2017年08月26日

【回想録】図書券の思い出

 なにかクルマ関係のアイミツをサイトからやったら、それのキャンペーンに当たって「図書カード」をいただいたのであった。
 で、よく見てみると、これ、「図書カード」ではない「図書カードNEXT」である。裏には期限が書いてある。なんと、今までの図書券、図書カードには期限などなかったというのに。
 ちょっとびっくりしたが、使い方は図書カードと変わらないようなのでホッとしている。



 というわけで、図書券の思い出。図書券というと昭和っぽいので、「昭和の遺伝子」カテゴリにしようかと思ったのだが、調べてみると、図書券自体は平成17年まで発行されていたのである。なので、「回想録」カテゴリにした。

 わたしはよく本を買う子だったので、お年玉やなにかのお祝いで図書券をいただくのは嬉しかった。現金の方が良かったなぁ、と思ったことは一度もない。
 図書券は桜色をしたちょっと小さなお札大のチケットで、500円が額面だったと思う。
 昔は500円あれば、ちょっと厚めの文庫本が買えたのだが、今は同じくらいのボリュームの文庫本が千円する。あまり言われていないが、書籍も確実に値上げしているもののひとつだと思う。

 図書券は、後に出てくる図書カードと違って、利点があった。「お釣り」が出るのである。だから額面500円固定でもお釣りが出る分、無駄がなかった。
 図書カードはその点、全部、本を買って使い切らなければならない。残高もレシートを見なければわからない。そして一番嫌なのが、読み取り機を入れていない小さな書店だと使うことができない。
 いろいろ理由はあったのだろうが、図書カードは図書券と比べて、ユーザビリティは悪くなったなぁ、と思う。

 図書カードNEXTはその点を改良して、裏面のQRコードからサイトへ飛ぶと、そのカードの履歴がわかるようになっているらしい。ただし、先述したとおり、有効期限がつくようになってしまった。
 なにかどんどん、ダメな方へダメな方へ進んでいってしまっているように思うわたしは老害だろうか……。

 図書カードはリアル書店でないと使えないというのも難点だ。最近はめっきり、本はAmazonで買うようになってしまった。
 読みたいと思う本が、わたしの住む地方都市最大の書店でも置いていないことが多く、取り寄せを頼むと嫌がられる雰囲気もあって、なにかの機会でいただく図書カードがたまっていくばかりである。



「【回想録】満開製作所の思い出」でも書いた「電脳倶楽部」の投稿採用御礼は、図書券で来ることも多かった。これはきっと経理上の問題で、図書券ならば会社の方で源泉所得税を払わなくてすむからだったと思われる。

 テレフォンカードも、すでに過去の遺物と化しているが、おそらく図書カードも、あと10年もすれば「ナニソレ?」という若者が出てきてもおかしくないアイテムだと思う。Amazonと提携してネットでも使えるようになれば話は別かもしれないが。
 アマゾンギフトと差別化して、書籍限定で使えるアマゾン図書カードなどが作れれば良いのかもしれない。

 振り返れば、わたしが子どもの頃は、卒業祝い、入学祝いで親戚からいただけるのは「図書券」と相場が決まっていた。そういう文化まで消えていくのは、少々、寂しい気がする。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年08月25日

【日記】トラハラ

 最近「告ハラ」というハラスメント行為が話題になっているという。「告白ハラスメント」の略である。

 提唱した方のロジックによると「高校生じゃあるまいし、オトナの恋愛には段階がある」「告白してOKをもらえる段階にまでいたらないような関係性でも告白してしまう人がいる」「それは相手に不快な感情を催す告白ハラスメント″s為に他ならない」というわけだ。

 わたしの感想としては、うーん、まあ、そういうところもあるだろうな、という気持ちもあるし、同時に、そんなことまでハラスメント行為になってしまうの!? という気分もある。
 オトナの恋愛の段階を三段跳びして告白してしまうコドモには「ごめんなさいね。あなたのことを良く知らないし、おつきあいはできません」と、キッパリお断りするのがオトナだと思うからだ。一方的にハラスメント行為と感じるからやめてほしい、というのは、それこそコドモの感性、オトナの対応ではないのではないだろうか。

