2017年09月15日

【日記】殺したいほど憎い

 かつてミステリを書いていた頃、一番困るのが「動機」であった。
「ミステリ」というからには殺人である。人を殺さないと話が始まらない。人の命を奪うということは、人間が創造しえない神からいただいた唯一無二の生命を消し去るということである。
 こんなことは、よほどの理由がないとできるわけがない。

 自分の地位のためとか、遺産争いとか、恋人にフラれたとか、なんというか、そんな理由で人の命を奪うなどというのは「ちっさ! 人間ちっさ! ありえない。おまえの思考能力は昆虫並か!?」と思ってしまうのである。

 そんなわたしが、唯一書けるのは「恨みを晴らすための殺人」であった。誰かに愛する者を殺された、そのくらいの理由でもなければ、その誰かを殺す理由が見つからない。
 しかしそうなると、ただでさえ量産されるミステリの中で、実にライタブルなエリアが狭まってしまうのである。

 正直、いろいろなトリックを考えるよりも、殺人の動機を考える方がしんどく、苦痛であった。ミステリが自分に向かないなぁ、と思うのも、そのあたりにある。

 世の中の人は、そんなに些細なことで、人を殺してやりたいとまで思うのであろうか?

 映画「ジョン・ウィック」では、病気で亡くなった妻が生前に贈ってくれた子犬を、ロシアン・マフィアのガキに殺され、その恨みで彼はロシアン・マフィアを殺しに殺しまくって壊滅させるのである。
 実は、この動機、理解できる。「たかが子犬一匹」と殺されたガキは言うが、この子犬は、ジョン・ウィックにとって、亡き妻が贈ってくれた、最後の希望だったのである。
 わたしでも同じことをされて、ジョン・ウィックのような殺人術を持っているのなら、やはり殺しまくるだろう。動機にブレはまったくない。

 今、公開中の「ジョン・ウィック・チャプター2」は、むしろ巻き込まれ型のストーリーで、これの動機も、まあ、理解できる。ジョン・ウィックにとっては、1から続く、仕方ない因縁のようなものだからだ。

「ジョン・ウィック」「ジョン・ウィック・チャプター2」とも、驚異的なタフさを持って人を殺しまくるジョン・ウィックが、むしろ痛々しく感じてしまうのは、あまたのヒーローものと違ってちゃんと彼が反撃を受けているというだけではなく、その動機に理解できるところがあるからに思う。

 なんにしろ、わたしが「殺したいほど憎い」と思うのは「愛するものを殺された」ときくらいなのである。
 裁判では、計画的殺人ほど罪が重く、粗暴犯は軽くなるものだが、わたしの感覚では、これは逆である。計画殺人の対象となるような被害者は、殺されてしかるべき理由があるのではないか? と考えてしまうからである(少し世界公正信念が入っていることは否めない)。粗暴犯は殺す理由が些細である。そういう連中はむしろ刑期を長くしてじっくり更生させなければいけない。
 もちろん言うまでもないが、計画的であろうが、粗暴犯であろうが、殺人はやってはいけないことだ。と、何度でも記しておく。

 わたしは最初の頃しか読んでいないが、「名探偵コナン」の世界では、ごく些細な動機で殺人が行われているという(細君はたぶん、既刊全巻読んでいるはず)。そんな世界、恐ろしくて住めたものではない。

 上記で少し触れた「世界公正信念」については、そのうちまた、別の記事で触れたい。

 人生半分を過ぎて、今のところ「殺したいほど憎い」と思った相手はいない。これは、幸せなことなのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年09月14日

【カットリク!】ばくおん!!

 おりもとみまな「ばくおん!!」10巻より。

 80年代にタイムスリップしてしまった凜と羽音。そこで凜は自分の父、刃と出会ってしまう。ところが驚いたことに、刃はカタナのことを嫌いだという。刃がカタナを好きにならないと歴史が変わってしまう。駆けつけたキリピー様も、カタナのことを冒涜していると刃が天罰で死ぬ、とおっしゃる。
「教えよう…。カタナの真実…。神は6日間で世界を作り、7日目にその世界をツーリングした」「そのときの乗り物こそ今のカタナの原型になったものだ…!!」




「カタナのデザインとは人が考えたものではない…神が宇宙の摂理をもとに作り出したもの」「そして歴史上たびたび現れる予言者がその神の意思を受け取り人の目に見える形として表した…」


 ( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー

 キリストもんとしても、わりとそれっぽくて面白い(笑)
 実際、エゼキエル書冒頭に出てくる謎の神の乗り物はなんだったのだろう、とは、現代でもよく議論されたりもする。

