2017年07月11日

【日記】見える!

 5年前の朝のこと。寝ぼけ眼にメガネをかけて、雨戸を開けに行こうとして足を滑らせ、ちょうどそこにあった家具に右の瞳をもろにぶつけてしまった。メガネと瞳の間に家具の一部が突っ込んできた形である。
 突然のことだったので、反射神経も間に合わず、瞼を閉じて避けることもできなかった。家具の一部が、それほどとがっていなかったことが幸いし、目を貫通するようなことがなかったのが不幸中の幸いである。

 が、激痛である。角膜をザックリやってしまったらしい。鎮痛剤を飲み、横になって氷で冷やすしか手がない。
 細君がネットで調べて、一番早くやっている近くの眼科へクルマで連れて行ってくれたのが2時間後くらい。日記によると、「その時点で痛みはだいぶひいているが、視界はぼやけている」となっている。

 眼科では視力検査などをしてから診察。なんか、事態の急に比べて、のんびりとしたものだ。この時点で、あまり大事なことではないのかな、とも思い始める。
 目薬を差して、機械で覗き込まれる。先生によると「角膜がえぐれている」とのこと。「もっと痛くてもおかしくない」とも言われた。
 元来、痛みには弱い方なのだが、ハードコンタクト歴が長い(それこそ、酸素無透過の頃からの使用者だった)のが良かったのかもしれない。
 きちんと治療をすれば治る、と言われ、ホッとする。
 ケガ直後は、それはそれは痛かったが、この時点で痛みはだいぶ治まっていたので、痛み止めも必要なかった。目に軟膏を塗り、眼帯をして、また明日行くことに。



 翌日の朝、再び同眼科へ。眼帯を取って再び機械で覗き込まれると、先生は「九割五分治っている」という。角膜の治癒力は高いのだ。まだ傷はあるということで、レボフロキサシン点眼薬が処方される。
 病院では気づかなかったが、家に戻って落ち着いてみると、両眼視がおかしくなっている。いや違う。右目がひどい乱視状態なのだ。視力は多少あっても、遠くにも近くにもピントが合わない。これは治るのだろうか、ちょっと不安になってくる。

 夜。角膜はたまにチクチク、ヒリヒリ痛む程度。視力のボケは直らない。
 しかし、である。ここで面白い現象が発生した。わたしの視力はふだん、左右とも0.1以下なのだが、なんとケガをした右目の視力が上がっていて、メガネをかけていないのに、遠くが見えるのである。かすんでいはいるが、確かに視力があがっている。

 作:勝鹿北星/画:浦沢直樹「マスターキートン」9巻の「瞳の中のハイランド」に、似たような現象を扱った話があることを、すぐに思い出した。
 ストーリーの中で、ド近眼の老人が目を傷つけられる。と、一時的にその視力が復活して、敵を反撃できた、というシークエンスである。





(作:勝鹿北星/画:浦沢直樹「マスターキートン」9巻「瞳の中のハイランド」より引用)

 この現象は翌日にはなくなり、角膜は多少ヒリつくが、視界も前のように戻ってきた。稀有な体験であった。
 ケガをして四日目。視力は元に戻ったが、ヒリつきはまだ続く。日記には「けっこう一日ヒリヒリ。昨日の方が痛くなかった?」と記されている。
 が、翌日の日記には特に何もふれられていないので、5日でほぼ治ったようである。

 ケガをして一週間後、再び眼科へ。まだ右目にはチリチリ、ヒリヒリする感覚があるが、もう治っているとのこと。処方の目薬の必要もない。水泳をしても大丈夫、と言われた。テストをされて、ドライアイでもない、という。

 ケガをした当初は、それはもう耐えられないほどの激痛だったが、本当に角膜の治りというものは速いのだな、と知った。
 そして、身をもって、上記「マスターキートン」のような現象が現実にあるとことも体験したのである。

 上記「マスターキートン」9巻の「瞳の中のハイランド」は、次のナレーションでしめくくっている。

事故などで角膜の表面に傷がつき、近視者が視力を回復する場合がある。これは角膜が変形し、屈折率が変わって網膜に正しい像を結ぶからである。現在、視力回復治療法として、この原理を応用した放射状角膜切開手術(RK)が行われている。


