である。
 宮崎勤の部屋に転がっていたというエロ本は「若奥様の生下着」というリアル路線のエロマンガであったと知られている。


(上記「おたくの本」より。昭和の代々木駅ホームにはこうやって絵を自由に書けるスペースが設けられていた)

 宮崎勤が事件を起こさず、今でも市井にいたとしたらどうなっていただろう、と、夢想する。意外と、三次元のアイドルマニアになって、AKB48とかに熱中していたのではないだろうか。
 仕事はしているだろうか? これも、最近問題になっている高齢者ニート(嫌な呼び方だが)になっているかもしれない。未婚であるような気がする。2ちゃんで女性ヘイトの書き込みをしながら、女性声優に粘着していたりするかもしれない。

 この記事は特に構成も考えず、心に思い浮かんだことをそのまま書いている。あまり愉快な記事にならずご容赦。
 叙情的な記事なので、「昭和の遺伝子」にカテゴライズしたかったのだが、事件そのものは昭和と平成のちょうど変わり目に起こっていたのであった。

 この原稿を書いているとき、わたしのスマホは229曲リストアップしてランダム再生しているショパンのピアノ曲から、よりにもよってTristesse――「別れの曲」を再生しだした。そし次の瞬間、Bluetoothスピーカのバッテリがあがってブチンと切れた。
 なんとなく、宮崎勤のそれを象徴しているようで、なにか、神さまの悪戯を感じずにはいられない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年06月18日

【回想録】ミュシャと悪徳絵画商法

 六本木の国立新美術館で開かれていた「ミュシャ展」も、来場者60万人を越えて閉展したとのこと。公式ツイッターを見ていたら、待ち時間が最長で150分となっていたときもあった。いやあ、日本人のミュシャ好きを改めて知ったという感じである。

 と同時に、この日本人が好きな「ミュシャ」はあくまで「ミュシャ」であって、今回の大目玉であった、祖国チェコのために連作絵画「スラブ叙事詩」を描いた後期の「ムハ」ではなかったのだろうなあ、とも思う。
 多くの日本人にとって、下の美女画に代表されるようなミュシャの絵が「彼の仕事」として認識されていたのではないだろうか。


(「ジスモンダ」ポスターより一部)

 恥ずかしながら、わたしもそうだった。今回初めて、アール・ヌーヴォーのコマーシャル・デザイナーとしてのミュシャではなく、画家ムハとしての絵画を見、また、彼が東方正教会の敬虔な信徒であることを知ったのだった。

 ミュシャ――チェコ語読みでは「ムハ」の偉業は、わたしがここでいろいろと書くよりも、ちょっとググって他のページでごらんいただく方が正確で情報も多いだろうし、今回の展示会の図録もまだご購入いただけるだろうから、あらためて何かを記すようなことはしない。


(今回の「ミュシャ展」の図録)

 ただ、日本人の「ミュシャ好き」の多くは、その昔の、あの「悪徳絵画商法」がきっかけのひとつになっているのではないだろうか、と、その思い出を書くべく筆を執った次第である。

 あれはまだ昭和の時代だったと思う。将来の細君と東京でデートをしていたら、街なかで何かを配っている人がいる。なにかの絵の展示会をやっているので、是非ともいらしてください、という。それがミュシャだった。
 そう、今で言う「エウリアン」「ビバン商法」「イルカ絵売り」である。しかし当時は、インターネットはおろかパソコン通信がやっと始まったばかりの頃。そういったイカサマ絵画商法はまだまだ知られておらず、警戒する人もいなかった。まあ、時間もあるし、ということで、ビルの一角へ。エレベータで上って上のフロアだったと思う。

 入ると、ミュシャの絵のしおりのようなものをくれたと思う。広い場所を借り切って、ミュシャの美人画絵が並んでいた。一枚一枚の大きさもそこそこ大きい。人の入りも悪くなく、普通の美術展のようである。
 イラストレーターの細君は、けっこう興味津々で、端からずっと見て回っていった。あら、展示会なのに、一枚一枚の下にお値段が書いてある。時はバブルの頃で、だいたい、一冊本を出した印税の四分の一くらいのお値段だったかな? それでも安いお値段ではない。
 それまでも、ミュシャの絵はもちろん見たことがあったが、この時初めて、わたしはこの美人画の作者がミュシャであることを強く結びつけて知ったのであった。

 細君は熱中すると、時間を忘れて自分の世界に入ってしまうところがあるので、わたしは少し離れたところで、やあ美しいなあ、日本で言えば竹久夢二的な商業画家なのかな、ミュシャって。などと思っていた。

