2017年08月10日

【日記】季節感

 こうも暑いと、自分の心身不調が、病気からきているものなのか、夏バテからきているものなのか、睡眠不足からきているものなのかがわからなくなってくる。
 多くの方が指摘しているが、日本の夏は、どんどんと暑くなってきている。昔、わたしが中学生の頃までは、家屋にエアコンなどがある家庭は珍しく、あってもリビングだけ。子ども部屋などにはもちろんそんな良いものはなく、みな、扇風機の風を頼りに宿題をやっていたものだったのだ。

 わたしが最初の原稿料で購入したのは、エアコンだった。今の時代は、熱中症対策でエアコンを入れることをお上が推奨しているくらいだが、当時、自分の部屋にエアコンがあるというのは実に贅沢なことであったのだ。
 自然、わたしの部屋は友人のたまり場となって、雀荘化していく(お金は賭けないが)。

 さて、現在、Webの方で月いち掲載している「キリストを盗んだ男」は、冬の話である。
 もちろん、ストーリーテリング上の舞台設定で冬を選んだわけだが、実を言えば、書く立場としても、真冬の話は真冬に、真夏の話は真夏に書きたい、という気持ちがある。
 ただ、真夏に真冬の話を掲載するというのは、読者に申し訳ないなあ、という気持ちはもちろんある。
 わたしはいつもそう。夏の間に夏の話を書き、上梓されるのは秋を過ぎてから。冬の間に冬の話を書き、上梓されるのは春になってから、いつも「季節はずれのものを出版してしまったなあ」という後悔がついてまわっていたりする。

 わたしの作劇法は、長い期間をずっと追う、というストーリーはあまりなく、ストーリーの核となるのは、長編でも、実は二、三日のお話、ということが多い。だからその分、余計に季節感にこだわるところがある。
 実は「何年の何月何日から何日までのお話」という細かいタイムテーブルまで作成して書いている。

 ためしに「活字降る都(朝刊暮死)」のそれを貼ってみよう。

 現在は 1997年10月。
 学園祭があったのは1997/10/26(日)。

97/10/22(水)
 **:** 藤崎、京一郎の事務所を訪れる。(第一章/第二段)

97/10/26(日)
 13:00 学祭・高山殺される。(第一章/一段・三段・四段)
 14:00 講堂の隣室で事情聴取。(第二章/一段)
 16:00 スイートで事情聴取。(〃)
 19:04 “葵”で打ち上げ開始。(第二章/二段)
 19:32 野々村、スイートで執筆中。(〃)
 19:38 “葵”で打ち上げ中の面々。(〃)
 19:43 ホテルロビー。三田が真帆にちょっかい。(〃)
 (↑この後、三田はホテルを出てウロウロ)
 20:01 真帆、“葵”へ。(〃)
 20:10 藤崎、三田にベル発信(〃)
弾丸のオモチャ投げこまれる
 (↑この後、“葵”の面々は“ペア”へ移動)
 20:24 藤崎と真帆、スイートへ。(〃)
 21:18 “ペア”にいる京一郎、小田切ら。(〃)
 21:30 真帆とさやか、充電池を持ってスイートへ(〃)
 21:38 藤崎MD講義。三田が刑事をまいた!? 三田の携帯に電話。(〃)
    紅子と藤崎、席を外す。
 22:00 毎朝新聞社。長谷部が原稿を受け取る。(〃)
 22:30 刑事、三田宅に門灯がついていることを確認。
 (↑三田の所在をつかんだのが 21:38+α。やはり 22:30 では、遅いか――。条件としては、22:00 以降にしないと、「原稿が脱稿する前に三田は殺されていた」ことになってしまう)

97/10/27(月)
 00:00 “ペア”で原稿を読む一同。三田が殺されている内容(第二章/三段)
 00:00 三田宅で怪煙発見。刑事銃撃される。(第三章/第一段)
 01:00 三田宅へ急行。(〃)
 02:00 ホテルへ戻る一行。三田の死体発見(〃)
 (↑このあたりの時間はアバウト――それでも可)
 08:00 ホテルの部屋でこれまでの情報整理。(第三章/第二段)
 (↑この後、小田切は罠をはるために関係者の間を奔走)
 12:00 スイートで「タイポメアがつかまった」というウソ。(第三章/第三段)
  野々村対京一郎。過去のいきさつについて。
 22:00 野々村、第三話目を脱稿。
 00:00 刷りだし出る。編集チーム拘束へ。