 と、こうやって書いてきて、これがハラスメント行為になるのなら、これもハラスメント行為になるのでは、と思うことがあるので書く。
 ひょっとしたら、これからわたしが書くことが気に入らなくて、反感を持つ方がいらっしゃるかもしれない。しかし、「告ハラ」があるのなら、こういったハラスメントもあるはずだ。
 名付けて「トラハラ」である。

 最近、知らぬものを許さぬ勢いの人権意識、LGBTのTである。トランスジェンダーのTだ。「体は男だけれど心は女」あるいは「体は女だけれど心は男」の方々である。

 ある日のことである。市民プールの出口で、細君が女子更衣室から出てくると、妙な顔をしている。
「なんか、ちょっとおかしい人がいたんだけど」
「おかしい人?」
「うーん……」
 細君が言葉を濁したので、そこにあるベンチに二人で座ってカバン整理をするフリをしながら、更衣室の入り口をさりげなく気にしていると、ああ、なるほど、出てきた方が――長髪で派手な口紅を引き、ワンピースに女性が持つようなデザインのトートバッグを持ち、サンダル姿だが、肩幅や体つきから、明らかに女装している男性だとわかった。
「これ、係の人に言った方がいいかな?」
「うーん」今度はわたしが唸ってしまった。「難しいところだなぁ。盗撮とかをしてたわけじゃないんだろ」
「それはそうだけど――」
「トランスジェンダーだよなぁ。へたに騒いだら、こっちが人権意識のない人間だって言われかねないよ」
「だけど、男だよ。男が女子更衣室を使ってたんだよ」細君は溜息をつき「気持ち悪いよ。正直なところ」
 そうこうしているうちに、その方は外の駐車場へと消えていったので、それ以上、我々がどうすることもできなかった。もともと、どうにもできないことだったのかもしれないが。

 しかし、読者諸兄はどうお思いになられるだろうか。これも、LGBTへの差別意識の現れになると?
 当の女性である細君が「気持ち悪い」と言っているのである。そういったことも、現代では、人権意識のもとで許さねばならないのだろうか。

 これはハラスメントではないだろうか? トランスジェンダー・ハラスメント。略して「トラハラ」である。

 そのぐらい許して当然。それが人権意識というものだ、という男性は、ちょっとこれから書くシチュエーションを考えてみて欲しい(わたしは男性なので、男性としての例しかあげられない)。

 あなたはあなたの恋人を含む友人たちと温泉宿に行くことになった。その中には、「体は男だけれど心は女」というトランスジェンダーの仲間もおり、あなたの目から見ても彼(彼女)の体はまだまだ男である。
 そんな彼(彼女)のことをあなたは理解し、応援しているつもりではあった。
 が、彼(彼女)は「自分は心は女なのだから、女性風呂に入るのが当然」だと言い出す。女性風呂に入れば、あなたの恋人の裸は彼(彼女)の目に晒されることになる。あなたはそれに耐えられるだろうか?

 わたしはやはり、そういう行為(自分の心は女なのだからと主張し、女子トイレや女子更衣室、女子浴場に入る)は「トラハラ」だと思う。

 少なくとも、男性専用、女性専用の施設を使うからには、体の性別を心の性別と一致させて、つまり性別再判定手術を受け、戸籍も心の性別に変えてからでないと、「トラハラ」行為ではないだろうか。

 実を言えば、わたしはけっこう、この世界に詳しい。ある事情があり、一時は理解しようと努めたことがあったからだ。その上で、やはり「トラハラ」はある、と思う。

 上記までは専門用語を用いずに書いてきたが「心は女だけれど体は男」の方がMtF GID、逆の方がFtM GIDと呼ばれていること、性同一性障害がDSM5における精神障害であるという認識など、わたしは一般人より知識を持っているつもりである(このあたりのことは「【書評】放浪息子」にも書いた)。
 そういう世界では、生まれついての女性のことは「純女」と呼ぶ。

 純女である細君が「気持ち悪い」と思う行為を行うのはハラスメントではないだろうか? わたしは細君のそのシンプルな気持ちを「人権意識のなさだよ」と断罪することはできない。

 みなさんはいかが思われるだろうか?
 わたしたちの人権意識が低い、のだろうか?

