2017年07月06日

【カットリク!】「神父さま、なぜ日本に?」の書評

 2017年7月2日の読売新聞に、宮部みゆき先生による、女子パウロ会編著の新刊「神父さま、なぜ日本に?」の書評が出ていた。



 ちなみに同著「神父さま、なぜ日本に?」は良作である。もちろん、わたしも即買いしている。

 さて、宮部先生の評の中に「ん、これはカットリク!」と言わざるを得ない一文があったので、指摘しておく。



 今でもキリスト教に対しては、チャペルの結婚式に招かれ、祭壇に立つ神父様を見て「映画みたい」と思うくらいの距離感しかないけれど、自宅の近所に教会が二つあるのは知っている。散歩や買い物でその前を通りかかると、法衣を召した方をお見かけすることがある。


 宮部先生。申しあげにくいのですが、その……。先生がチャペルの結婚式で見た「神父様」は、99.99パーセントの確率で「ニセ牧師」です。「神父」ではありません。

「【カットリク!】プラチナ」でも触れたが、カトリック教会の神父が民間の「なんちゃってチャペル」に出向いて、「結婚の秘跡ミサ」はもちろん「結婚の祝福式」を行うことは、ほぼほぼない。

 ほぼほぼない、と書いたのは、そういうケースも稀にはあるだろう、と考えられるから。このあたりのことは、二度書きするのが面倒なので、「【カットリク!】プラチナ」の記事をお読みいただきたい。
 とにかく、ここ日本において、カトリック教会の司祭が民間のチャペルに出向いて結婚の秘跡ミサをあげることは99.99パーセントない。その証拠にみなさん、ホテルのチャペルでご聖体を配るような結婚の秘跡ミサ≠体験したことはありますか? ないでしょう。結婚の祝福式もまずない(逆に、葬儀ミサの場合、出張はよくあるのが面白いところではある)。

 そして、民間の「なんちゃってチャペル」で登場してくる司式者は、日本語たどたどしい白人の外国人で、中身は英会話スクールの先生がアルバイトでやっているような、ニセ牧師ばかりだ。
 はっきり言って、キリスト教式結婚式の真似事。コスプレ結婚式である。

 だいたい、街なかのなんちゃって教会には、恥知らずにも「○○カテドラル」などと看板が掲げてあることがある。カテドラルとは「司教座聖堂」である。お前のトコ、どこの教派なんだよ、司教の名前を言ってみろ! とツッコミを入れたくなる。日本にカトリックの司教座聖堂は16しかないんだよ!

「【カットリク!】プラチナ」でも書いているが、何度でも繰り返して書かなければいけないと思うことはあるので、これは書く。

 みなさんは「同窓会で結婚式をあげたの」と友人に言われたら、「へえ、どこの同窓会会館であげたの?」などと莫迦な質問をするだろうか? しないだろう。
 普通は「ああ、昔の学校の仲間に囲まれて、どこかのホテルなどで会場を借りた同窓会で、皆に祝福されながら結婚式をあげたんだな」と思うのではないだろうか。

 教会での結婚式も同じである。「教会」という建物がリアルにあるのではない。「教会」とは、キリストに結ばれ身を寄せあった人間の集まりを指して言う言葉なのである。「同窓会」と同じなのだ。

 想像していただきたい。慶応幼稚舎の同窓会がいくら素敵だからと言って(いや知りませんがね)、その同窓会の主催者に「わたしたち、慶応幼稚舎は出てませんけど、ここの同窓会で結婚式を挙げたいんです」と言ったら――



 というような扱いを受けること、間違いなしである。

 だから日本のカトリック教会では、洗礼を受けていない信徒以外の結婚の祝福式を引き受けるときでも、必ず「勉強会」を行う。洗礼まではいかなくても、「勉強会」を通して、求道者という「教会の一員」の形を取らせるのだ。

 本物の牧師や神父に司式される、本物のキリスト教式結婚式を挙げたいという憧れを持つ、結婚式に夢を抱く女性は少なくない。しかし冷たいようだが、ここははっきり言っておく。