 今で言う「レーシック手術」である。
 この「レーシック手術」が、日本では2008年の54万件をピークにどんどんと減り、2014年には5万件にまで激減したというニュースが入ってきた。
 ご存知の方には言うまでもないだろうが、レーシック手術は賭けのようなところがあって、うまくいけば良い視力環境を得ることができるのだが、失敗するとドライアイを始めとする視力環境の悪化を招くことになる。「やらなければよかった」という怨嗟の声がこもった告発サイトも少なくなかった。

 わたしがこの「視力を上げる手術」を知ったのは高校生の頃だから30年以上も前のことだ。
 当時はレーシックではなく「角膜放射状切開術」と言われていた。ソ連では患者を並べて、次々と手術している、そのうちメガネは不要になるだろう、といったテレビのドキュメント番組であった。「マスターキートン」9巻の奥付は初版1991年となっている。その頃はまだ、この手術は夢の手術法であったわけだ。

 近眼で、自分のメガネ姿があまり好きではない自分としては、当時、いつかはそういう未来がくるのかなぁ、と思いつつ、ソフトコンタクトを毎日洗っていたわけだが、レーシックもいいことばかりではないということが明るみに出てしまい、また、メガネが安い今の時代は、ファッションとしてメガネをいろいろ変えられる楽しみもでてきた。
 今となっては、コンタクトすら面倒になってしまった。自分はおそらくこれから、死ぬまでメガネとともに過ごすに違いない。

 それにしても「角膜のケガで視力があがった」体験は、実に興味深かった。もしあの事故の体験が、レーシックの悪い噂が広まる前だったら「レーシックってこんな感じなんだ。受けてもいいかもしれない」と思っていたかもしれない。

 今、裸眼で良い視力を保てている方は、あまりスマホなどを近くで見たりしないように。それは神の恩寵である。
 ホラホラ、もうちょっとスマホを離して見たほうがいいかもよ。時には遠くに視線をあげて、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年07月10日

【回想録】満開製作所の思い出

 と言っても「満開製作所」自体が、その筋の者にしかわからん時代であろうなぁ。

「満開製作所」というのは、コンピューター関係の有名人、故・祝一平氏が設立した株式会社(初期は有限会社)であった。設立年は1986年である。同社オリジナルのパーソナルコンピュータ「満開2号」を開発すべく立ち上げたと聞いているが、祝氏がどこまで本気だったかはわからない。

 主な事業は、シャープのX68000で動くディスクマガジン「月刊・電脳倶楽部」誌の発行であった。当時はパソコン通信そのものが黎明期。当然、インターネットなどというものは超高嶺の花で、まだJUNETと呼ばれていた時代である。
 そんな中で、X68000のフリーソフトウェア文化の一翼を担っていたのが、この「月刊・電脳倶楽部」誌であった。
 X68000のユーザというのは、BASICが使えて当たり前。Cはライブラリだけシャープのものを使ってGCC真里子版(*1)を使うのがフツー。アセンブラを使えてやっとスゲー。という猛者ばかりが集まった集団であった。

(*1)ところで、真里子版の「真里子」が知る人ぞ知るアイドル「吉田真里子さん」からとられていたことは、ここにこうやって残してネットに記録しておきたい。

(大きな瞳に丸い顔、太い眉。大好きなアイドルでございました)

 閑話休題。
「電脳倶楽部」には、ソフトウェアばかりではなく、ドット絵やコンピュータグラフィクス関係もすごい人たちが集まっていた。
 毎月送られてくる「電脳倶楽部」誌、今月号はどんな内容が含まれているか、楽しみだったものだ。

 媒体は5インチ2HDフロッピーディスク一枚。後期には二枚構成になっていた。残念なことに、時代の趨勢に押され、2000年8月号で廃刊を迎えている。

 わたしと細君は、この「電脳倶楽部」誌中期の、まあ常連の投稿者であった。わたしはプログラム、細君は絵の方で。

 今、Wikipediaで「電脳倶楽部」誌を確認してみると――

 採用作品には、謝礼として図書券などの金券が投稿者に送られ、記事によっては原稿料が支払われる事もあったという。


 と、なっているが、ここ、伝聞形ではなく、確かに大物ソフトが採用されたときは原稿料が直接、銀行振り込みされていた。ちゃんと源泉徴収もされていたと思う。
 このとき、今となっては、Wikipedia「祝一平」氏の項目に記してあるから書いても問題はないと思うが、なぜか振込者が「カ)マンカイセイサクショ」ではなく、祝氏のご本名の「三上之彦」氏個人からとなっていた。このあたりの経理が、ちょっと不思議だなぁと思ったことをよく覚えている。