 トランスジェンダーの方々のことも理解したい、簡単に斬って捨てるようなことはしたくない。と、ひとりのキリスト者として思っている。
 正直、答を探して逡巡しているところだ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年08月24日

【カットリク!】呪いの聖書

 たまたま古本屋で手に取ったムック本。「死ぬほど怖い噂100の真相」。
 パラパラとめくっていくと――



 ババーン!「怪死した神父が残したカビだらけの呪いの聖書」とタイトルが。
 下のキャプションによると

 ご覧の画像は、19世紀にベルギーのある神父が残した「呪いの聖書」だ。神父は敬虔なクリスチャンだったが、最愛の妻に死にショックを受け教会から脱走。そのまま20年ほど行方をくらましたあと、田舎町の廃墟で、カビとキノコにまみれた不気味な聖書を抱きしめながら死んでいるのが見つかった。
 以降、聖書は第三者の手にわたったが、持ち主はいずれも発狂して死亡。ほどなく「呪いの聖書」の名がつき、現在はベルギーの博物館に所蔵されている。最強の呪いアイテムだ。


 もう脱力、滅茶苦茶である。敬虔なクリスチャンである神父が妻帯していて、妻の死にショックをうけて教会から脱走――教会は収容施設かなんかなんですかね(笑)。

「【カットリク!】恐怖新聞 第12話「悪魔のカード」・前編」でもすでに書いているが――

カットリク!ポイント36――
カットリク!は神父だけど結婚できちゃう。子どももつくっちゃう。


 ですな。
 ちなみに、牧師だったら間違いではないだろうし、聖公会の場合、呼称が「神父」で妻帯している、という稀なケースがないではない。しかしベルギーはローマ・カトリック信者が75パーセントの国である。
 まあ、ベルギーにも英国国教会はあるだろうし、そこの話と思えばあながち間違いと決めつけるのはよろしくないのかもしれない。

 なお、この「呪いの聖書」。上記の逸話はまったくウソで、マジックマッシュルームマニアがつくっていたサイト「シュールーメリー」の掲示板に投稿されたもの、という真相が、次ページに記されている。なんとも、ドッチラケ、である(笑)。

 ちなみに、現在、千葉県立博物館では「きのこワンダーランド」という特別展を行っているので、先日、寄ってみた(ので、この本「死ぬほど怖い噂100の真相」を持っていることを思い出し、この記事を書いたという顛末)。


(一部の展示は撮影も可能)

 2004年までは食用とされていた「スギヒラタケ」が実は毒キノコであった! などとびっくりするような情報もあり、キノコの世界も奥が深い。


(今となっては毒キノコの缶詰!)

 毒ヘビだと思われていなかったヤマカガシが実は危険生物だった、という事件も最近あったりする。科学万能の21世紀になっても、まだ毒性植物・動物の境い目がわからないことがある、というのは、実に興味深い。

 なお、聖書の中にはキノコは登場していない。登場していないので食事禁忌の例にもあげられていない。

 面白い話としては、出エジプト後、イスラエル民族に神が与え続けた食料「マナ」の正体がキノコだった、という説がある。これを元に考古学者ジョン・アレグロは「The Sacred Mushroom and the Cross」という著作をしたため、「イエスは実在せず、教団はマジックマッシュルームを使った幻覚を用いていた」というトンデモ論を展開して学界を追われたのであった。

 きっとジョン・アレグロが上記「呪いの聖書」を見たら狂喜したであろう、とオチをつけて、今日のカットリク!はおしまい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年08月23日

【回想録】思い出に残る授業

「授業を受ける」なることから離れて、もう数十年になるが、今でも思い出せる、思い出に残る授業というものがある。

 ひとつ目は、小学生の校外学習のとき。クラスで国会議事堂を見学に行ったときのことである。どうしてそんな流れになったのかが思い出せないのだが、わたしがふざけて先生に「先生、議員になれなかったことが悔しいんでしょ」というようなことを言ったのだ。
 非常に失礼で、かつ、KYな発言だったことを、今、悔いている。
 先生がとたんに、不機嫌になったことがわかった。わたしとしては、そんなに怒るようなことでもないと思っていたので、不思議だったし、少し恐かった。
 小学校を卒業後、その先生の父親が、ある市の市長に立候補して、当選した。それを知ったとき、ひょっとしたら、当時の先生の家庭の中に、政治家を目指す父と教員という自分の軋轢があったのかもしれないな、と、思ったのであった。

