2017年07月25日

【回想録】チェルノブイリ原発事故の思い出

 1986年4月26日に、それは起こった。
 ソ連の「チェルノブイリ原発事故」である。
 その頃、わたしと悪友たちは、集まっては麻雀ばかりしていた。同年の4月8日に岡田有希子さんの投身自殺があり、話題はそれ関連ばかりであったようにも思う。


(ファーストアルバムを買うくらいのファンではございました)。

 ソ連は事故を進んで発表するような国家ではなかったので、当初は事故を隠していた。最初、異常を発見したのは、近隣諸国、確かスウェーデンの原発の放射線モニタ線量計だったと記憶している。
 当時、ソ連は日本から、距離的にも政治的にも遠い国ではあった。そこで起こったという原発事故は、同じ地球にあっても、どこか非現実的な出来事のように思われた。

 その翌月の五月の連休のこと。皆で集まって、また麻雀をした後、昼飯でも食べに行くか、と外に出たら、小雨がパラパラと降ってきていたのである。
 こんな会話を交わしたことを、良く覚えている。

「あ、雨だ。傘いるかな」
「近いし、この程度ならいらねぇべ」
「チェルノブイリの放射線物質が混ざってたりしてね」
「まっさかぁ(笑)」

 そのまさかであった。5月3日のことだ。後になって、このとき日本に降った雨に、本当にチェルノブイリの放射線物質が含まれていることを知り、仰天したのであった。
 仰天はしたが、それもまた、どこか他人事であった。恐慌をきたすこともなく、チェルノブイリとこの日本はつながっているんだなぁ、と妙に感服したような感じ。

 深夜のCNCテレビニュースでは、チェルノブイリ原発の必死の消火、対策が連日、放送されていた。これも正直、遠い国で起こった惨劇という感覚であった。
 日本の学者たちは、日本の原発はチェルノブイリ型とは根本的に違うので、同じような事故はありえないと繰り返し繰り返し言っていた。東工大に通っていた友人が、原発関係の教授に「トカマク」とあだ名をつけたんだよ、と聞いて吹き出したりもした。

 当時の日本の雰囲気は、こんな感じである。大部分の日本人にとって、チェルノブイリ事故は、遠いよその国で起こった他人事、だったのではないだろうか。
 事故の後「チェルノブ」というゲームがアーケードやメガドライブで出ていることからも、日本人にとっては「他人事」だったことがよくわかるというものだ。


(データイースト社のメガドライブ版「チェルノブ」OP画面より引用)

 さて、その映像が放映されたのが、事故直後すぐか、しばらく経ってなのか記憶にないのだが、チェルノブイリ原発の上を、取材カメラマンが必死の覚悟でヘリで飛び撮影した、というものが流れた。
 そのフィルムに移ったチェルノブイリ原発の破壊されようは、さすがに衝撃的であった。そして、フィルムのところどころに、白い点がランダムに光るのである。「これは、原発から発せられている放射線がフィルムに感光したものです」と説明されて、初めて、放射線の恐ろしさというものを感じた。

 こうやって書いてみると、わたしや、わたしの周り、日本自体の呑気さに驚く読者がいらっしゃるかもしれない。しかし当時、日本の原発と原子力産業は信頼されており、あの、東海村の「バケツでウラン」事件もまだ起きてはいなかったのだ。

 そうしてチェルノブイリ原発事故は、「石棺」化され、人々の記憶にそれでも何かを残しながら、過去の物となっていった。

 インターネット常時接続時代になって、動画サイトも普通のものとなり、あるYOUTUBEの動画が話題になった。ひとりの女性がバイクでチェルノブイリへと向かうという内容である。ガイガーカウンターを持ち、荒廃した道を走る。
「えっ!?」というのが正直な感想だった。ソ連崩壊後、チェルノブイリ原発近辺はウクライナの監置下となったが、厳重に立ち入り禁止区域になっているとばかり思っていたからである。
 調べてみると、もう、石棺のわりとすぐそばにまで行けるのだそうだ。もちろん放射線量は高いので、いろいろと気を遣わねばならないが、決して無謀な決死行ではなくなっていることを知った。
 そのとき脳裏に、二十数年前に見た、あの、ヘリからのチェルノブイリの様子が蘇った。
 あの場所に、行くことができるのか! 旅行好きとは言えないわたしが、珍しく、反射的に「行きたい!」と思ったのである。

 検索してみると、わずかではあるが、日本からのツアーも定期的に出ているらしい。まだ個人ページ華やかなりし頃だったので、行った方がサイトで道中を公開していた。石棺をバックにとった記念写真を拝見して、本当に「そういうう時代になったのだ」とびっくりした。

 東日本大震災がくる前。福島第一原発が津波でメルトダウンを起こす前の話、である。

 チェルノブイリ原発事故が起こった時、その地は「絶対に行けない場所」であった。それがいつの間にか「行ける場所」になったのだと知ったら「いつか行きたい場所」になった。

 今は諸事情があって、住んでいる場所を長期間離れることはできないが、そのうち身が軽くなったら、細君と行ってみたい場所リストのひとつに「チェルノブイリ原発跡」と書き加えている。
 いつかそのような日が本当に来ることを祈って。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録