 すると突然「素敵なおネクタイですね」と声をかけられた。
 今でもその一言をよく覚えている。横を見ると、今にももみ手をしそうな雰囲気で、パンツルックで名札をつけた女性が立っている。すぐに会場側の人間であることがわかった。
 なんだこいつは、キモいなあ(当時はこんな言い回しはなかったと思うが)と思いつつ、向こうの言うままに会話に入る。
「絵にご興味はおありですか?」
「ええ、彼女がイラストレーターなので。わたしはつきあいみたいなもので」
 なんて感じの会話を交わしたと思う。
「どの絵が良いとお感じになられました?」
「そうですねぇ、あれなんかいい感じですよね」
「でしょう! さすが彼女さんが本職だけあってお目が高い」
「はあ……(関係ねーじゃん)」
「今ならですね、この絵が××万円なんですよ。いかが思われます?」
 時はバブルである。しかしわたしは根っからの吝嗇家なのであった。
「いや、高いですねぇ」
「みなさん、最初はそうおっしゃられます。けれどこれは絵の価値としてだけではなく、ここだけの話、投機目的でお買いになられる方も多いんですよ」
 いやそりゃ、ミュシャの美人画はすばらしい。しかしこれは「複製」である。そんなものが投機の対象になるわけがない。
 こんな感じでのらーりくらりと相手の攻撃を交わしていたら、だんだんと相手の表情が険しくなっていった。
 そして、最後に、衝撃の一言が彼女の口から出たのであった。
「あのですね。ここは、絵を買う方が来る場所なんですよ。あなたのように見物目的で来る人は迷惑なんです!」

 ムッカー!

 路上で「来てください」と券を配っておいて、いざ入ってやると、最後にこの言いぐさ。これにはさすがに腹が立った。
 将来の細君を呼び戻し、頭から湯気を立てながら階段を駆け下りてビルを出た。

 今思うと、この「悪徳絵画商法」もまだ始まったばかりで、カモに対する受け答えがマニュアル化されていなかったのだろう。でなければ客を怒らせて帰らせてしまうようなチャートはなかったと思われる。しかしこれが「悪徳絵画商法」の本音であることも確かだ。

 それ以降、似たような「悪徳絵画商法」は、イルカ絵、あと、ゴルフ場の絵などで、デパートの一角を借り、ツアーのように、いろいろな場所で、素人相手にあの手この手で複製絵画を売りつけるようになり、パソコン通信でも「注意」の書き込みが出るようになったのだった。
 ミュシャは出始めの頃だけだったように思うが、記憶は定かではない。
 インターネット時代になり、秋葉原にエウリアンが出るようになって、皆がみな警戒するようになったので、この「悪徳絵画商法」が下火になったのは、みなさんご存知の通り。
 それにしても、わたしにかけられた最初の「素敵なおネクタイですね」と、最後の「あなたは迷惑なんです!」がインパクト強すぎて、もう、わたしの中では笑い話である。

 それでも、あの「悪徳絵画商法」が出始めにミュシャの美人画を選んだことで、コマーシャル・デザイナーとしてのミュシャを知った、という日本人は少なくなかったのではないだろうか。わたしのように。
 なんとも、皮肉なことだが、日本のミュシャ人気のひとつのきっかけに、例の「悪徳絵画商法」が噛んでいたのだとしたら、それはそれで、時代のいたずらだったのかもしれない。

 ミュシャはコマーシャル・デザイナーとしての地位を確固とした後、自分が裕福な者の位置に立ち甘んじていたことを悟り、50歳にして故郷チェコに帰り、大作である連作絵画「スラブ叙事詩」に取り組んだ。しかしその連作絵画が完成する16年の間に時代が変わり、完成した「スラブ叙事詩」はチェコの国民には不評だったという。
 ミュシャ本人もプラハ入城したドイツ軍に捕らえられ、厳しい尋問を受けたという。その4ヵ月後、彼は帰らぬ人となった。
 彼の失望を想うと、連作絵画「スラブ叙事詩」が再評価され、今こうやって日本で観られることを、神に感謝するしかない。

 ただ、ミュシャ本人は不本意かもしれないが、わたし自身には、コマーシャル・デザイナーとしてのミュシャの仕事の方が好きだと感じるところがある。
 今で言えば「萌え絵」である。もし現代の日本にミュシャが転生してきたら、スマホゲーでSレアカードのグラフィックを描かされていたに違いない。


(四芸術より「ダンス」「絵画」「音楽」。無課金勢でも取れるかナ?)

