2017年06月04日

【日記】活字をおかずに飯を食う

子どもの頃から青年期にかけて、わたしにはタイトルのような「活字をおかずに飯を食う」習慣があった。
朝食は朝刊を読みながら、昼食は単行本を読みながら、三時のおやつは文明堂ではなく文庫本を読みながら、夕食時はさすがに家族に憚られるので我慢したが、ひとり暮らしのときは遠慮なく、なにかを読みながらモグモグ食べていた。

結婚して、細君の愛妻料理が食卓に並べられるようになると、さすがに「ながら食事」はもうしわけないと思い(このあたりが空気読み)、食べるときは箸に専念するように。

しかし思うのだが、「活字を読みながら」飯を食う方が、確実に飯も美味いのである。そういう方、他にはいらっしゃらないだろうか?
決して、作っていただいた食事をないがしろにしているわけではないのである。むしろ、食事を美味くするさらなる調味料や、箸休めの一品料理として、活字が存在している、そんな感じ。

冷たいアイスを食べると、頭がキーンと痛くなる現象がある。これは脳にある冷たさを感じる部位と、痛みを感じる部位が近いからなのだという。
同じように、わたしの脳の場合、活字を読んで愉悦を得られる部位と、料理を食べて官能を得られる部位が近いのである、きっと。

逆に、なにか文章を書いているときは、食欲がガクンと落ちるのである。なにかを食べたいとは思わない。それで体温が上がってカロリーを消費するものだから、すぐに痩せてしまう。
なにも脳科学的な根拠はないながらも、わたし的には経験則的に、「食欲中枢」と「読書中枢」は近いところにある、と感じている。

食べながら読書をする、というのは、端的にいって「行儀が悪い」ことは百も承知である。食事中にスマホを眺めている青年は、世間様でも、拙い箸使いと並んで「親の教育がなってない」と言われることのひとつだろう。
わたしも最近、エプロンをつけてフライパンを振ったりするようになったので、自分の作った料理を、「ながら読書」で食べられたりすると、やっぱりちょっとムッとするという心理も理解できる。料理を作ってくださった方に対しても失礼である。

しかしなぁ、本当に「美味い飯」を食べるときって、人間、行儀なんて忘れちまうものじゃあ、ありませんか? ケンタッキー・フライド・チキンは、どんな美女でも野獣のように食べるものなのである。

まあ、わたしのように「活字をおかずに飯を食う」人間は、きっとごく少数だと思うが、それは決して、食事をないがしろにしているのではなく、むしろ食事自体をさらに美味しくいただくためにやっていることなのだと、ご理解いただければ幸いである。

あと、ひとつにはこれ、わたし特有の「味音痴」もあるのだろうと思う。あまり味にこだわりがないからこそ、「活字」で味を変えないと食べられないのである。
もし、わたしと同じように、「活字をおかずに飯を食う」人がいらっしゃるのなら、ひょっとして……失礼ですが、あなたも「味音痴」ではありませんか?

さて、そんなわたしも、最近は昼夕の二食生活で、量も入らなくなったものだから、「活字をおかずに」することもほとんどなくなってしまった。

今日は病院からの帰り道、無性に食べたくなったカップ焼きそばを買ってきてひとりで作り、本を読みながらモグモグと、ひさしぶりに「活字飯」を堪能したところ。うん、やっぱり、なにか読みながらだと美味さが違いますよコレ。

わかんない人にはわかんないだろうなぁ、フフン? と、行儀が悪いのは承知の上で、ひとりドヤ顔なのであった。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記