2017年09月10日

【回想録】日本文藝家協会会員証コレクション

 わたしが日本文藝家協会に入ったのは、旧い会員証のストックから見ると、どうやら1988年のことであったらしい。まだギリ昭和、63年だ。
 当時の入会に際するレギュレーションは、「文芸的著作を二冊以上出版」「理事一名と会員一名の推薦が必要」だったと思う。今は「文芸的著作を一冊以上出版」になっているから、だいぶ入会も楽になっているはず。

 さらに言えば、近々「冊子体の出版」という条件もなくなる方向でいくらしい。Webなどで執筆していても「文藝家」として認められる日が来るのである。大きな変革だ。

「理事一名と会員一名の推薦者」は、今も昔も変わらず、「ご自身でお探しください」である。わたしのときは、丹羽文雄先生と井上ひさし先生のご推薦をいただいた(というか、ご勧誘いただいての入会であった)。
 お二人とも鬼籍に入られてしまった。あの世で、推薦したわたしのふがいなさを嘆いていらっしゃらなければよいが。

 というわけで、おそらくフツーに生きていたら見ることがないであろう、日本文藝家協会の会員証コレクションを一挙公開してみる。



 1988年4月1日から1990年3月31日までの会員証である。この頃の会員証は二年おきに更新されていたのであった。右上の会員ナンバーは手書きで四桁。
 ケント紙に住所と筆名を貼り付け、ラミパウチしてある。大きさは旧型免許証と同じくらい。
 そう、ラミパウチなのである。まるでレンタルビデオ屋さんの会員証みたいな感じだ。
 しかしそれでも当時嬉しく、これで一人前の職業作家として認められたんだなぁ、という気持ちを持てた、感慨深い最初の一枚である。



 1990年4月1日から1992年3月31日までの会員証。
 筆名と住所が逆になり、右上のナンバリングがスタンプになった。前のカードと会員番号は変わり、番号は五桁となっている。といっても頭にゼロパディングした、内実は四桁と変わらないもの。
「【日記】自分が殺人を犯す想像力がないものが小説を書いてはいけないか」で書いているが、当時、死刑囚だった永山則夫氏がもし入会を果たしていたら、この会員証を拘置所で手にしていたはずである。欲しい? ラミパウチカードですよ?



 1992年4月1日から1994年3月31日までの会員証。
 紙質がいきなり茶色になっている。そして、また前のカードと会員番号が違う。頭にゼロパディングした五桁というフォーマットは変わらないが、毎回毎回、会員番号を振りなおしているのだなぁ、と、妙に感心。



 1994年4月1日から1996年3月31日までの会員証。
 今回の紙色は青である。前のカードと会員番号が違うのは恒例のことだが、今回は頭に「94」をパディングした六桁となっている。「94」はおそらく、この会員証の開始年を振ることにしたのだろう。



 1996年4月1日から1998年3月31日までの会員証。
 特筆すべき点として、画像ではわからないが、ひとまわり小型になっている。新型免許証やクレジットカードと同じサイズに合わせたようだ。ラミパウチは変わらず。
 また、有効期間に開始年月日が記されなくなっているのと、今までなかったFAX番号が記載されているという微妙な違いも。
 会員番号が違うのもお約束。ヘッダの二桁は「96」の六桁フォーマットで、やはり開始年を振っていると推測される。



 1998年4月1日から2000年3月31日までの会員証。
 カードのサイズは前回を踏襲してクレジットカードサイズ。
 六桁の会員番号が変更されているのはいつものこと。ヘッダが「98」になっており、これは1998年で理解できるのだが、次の四桁がいきなり数字が増えている。会員数でナンバーを振るのをやめたのかもしれない。



 2000年4月1日からの会員証。
 それまで「社団法人」だった日本文藝家協会が、「公益社団法人」となった。
 なんと今回から、ラミパウチではなく、プラスチックカードになった。しかも筆名と会員番号が直接印字されている。それまで手押しだったハンコも印刷だ。
 会員番号は七桁のものとなり、明らかに法則性がわかるナンバリングである(ので、詳細は書かない)。ひとりひとりユニークな番号を振るフォーマットにして、退会しても詰められることがない番号になったということだろう。
 プラスチックカード化にともなって、驚くべきことに有効期限が廃止された。
 そして裏面にも印刷がなされるように。



 本名と住所を自署する欄が設けられている。そして――

 ・この会員証は他人に貸与、譲渡することはできません。
 ・この会員証を紛失した時は協会へご連絡ください。
 ・当協会を退会された時は速やかに会員証を返却してください。
 ・この会員証を拾得された方は、下記までご連絡をお願いいたします。

 という記載。
 FAX番号の記載がなくなり、代わりに日本文藝家協会のウェブサイトURL、http://www.bungeika.or.jpが記されていることに時代の変化を感じる。

 ここから先、会員証の更新はない。プラスチックカードにして会員番号をパーマネントにすることで、経費および手間の削減をはかったのだろう。

 ひょっとしたら、2000年より後に入会された方の会員証は、わたしが持っているものとは違うかもしれない。
 二年ごとの更新がされなくなったのは淋しいところもあるが、かかる経費と手間を考えれば仕方のないことと理解している。

 ちなみに、この会員証を持っていても、どこかの公共施設がお安く使えるなどの利点はなにもない(笑)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2017年09月09日

