2017年06月28日

【映画評】ハクソー・リッジ

 病院帰りで血を見たあとに観に行くのには、まあ、最適な映画ではあった、かな?

 戦争映画はあまり好きではないのだが、良心的兵役拒否をするクリスチャンが志願して衛生兵となり、沖縄の「前田高知」こと「ハクソー・リッジ」という地獄の戦闘地帯で「怪我人を救助する闘い」をするというお話と聞いては、キリストもんとして「観ても損はしないかな」という感じでふらりと鑑賞。

 監督のメル・ギブソンはカトリックで、以前、イエスの受難から磔刑死までを詳細に描いた「パッション」を監督した人でもある。
 ただしカトリックはカトリックでも教皇空位論を信奉するちょっとアレなカトリックであり、浮気や離婚までしちゃう人なので、わたしの定義としては「ガチカト」ではない。

 ところでこの、「ハクソー・リッジ」という邦題、なんとかならなかったのだろうか。語感があまりよいとは思えないのである。なんとなく、汚い言葉を連想してしまう。「ハクソウ・リッジ」の方が良かったのではないかなあ。



 さて、ストーリーは上記でも少し触れたとおり、主人公デズモンド・ドスという青年が武器である銃を持つことを拒否しながらも兵役に志願し、実際にあった沖縄の激戦地「前田高知」で、負傷した兵士たちを一人でも多く救うために、実弾、爆薬、手榴弾、瓦礫が飛び交い、血しぶきが舞い、腕がとび、足が千切れる地獄の中を奮闘する、というもの。
 映画冒頭でTRUE STORYと出てくるが、もちろん正しくはBASED ON A TRUE STORYだろう。

 主人公は土曜日が安息日の教派であるということなので、「セブンスデー・アドベンチスト」かな、などとキリストもんは思ったりもする。プロテスタントで、メインラインとは言えないが、まあそこそこ大きな教派ではあろうか。日本では関連企業に「三育フーズ」などがあったりする。

 特にネタバレのあるような映画ではないのでストレートに感想を書くと、ガチカト、キリストもんのひとりとしては、正直「うーん」という感想であった。
「良心的兵役拒否」者でありながら、戦場へ行って「銃を持たずに衛生兵として活躍するならよし」という感覚は、わたしのクリスチャニズムと相入れないものがあるのである。

 主人公ドスは、真珠湾攻撃に衝撃を受け、友人たちが兵役に出る中、また、兵役検査に落ちて自殺した友人がいたという経験もあり、自分も戦わなくてはいけないと、「銃をもたない」という主義を通しながら兵士として志願したのだという。

 まるで(下世話な話だが)、会社の仲間が飲み会の後「風俗へ行こうぜ」と盛り上がり、自分はクリスチャンなので信仰上そういう買春行為はできないから、つきあいで行くことは行くけれど、風俗嬢と話して帰るだけにしょう。だから俺って敬虔なクリスチャン。とでもいうようなごまかしを感じてしまうのである。

 もちろん「TRUE STORY」を謳う本作は、一部の人には「感動作」になると思う。その感情は否定しない。すばらしい。良い作品に巡り会えてよかったね、と心から思う。

 しかしその感動を、主人公ドスの神への敬虔さからだ、と、勘違いしていただいては、フツーのクリスチャンは口がヘの字になってしまうのである。特に日本人は、キリスト教や信仰というものに対し、妙な畏敬を持つことがあるから。
 はっきり言うが、ドスはクリスチャンとしては、かなり変人である。クリスチャンだからあのような「戦場内であっての英雄的行為」ができたのではなく、むしろほかのなにか、強いこだわりに拠っているもののように思われる(実際それは、父母の喧嘩と拳銃を巡るトラウマからきているという描写がある)。

「銃を持って戦うのが兵士の正しいありかただ」と、作中で何度も言われているのだが、同じように、クリスチャンの正しいありかたは「良心的兵役拒否を貫くこと」であったり、「教会という組織を通して戦争に反対」したり「政治に働きかけて戦争をやめさせること」であったりするのではないだろうか。

 極端な話、クリスチャンの闘いは、「一人でも多くの人間を自分の教派に入れること」なのである。

 想像してごらん、戦争なんてないんだと
 ほら、簡単でしょう?
 地面の下に地雷なんてないし、
 僕たちの上には、ただ教皇様がいるだけ
 さあ想像してごらん、みんなが
 カトリックとして生きているって……。

 ほうら、平和だw。

 いろいろネガティブなことを書いてしまったような気がするが、まあ、さすがはアカデミー賞二部門受賞作ではあるかな、という感じで、楽しめたことは記しておく。

 ところで、主人公ドスへ婚約者ドロシーが渡した聖書、ドロシーの写真が挟み込まれている箇所がサムエル記上の17章なのである。やるな、メル・ギブソン。
 同箇所は、少年ダビデが、普通の武器を持たず、敵ペリシテ人の巨人ゴリアトを倒す章なのである。

ダビデは、その装束の上にサウルの剣を帯びて歩いてみた。だが、彼はこれらのものに慣れていなかった。ダビデはサウルに言った。「こんなものを着たのでは、歩くこともできません。慣れていませんから。」(サムエル記上 17:39)


だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。(サムエル記上 17:45)


ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。ダビデの手には剣もなかった。(サムエル記上 17:50)


 どうだろう? 銃を持たず、本当の戦場の英雄となった主人公ドスにふさわしい箇所ではないだろうか。
 思わず、劇場でニヤリとしてしまった。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評