 その先生とはけっこう思い出があり、やはり校外の授業で草花の研究をしているとき、「恭介は将来、漫才師か小説家になるといいよ」とおっしゃった(これは前に別の記事でも書いたかと思う)。なぜ先生がそうおっしゃったのかはわからない。

 今、当時の先生の歳を越してみると、決して「優等生の先生」ではなかったと思う。体罰は多かったし、修学旅行先で人の(わたしの!)下着をみんなで無理矢理脱がせ、赤チンを塗るような人であった。なんでも先生のいた大学のクラブの通過儀礼だったというが、今だったら、即、懲戒免職ものの所行である。

 ただ、わたしは不思議とこの先生に好かれていたようで、全校で行われる学年の芝居の主役に抜擢してくれたのも、この先生であった。演じた題目は「杜子春」である。
 今自分が、当時の先生の歳を過ぎてみると、この先生は等身大のひとりの人≠セったなぁ、と思う。そして、不思議と憎めない人であった。

 思い出に残る授業、ふたつ目は、中学のとき。三年間、国語を受け持ってくださった、少し老いた先生の、最後の授業であった。
 細かいところは覚えていないが、先生は、今までわたしたちのクラスを受け持てたことに謝辞を述べ、最後の授業なので、自分の好きな小説を朗読する、とおっしゃったのであった。
 そして、文庫本を取り出すと、教壇に椅子を置いて、ゆっくりと、よどみなく、落ち着いたよく通る声で、その小説を読み出した。

「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。」

 夏目漱石の「坊っちゃん」であった。
 先生の声は耳に心地よく、同時に、ああ、これがこの先生との最後の授業になるんだなぁ、と、しんみりしたことをよく覚えている。
 この先生は、教育人として、人として、とても尊敬できる方でもあった。今の自分はまだ、このときの先生の歳を追い抜いていないが、この先追い抜いたときでも、この先生の持たれていた人生への洞察の深さ、落ち着き、人に対する優しさは持てないような気がする。
 一コマの授業で、「坊ちゃん」のどこまでを読めたのかは覚えていない。ただ、先生の良く通る太く低い声が、とても印象に残る、すばらしい時間だった。

 思い出に残る授業、三つ目は、ちょっとコメディチックだ。高校三年のとき、たしか日本史かなにか、文系の授業を受け持ってくださった、大学を卒業したての若い先生である。
 わたしの高三クラスは理系クラスであったので、文系のコマは消化単位のようなものであった。先生もそれを承知していらっしゃったので、鷹揚に「僕の授業は他の受験科目を自習しててもいいからね」とおっしゃるような感じ。学校との契約自体も、臨時教師だったように思う。

 その先生の最後の授業のとき、先生は「俺ができる精一杯のエールをみんなに送るよ」と、自前のアコースティックギターを持ち込んで、一人ライブを始めたのであった。
 しんみりした曲、アップテンポの曲、いくつかを歌ってくれた。聞いていた我々も、手拍子に口笛でノリノリである。最後は紙テープ代わりにトイレットペーパーをビュンビュンとステージならぬ教壇に投げてアンコールをせがんだのであった。
 この騒がしさに、隣のクラスの先生が何事かとやってきて、苦笑して去って行った。このあたり、やはり昭和な感じである。現代だったら、戒告くらいにはなっていたのではないだろうか。

 この先生の名は、申しわけないことに忘れてしまった。ただ、当時の理系クラスのメンツが集まると、「あの最後の授業はよかったよな」と話題になる、伝説のライブである。
 今もどこかで、教鞭を取っていらっしゃるのだろうか。あのときの熱さを「若気のいたり」と苦笑しておられるかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年08月22日