 ところで、ひとつだけ間違いが。
「予言者」は「預言者」が正しく、「予言者」ではない。欄外に「※予言者:神の言葉を預かる者」と注釈があるとおり、神の言葉を預かるからこそ、未来を予測する「予言者」ではなく「預言者」なのである。



 ただ、漢語としての「予言」と「預言」はほぼ同義で使われてきたという歴史があり、アブラハムの宗教における「預言」と「予言」の差異が日本人にはいまいちピンとこないというところはあるのだろう。

 本作では「神の意志を受け取り」となっているので「預言者」が正しいのは言うまでもない通り。
 ちなみに「新共同訳聖書」で「予言」という単語は一箇所も使われていない(「預言は634箇所。ただしアポクリファ含む)。
 新約聖書を「新訳聖書」と誤植するくらいは見逃してもいいかな、と思っているが(「【カットリク!】ゴルゴ13(文庫版)88巻解説」参照)、こちらはちょっと残念に思うので、カットリク!ポイントに挙げておこう。

カットリク!ポイント73――
カットリク!には「予言者」が存在する。


 わたしはバイクに乗らないので、「ばくおん!!」のギャグの多くはよくわからないのだが、それでも毎巻、ニマニマ楽しみながら読んでいる。校長先生がお気に入り。
 というか、おりもと先生の描くアラサー、アラフォー女子が好き♪ 「メイドいんジャパン」のエマ先生、近衛先生の壊れっぷりもサイコーである。

 バイクネタがよくわからないわたしでも面白いのだから、おりもと先生の才能には感服である。TSネタ好きとしては短編集「性なる嘘つき」も取り上げたいところだが、一編一編の完成度が高すぎて、なかなか評としては書きづらいのであった。

 どうか好きなバイクで事故ったりなさらず、これからもご健筆を!
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年09月13日

【日記】Flashの終焉

 Web上で動的コンテンツを作る基本であったAdobe Flashが2020年にサポートを中止するというニュース。
 残念だが、仕方ないのだろう……。

 Flashとのつき合いは、けっこう長く、好きなときも、嫌いなときもあった。
 最初はShockWaveという名で、こいつの頃は嫌いだった。けっこう動くブラウザとそうでないもので差があり、こんなものを実装するなんで正気ではないと思っていた。

 しかしShockWaveはMacromedia Flashとして進化。この頃からWebサイト構築に関係する者は、嫌でもFlashの勉強を余儀なくされるようになる。
 わたしもMacromedia Flash MXを買い、勉強したクチ。


(名著の入門書。ボロボロになるほど読みました。2002年発行。15年前!?)

 もともと、ベクタデータが好きなタチではなかったために、苦労することが多かったが、まあなんとか、クライアントの要望を満たす程度のことはできるように。
 多くのサイトがトップページにフラッシュで連続イメージを置きたがるような頃であった。
 ウチとしては「そういうのは格好よく見えますが自己満足で、ユーザーは好みませんよ」と止めるのだが、フラッシュを置きたがるクライアントは少なくなかった。
 きっと、フラッシュを置くことで法外な値段を取るウェブ作成業者が多く、それを見て我も我もと「ウチもトップページは写真をパラパラ表示したい」となって、くだらない流行になったのだろう。

 やっとMacromedia Flashを修得したかと思えた頃、2005年にMacromediaはAdobeに買収される。マジですか。当時はAdobeに買われて、安心どころか不安マシマシであった。

 不安だったAdobe Flashだったが、Creative Suiteで一緒に買えたのは良かった。
 この頃、弊社は社運を賭けて(大げさ)全天周パノラマ写真という技術と機材を導入。これの最終納品形態がFlashであった。
 Androidスマホのブラウザで、全天周パノラマが動いたときは、正直、感動。Flash様々だぁー、と思ったものである。

 上記、全方位パノラマ写真技術が、一夜にして古くさいものになってしまったことは「【日記】ひとつの技術だけで起業すると」に書いた。悔しいが、仕方ない。
 時代はhtml5に移行である。html5に対する評価は、まだなんとも、としておく。

 長くコンピュータ界、ネット界にいて、なんだこのクソ規格! 早く消えろ!! と思っていたものは少なくなかった。
 その代表はQuick Timeである。わたしは内心、クソックタイムと呼んでいた。こいつが消えてくれて本当に良かった。
 QuickTimeは本当に消えるまでしつこく、QuickTimeのプレイヤーはことあるごとに金を出してフルバージョン版を買えとうるさかった。
 あとはRealMediaである。こいつもバージョンアップのたびにプレイヤーが大仰になっていき閉口した。プレイヤーなんてシンプルでいいんだよ! 消えてくれて、ネット界のためによかった。

