2017年06月06日

【日記】ブリューゲル「バベルの塔」展

 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。(旧約聖書「創世記」第11章1-9節)


 というわけで、ミュシャ展はもう終わってしまったので、それに絡む思い出話はまた今度にして、本記事は、まだ7月2日まで会期が残っている、上野は東京都美術館で開かれている『ブリューゲル「バベルの塔」展』に細君と行ってきたお話。

 さて、上記の囲みが「旧約聖書」に書かれた「バベルの塔」についての全文である。おそらく、多くの方が勘違いなさっていたのではないだろうか。
 神は決して、人が天まで届く塔≠建てようとしたことに怒ったわけではない。そしてその塔を、怒りの雷で破壊したわけでもない。
 やったのは「言語を混乱させた」ことである。バベルの塔は、人間の言語が多種多様に分派分裂していったので、意志の疎通ができずに建設が断念されたのだ。

 そんな「バベルの塔」を描いた有名なブリューゲルのこの絵を「聖霊降臨の主日」直前に見られたことを幸せに思う(イエス復活後の五旬祭の日に使徒や弟子たちに聖霊が満ち、多種多様な人種の人々の意志の疎通ができたことを「聖霊降臨」と呼び、教会では「聖霊降臨の主日」、別名「ペンテコステ」と呼んで祝っている)。

 ブリューゲルの「バベルの塔」には二種類あり、ひとつは1563年に描かれた、ニムロド王の一行が左下にいるバージョン大バベル=B



 もうひとつが、1568年頃に制作された小バベル≠ナある。



 美術史的には小バベル≠フ方が評価されているという事だが、わたしはなんとなく、子どもの頃から複製本などで見慣れてきた大バベル≠フ方が好きだ。
 が、今回、展示されたのは、この小バベル≠フ方である。



 実は当日、午前中は六本木の国立新美術館で「ミュシャ展」。昼にサントリー美術館で「神の宝の玉手箱」展とハシゴしてきて、けっこうクタクタであった。なのでまずは甘いものを補給。
 美術館併設カフェに「バベルの塔展コラボメニュー」があったので、迷わずそれを注文。





 トッピングにレンガ色ということでイチゴや、雲のミントが乗っていても良かったんじゃないかなー、などと細君とおしゃべりしながら、美味しくいただきました。

 そして展示会へと。目的は「バベルの塔」だが、それにいたるまでのネーデルランド美術品の数々が実に素晴らしい。最初、この展示会の図録はどうしようかと迷っていたが、すぐに購入を決めたくらい。

 そしてたどりついた本物の小バベル=B人の集まりの中に展示されているそれは、実に小さかった! この一言につきる。大きさは59.9センチ×74.6センチである。購入した図録に「実物大ポスター」が入っているのだが、広げれば、小さなテーブルに十分乗ってしまう大きさなのだ。
 そしてそこに、微細に細密に筆が乗せられている。これからご覧になろうという方は、ぜひともオペラグラスなどをお持ちになっていかれることをお勧めする。

 もちろん、触れられる距離に人が入れないよう、壇は設えられているが、特にガラスケースなどに入れられることもなく、自らの目でこの小バベル≠フ本物が見られたのはまさしく眼福であった。

 芸術こそが、言語を越え感動を人々に伝えてくる「バベルの塔」そのものなのではないか? などと、ふと思ったりもした。

 他にも、カトリック系の美術作品などが見られて実に興味深い展示会であった。細君の洗礼名の聖人画がわりと多かったのも嬉しい。
 展示会を出たところにある、公式おみやげ物コーナーにその聖人の複製画があったので、これは買っておかなければあとで後悔する、と、即決でバスケットに入れてしまった。
 ほかにも、「創造主になった気持ちで、お召し上がりください」と謳った「バベルの塔展公式手作りシフォン」なんてのも。



 甘いもの好きとして食指は動いたが、ちょっと自宅まで持ち帰るのが大変そうだったので、これは断念。



 図録もフルカラーのハードカバー仕様。実に豪華で中身も充実している。しばらく楽しめそうだ。上に乗っているのはメッセージカードとバベルの塔キャラメル。と言ってもバベルの塔は箱だけで、中身は普通のキャラメルである。

小バベル≠フ複製画も、七万にいかない額で予約受付中であった。どこぞのエウリアンとくらべたら実に良心価格である。

 あと、『ブリューゲル「バベルの塔」展』の公式おみやげ物コーナーではなく、東京都美術館のほうのおみやげ物コーナーで、「バベルの塔」ブックカバーを販売していた。これはすでに販売終了しているグッズセット前売り券Dについていたものかもしれない。買い逃して悔しい思いをしている方は、急げばまだ残っているかもしれない。

さて、『ブリューゲル「バベルの塔」展』を見たあとは、すぐに上野を後にしないで、藝大の「Study of BABEL」展へと足をお運びすることを強くお勧めしたい。
 ここでは3メートルを超えた大きさで立体化したバベルの塔を観ることができる。撮影もフラッシュをたかなければOKとのこと。





 その場で自分の顔を撮影し、自分が建築現場で働いているところが見られるなど、遊び心もいっぱいである。



 わたしはキリストもんだし、ガチカトなので、午前中の美術館のハシゴの疲れも忘れるほど、実に充実した時間を過ごせたが、宗教色を離れても、すばらしい美術品の数々だと思う。

 それにしても「ミュシャ展」と『ブリューゲル「バベルの塔」展』をハシゴして感じるのは、やはり西洋美術史とキリスト教史は切っては離せぬものなのだなぁ、ということ。
「聖クリストフォロス」の絵画を見て「ふーん、綺麗」と思うのと「おぉ、聖クリストフォロス様!」と感じるのとでは、根源的になにかが違う。世界を外側から見るか、内側から見るか、の差とでも言おうか。
 これは西洋音楽史にも言えることなのだと思うが、そういった諸々は、またいつか、別の記事で。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記