2017年07月21日

【回想録】書店の思い出

 わたしが高校生の頃までは、わたしが住む小さな街に、個人経営の書店がふたつあった。
 二店の間は歩いて五分の距離である。よくそれで、お互い経営が成りたったものだと今では思うが、実際それで、わたしが物心つく頃から十数年、仲良くやっていたのである。

 二店は微妙に置いている書籍のラインナップが違ったのもよかったのだろう。A店は雑誌や実用書、マンガに重きを置き、B店は文芸書や文庫本、新書などを主に置いていた。規模はB店の方が少し大きかった。
 B店では、星新一の文庫本や、岩波新書の名著「維新と科学」などを買ったことを良く覚えている。
 また「SFマガジン」を買おうとしたら、ちょうどその号の表紙がエロティックなグラフィックで、カウンターのおばさんが「ちょっとこれはボクには売れないねぇ」と言い出し「えっ、でもこれ、エッチな本じゃないですよ」と押し問答をしたこともある。
 結局、その号のSFマガジンを買えたかどうか、記憶にない。

 高校生の頃、そのB店が、本当に突然、閉店してしまった。正直、びっくりしたが、それほど悲しくはなかった。
 わたしは都市部の学校にバス、電車通学しており、ターミナル駅ビルの大型書店で日常的に買い物ができたからである。

 ターミナル駅ビルの大型書店は有名なチェーン店で、ほぼひとつのフロアを使って書籍以外にも文房具や画材なども扱っているような規模だった。
 今でも中学生は、天気図帳を買って、ラジオの気象通報を聞いて自分で天気図を書いたりしているのだろうか。この書店では、そういう天気図帳や、国土地理院が出している地図なども購入できた。
 語学のコーナーには「フランス語四週間」「スペイン語四週間」というような「四週間」本が並んでいた。「エスペラント語四週間」を買ってみたが、四週間では体得できず、もちろん、今でも体得していない(笑)。
 PC雑誌ASCIIを最初に買ったのも、この大型書店であった。「Pascal ABC」や「K&R」も買った。中学生の頃「【昭和の遺伝子】聖書を読みに」で聖書に初めて触れたのも、この書店である。
 この書店の一週間の売り上げは新聞の地方版に掲載され、そこのベストテンに拙著が入ったこともある。あれは嬉しかった。

 話は過去に戻るが、中学生の頃、竹下景子さんが男性週刊誌で脱ぐ! というセンセーショナルなCMが打たれたことがあった。今で言えば、そうだな、新垣結衣さんが脱ぐとか、そんな衝撃である。
 我々、超革命的中学生集団は「これは売り切れ必至」と対策本部を設営、休み時間の10分の間に学校を抜け出して、学校近所の書店へ買い出し部隊を派遣する計画を立てたのであった。
 掲載誌は「プレイボーイ」だったか「平凡パンチ」だったか。今となっては笑い話だが、そばかすの中学生には少しハードルの高い男性誌である。そこで少しでも老け顔の者を選出、別れの水杯を交わして送り出した。

「買ってくるぞと勇ましく、誓って教室でたからは、手柄たてずに死なれよか。学校チャイム聞くたびに、まぶたに浮かぶ景子の肌」

 が、作戦は拍子抜けするほど、見事に無事、成功したのである。教室へ持ち込まれた竹下景子さんのヌードが載った男性誌は、クラスの男子たちの衆目の下にさらされ、みな、それぞれの感想を持ったのであった。

 まっ、男子って、いやーね!

 閑話休題。話は高校生時代に戻る。そのうち、高校に近い方の駅にも駅ビルができ、そこにも中型規模の書店が入った。
 正直、書店には困らない時代であった。どの駅にもたいてい、大型書店が入っているのが当然であった。

 わたしの住んでいる街では、個人店のA店が、依然、頑張っていた。ただだいぶ、大型書店の波に押されて、置かれる本がエロチック方面に傾いていっていたような印象がある。
 その頃でも一般書の棚に、わたしが出した二冊目、三冊目の本が並び、嬉しいなあ、と思ったことを、よく覚えている。A店のご主人は、わたしがその本の作者であることを知らなかったはずだ。

 この頃、大きな駐車場を備えた「郊外店」とでもいうような書店形式がだんだんと増えていく。
 正直、ラインナップの少ないA店に行くことは少なくなってしまったが、書店は本当にそこかしこにあった。スーパーにさえ、雑誌棚ではない、ちょっとした書店コーナーがつくられたほどだ。

 当時は雑誌の類いを、毎月、良く買っていた。「ラジオライフ」をはじめ「ASCII」、「Oh!X」、「Cマガジン」、細君は「おまじないコミック」を買っていた。
 それにしても、雑誌というものはすぐにたまり、書斎を圧迫する。わたしはけっこう思い切って定期的に捨てる方だったが、今になってみると、なんとか今の時代まで残しておいて、スキャンスナップで電子化すればよい資料になったのになぁ、と悔やむこともある。

 リアル書店の終焉は、いきなりは訪れなかった。しかしそれは、徐々に、だんだんと、忍び寄るように、しかし確実に、迫ってきたのであった。
 言うまでもない、Amazonの台頭である。Amazonは黒船ではなかった。いきなり訪れて、リアル書店を仰天させたのではない。リアル書店にとってみれば、Amazonはガン細胞のようなものであったのだ。いつの間にか、気づかぬうちに冒されていったのである。
 わたしはAmazon JapanがないころからAmazonを利用していたが、それでも、Amazonが将来、日本のリアル書店を潰しまくるだろうという予想は立てられなかった。

 しかしAmazonは容赦がなかった。日本の書店はどんどんと潰れていき、わたしの街のA店もついに店じまいした。わたし自身もほとんど足を踏み入れなくなっていたが、最後はエロ本、エロビデオ屋と化していたような気がする。

 そして次はターミナル駅の書店が規模縮小していく。改装の度に、あきらかに昔より売り場面積が小さくなっていくのである。
 わたしの直近のターミナル駅では、ついに書店そのものが消えてしまった。

 今現在、わたしの自宅に一番近いリアル書店へ行くためには、歩いて30分かけてターミナル駅へ。そこから出ている無料シャトルバスで15分の時間をかけて行かなければならない。着いた大型ショッピングモールに入っている中型書店、一軒だけである。

 そしてその一軒も、先日、入ってみたら、文房具売り場が増え、明らかに本のラインナップが減っているのである。
 わたしは必ず人文系の宗教関係の棚を覗くのだが、なんと、日本聖書協会の新共同訳聖書が一冊も入っていない!

「ああーっ、そういう時代になってしまったんだなぁ!」

 思わず、大きくため息をついてしまった。

 これも黒船ではないが、ガン細胞のように「電子書籍」はジワジワとリアル書籍を侵食している最中なのであろうか。

 わたしはAmazonを良く利用しているし、電子書籍も場所を取らないので大好きである。ただやはり、昭和の時代に生まれ成長した身からすると、冊子体の書籍に、まだ、心を残す部分がないではない。

 しかしこれも時代の趨勢なのだろう。
 神ならぬ身、未来のことがわかるわけはないが、この先のリアル書店の行く末を、まるで病床にいる祖父を見舞うような気持ちで、見守るばかりである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録