「あなたが洗礼を受けてクリスチャンにならない限り、どこまで行っても、その結婚式はなんちゃってチャペルで挙げる、ただのコスプレ結婚式だから」

 だってこれ、当たり前のことじゃないですか。
 毎年、お正月に神社へ行っているのなら、結婚式も神式で挙げなさいよ。
 信仰している仏教宗派があるなら、仏式で挙げなさいよ。
 無宗教だというのなら、人前式で挙げなさいよ。
 結婚式のときだけ、にわかクリスチャンになろう、なんて節操のないことはおやめなさい。

 神社にも行きクリスマスも祝い葬式は仏教でやる。それが日本のいいところだ、という人がいる。それは大間違いだ。そんな風だから、神社はお賽銭を挙げればご利益のある自動販売機だと思い、クリスマスはカップルの性の祭典になり、仏教は葬式宗教になってしまうのである。そんな社会で茹で上がった人間が、筋の通ったまともな意見を持てるはずがない。

 日本の離婚率が徐々に高くなっているひとつの要因に、この、「なんちゃってチャペル」であげる「キリスト教式コスプレ結婚式」の増加があるのでは、と、内心、思っているところもある。
 自分がなにに誓っているのかも自覚せず「誓います」もないものだ。そんなだから「病めるとき、貧しいとき、苦しいとき」に相手を捨てるような薄っぺらい結婚が増えるのだ。

 わたしにしては珍しく、いささか筆鋒鋭くなってしまったかもしれない。
 しかし、民間のホテルのチャペルで登場してくるような司式者は、ほぼほぼ99.99パーセントの確率でカトリックの司祭ではない、ということは、何度でも指摘しておく。

カットリク!ポイント70――
カットリク!では、街なかのなんちゃってチャペルで登場してくる司式者も「神父さま」


 なお、ずいぶんロングパスだが、女子パウロ会編著の新刊「神父さま、なぜ日本に?」は本当に良著である。信徒には馴染みのあるお名前の神父さまが並び、読んでいて楽しい。

 書評の一部だけを抜き出して、ずいぶん辛辣なことを書いてしまったが、この書籍を一般紙で紹介してくださった読売新聞と宮部みゆき先生には感謝感謝である。
 あと、書評自体も(上記のカットリク!部分を抜かせば)素晴らしい。さすが宮部先生でいらっしゃる、と、フォローを入れておく。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年07月05日

【日記】しまった!?

 やばいやばい。DynDNSから「Your Oracle+Dyn service failed to Auto Renew」のメールが来ていた。スパムフォルダに入っていたので気づかなかった。

 えーっ、一瞬、「なんで!?」である。DynDNSは、有料化後もPaypalで毎年自動更新していたのだが、毎年、問題なく無事に更新できていたのである。

 Paypalにログインして、あーっ、しまった、とわかった。
 去年の10月、「【日記】ダメなときはなにをやってもダメ」でメインクレカを廃止して、新しく作り直したとき、Paypalの登録クレカの更新をやっていなかったのだ。
 PaypalがDynDNSを廃止クレカで更新しようとしたため、Renewがfailedしてしまったという、こういう顛末。

 最近、ネットでの支払いはPaypal経由ではなく、ジャパンネットバンクのVisaデビットを使用することが多かったため、すっかりPaypalの登録クレカのことを忘れていた。

 さっそく、Paypalの登録クレカを更新して、DynDNSへもログインし、手動でRenew。これでまた一年DynDNSのお世話になる。

 DynDNSが最初、無料のサービスであったことは、古参のネットワーカーなら誰でも知っていることだが、今は一年で40ドルの有料サービスである。なんとも、お高くなったものだ。
 しかし、これだけIoT機器が増えてくると、自宅鯖を利用するためだけではなく、他の用途であっても、外出時に自宅にipリーチャブルというのはなにかと安心できるので、その対価としては適価かな、と思ってDynDNSを使っている。老舗と言うことでなにかと安心できるし、使っていて、やはり安心感がある。

 ダイナミックDNSサービスは、ただでさえ突然終了しやがるのである。過去にもコレガのcorede.netがいきなり終了だし、so-netも今年、サービス終了をアナウンスしている。プラネックスのCyberGateも、一時、やめるやめないの騒ぎがあったようだ。