 規格ではないが、JavaScriptも大嫌いだった。今は使わないとまともに見られないページばかりなので仕方なくONにしているが、2000年前半くらいまではデフォでOFFがふつうだった。
 今でも、右プレス不能やテキスト選択不能のためにJavaScriptを使っているWebMasterは(ピー)と思っている。

 Flashのセキュリティが甘いことはわかっていたが、もうこれが消えることはないと思っていたのだがなぁ。残念である。

 金に汚いウェブ屋は「2020年で、トップページに使っているアニメはつかえなくなりますんで、更新しなければいけません。つきましては――」と営業をかけるのだろうな。カモが多くておいしいことだろう。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年09月12日

【日記】「ウッダーソンの法則」のホントのトコロ

「【書評】きみはペット」の最後に、ここ最近、ネットでよく見かける婚活関係のグラフとして「ウッダーソンの法則」の話をした。
 そこではこんなことを書いている。

それによると、女性はほぼすべての年齢で、だいたい同世代の男性を魅力的と思うが、男性はほぼすべての年齢で20代前半の女性を魅力的だと思う、というのである。
(中略)
ひとりの男性として、わたしはこのデータをやにわには信じがたい。これは「独身者に取ったアンケート結果」ではないだろうか。




 というわけで、この「ウッダーソンの法則」の原典である、クリスチャン・ラダー著/矢羽根薫訳「ハーバード数学科のデータサイエンティストが明かす ビッグデータの残酷な現実―――ネットの密かな行動から、私たちの何がわかってしまったのか?」を拝読したので、ネットではあまり語られない、「ウッダーソンの法則」のホントのトコロを指摘しておきたい。

 まず、この二つのグラフがネットでよく紹介される。(「【書評】きみはペット」で「著作権的に載せられないと書いたのは、わたし自身が原典に当たることができず、ネットから拾ったまた引きになってしまうからであり、これは正等な引用である)。

●女性の年齢(縦の黒の黒数字)に対し、魅力的だと思う男性の年齢(グラフ中の赤字)。

(クリックで拡大できます)

●男性の年齢(縦の黒の黒数字)に対し、魅力的だと思う女性の年齢(グラフ中の赤字)。

(クリックで拡大できます)

 このグラフを持ってきて「女性の魅力は20代前半で終わり」というようなミソジニー(女性ヘイト)に使われることが多いのが、最近のネットトレンドのようである。

 しかし、実はこのグラフ、「アメリカの最大手出会いサイトOkキューピッド≠ノ登録した未婚の男女が魅力的だと考えた異性の年齢」である。
 つまり、このグラフは、上記でも疑問として提示していたとおり「独身者の動向から導き出されたビッグデータ」であった。既婚者や、自分でデート相手を見つけられる人は蚊帳の外であることに留意されたい。

 これをもう少し(意地悪に)解きほぐせば、「自由恋愛の国アメリカで、出会いサイトに登録しなければデートできないような人が、魅力的だと思う異性の年齢」である。
 もっともっと意地悪に言ってしまえば、下のグラフは「モテない男が魅力的だと思う女性の年齢」である。

 よって、このグラフをもってして「女性はほぼすべての年齢で、だいたい同世代の男性を魅力的と思うが、男性はほぼすべての年齢で20代前半の女性を魅力的だと思う」と言い切るのは間違いだ。

 さらにこのグラフには続きがあり――

●下のグラフに、男性が実際に検索したデート相手の年齢を重ねたもの。

(クリックで拡大できます)

 というものがあり、これは年齢相応に上がっていくことがおわかりいただけると思う。
 つまり男性自身、自分を相手にしてくれる女性は歳相応に上がっていくのだということを自覚しているというデータである。

 20代の女性を魅力的と感じながら、自分を相手にしてくれる女性はそれより年齢が上だろうと思っている、というのは、かなりストレスがたまることだろう。上記二つのグラフを持ち出して「女は20代前半で終わり」というような女性ヘイトを書きたくなる理由はそこらへんにあるのではないか、と邪推する。

 よく婚活市場で「女性は高望みしすぎ」と揶揄されるが、このグラフを見ればわかるとおり、「男性も(相手の希望年齢を)高望みしすぎ」なのである。

 また「ウッダーソンの法則」という名称だが、これは別に「ウッダーソン博士が発見、提唱した」というようなものではなく、青春映画「バッド・チューニング」で、マシュー・マコノヒーが演じたウッダーソンの台詞。「俺が年を取っても、彼女たちはいつも同じ年。そこが女子高生のいいところさ」から取っただけ、である。ロリコンか!?
 日本だったら――