【日記】ギガ恐竜展2017

 細君と幕張まで行ったついでに、幕張メッセ11ホールで開かれているという、「ギガ恐竜展2017」へ寄ってみた。

 わたし:恐竜、興味なし。
 細君:恐竜、小さい頃にちょっとだけ。今は興味なし。

 なぜそんなふたりが……。



 さて、幕張メッセは良く知っているので、11ホールのみで開催、というのは、出展として、実はかなり規模が小さいことが行く前からわかる。

 幕張メッセは、大きなホールを「クジラ館」、横の丸いホールを「ガメラ館」と言う。もっともこれは、まだコミケが幕張メッセで開かれていた、短い期間に生まれたジャーゴンで、今でも使われているかどうかわからない。
 本展が開かれている11ホールは、ガメラ館のさらに陸側の横に作られた別ホールの一番端っこで、通称は知らない。

 入場はスムースだったが、中に入ってみるとかなりの混雑。当然のことながら、お子さま連れのご家族が多い。
 化石の展示が多く、解説も詳しいが、見学の列がなかなか進まない。わたしも細君も、恐竜に関して上記の通りなので、後ろから覗き込んでは「へぇー」という感じで通り過ぎていく。

 細君「ふっ、これならウチの村の博物館の方が立派だね」
 わたし「ですな」

 「ウチの村」とは「とび森」のことである(笑)。

 しかし恐竜好きの子どもにはたまらないだろう。クイズラリーなどもあり、細君と挑戦してみる。

 今回の展示の目玉はコレ。


(クリックで拡大できます)

 超巨大恐竜「ルヤンゴサウルス」。全長38メートル、高さ14メートル。カメラの一画面の画角に収まらないのでパノラマ撮影してみた。

 みんな大好きTレックスこと「ティラノサウルス」ももちろん。




(わが村にもありますぞ)

 細君「ティラノサウルスの愛称≠ノワイレックス≠チて書いてあるけど、なんで? Tレックス≠カゃないの?」
 わたし「知らんねぇ……」

 自分が恐竜にまったく興味がないことを痛感してしまった。一応、「ジュラシックパーク」は全部観ているのだけれど……。

 クイズラリーを終えて応募しようとすると、なんと「お子さまだけ」(笑)。徒労感に打ちひしがれつつおみやげ売り場へ。悔しいから答えをバラしちゃう。「3」「1」「2」ですぞ。



 おみやげ物売り場がまたすごい混雑。子どもってほんと、恐竜好きなんだなぁ。
「琥珀に閉じ込められた昆虫」に食指が動いたが、入場券オトナ二人分より高いお値段に驚愕して棚に戻す。それに、本当に恐竜時代のものか分からんしねぇ……。



 こんな恐竜の学習帳も。子どもには人気がでそうだ。

 というわけで、恐竜マニア、恐竜おたくならば垂涎の展示会だったのだろうけれど、最初にお断りしたとおり、わたしも細君も恐竜って「ふーん」な人だったので、たんたんと「こんなのが地球を歩いていたなんてすごいねぇ」と言いつつ出口へと。

 ロビーを歩きながら、細君の眼を盗んでスマホで検索。なになに? なぜあのティラノサウルスの愛称が「ワイレックス」なのかというと――

 わたし「ティラノサウルスの愛称がワイレックスなのはね、あの化石の発見者の名前からきているんだよ。ワイ……、ワイ……(ここでチラリとスマホをみる)ワイリックという人が発見したからワイレックスって愛称がついたのさ(ドヤァ」
 細君「(爆笑しながら)今のスマホチラがなければカッコよかったのに」

 どうやら、ティラノサウルスすべての愛称がワイレックス≠ネのではなく、あの化石の個体の愛称がワイレックス≠ニいうことみたいですな。

 というわけで、幕張メッセ11ホールで開かれているギガ恐竜展2017は9月3日(日)まで。まだ間に合うので、世のお父さまお母さま、お子さまとの夏休みの思い出にいかが?

 ここで仕入れたワイレックスの由来をスマホチラしないで披露すれば「パパ、カッコいいーっ」と言われること間違いなしだ。

 いや子どもの方が詳しくて「そのワイリックって人、化石が埋蔵されてた牧場の所有者でもあるんだよ。ドン・ワイリックさんっていうんだ。もう一人共同発見者がいて、そっちはダン・ウェルズさん。2002年に発見されて、HMNS2006.1743.01≠チてナンバーがついてるんだよ。オリジナルの保存率は全身の38パーセントほどだったんだ」

 などと逆襲されるのがオチだったりして。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記