 満開製作所には、一、二回、細君と遊びに行ったことがある。印象は、普通の書籍の編集部とは違い、やはりコンピュータ関係のモノが多く、出版社というよりオフィスのようだった(まあ同社が出版社かどうかは意見が別れるところだが)。
 平日だったのだが、祝一平氏はなかなか訪れず、編集の方が「読者の方が遊びに来ていらっしゃいますよ」と電話して(当時、携帯もまだなかった!)、出社してこられた。
 サングラスに、中肉中背姿だったと思う。握手をして挨拶をしたが、第一印象は「とてもシャイな方なんだなあ」というもの。そして実際、言葉少なく、ほとんど会話らしい会話を交わすことができなかった。

 当時、「電脳倶楽部」誌には、祝氏の書かれた編集後記である「変酋長の小屋」というテキストがあったのだが、そのテキストでよくお書きになられていた、饒舌でラジカルなイメージとは、ずいぶん違っていた。

 祝一平氏は、1999年4月2日にご病気で他界されている。
 その直前の頃から、「電脳倶楽部」誌は、外側から見ていてもボロボロの状態であった。パソコン通信に押され、インターネットに押され、ディスクマガジンというものが時代遅れになってしまったというのが大きかったのだと思う。

 さて、実は、祝一平氏ご本人も存じなかったであろう、ニフティサーブと雑誌をはさんだ、ちょっとしたいさかいの裏を、わたしは知っている。内的なネットでは書いたことがあったが、表で書くのは初めてだ。

 祝一平氏は、LDB03541のIDで、ニフティサーブにたまに書き込みをしていらっしゃった。
 ハンドル名は「青林檎」。なぜ、わたしがそのハンドル名が祝氏ものだとわかったかというと、一度だけ、LDB03541で祝氏が本名の三上氏で書き込みをしてしまったことがあったからである。気づいた方は、おそらくわたしだけだったと思う。
 ちなみにLDで始まるIDは「ビジネスアカウント」と呼ばれ、ちょっと個人ユーザではないのだな、ということがすぐわかるようになっていた。

 なお、祝一平氏がハンドル名「祝一平」で書き込むときは、NIF00350のIDで書き込んでいた。上記の痛恨のオペミスがなければ、わたしに「青林檎」イコール「祝一平」であることは気づかれなかったはずである。

 そのLDB03541のハンドル「青林檎」氏が、FSHARPUの8番会議室、9番会議室で、雑誌「ざべ」について批判記事を書いたことがあったのである。

》00935/00935 LDB03541 青林檎 『ざべ』3月号について
》00955/00956 LDB03541 青林檎 『ざべ』3月号について

 正直言うと、これがどういう批判記事だったのかはよく覚えていない。もうMOの奥底だ。ただかなり、記事の内容にお怒りになられていたような覚えがある。
 この批判記事の元となった記事は「ざべ」誌上で、(ハウ)という記者名で書かれていた。この記事を書かれたのは技術評論社のOさんであった。実はわたし、Oさんもリアル社会でお会いしたことがあった。
 そしてOさんは、以前、「パソコン倶楽部」という雑誌にいらしゃったとき、祝氏を取材したことがあったのである。そう、お二人は面識があったのだ。

 実は面識のある二人が、まったくそれに気づかず、誌面とニフティサーブ上でいさかいをしていたのであった……。
 しかも、まったく関係ないわたしだけが、それに気づいているという、皮肉な状況であった。

 祝氏は、非常にクセのある人物であった。
 上記の編集後記「変酋長の小屋」に書いた内容があまりに偏った見方であったので、読者から「幼い内容」と指摘され、誌面で一方的に逆上したこともあった。
 実はわたし自身も、祝氏と半分、ケンカ別れのような形で袂を別っている。その事件にはわたし以外にも何人か絡む方がいらっしゃるので、おそらく、かなり自分の中で整理された状態にならないと、ここに書く気が起きない。あまり思い出したくない事件でもある。