(原作:蒼山サグ/作画:たかみ裕紀「ロウきゅーぶ!」2巻より引用)

 から、「長谷川の法則」と呼ばれていただろう。

 といったところで、ネット、特に掲示板などに貼られている「ウッダーソンの法則」とコメントを読んで、アラサー、アラフォー、アラフィフの女性が怒ったりうなだれる必要はまったくない。わかる男性はあなたがたの魅力をきちんと理解している。

 なお、同著は読み物としてはなかなか面白い一冊ではあるが、ビッグデータを解析する一冊としては、上記のように、使いようによっては「誤解をまねく」データもあり、統計的および科学的根拠に乏しいところもあると感じた。

 わたし自身の「ウッダーソンの法則」の感想としては、うーん、そうだな……。わたしにとって女性は細君ひとりなので――



 と言ってしまったら無責任だろうか。ごめんね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年09月11日

【日記】PIショー

 今日はギフトショーとPIショーの最終日で、東京ビッグサイトへ。晴れていて良かった。

「【日記】東京国際ブックフェア中止とな!?」で、今秋はギフトとPIが一緒の開催で良かった、と書いているが、手帳を見ると、今年二月も同時開催だったのである。ただ、体調が悪くて、そのときは行かなかった。それで記憶に残っていなかったのだ。

「ギフトショー」は多種多様な商材のB2B展示・仕入れのためのイベントだが、「PIショー」は「販促・広告・関連商材」のB2B展示・仕入れイベントとなっている。正式名称は「プレミアム・インセンティブショー」。
 だが、正直言って、ギフトとPIの明確な差別化はなされていないようにも感じる。ギフトが一軍なら、PIは二軍。そんな感じ?

 実際、過去、ギフトとPIが別々に開催されていた時期は、二つのイベントに同じ取引先が出展しているものだから、二回、挨拶回りに上京せねばならなかったのだ。
 ちなみにギフト、PIともビジネスガイド社が主催している。
 去年末からビッグサイトに七、八号ホールができたので、全館使用のギフトに隙間≠ェでき、それでPIと一緒にしたのか、それともイベントの規模が小さくなっているので同時開催にしたのか、来る方は楽になったが、そのうちPIはなくなってしまうのではないかと心配だ。
 今回でギフトショーは八十四回目、PIは五十六回目の開催である。両方とも、歴史の長い展示会であるので、これからも続いて欲しい。オリンピックでビッグサイトが遣えなくなる「2020問題」が心配である。

 PIは以前、池袋サンシャイン文化会館で開かれていたが、その頃はいつも、会場全体がタバコくさくて閉口した。もう、建物全体にヤニ臭さが染みついてしまっているのである。
 ただ、規模自体は、今回のようにビッグサイト西館三、四ホールだけの開催より大きかったように思う。これは、ギフトと重なる出展社がいるわけだから、重なった分、圧縮されるのは当然と言えば当然なのだが。

 今はギフトの方を一から八ホールまで急ぎ足で回り、取引先に挨拶などして、あとは西館を残すのみ。一息入れようと、PIの方のVIPルームでこれを書いている。細君も一緒に来ているが、わたしと違って丁寧に回るタチなので、中では別行動を取っている。



 毎回のギフトショー、PIショーで、その時々のトレンドがわかるのだが、ことしはいまいち、それが読めない感がある。水素水ビジネスは終わったようだ。ネコノミクスは下降線だがまだ余裕あり。ハンドスピナーは終わった。全体の景気はあまり変わらず、ベクトルは下向きか、という印象。

 ギフトもPIも中は撮影禁止となっているので、インスタ映えする商材があっても撮影できず、SNS依存症の方はやきもきしていることだろう。
 ただその昔(2005年)、「のまネコ」が問題になったとき、(確か)エイベックスのブースで「のまネコの着ぐるみと一緒に記念撮影を撮ろう」という企画があり、そのときは堂々と写真が撮れた。



 そのときすでに「のまネコ」は2ちゃんで炎上しており、わたしは「この企画は潰れるな」と思っていたので、めざとく一緒に記念写真を撮ってもらったのだった。
 今だったらきっと、ツイッターやインスタ、フェイスブックに、この「のまネコ」着ぐるみ記念写真が溢れていたことだろう。笑顔がちょっと淋しいですな。

 では疲れも少しとれたので、ギフトの西館残りを回ろう。
 行ってきまーす。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記