 わたしはiremoconSlingboxも利用しているが、これらは機器が勝手にipを自社鯖に登録しているらしい。こういうのは、まあ、素人さんにはわかりやすくていいのだろうが、裏で勝手に自宅ipをリストアップされているのは、ちょっと気持ち悪くもある。
 しかし時代はだんだんとそちらへと移っていって、自宅ipの数字のことなど気にもせずに、外出先からスマホでIoT機器を使える時代へとなっていくのだろう。ダイナミックDNSサービスが次々と終わるのもむべなるかな。

 去年の冬、すわ感染症で隔離病棟入りか!?(閉鎖病棟じゃないからね)となったときも、ちょっといいノートパソコンに買いなおして、それを持参して入院すれば、自宅PCをVNCで操作して、そのとき請け負っていた仕事はなんとかこなせるか、税務処理もなんとかできるか――などと算段したのであった。

「【日記】この時期のマシントラブル」で紹介した、「スタアストーンソフト」製のWOLリピータは良くできていて、WOLリピート機能だけでなく、強制的にPCの電源の再投入も行える優れものである。これができるので、外出先で、もしメインマシンがハングアップしても怖くない。

 逆にこういう環境に慣れていると、変更されたipの登録にDynDNSが遅延して、それに気づかず外出したりしてしまうと、外でipリーチャブルでないことに気づき、とても不安になってしまう。
 以前、そんなことがあったときは、うちで使っているIoT機器は一定時間おきにメールを送信する仕組みになっていることを思い出し、そのヘッダから変更されたipを読み出してip直で自宅鯖に入りDynDNSにログインして、ipを再登録したのだった。

 今はipが変更されると、ほぼ同時にメールでスマホに送信するシステムを導入しているので、すぐにDynDNSへ反映されているかチェックするようにしている。

 こういった話も、常時接続があたりまえの時代になったからだなあ、とは思う。昔、外出先から自宅PCの電源を入れる方法はWOLではなく、WOR(Wake on Ring)で、マシンのモデムにISDNのサブアドレスで振った番号を着信させて起動させていたのであった。

 などと、無事DynDNSのRenewもできてホッとしたので昔語りをひとくさり。ここに書いたような話も、ipv6の時代には、ロストテクノロジーとなっているのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年07月04日

【カットリク!】内因性精神病――臨床精神病理学の立場から

「【カットリク!】ロマンティックな狂気は存在するか」の記事で、本来ならば新約聖書四番目の福音書「ヨハネによる福音書」の冒頭文である「太初に言あり(文語訳)」が、誤って「旧約聖書の冒頭」と記されている、と書いた。

 しかし、春日武彦先生の同書の該当箇所はあくまで「引用」した箇所であり、もとは吉永五郎先生の著作「内因性精神病――臨床精神病理学の立場から」から引いたものらしい、とも。

 同箇所の間違いの指摘について、わたしは「うろ覚えなどではなく、今でも街中の書店で購入できる文語訳聖書を立ち読みでもすれば間違うはずがない」、「言葉≠扱う者として、その程度の簡単な確認作業さえ行わず言葉≠云々する態度は誠実ではない」という主張をしている。
 こういうわたしが、孫引きの状態で春日先生の「ロマンティックな狂気は存在するか」を「カットリク!」だと評価するのは、いささか片手落ちではないかと居心地の悪い思いがないではなかった。

 今はいい時代である。以前だったら、おそらく大きな図書館を回ってもすぐに手に入らず、それこそ国会図書館にでも行かなければ見つからないような書籍でも、アマゾンで入手できる。



 というわけで、ゲットしましたよ。吉永五郎先生著の「内因性精神病――臨床精神病理学の立場から」。
 暇な上に粘着質だなぁ、俺(笑)。1988年の初版である。

 該当箇所は、32ページの注記の部分にあった。


(クリックで拡大できます)

 注:古代ギリシャのプラトンの時代までは、エイドスとイデアは、同じ意味で日常的に使用されていた。しかし、キリスト教旧約聖書の冒頭の「始め言葉ありき」の文が示すように、言葉のみが人間の種族としての本質を現していることから次第にエイドスの使用は廃れた。しかし、言葉は偽るが、エイドスは偽らず、認識の源泉であることに変わりがない。


 はい。ばっちり間違っていらっしゃいますね。何度も書いてきたが「太初に言あり」は旧約聖書の冒頭の言葉ではなく、新約聖書四番目の福音書「ヨハネによる福音書」の冒頭の文であり、しかもこの言(ことば)≠ニは、Languageという意味ではなく、イエス・キリストそのもの(Logos)を現しているのだ。