「満開製作所の思い出」とタイトルをつけつつ、祝氏の話ばかりになってしまうのは、まあ、「満開製作所イコール祝一平」というところがあるから仕方ないだろう。

 当時、編集部でわたしと仲良くしてくれて、オフで一緒にお酒も飲んだNさん、Iさん、Fさんの思い出ももちろんあるが、今でもみなさん、お元気でいらっしゃるだろうか。きっとコンピュータ業界のどこかでがんばっていらっしゃるに違いない。

 なんにせよ、1999年4月2日、日本のコンピュータ界は、知られざる大きな逸材を一人、失ったのであった。
 正直なところ、祝氏がご存命であったとしても、孫正義さん、三木谷浩史さん、堀江貴文さんに並ぶようなIT実業家にはなられなかったろうなぁ、とは思う。
 祝氏は、骨の髄までコンピュータ屋であった。実業家や経営者向きではなかった。
 ただ、このモバイルですら常時接続の時代に祝氏がご存命であったら、どんなアプリケーションを作っていただろうと思う。「満開製作所」製のSNSツールだったら、自分も喜んで使っていたかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年07月09日

【日記】スイパラで電気ソーダ

 7月7日の晩、細君といつも行っている「スイーツパラダイス」に入ったら、ちょうど「スイパラ七夕night!!!」というイベントをやっていて、あら、18時以降各店先着50名様プレゼントという「電気ソーダボトル」をいただいてしまった。嬉しいね。

 さらに公式ツイッターか公式インスタグラムをフォローして写真と一緒に#スイパラ電気ソーダというハッシュタグをつけて10日までに投稿すると、抽選で7名様にスイパラペア招待券をプレゼント、というキャンペーンもやっているという、が、残念、わたしはツイッターもインスタグラムもやってない。

 この「電気ソーダボトル」。お尻(電球頭の部分)にLEDランプと電子回路、ボタン電池が埋め込まれていて、スイッチを押すとピカピカ光るのである。



 スイパラのお嬢さんの説明を良く聞いていなかったので、最初、スイッチの入れ方がわからず、ストローで中のスイッチを押すのだろうかとか、しばらくすると光るのだろうかとか、悩んでしまった(笑)

 なんでも、イベントでないときは秋葉のスイパラでこの「電気ソーダボトル」を650円で販売していたとのことである。それが今回の七夕イベントでは、ドリンクを入れて持って帰れるというのだから、わぁお、スイパラ、太っ腹!
 パスタメニューが、麺とソースで別々になっていて簡略化されていたー! などと文句を言ってはいけません、かな?



「電気ソーダボトル」の底部。上から見たところ。



 下から見たところ。このパーツ部分は小さなマイナスドライバーで簡単に取ることができる。



 ほらね。ボタン電池三つと、LED三つが見える。



 パーツをひっくり返すと、一番底部にあたる部分になるゴム製ボタンが見える。



 スイッチを入れてみたところ。押すごとに三種類の光り方をして、四回押すと消える、という仕組み。



 ボタン電池はL1131の刻印。つまり直径11mm、厚さ3.1mm規格のものだが、国産で簡単に入手できるものならLR1130で互換性があるだろう。



 甘いものもいっぱい食べて、不二家スイーツバイキングとは違った満足感で帰路についたわたしたちである。

 なのに……。甘いものは当分いいや、と思っていたのに。あああ、こうやって写真を見ていると、甘いものが欲しくなってきてしまった。こんなときに限って冷蔵庫に買いおきのアイスがもうないのである。
 まあ、甘いものであっても食欲が出てきたということは、いろいろ、いい兆し、かな?
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年07月08日

【日記】死刑についてつらつらと

 宮崎勤、それに永山則夫と、どうも死刑関係の話が続いてしまったので、どうしても死刑についていろいろ考えてしまう。

 両記事でも書いたが、わたしはキリストもんであるので、基本的にも応用的にも死刑には反対である。キリスト者ではなく人間としてはどーなのよ? という問いもあるかもしれないが、それについては「【日記】ヒューマニストではない!」で、自分は人間である前にキリスト者であると宣言済みであるから矛盾はない。

