2017年06月19日

【回想録】Mの思い出

 この記事は、2017年6月17日に書いている。この日がなんの日か、もう、忘れてしまった人も多いだろう。そして、人々の記憶から消えていく方が良い日でもあるのかもしれない。
 2008年6月17日は、宮崎勤の死刑が執行された日である。

 もう、若い読者にはピンとこないかもしれないが、宮崎勤は、昭和63年から平成元年にかけて起きた「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の犯人であった。
 わたしより年上だが、ほぼ同世代の男と言ってよい。いま、わたしは、彼が死んだ年よりも年上になった。
 宮崎勤の死刑が執行されたその日、わたしはどこか、なにかのひとつの時代が終わったような気がしたものであった。

 わたしはクリスチャンであるし、死刑には基本的にも応用的にも反対である。しかし、宮崎勤の死刑を聞いたその週、教会にご聖体訪問をしに行き、いったいなにをどう祈ったらよいのか、頭に浮かんでくるものがなかった。まずは、彼によって天国へ送られた子どもたちの安らかな眠りを祈り、次いで、彼によって傷ついた人々の心の平安を祈った。それから――彼自身の為に祈れたかどうかは、正直、わからない。

 ひとつお断りしておくと、今でこそ「結城さんて○○おたくですよね」と言われることは少なくない(のかもしれない)が、わたしは宮崎勤の事件の頃、いわゆる「おたく」ではなかった。部屋はミニマリストのようになにもなく、メジャー出版社で小説を書き、アニメ制作に関わっていた。スマートな体躯で(自分で言うか)、女子大生のフィアンセがおり、新人類の旗手と呼ばれ、システム手帳と洋書を持ち歩くような、むしろ昭和バブルを引きずった青年であった。
 根っ子のところはともかく、当時は、いわゆるマスコミがバッシングした「おたく像」とは正反対であったと思っている。
 なので、宮崎勤の「おたく性」にはまったくシンパシーを感じなかった。

 ただ、当時、週刊誌で公開された彼の部屋の写真は、わたしの友人にもビデオテープと雑誌に囲まれた部屋に住む者がおり、「言うほど異常じゃないよな」という感想は持っていた。

 あれは暑い夏の日だった。別件で捕まっていた宮崎勤が一連の誘拐殺人逮捕で再逮捕されたという一報が入り、将来の細君と、クルマの中で号外を読んだ。夏コミ直前のことである。
 報道合戦が始まり、宮崎勤が以前、コミケに参加していたというニュースが入ってきた。
 将来の細君は、当時からコミケの島の中の人だったので、夏コミがどうなるのか心配していた。
 当時、古いコミケットカタログを並べていた専門店に寄って、宮崎勤が参加していたときのそれをめくってみたら、すでに誰かの手によって四角く切り取られてなくなっていた。

 その年の夏コミも、なんの問題もなく開催され、平和に終わった。
 ワイドショーレポーターの東海林のり子氏が「ここに10万人の宮崎勤が――」発言をしたのは都市伝説化したデマであることがわかっている。


(記事と直接関係はないが、別冊宝島の「おたくの本」。宮崎勤逮捕の年のクリスマスイブ(1989年12月24日)に発行されている。宮崎勤によってマスコミが根付かせようとした「おたく族――アニメやマンガのファンでファッションや恋愛に興味のない暗い青少年」像を壊そうという意欲的なムックであった)。

 わたしが当時、「おたく」ではなかったのは、自分が得意とするコンピュータ分野から、意識的に離れていたからだと、今になって分析できる。コンピュータから離れていたのは、それはやはり、文芸の方で身を立てたいという気持ちが強かったからだろう。

 そんなわたしが、事件からかなりの年月が経った21世紀になって、宮崎勤の死刑で「ひとつの時代が終わった」と感じたのは、本当に心の底から正直に言ってしまえば「わたしが嫌悪するタイプのおたくの象徴が消えたから」ということなのかもしれない、と思う。

 今の「おたく」は社会とのバランスが取れている人の方が多い。そう、信じたい。「宮崎勤タイプのおたく」は、皆無ではないだろうが、少なくなった、と。

 宮崎勤は本物のペドフィリアではなく、大人の女性との交際ができなかったので幼女を狙った、という考察がある。これを現代で「二次ロリ」に言うと「そんなことねぇっすよ」という返事が返ってくる。まあそうだろうな、とは思う。しかし、現代のマンガに描かれている女性は、年配であっても総じて目が大きく幼い顔立ちだ。
 昔の「エロトピア」はすごかった。アニメ絵ではなくリアル絵路線である。
 宮崎勤の部屋に転がっていたというエロ本は「若奥様の生下着」というリアル路線のエロマンガであったと知られている。


(上記「おたくの本」より。昭和の代々木駅ホームにはこうやって絵を自由に書けるスペースが設けられていた)

 宮崎勤が事件を起こさず、今でも市井にいたとしたらどうなっていただろう、と、夢想する。意外と、三次元のアイドルマニアになって、AKB48とかに熱中していたのではないだろうか。
 仕事はしているだろうか? これも、最近問題になっている高齢者ニート(嫌な呼び方だが)になっているかもしれない。未婚であるような気がする。2ちゃんで女性ヘイトの書き込みをしながら、女性声優に粘着していたりするかもしれない。

 この記事は特に構成も考えず、心に思い浮かんだことをそのまま書いている。あまり愉快な記事にならずご容赦。
 叙情的な記事なので、「昭和の遺伝子」にカテゴライズしたかったのだが、事件そのものは昭和と平成のちょうど変わり目に起こっていたのであった。

 この原稿を書いているとき、わたしのスマホは229曲リストアップしてランダム再生しているショパンのピアノ曲から、よりにもよってTristesse――「別れの曲」を再生しだした。そし次の瞬間、Bluetoothスピーカのバッテリがあがってブチンと切れた。
 なんとなく、宮崎勤のそれを象徴しているようで、なにか、神さまの悪戯を感じずにはいられない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録