 カットリク!ポイント44―
 カットリク!は「はじめに言葉ありき」が聖書の一番最初の一節だと思っている。

 カットリク!ポイント46――
 カットリク!は「はじめに言葉ありき」という一節が聖書に載っていると思っている。

 カットリク!ポイント45――
 カットリク!は「はじめにことばありき」の「ことば」が「Language」という意味の「言葉」だと思っている。


 というわけで、「ロマンティックな狂気は存在するか」で引用された吉永五郎先生の著作「内因性精神病――臨床精神病理学の立場から」、カットリク!を三連発、いただきました。
 なお、「はじめに言葉ありき」の間違いについての詳細は、拙稿「【カットリク!】はじめに言葉ありき」をお読みいただきたい。

 というわけで、聖書からの引用は間違っているが、もともと精神科医と研修医向けに書かれている本書は、一般読者のわたしにもそれなりに面白そうな筆致で書かれているので、ナイトキャップ代わりに読んでいこうと思っている。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年07月03日

【昭和の遺伝子】ウォークマンの思い出

 今、この原稿は、スマホからBluetoothで飛ばした曲をSoundPEATSのQ12で聞きながら書いている。
 スマホには64GBのMicro SDカードを挿し、それにバッハ全曲集、ショパン全曲集、モーツァルト全曲集、典礼聖歌・賛美歌集、それに好きなポップス集を入れて、気分によってランダム再生したり、通して聞いたりしている。計算はしていないが、もし頭から全曲流していったら、一週間経ってもまだ終わらないくらいのボリュームがありそうだ。
 いやあ、ホント、いい時代になったものである。

 今はそんなふうに言う人もいなくなったが、昭和の時代は、外出中にカセットを聞ける小型音楽再生機器は、ソニー製品でなくても「ウォークマン」と呼ばれていた。もちろん、「ウォークマン」はソニーの登録商標である。「ステープラー」が「ホチキス」と呼ばれてしまうようなものだ。
 ちょっと気を遣う人は、ソニー以外の製品を「ウォーキングタイプ・カセット再生機」と呼んでいた。
 もちろん「ウォークマン」は今でも、シリコンオーディオのブランドとしてソニーから販売されている。

 わたしも昭和の少年・青年だったので、ご多分に漏れずソニー製の「ウォークマン」を購入して楽しんでいたクチだった。
 最初に買ったのは高校生の頃。初代機ではなかった。初代機より少し小型化されたタイプである。まだインジイヤー型のステレオイヤフォンは出ておらず(おじいさんがラジオを聞くような人肌色のモノラルイヤフォンはあった)付属していたのは簡素なヘッドフォンであった。しかしそれもまた、当時は格好良く見えたものだったのである。

 学校に持っていくのは禁じられていなかった(というか、そういう学校は今でもあるのだろうか?)ので、バスの中、電車の中でYMOや中島みゆきさんを聞きながら通学していた。
 この製品は確か単三乾電池二本で稼働だと思ったが、再生可能時間はそれほど長くなく、単一電池二本が入るサブバッテリボックスが付属していた。今で言うモバブーである。
 ただ、そんなに乾電池交換で面倒な思いをした、という記憶はないのである。むしろ今のリチウムイオン内蔵機器の方がバッテリ管理には気を遣うというのが正直なところ。

 まだウォークマンが珍しい頃だったので、学友が「ちょっと聞かして」と言うので快く貸してあげたら、彼の手が滑って床に落としてしまったことがある。自分としては「おいおい勘弁してくれよ」と苦笑したつもりだったが、その学友と隣にいた友人が「そんなに怒ることないじゃないか」と言ったので、けっこう自分の口調が厳しかったのかもしれない、と反省した。
 この事件は30余年以上も前のことだというのに、昨日のことのように覚えている。自分がそれほどキツい言い方をしていないつもりでも、相手にはキツい感じで受け取られてしまうかもしれない、という戒めだ。