 死刑制度だが、現状、日本の刑法では「殺人はいけない」とは規定されていないのである。ただ「殺人をしたら罰せられる」となっているだけだ。

 刑法第199条
 人を殺した者は、死刑又は若しくは5年以上の懲役に処する。


 これはなぜかと考えるに、「殺人はいけない」と規定してしまったら、治世システムによる殺人である「死刑」もできないという矛盾が生じてしまうからである。
 この点、日本の刑法は合理的である。筋が通っている。

 死刑反対派は、まず刑法で「殺人は、これを禁止する」と改正するよう働きかけるべきなのである。

 その点、キリスト者が守るべきモーセの「十戒」では「殺してはならない」と明記してある。さすがモーセ、そこにシビれる あこがれるゥ! と小躍りするのは気が早い。
 実は旧約聖書には、死刑の方法が山ほど記してあるのである。

 自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。(出エジプト記 21:17)


 なんてのもある。床ドンする自宅警備員、死刑!


(山上たつひこ「がきデカ(文庫版)」1巻より引用)

 人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる。(レビ記 20:10)


 なんてのもある。不倫、即、死刑!


(山上たつひこ「がきデカ(文庫版)」1巻より引用)

 女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。(レビ記 20:13)


 あいやー、BL、死刑!


(山上たつひこ「がきデカ(文庫版)」2巻より引用)

 男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪に当たる。(レビ記 20:27)


 なんと占い師も死刑である。


(山上たつひこ選集18「がきデカ」1より引用)

 要するに、個人としての殺人は禁じられているが、イスラエル民族という組織が行う行為として殺人は許容されているのだ。日本国刑法に比べて矛盾感がいなめない。

「わたしはキリスト者なので、基本的にも応用的にも死刑には反対である」と度々書くのは、そう書かないと、おそらく、基本や応用で対応できない例外時には、死刑反対を貫けないだろうな、という気持ちが率直にあるからである。

 たとえば、わたしの愛する人が惨たらしく殺された場合、その犯人の死刑に反対できるかというと、自信がない。
 洗礼を受ける前、尊敬する司祭に、そんなわたしがキリスト信者になることができるでしょうか、と訊ねたことがある。司祭はこう答えた「そうですね。そういうことがもし起こったら、マリア様の心になってみてください、としか言えませんね」
 まるで謎かけである。罪なくして我が子を十字架刑という惨い死刑にかけられた聖母マリアの心……それはつらく、苦しいものであったに違いない。そんなマリア様の心になれないからこそ、さらにわたしのような普通の人間はさらに苦しむのである。

 ここで、一言。
「殺人を犯した者は誰でも死刑にしちまえばいいんだよ」とドヤ顔で言っているあなた、いいですか? 人工妊娠中絶も殺人ですからね?
 統計によると、日本の平成27年の人工妊娠中絶の件数は176,388件。月間14,699件、一日483人の殺人が行われている計算である。
 ざっと計算すると、2割近くの赤子が人工妊娠中絶によって殺されている計算なのだ。
 ヘロデ王は生まれたばかりのキリストを亡き者とするためにイエスが生まれた一帯の赤ん坊を殺しまくったと聖書にある(マタイ 2:16)が、それと同じようなことが、毎年毎年、この日本では水面下で行われているのである。

 人工妊娠中絶と殺人は別だよ、などとうそぶける論拠などなにもない。日本は死刑を許す国である前に、実は殺人に甘々な国なのだ。

「あんな犯人は死刑にしちまえ」と言ったのと同じ口で「出生前診断で遺伝子に異常が見つかったから人工妊娠中絶しようか」と言うのは矛盾である。

 だからと言ってわたしは、人工妊娠中絶を選んだカップルを「殺人者だ」と指弾する気にはなれないし、「おまえらは死刑になるべき人間だ」とも言えない。

 これが、死刑に反対するひとつのヒントになるかなあ、と、自分ではつらつらと考えているところだ。

 この記事はとくにまとまりなく終わる。このまとまりのなさが、今のわたしの死刑に対する考えの迷いや惑いを、ストレートに現していると思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年07月07日

【書評】呪街

 惣本蒼「呪街」1〜4巻(完結)

 ただ存在するだけで、思うだけで、人を殺傷せしめる力を持つ「呪力」を持った者たちがいる世界。彼らは国家によって、ある街へ隔離されている。
 物語は、その街での権力争いと、その街へと送られる新しい呪力者とパートナーを交互に描いていく。