97/10/28(火)
 00:30 “Q”にいる京一郎とさやか。(第四章/第一段)
 (↑ここからの時間はアバウト――それでも可)
 **:** 長谷部のウソばれる――容疑者割りだし。(第四章/第二段)
 **:** 撃たれる京一郎とさやか。(〃)
 00:00 夕刊にシフトした第三話が載る。
 15:00 病院にいる京一郎。女子高生のポケベル講義。さやか見舞いに(〃)

97/10/29(水)
 10:00 夕刊にシフトした第四話しめきり。
 12:00 第四話の刷りだしあがる。
 12:40 容疑者はタイポメアではなかった。
 12:50 出版協会会館。(第四章/第三段)
 (↑同時刻、野々村は紅子の部屋へ)
 13:00 紅子、美粧室で殺される。(〃)
 (↑ここから夕方までの時間はアバウト――それでも可)
 14:00 さやかの「犯人野々村」(第五章/第一段)
  京一郎登場。犯人は紅子である。(第五章/第二段・第三段)

 16:40 観覧車で京一郎と藤崎、野々村の総括。(第六章/第一段・第二段・第三段)
 (↑この日の東京の日没は16:49)

98/01/25(日)
 藤崎と真帆の結婚式。大団円。(エピローグ)


 このシリーズは「真犯人とは違う犯人を、名探偵がものすごい名推理で仕立て上げ、同時に真犯人も見つける」という、非常に入り組んだものだったので、タイムテーブルもそこそこ細かく切ってある。

馬鹿じゃねえの? 未来のロボットがそんな間抜けな設計のわけねえだろ。ちゃんと計算されてる。角度とか。


 というコピペがあるが、さすがに角度までは計算していないが、設定した日の日没、月齢くらいは計算して、必要なときはシーンに生かすようにしているのである。

 閑話休題。

 これは以前、書いたかと思うが、自分が喫煙しているときは、キャラクターが喫煙する場面が出てくるが、自分がタバコをやめると、そういったシーンが出てこなくなる。シークエンスにそういった情景を入れようという考えがスッポリ消えてしまうのだ。

 同じように、季節感もそういうところがある。やはり寒い季節に書いた文章は、リアルな寒さを反映して、水溜りが氷になる描写、息が白く手が凍えるシーンが自然に描写できるのである。
 暑さもまた同じ。あごから落ちた汗がアスファルトに落ちて蒸発していくような、フライパンに乗せられたような酷暑を書けるのは、やはり暑い季節である。

 真夏に「灰の水曜日」のシーンを書こうとすると、やはり筆がなまる。真冬に聖母被昇天の情景は描きにくい。普通の方にわかるたとえで言えば、「終戦記念日」のシーンを真冬に書いたり、撮ったりできるだろうか、ということ。
 要するに、映画で言えば、セットで撮るか、生撮影で撮るかの違いなのかもしれない。


(星野泰視「デラシネマ」5巻より引用。女優がいきなりの雨の中、監督に撮影開始を指示されたシーン)。

 読者としてはどうなのだろう。わたしは暑い季節に寒い時期の話を読んでも、それが逆でも、ストーリーの情景の中に入っていけるタイプだが、「自分はダメ」というタイプの人はいるかもしれない。

 それでも、こういう「セットではなく生撮影にこだわる」のは、むしろ創り手の側のこだわりなのかもしれないな、と思う。

 もっともこれは、わたしが基本、単行本派なので、真夏にバレンタインの話が来ても「仕方ない」と諦められるからで、もしマンガ週刊誌などを毎週読む派だったら、やはり真夏にバレンタインの話があったり、真冬に水着回があったりすると、ちょっと「抜けてる」感を味わってしまうのかもしれない。

 まとまった記事にならなかったのを、この夏の暑さのせいにして、今日のところは筆を置く。あぢぃ……。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記