2017年06月24日

【日記】あなたは○○が好きなのではなく

「あなたは○○が好きなのではなく、○○が好きな自分が好きなだけなんですね」

 という台詞が、ここ数年、窮鼠猫を噛むための最終攻撃として使われているように思う。
 たいていは、自分の好きなジャンルの話をしていて、とうてい相手の偏った知識量にかなわないと悟ったときに、イタチの最後っ屁のように使われる感じだ。

 たとえばわたしは、洋画が好きで洋画ばかり見ている。そこで「映画好き」の人と話をしていて、相手が邦画専門なので話が合わないとする。「邦画は全然見てないんですよね」などと言うと、相手がドヤ顔でこう言う訳だ。「あなたは映画が好きなのではなく、映画が好きな自分が好きなだけなんですね」

 はい、上等。わたし、映画が好きなのではなく、洋画が好きなんです。だから「映画が好き」という前提からして間違っているので痛くもかゆくもない。
 逆に「そういうことにしないと、この人は自分のプライドが保てないんだな」と、この台詞を言った人を可哀想に思ってしまう。
(実際にこんなことを言われたことはない。あくまで例である。念のため)

「あなたは洋画が好きなのではなく、洋画が好きな自分が好きなだけなんですね」
 と言われたらどうかな? うーん。「そうなんですよ。そんな自分が大好きなんです」と満面の笑顔で受けるかもしれない。

 どんなことにせよ、自分のことを好きだと言えるのは、ものすごく大きなアドバンテージですよ。そういったものは多い方がいい。この自己嫌悪の時代を生き抜いていくためにも。

 いったいだれがこの「イタチの最後っ屁」を編み出したのかは知らないが、どうにもその人には、人間に対する大きな誤解があるように思う。まだ若くて、純粋な人なのであろうか。「人間、○○が純粋に好きでなければいけない」、「ファッションで○○が好き、というのは違う」というような潔癖感を感じずにはいられない。
 しかし人間、長く生きていれば、本来「人が○○を好きであること」と「○○を好きな自分を好きであること」は矛盾しないということを自然に悟るのである。むしろそれは相乗効果で良い結果を生むことが多いということも。
 わたしは細君が好きだし、細君が好きな自分が好きだ。このふたつになんの矛盾もないし、むしろ補完関係にあると言ってもよい。

 と言うわけで、「あなたは○○が好きなのではなく、○○が好きな自分が好きなだけなんですね」という台詞を言った方は、その○○という事象、ジャンルがなんにせよ、大元の○○の本質を好きであるというレベルにおいても、もう白旗を挙げたのだとわたしは感じる。

 逆に「そんなあなたは、なにが好きな自分が好きなんですか?」と、問うてみたくもある。そうすれば、「あなたは○○が好きなのではなく、○○が好きな自分が好きなだけなんですね」という返し方が、むなしい、中身のない、空虚なイタチの最後っ屁であることがよくわかるはず。

 わたしは「テニスが好きな自分が好きです」「美術館巡りが好きな自分が好きです」「食べ歩きが好きな自分が好きです」と、素直に言える人の方に好感を覚える。
 逆に「テニスは好きですがテニスが好きな自分は嫌いです」とか言われたら「うわ面倒な人だな」と引いてしまわないだろうか?

 結局のところ、「あなたは○○が好きなのではなく、○○が好きな自分が好きなだけなんですね」という台詞は、相手を自分の好きなジャンル戦に引き込めず、マウンティングができないがゆえの苛立ちが生んだ言葉に過ぎないのではないだろうか。

 やはり、若い――というより精神の発達がまだ幼い――人が使う台詞だなぁ、と感じる。

 こんなわたしは、最近、「食事が好きではなく、食事を好きではない自分が好きではない」ということに気づいてしまった。
 ほうら、面倒くさい人間でしょう? 自分だってこんな自分が嫌だ。
「あなたは食事が好きなのではなく、食事が好きな自分が好きなだけなんですね」と言われてみたいよ、まったく。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記