 作中に日本聖書協会の「文語訳聖書」を引用したシーンがある。このシーンがそうなのだが――。


(惣本蒼「呪街」2巻より引用)

男性「……わが靈魂をいかし、名のゆゑをもて――=v
男性「我をたゞしき路にみちびき給ふ=B…だったかな?」
優愛菜「…………たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも、禍害をおそれじ


 これはクリスチャンの間では、通称「PS23」で通る、「詩篇第23編」である。とても有名な聖句だ。
 最初、アフタヌーン連載時にこのシーンを読んだとき、ちょっと違和感があったのである。というのも、このシーンでPS23はないよなぁ、という感じが、ガチカトとしてはあったのだ。
 詩篇にしろほかの書にしろ、もっとピッタリする聖句があるよなあ、と。
 しかし、今回、1巻から通して読んでいってみると、ここでPS23は、「まあありかな」という気がするのである。

 シーンとしては、呪街に送られる最中、まだ新米で、力を抑えることがむずかしい呪力者の少女「優愛菜」と、名もない先輩呪力者が出会い、自分たちの存在の「なぜ」を語りあうところだ。


(惣本蒼「呪街」2巻より引用)

男性「生きてると、なぜ? って思うことが多いだろ? さまざまな不幸……災厄……「なぜ?」その時、我々は知らずに神と向き合ってる……。彼女はそう考えていたんだよ」
男性「神≠ニいう名の人生、そこから学ぶことはたくさんある……。いつも何かしらのヒントを……くれている。気がつくのはなかなか難しいことだけど」


 上記の台詞で「彼女」というのは、この男性に十字架を渡し、別れた恋人のことだ。
 けっこう、信仰の本質をついた台詞である。


(惣本蒼「呪街」2巻より引用)

男性「狹き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。
男性「生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。=v
優愛菜「求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。=c…」


 男性の言った聖句はマタイ7:13-14、優愛菜の言った聖句はマタイ7:7である。

「(自分たちの生きていく道を見出すためには)狭い門から入りなさい、しかしその道は見つけにくい」と男性が言った聖句に対し、その前段にあたる節の「門を叩く者には開かれる」で受けた優愛菜。うまいシーンだと思う。

 振り返ってみると、これもモーニング連載当時は、ちょっと唐突な気がして、うーん、ほかにいい聖句があったのではないかな、と感じていた。

 しかし、PS23にしてもマタイ7:13-14、マタイ7:7にしても、通して読んでみると、とてもいい。引用もほぼ完璧で(一部、送り仮名が余計についている箇所がある)、「新興宗教カットリク!の研究」として突っ込むところがない。
 作中の雰囲気から言って、ここで「口語訳」とか「新共同訳」というのもない。「文語訳」の使用がピッタリである。

「カットリク!」シリーズをやろうと思った原点は、『新・警視庁捜査一課9係「殺意のロザリオ」』であったことは以前に触れたが、実はこの「呪街」も、当時、「なんかガチカトだとこういう引用はしないんだよなぁ」という思いがあり、いつか「カットリク!」でとりあげたいと思っていたのである。

 しかしこうして全巻を通してみると、聖書の引用シーンはいささか唐突な感じがあれど、ストーリーにも合致して、良いシークエンスである。

 確かに、当時、わたしが感じた違和感は確かだろうし、もっとこの状況に合う聖句はあると今でも思うが、それらはポピュラーではないし、ここでこの聖句を使った惣本先生は、ひとりの読者として「さすが!」だと思う。

「カットリク!」を離れても、「呪街」自体、知られざる名作である。
「呪街」の権力争いに勝利した、もう一人のヒロイン、「笠音」と、旅を続けてきた優愛菜が出会ったところで、この物語は幕を閉じる。結末は書かない。4巻で綺麗にまとまり、読む者の心に重い感触を残す。

 読後の印象を、わたしも文語訳聖書の聖句で締めくくろう。
「われ山のために泣き咷び野の牧場のために悲しむ。これらは焚かれて過ぐる人なし。またこゝに牛羊の聲をきかず、天空の鳥も獸も皆逃げてさりぬ。(エレミヤ9:10(尚、節番号は翻訳により異なる))」
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評