 わかっている人はわかっていると思うが、ウォークマン(というよりソニー製品)は消耗品である。
 最初の一台にテープの巻き込みなどが起こり始めたので、二台目のウォークマンを昭和58年に水道橋のキムラヤで購入した。
 今度の機種は、ちょっと奢ってオートリバース&FM視聴可能、なおかつフェザータッチオペレーションな製品を購入。しかしこれは間違いだったと後で悟った。なにしろその分、ちょっと大きめなのである。フェザータッチオペレーションは格好良いが、機械的に再生ヘッドを押し込むわけではないので、なにか不具合があると勝手にヘッドをあげて押し黙る。
 買ってから故障するまでの期間は、前機種よりも短かったと記憶している。

 三台目は、もうソニーにこだわらなかった。というのも、ウォーキングタイプ・カセット再生機」自体がソニー寡占状態から脱して、多種多様なメーカーが出していたし、価格も格段に落ちていたからだ。確か、サンヨーのものを購入したと思う。
 このサンヨーのウォークマンは、未来の細君のクルマの中で役に立ってくれた。というのも、未来の細君のクルマのカセットデッキは早々に壊れてしまい、ドライブ中に音楽を流せなくなってしまったからだ。
 そこで、当時出ていた、シガーソケットから電源を取りつつFMで音楽を飛ばす周辺機器を購入し、それをこのサンヨーの機種につけたのである。
 このサンヨーの機種は実に丈夫だった。車内の高熱や振動にも耐え続け、クルマ自体を廃車するまで使ったと思う。

 ウォークマンを渡り歩いている間、オーディオはCDの時代に入っており、自分もCDウォークマンを使うようになっていたので、カセットウォークマン時代はここで終わった。

 平成になってから、ウォーキングタイプ・オーディオ再生機はMDになった。これはシャープの製品を選択。MDの思い出は、また機会があったらにしよう。

 今、若者の間で、カセットが再び脚光を浴びているという。正直言わせていただければ「はぁ?」という感じだ。
 カセットの方が音が温かいとか、いちいち巻き戻すのがいいとか、そんなのは全部幻想である(バッサリ)。
 ちなみにわたしは、オープンリールデッキも、ソニーの「Lカセット」も使ったことがある世代である。だから断言できる。今のシリコンオーディオの方がすべての点において勝っていると。

 いや、すべての点とまで言い切ってしまうのは早計か。
 少なくとも、ノスタルジーの点では、カセットに軍配があがるのだから。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2017年07月02日

【日記】セブン限定「北海道産マスカルポーネ仕立ての濃厚ティラミス」

 体調よろしくなく横になっていると、細君がもぞもぞと着替えて外出し、戻ってくると、例の今週末(06/29〜07/01)のプレミアム・フライデー限定スイーツの残りのひとつ、「北海道産マスカルポーネ仕立ての濃厚ティラミス」を買ってきてくれていた。

 なんということだ。そんなに俺の××をもぎたいのかね君は! やめてくれ、だから俺は風景写真家なんだ。左右ともディスポーザーに捨てるのはカンベンしてくれ(出典:映画「ハード・キャンディ」)。



 外見は普通のティラミスである。



 けっこう丁寧なつくりだ。
 このティラミスも、昨日のドゥーブルフロマージュと同じ、直径12センチ。繰り返すが、これで「巨大」とな? 



 スプーンですくってみたところ。一人で全部も簡単にいけそうな量だが、もちろん細君と半分こ。

 細君の感想は「うん、まあ昨日のよりこのティラミスの方がおいしいね」
 これも同感。
 しかし、期間限定品というので買ったが、これがいつでも売っているとなったら、買わないと思う。

 たかだか12センチで「巨大」を謳うセブン企画部は、下記のコストコで買えるケーキの大きさを見習っていただきたい!



 横の包丁で大きさを想像していただきたく。30センチかける45センチ、48人前である。しかもこれで2,500円弱。


(諫山創「進撃の巨人」関西弁版 1巻より引用)

「でっかいおっさんや」
 その日、関西人は思い出した。ヤツらにキャン言わされとった恐怖を…鳥籠ん中に、閉じ込められとった屈辱を……


 というわけで、まあ二つとも、味は良かったんですけどね、たかが直径12センチで「巨大」を謳うなんて「ちゃんちゃらおかしい」ので、雪辱戦は直径24センチでやってください、セブン企画部さん。期待しております。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記