2017年07月08日

【日記】死刑についてつらつらと

 宮崎勤、それに永山則夫と、どうも死刑関係の話が続いてしまったので、どうしても死刑についていろいろ考えてしまう。

 両記事でも書いたが、わたしはキリストもんであるので、基本的にも応用的にも死刑には反対である。キリスト者ではなく人間としてはどーなのよ? という問いもあるかもしれないが、それについては「【日記】ヒューマニストではない!」で、自分は人間である前にキリスト者であると宣言済みであるから矛盾はない。

 死刑制度だが、現状、日本の刑法では「殺人はいけない」とは規定されていないのである。ただ「殺人をしたら罰せられる」となっているだけだ。

 刑法第199条
 人を殺した者は、死刑又は若しくは5年以上の懲役に処する。


 これはなぜかと考えるに、「殺人はいけない」と規定してしまったら、治世システムによる殺人である「死刑」もできないという矛盾が生じてしまうからである。
 この点、日本の刑法は合理的である。筋が通っている。

 死刑反対派は、まず刑法で「殺人は、これを禁止する」と改正するよう働きかけるべきなのである。

 その点、キリスト者が守るべきモーセの「十戒」では「殺してはならない」と明記してある。さすがモーセ、そこにシビれる あこがれるゥ! と小躍りするのは気が早い。
 実は旧約聖書には、死刑の方法が山ほど記してあるのである。

 自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。(出エジプト記 21:17)


 なんてのもある。床ドンする自宅警備員、死刑!


(山上たつひこ「がきデカ(文庫版)」1巻より引用)

 人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる。(レビ記 20:10)


 なんてのもある。不倫、即、死刑!


(山上たつひこ「がきデカ(文庫版)」1巻より引用)

 女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。(レビ記 20:13)


 あいやー、BL、死刑!


(山上たつひこ「がきデカ(文庫版)」2巻より引用)

 男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪に当たる。(レビ記 20:27)


 なんと占い師も死刑である。


(山上たつひこ選集18「がきデカ」1より引用)

 要するに、個人としての殺人は禁じられているが、イスラエル民族という組織が行う行為として殺人は許容されているのだ。日本国刑法に比べて矛盾感がいなめない。

「わたしはキリスト者なので、基本的にも応用的にも死刑には反対である」と度々書くのは、そう書かないと、おそらく、基本や応用で対応できない例外時には、死刑反対を貫けないだろうな、という気持ちが率直にあるからである。

 たとえば、わたしの愛する人が惨たらしく殺された場合、その犯人の死刑に反対できるかというと、自信がない。
 洗礼を受ける前、尊敬する司祭に、そんなわたしがキリスト信者になることができるでしょうか、と訊ねたことがある。司祭はこう答えた「そうですね。そういうことがもし起こったら、マリア様の心になってみてください、としか言えませんね」
 まるで謎かけである。罪なくして我が子を十字架刑という惨い死刑にかけられた聖母マリアの心……それはつらく、苦しいものであったに違いない。そんなマリア様の心になれないからこそ、さらにわたしのような普通の人間はさらに苦しむのである。

 ここで、一言。
「殺人を犯した者は誰でも死刑にしちまえばいいんだよ」とドヤ顔で言っているあなた、いいですか? 人工妊娠中絶も殺人ですからね?
 統計によると、日本の平成27年の人工妊娠中絶の件数は176,388件。月間14,699件、一日483人の殺人が行われている計算である。
 ざっと計算すると、2割近くの赤子が人工妊娠中絶によって殺されている計算なのだ。
 ヘロデ王は生まれたばかりのキリストを亡き者とするためにイエスが生まれた一帯の赤ん坊を殺しまくったと聖書にある(マタイ 2:16)が、それと同じようなことが、毎年毎年、この日本では水面下で行われているのである。

 人工妊娠中絶と殺人は別だよ、などとうそぶける論拠などなにもない。日本は死刑を許す国である前に、実は殺人に甘々な国なのだ。

「あんな犯人は死刑にしちまえ」と言ったのと同じ口で「出生前診断で遺伝子に異常が見つかったから人工妊娠中絶しようか」と言うのは矛盾である。

 だからと言ってわたしは、人工妊娠中絶を選んだカップルを「殺人者だ」と指弾する気にはなれないし、「おまえらは死刑になるべき人間だ」とも言えない。

 これが、死刑に反対するひとつのヒントになるかなあ、と、自分ではつらつらと考えているところだ。

 この記事はとくにまとまりなく終わる。このまとまりのなさが、今のわたしの死刑に対する考えの迷いや惑いを、ストレートに現していると思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記