2017年08月03日

【回想録】2ちゃんねるの思い出・その1

 その昔、個人サイト華やかなりし頃、わたしのサイト「深夜のお茶会」の掲示板に、中学生くらいの女の子が書き込みをしてくれた。
 別記事で出てくるこの子とは別の、礼儀正しい子であった。
 その子曰く「結城先生って、けっこうな2ちゃんねらーなんですか?」
 うーん、自分としては、この問いが中学生の女の子から発せられたことに驚いた。なぜって自分は、「2ちゃんねる」は自分のような年代の、ある程度はコンピュータに詳しい野郎どもと、同じ年代の多少の女性たちがメインユーザーで、中学生の女の子が読み書きして楽しい場所ではないと思っていたからである。

 もちろん、2ちゃんには多数の板があるから、中学生の女の子が常駐できるような板があってもおかしくはない。ただ、わたしの常駐していた板とかぶらなかった、というだけではあるのだが、まだ常時接続が夢の時代、インターネットをやる若い女の子自体が少なかっただけに、中学生の女の子とガラの悪い「2ちゃんねる」が結びつきにくく、また、彼女の行間から読める「2ちゃんねるをやっているオトナって珍しい」という驚きが、面白くもあったのであった。

 言うまでもなく、当時わたしは、けっこうな2ちゃんねらーであった。というか、古くからの日本のネットユーザーで、2ちゃんに入り浸ったことがない者などいないはずである。
 WindowsCEで2ちゃんを読めるヘタレさん作のHikkyというソフトがあり、わたしはそれ用にWindows上の専ブラであるホットゾヌのログをコンバートできる「Zonukky」というアプリを開発していた。
 当時、2ちゃんねる関係のそういうアプリは「モナジラツール」と呼ばれ(もちろんMozillaと2ちゃんAAのモナーを合体させたパロディ名称だが、これも注釈がないとわからない時代なのかもしれない)、わたしも自分のサイトに「モナジラツール」のバナーを貼っていた。


(これが当時、モナジラツール開発者がサイトにつけていたバナーだった。現在、monazilla.orgは2ちゃんの「浪人」を買うサイトになっているようだ)

 どうしてわざわざ専ブラのログをWindowsCE用にコンバートする必要があったのかと言えば、当時は常時接続ではなかったからである。
 夜のテレホタイムの間に、面白そうなスレをホットゾヌでどんどん落としておき、それをWindowsCEマシンに転送して、昼はそれを読む。そんな感じ。いにしえのニフティサーブもこんな感じであった(ニフティサーブの隆盛時代にはテレホすらなかったが、ニフティ自体のアクセス料金が夜は安かったのである)。


(2ちゃんねらーなら誰でも欲しい!? ネットの闇を照らす『ピックル』ことピットクルーのマグライトとクリアフォルダ。なぜ持っているのかはナイショ)

 ずいぶん前置きが長くなってしまった。
 そんな、今となっては古参2ちゃんねらーなわたしが、最初に2ちゃんに遭遇した頃の話をしたいと思っていたのに。

 最初に2ちゃんに出入りし始めたのは「東芝問題」の頃であった。
 これも以前の回想録で書いたことだが「東芝の粉飾決済」の「東芝問題」ではない。当時、東芝のビデオデッキに技術的問題があり、それに電話でクレームをつけたユーザーに対し、東芝のサービス係が暴言を吐いたという事件である。これについては、「【回想録】深夜のお茶会の思い出・その13」で触れているので、詳細を知りたいかたはそちらをお読みいただければと。

 さて、当時ネットは、この問題でもちきりであった。東芝のサービス係の物言いはもちろん悪いが、クレームをつけたユーザーもちょっとクレームについては過去があったりして、ああでもないこうでもないどっちが悪いと、深夜に議論が交わされたものであった。

 そのときの主戦場となった板がどこだったのか、もう思い出せないのだが、深夜、テレホタイムになると、その荒んだ板に、ふらりと一人の人がやってくるようになった。
 ハンドルネームが「なかなか寝ない人」。後の通称「なか寝さん」である。
「なか寝さん」は、たぶん、女性であったのではないかなぁ。のんびりのほほんとしたとした書き込みであった。暴言、怨言、啖呵に妄言、捨て台詞ばかりのスレで、なか寝さんが来ると、妙に「ほんわか」とした雰囲気になるのである。荒廃したスレに咲いた一輪の花、という感じであった。

 そして、毎日毎夜、東芝問題について、どっちが悪いと敵味方に分かれていた論客同士が、だんだん「今夜もそろそろ、なか寝さんこないかなぁ」と言い出すように。

 そう、敵味方にわかれていた連中の中で、ファンクラブが自然発生していたのである(笑)。
「俺、ファンクラブ一番」「じゃFC2ね」――というわけで、わたしもFC7をいただいた。

 さて、「東芝問題」がどうやって解決したのか、実はあまり覚えがないのである。とりあえず、東芝側がユーザーにわびて終わるかたちではなかったか。
 当時は今と違って、インターネットの力など微々たるものであったが、大会社である東芝にまがりなりにも否を認めさせたというのは、それからのネット社会を占うひとつの分水嶺ではあったのかもしれない。


(2ちゃんねる用語辞典「2典」の初版本)


(寄せ書きページにこんなことを書いていたのは、わたしでしたーw)

 さて、自然発生した「なか寝さん」のファンクラブではあったが、東芝問題の雲散霧消に従って、やはり自然消滅していった。
 あの頃、論戦を張っていた、しかし同じ「なか寝さん」ファンクラブのみなさん、そして「なかなか寝ない人」さん、今でも元気でネットをしていらっしゃるだろうか。

 もし、これをお読みになられて「懐かしい」と思われましたら、秘密は厳守いたしますので、わたし宛にメールなどお送りいただければ、一緒に、昔話に花を咲かせましょう。

 さて「東芝問題」で2ちゃんの味を知ったわたしが、次に常駐したのは、凶悪で有名な「さくら板」であった(笑)。
 この話は、機会があったら、また。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録