2017年06月22日

【書評】理系の料理

五藤隆介著「理系の料理」。

サブタイトルに「チューブ生姜適量ではなくて1cmがいい人の」がつく。他のアオリには「●「下味をつける」って専門用語?」「●新しい言葉は定義してから使いませんか?」「●全工程を俯瞰できる「フローチャート」付き」とも。



さて、わたしは、料理できないダンスィであった。いや、正確に言えば、今だってできるというレベルではない。Cで言えば、やっとhello world.ができるのだが、ソースの冒頭になぜ#include <stdio.h>をつけるのかは理解できていないレベル。その程度である。

そんなわたしが、この一年、エプロンをつけてフライパンを振るようになったのは、この本の評判を聞いてAmazonで購入し(そう、書店で探したのだが見つからなかった。立ち読みしていたら買わなかったと思う。五藤先生、ごめんなさい)、この本ならわたしでも料理ができるようになるかなぁ、と思ったからだった。

実際に手に取ってみて、想像していたのとはだいぶ違う本であることを知った。
「●全工程を俯瞰できる「フローチャート」」は、冒頭ヒキの部分の「牛丼」だけである。
「牛丼」は、確かに理系の人が納得できるよう、「みりん適量」とか「生姜少々」とかの言葉は使わず、細かく数字で書いてある。これは良い。
ただ、ここは半理系として言わせてもらうと、記されているのは二人分の数字であり、四人分なら材料は倍にすればいいのだな、ということはわかるのだが、その場合、火を入れる時間も倍にしていいのかどうかが明記していない。このあたり凡百の「お料理本」と同じ「できる人ならわかる」と突き放されている感がある。

と、文句を言いつつも、この本のおかげで、今までレトルトパウチの牛丼しか作った(細君は「そんなの作ったとは言わない」と冷たいことを言う)ことのないわたしが、とりあえず、牛肉とタマネギ、調味料から牛丼を作ることができたのである。
感謝、感謝、大感謝!

期待と違っていた(もしこの本を書店で眺めていたら買わなかった)のは、わたしはこの本を、こういう「レシピ集」だと思っていたのである。「牛丼」だけでなく、「チャーハン」や「ぎょうざ」「マーボードーフ」など種々のメニューを「理系のチャート」で記してあるものだとばかり思っていたのだ。

が、本書「理系の料理」で、そういったレシピが載っているのは、冒頭の「牛丼」だけであり、あとは全部、言ってしまえば文系的な「精神論」なのであった。
もちろん「精神論」は大事である。わたしはこの本のおかげで「強火は湯を沸かすときだけ」とか「味付けはひき算できない不可逆変換」とかの「常識」を改めて知った。

しかし、実はわたしが欲しかった本は、そういう「精神論いっぱい」の、Cで言うならK&Rではなく、こうすればあれができる、という実際に使える「関数集」「ルーチン集」「プロシジャ集」だったのである。

去年の今頃、ちょうど体調も良くなってきた兆しがあったし、なにか新しいことを始めようと思い、細君が忙しいこともあって「週に一日はわたしが台所に立ってなにかを作ろうか」と、この本を購入したのである。
あれから一年が経ち、この本には「牛丼」作りで何度も大変お世話になった。しかし、後半三分の二を占める文章の部分は、実はまともに読んでいない。

結局、他に初心者向けのお料理レシピ本を買って、その文系的言い回し「適量」「少々」「ひと煮立ち」などにうんうんうなりなら、新しいメニューに挑戦している。
とりあえず、冷凍食品やインスタントものをうまく使えるようになってきたので、手抜きではあるが、細君に「こんなの料理じゃない」と冷たいお言葉をいただかない程度のものまでは、いくつか作れるようになってきた。

一年前のわたしには、レトルトではなく、(市販のルーを使ってはいても)野菜から炒めてカレーをつくる、なんてことは想像もできなかった。

そうして一年、毎週一日、なにか作ってきたのだが(ちなみに後片付けは毎晩わたしがやっている)、振り返って思うのは、「ああ、俺って、料理作るの、好きじゃないんだなぁ」ということだ。
はっきり言って、食べてくれる人がいるから作っているようなもので、一人だったら、毎日レトルト食品、インスタントラーメンで十分。それでなーんの不満もない。なにしろわたしは筋金入りの「味音痴」なのである。

「一億円と引き替えに、一回押すと一年間、食事は全部レトルトカレー」というボタンがあるのなら、高橋名人レベルの猛連打をするレベルで、食事なんてどうでもいいと思っているタイプなのだ。

もちろん、本書「理系の料理」は良書である。それはわかる。この本を手がかりに、料理好きになった「理系の料理ダンスィ」は多いことと思われる。わたしと性が合わなかったのである。

なんてことをつらつら思いながら、昨夜もこの本のレシピ通りに牛丼を作って、食後に「どうして俺、料理好きになれなかったんだろうなぁ」と、ツラツラと本書のページを繰っていたら、最後のページに、こんなに大事な一文が記されていたことを、今さらに知った。



たぶん「食べることが好きな人」でありさえすれば「料理が好きになる素質」は十分に持っているのではないかと思います。


ああああー! これだよ、これ、これなんですよ。まさしくこれ。
わたしね、「食べることが好きな人」じゃないんです。これは子どもの頃からほんとそう。

五藤先生は「そんな人(食べることが好きじゃない人)なんていない」という前提でお書きになられたのかもしれないが、いるんですよ、わたしみたいに、食なんてどうでもいい、腹が膨れればどうでもいい、と思っているタイプが。

わたしに必要だったのは「理系の料理」ではなく「食べるのが好きじゃない人のためのレシピ本」だったのだなぁ……。
そんな本があるのかどうか、根本的に、存在できるのかどうかは別にして。

今の時代、右を向いても左を向いても食の話ばかり。世の中、美味い物系の情報や、マンガも小説もそういう物語であふれている。そんな中で、今日のわたしみたいに「食なんてどうでもいい」「腹が膨れればいいじゃん」と本心を書くのは、ちょっと度胸が必要なのである。

といいつつ、わたしが「甘い物好き」であることは度々書いてきた。
これも、「少ない量でカロリーが取れるもの」という意味で体が欲しているのかもしれない。
そういえば、お酒が飲めた頃は、とにかく度数の高いウイスキーをストレートでやるのが好きだった。それも空きっ腹でグイグイと。それが病気でできなくなったので、甘い物好きになったという経緯があるのである。

いわば「食事なんて、とにかくカロリーが取れればいい」精神が、昔から変わっていないのだなぁ。

そんなこんなで、「お料理一年生」の自分だが、なんだか、大きなモチベーションの壁にぶちあたってしまっている心境である。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評