「スラブ叙事詩」を観て思うのは、現代のカトリックのわたしが思う以上に、当時のカトリックと東方正教会の溝は広く深かったのだなぁ、ということだ。
 連作の一枚「ヴィートコフ山の戦いの後」の中に司祭がオステンソリウム(聖体顕示台)を掲げている箇所があり、ああ、東方正教会はプロテスタントではないのだなぁ、とあらためて強く思った。


(「ヴィートコフ山の戦いの後」の一部)

 そんなわけで、この記事は「キリストの聖体」の祝日に掲載することにした。
 すべてのキリスト信者が一体となる「エキュメニカル」が、言葉だけの遊びにならず、キリストの聖体のもと、ひとつになれる日が訪れますように、と。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年06月17日

【日記】この時期のマシントラブル

 ついにメインマシンをつないでいたオムロンのUPS(無停電電源装置)が落ちるようになってしまった。ちょっと前からバッテリ老化警告は出ていたのだが、換えのバッテリを検索したら「もう交換バッテリは出してやらんから我が社の新しいUPSを買え!」という内容だったのでゲンナリし、放っておいたのだ。

 停電対策にUPSにつないでいたのに、そのUPSがPCの電源を叩き落とすのだから本末転倒である。

 一時期は四台のUPSを稼働させ、メンテのバッテリ交換も定期的にやってきたが、今はこの寿命を迎えた一台を入れて二台だけである。
 以前はよくブレーカーが落ちたのでUPSが必須だったのだが、基本のアンペア数を上げたので、滅多に商用電源そのものが落ちなくなったのだ。なので必要性もだいぶなくなったというのが正直なところ。
 それにしても、バッテリがダメになると、電源タップとしての利用法すらできなくなるというオムロンUPSの仕様はどうか。せめて電源タップとして利用できれば、雷サージ機能くらい使えたというのに。
 というわけで、今回はUPSのリプレースはしない。そこから取っていた各種電源は電源タップからの配線でよしとする。

 どうもこの時期は、オカルトじみたマシントラブルが多くてため息である。
 冬の寒い時期のマシントラブルの理由はわかる。寒いからである。今使っているメインマシンは、二月から三月にかけてはKP41で良く落ちる。が、これは腹を開けてメモリの接点部をエタノールで拭き強く差し込み直せばたいてい調子よくなってしまう。

 対して五月、六月のマシントラブルは、けっこうソリッドステート部品以外のところがヤられるケースが多いような印象。

 一番参ったのが数年前のHDD故障だった。ちょうど五月末、会社の確定申告の書類を作り終わり、税務署、県税事務所、区役所と回って書類を提出。銀行で法人税、法人県民税、法人市民税も納め終わり、開放感とともに事務所に帰ってメインマシンを起動しようとしたら、ウンともスンとも言わない。HDDが頓死していた
 サーッと顔が青くなった。まいった。今期の弥生会計のデータの多くが、そのローカルHDD上に入っていた。ああああー、NAS上で作業しておけば良かった、と思ってもあとの祭りである。
 再びクルマを出して街へ行き、換えのHDDを買ってきて、午後から夜にかけてHDDにOSをインストール。そして弥生会計に再び取り組み、今日提出した書類の数字と違いがないように、再び今期の仕訳などを入力。NASにちょっと前のバックアップが残っていたのが僥倖であった。
 いやしかし、このHDD頓死が一日前だったらもっと死んでいたのだ。すべての書類が印刷し終わっており、提出期限に間に合ったことを神に感謝すべきである。

 なんてことを書きながら、ふと、マシンの横を見ると、WOLリピータのステータスランプが、数秒ごとに赤く点滅している。あれぇ? こんなことは今までなかった。



 WOLリピータは「スタアストーンソフト」製である。わたしのものは型番が古くなってしまったが、数年前に導入し、とても安定稼働している。お勧めの製品だ。
 マニュアルによると、この赤点滅はマジックパケットが流れたときに点くということだが、どうもLAN内にマジックパケットを定期的に出している妙な機械があるらしい。いろいろ調べて、ONUか光電話ルータが怪しいことはわかった。そいつらをリセットしたいところのなのだが――ONUも光回線ルータも細君のマシンの裏側にあるのだ。そしてそこは、細君のモノの巣窟なのである。ONU君、キミ、モノに埋まっているよ……。

 放熱にもよろしくないなぁ。まあNTTからのレンタル品なので、故障しても無償交換してもらえるからいいのだが……。

 とりあえず、今現在、WOLはLAN内からでもWANからでも問題なくできる(DynDns使用)し、勝手に立ち上がったりもしないので、しばらく様子見というところ。
 なんなんだろうなぁ、この点滅。

 この時期はただでさえ、法人税、法人県民税、法人市民税、自動車税、さらに文芸家協会の会費を払って会社も個人もピーピーなのである。
 これ以上、なにか故障など起こらないことをお祈りくださいませ……。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年06月16日

【日記】イメージ

 いくえみ綾先生原作のマンガ、「あなたのことはそれほど」がテレビドラマ化され、作中の不倫ヒロインを演じている波留さんが、あまりにドラマの「不倫妻」をうまく演じすぎていて、これまでの好印象がガタ落ちになっているという。

