2017年06月09日

【日記】半永久的

CD-Rドライブを入れたのは、早い方だったと思う。定評のあるYAMAHAのCRW4260tx。SCSI接続の製品だった。

当時、CDを自分で焼ける、というのは、PCユーザー皆の夢であった。CD-ROMドライブはほぼ100パーセント普及し、MOもけっこう持っている人が多かったが、やはり、「半永久的にデータを残せる」(という惹句の)CD-Rというものは夢のデバイスだったのだ。
音楽CDプレイヤーで、自分が焼いたCD-Rを再生できる、というのも大きかった。まだシリコンプレイヤーが出始める前である。車載のオーディオが、カセットから、やっと「フツーCDでしょ」と言われる時代になった頃だ。
わたしは10連装のCDプレイヤーを車載していたので、自分がCD-Rで焼いた音楽CDがクルマで再生できるのが、ことのほか嬉しかった。

さて、そのCD-Rだが、10年ほど前から、読めないものが増えてきたのである。どころか、当時焼いたものでまともに読めるものの方が少ない、という事態になってきてしまった。
CD-Rが出始めた当初は、確かに「半永久的」という言葉が使われていたと思う。
当時でも、安物のメディアは良くない、とは言われていた。ただ、「焼き失敗」はあっても、太陽誘電などの名の知れたメーカーのメディアならば、保存状態が良ければ「半永久的」じゃないかな? ぐらいの楽観視はあったのである。
ところが現実は、太陽誘電の良いメディアを使って、綺麗に焼き(当時、焼き方もけっこう流儀があった)、保存状態も低湿低温暗所に置いておいたディスクが読めなくなっている。
表に油性マジックでデータ名を書いたところなどが透明に抜けてしまって、ひと目で「こりゃもうダメだなあ」とわかるようなものも多い。油性マジックでデータ名など書かず、ただ付箋を貼るだけにしておいた方がまだましだったかも。
こうなるとわかっていたら、定期的にHDDに移してバックアップしなおしておくべきだった、というデータも少なくなく、少なからずショックである。

わたしが子どもの頃は「半永久的」というのは、実に魅力的な言葉であった。それは、数年でダメになるメディアが多かったからである。
レコードは再生するたびに原理的に音が劣化するし、カセットテープも録再ヘッドは確実に削れていく。両者とも熱に弱く、レコードは傷をつけないよう丁寧に扱わねばならなかったし、カセットは機構に巻き込んでしまったら悲惨だった。

「半永久的」という言葉を、もう少しわかりやすく捉えれば「その人の人生の中で変わらず使えるくらいの耐久性」なのだろう。
CD-Rの実際は長く保って20年くらいだそうである。30歳の自分は、50歳の自分を想像できなかった。そういう意味では確かに「半永久的」だが、実際に50を越えてみると、冗談じゃない、なのである。

わたしが一番最初期に買ったCDは「オーディオチェックCD」「シンセサイザーによる四季」だったが、これはまだ問題なく聞ける。CDは「半永久的」と言っても大丈夫そうだ。今のところ。
LDは発売当初からしばらくは「半永久的」と言われていたが、やがて「メディアが錆びる」と言われ、確かに画像にノイズが乗るようになってしまった。これは「半永久的」ではなかった。それ以前に再生機がなくなってしまったのだから、もう笑い事ではない。

ビデオカセットが普及した頃、アイドル番組を録り溜めて「老後の楽しみにするんだ」と言っていた友人がいた。今となっては再生機がない。なんとも、彼のお宝がどうなったのかはわからない。

こういう経験をしてきたので、DVD-Rにもデータを残しておこうとは思わない。これから先、どんなに容量の大きなレーザー系デバイス、メディアが出てきても、データの保存には使おうとは思わないだろう。

結局のところ、一番古いデータはHDDをリレーしてきたものである。HDDをダメにした経験はそれはたくさんあるが、HDDがそういうメディアであることは承知しているからバックアップも取っているため、それからリカバーできることも多く、助かる率が高いのだ。

HDDもどんどん規格やフォーマットが変わっていくので、やはりコピーして乗り継いでいくのが正解のようである。

コンピュータ系メディアの中で、一番保存性が高いのはMOだと聞いたことがある。MOは磁気で記録し、レーザーで読む。MOが完全に普及する前にCD-Rが出て一般化してしまったのは、人類にとって不幸だったかもしれない。

わたしの一番身近で、かつ、完全に半永久的だと保証できるのは、わたしの脳である。人間の体というものは動的平衡を保ち、数年ですべての分子が入れ替わるそうだが、わたしの脳は最古のデータとして、半世紀前ほどのそれを保つことができている。

もっとも、こいつはデータの取捨にムラがあるのと、変質するのがやっかいだ。
このブログを始めた頃に書いたとおり、実際に活発に思い出せるのは10年ほどの容量しかなく、あとはFIFO(First In First Out)で適当に消去されてしまっているようである。

ああ、あとは紙に万年筆で書いた日記があるか。ずいぶん前に書いた日記を読むと、まるで自分が書いたものとは思えず、他人の生活史を覗いているようでびっくりしたり。ちなみに、わたしは日記に思ったこと、感じたことは書かない(要するに業務日誌みたいなもの)なので、再読しても気恥ずかしさなどは起こらない。

半ば本気で思っているのであるが、我々人類の歴史もいつなにが起こって終わってしまうかわからないので、是非とも月の内側(地球を向いている側)に、なにかモニュメントを設置しておくべきではないだろうか(外側だと、隕石などで破壊される可能性が高いため)。

今の世界は、もう月には興味がなく、行くなら火星という雰囲気だが、もっと調査してみたら、月には先史文明からのメッセージなどが残っているのではないか、などと思ったりする。


(原作:J・P・ホーガン/漫画:星野之宣「星を継ぐもの」1巻より、月面での異星人遺体発見シーン。本当はエウレカセブンのエンドシーンを貼りたかったのだが、マンガ版はアニメ版と違って、月に大きなハートマークではないのですな……)。

なんにせよ、人生の半分をすぎて「半永久的」という言葉は信用できない、という真実を知ったわたしである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記