 わたしは原作しか読んでいないので、ヒロイン美都は品行よろしくない女性だとはもちろん感じるが、不倫相手の光軌の方が、なんとも「人間のクズ」で鼻持ちならないと感じるのは、わたしが男性だからであろうか。
 光軌を演じている俳優さんがどなたかは存じ上げないので(テレビドラマは見ていない)、波留さんだけがバッシングされるのは、なんとも不公平に感じる。それとも、ドラマのシナリオではヒロイン美都の幼児性がさらにアップして描かれているのであろうか。

 なんにしろ、役を演じている俳優さんと、その役自身が別物であるのは当然のこと。同一視されてバッシングされるのは「役者冥利」につきるのかもしれないが、迷惑なことでもあろうと思う。

 と、書きつつ、実は俳優さんではないが、自分にもこういう莫迦莫迦しい先行イメージがついてしまって、聞けなくなってしまった「曲」がある。
 それはアンドレ・ギャニオンの「めぐり遭い」「愛につつまれて」という、美しいピアノ曲である。今も、それをBGMにこれを書いている。柔らかい旋律と優しいタッチ。本当に素晴らしい曲である。
 しかし、わたしはこの曲を素直に聞けるようになるまで、けっこう時間が必要だった。

 なんとなれば、この両曲、柴門ふみ先生の「Age, 35」のテレビドラマで使われており、このドラマのストーリーは、そう、不倫ドラマだったのである(これが放映されていた時代は、細君と一緒に、けっこうテレビドラマを見ていたのだった)。
 ドラマに出てくる俳優さん、女優さんは、その役柄を演じているだけだし、嫌悪感を覚えるようなことはなかった。
 しかし、不倫のシーンで流れてくるこの二曲、「めぐり遭い」「愛につつまれて」を聞くと、条件反射的に「不倫UZeeeee!」となってしまい、美しいメロディだというのに、脳が拒否反応を起こしてしまうのである。

「不倫ぶっこいてんのに、自分に酔った美しい曲流してんじゃねーよ!」
 そんな感じ。えらい八つ当たりである。

「これは曲だ。ドラマとは関係ない。ドラマとは切り離して聞こう」とできるようになったのは、かなり経ってからだった。
 今はこうして、BGMにしながら書けるくらいだから、そういったものを乗り越えて、いい曲だと思えるようになっている。

 自分にも、こういう、どうしようもなかった条件反射的な経験があるので、今、波留さんに「不倫妻」のイメージを重ねて、根拠のないバッシングをしてしまう、という人の気持ちもわからないではない。

 波留さんご自身は、「ヒロインに共感はできないが与えられた役を演じるだけ」とおっしゃっているとのこと。ヒロインにシンパシーを持てないのに、役を自分と同一視させるほど視聴者を惑わす演技ができるというのは、役者として相当の実力があると言うことだろう。こんなバッシングが、後々、笑い話になってくれることを祈る。

 ところで「あなたのことはそれほど」の作中で、ヒロインは陶芸教室に通うようになる。「Age, 35」の「サレ妻(不倫をされた側の妻を指していう隠語)」も、陶芸教室で大学時代の同級生と遭い、自分も彼と不倫してしまうのである。
 陶芸教室には、不倫を呼ぶなにか負のオーラが満ちているのであろうか!


(いくえみ綾「あなたのことはそれほど」2巻より。陶芸教室への熱い風評被害w)

 あと「あなたのことはそれほど」のドラマで、美都の不倫を知りつつ離婚しない彼女の夫、凉太が、「冬彦さんの再来?」と言われているという。
 彼については原作中で、母の家がカトリック、父も母の死後洗礼を受けた、という描写がある。ひょーっとしたら、その影響で、息子である凉太もカトリックの洗礼を受けたという可能性があるのではないか(堅信はまだとしても)。


(いくえみ綾「あなたのことはそれほど」4巻より)


(いくえみ綾「あなたのことはそれほど」4巻より)

 ご存知の方も多いと思うが、カトリックでは離婚は許されていない。
 美都と涼太は結婚式をあげず、ハガキ一枚で友人らに結婚を伝え、そのうちお披露目会を、という過去があったことが描かれているので、式はあげなかったのだろう。涼太がもし子どもの頃に洗礼を受けていたとしても、今は敬虔な信徒ではないことは確実である。

 ただ、カトリック家庭で育った凉太が、美都の不倫を承知しつつも離婚しない、というのは、ひとつの心理的通奏低音として、そういうものもあるのかもしれないな、というような感想を持った。
 まあ、こんなのは妄想レベルの、微レ存な可能性だが。

 カトリックの離婚に関しては、実は裏技があるにはあるのだが、それはまた、今度の機会にでも。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記