【日記】結婚について・その3

 結婚式は挙げときなさい。

 これは、結婚式も、披露宴も、両方含めて、である。

 最近は、「ナシ婚」と言って、婚姻届だけ役所に出して、結婚式も披露宴もやらないカップルが増えているそうである。
 わたしは、ブライダル業界のゼニ儲け主義を知っているので、それに乗ることはないとは思っている。が、結婚式と披露宴は挙げたほうがいい。簡素で慎ましやかで、内々の手作りの小さな催しでもいい。少なくとも「結婚式は挙げてないんですよ」というようなことを、これからの人生で会う人ごとに言うような結婚はおやめなさい。

 その昔、結婚は、「家と家とのつながり」だった。だから結婚式と披露宴は当然のことだったのである。しかしこの考えは確かに古い。くだらない、と思う若い人が多いこともわかる。
 しかし、結婚の本質とは、男と女が約束して家族になるというゲマインシャフトを、社会に公告してゲゼルシャフトに還元するという制度なのである。
 結婚によって、なにか社会的な利益が得られるからそれをするのである。それがわからないのなら、結婚などしなくたっていい、同棲でいいのである。
 結婚という、社会に認められた制度に組み込まれたいと思うのに、結婚式は挙げたくない、披露宴は不要、などというのは矛盾している。そんなことが「現代風で格好いい」と思っているのなら大間違いだ。

 もちろん、経済的な諸事情があって、結婚式や披露宴をできないというカップルもいるだろう。そういう場合は仕方がない。それでも、せめて洒落た写真館で着飾って写真を一枚とか、なにか小さなパーティくらいは開いてもよいのではないだろうか。

 わたしはカップルに「お金がたまるまで結婚は我慢しなさい」などというようなことは言わない。むしろ、「お金がないカップルこそ結婚しなさい」と伝えたい。
 結婚とは「病めるとき、貧しいとき、苦しいとき」に一緒にいてくれる相手ができるということなのである。「健やかなとき、富めるとき、楽なとき」は一人でも生きていける。そんなときにそれを目的に寄ってくる人間など人生の伴侶にはならない。

 結婚とは、自分が「病めるとき、貧しいとき、苦しいとき」に、相手が自分を見捨てない、という安全保障条約なのだ。同時に、相手が「病めるとき、貧しいとき、苦しいとき」にも、相手を見捨てないという相互安保条約なのである。

 わたしたちはこういう相互安保条約を結びましたよ、と世間に広く公約するのが、結婚式と披露宴なのである。

 どうにもブライダル業界の取っている統計ばかりなので、信憑性のある確固としたデータは出せないが、結婚式を挙げなかったカップルの離婚率は高い、という傾向はあるように思う。が、この数字については保留としたい。というのも、普通に挙式したカップルの離婚率も上がっているのが現代だからである。なんともはや、だが……。

 お金に余裕があるダンスィが「結婚式や披露宴なんて、女の見栄や夢をかなえてやるだけ。そんなものに金を使うのはもったない」と言うことがある。
 はっきり言っておく。それは、正しい。
 そして、言っておく。「お前は、女の最初の見栄や夢をかなえられない程度の男なのか?」と。

 結婚式や披露宴を挙げた既婚ダンスィは、ウェディングドレスだのケーキだの新郎新婦入場だのキャンドルサービスだの、みな、それが半ば莫迦莫迦しいことだと承知しながらも、愛する女の見栄や夢をかなえてやるために、グッとこらえて結婚式や披露宴につきあっているのである。
 結婚式を挙げた既婚男子というのは、自分の彼女のそんな可愛いところをバーンと許せる男気があるという共通認識があるから、社会でも共同戦線が張れるのである。

 女子も女子として、いざというときは「身ひとつであなたと一緒になります」という気概を見せなさい。今まで書いてきたことと矛盾するようだが、たとえ結婚式や披露宴を挙げなくても、あなたと一緒になって一生添い遂げます、という心意気を伝えるのだ。その気持ちが、現代の草食系ナシ婚派ダンスィの心を動かすのである。

 ブライダル業界も、「ナシ婚」派が増えていることに苦慮しているようだが、莫迦じゃないの? といった感じだ。今までのボッタクリを反省して、超格安プランなどでカップルを満足させられるよう工夫するべきである。そちらに関しては、潰れる業者は潰れてしまえ、という気持ちである。

 カテドラルで祈っているとき、「撮影の邪魔ですからどいてください」とブライダル業者に追い出された恨みは一生忘れないのである(「【カットリク!】プラチナ」参照)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年09月08日

【日記】ウィルスにより深刻に破壊しています!

 某月某日、スマホでごく普通に、ごく普通の方のブログを拝見していると、いきなり――


(クリックで拡大できます)

 検索で引っかかるよう、文字起こしもしておこう(原文ママ)

 お使いのGeneric Android5.1は、(6)個のウィルスにより深刻に破壊しています!
 お使いのChrome Mobileで最近の感染したサイトを閲覧中に、ブラウザトロイの木馬ウイルスに感染し損傷(45.5%)したことが検知されました。

ーションなどの大切なデータへの感染の拡大を回避するには、直ちに行動することが必要です。
Facebookのアカウント、Whatsappのメッセージ、写真および個人用アプリケ

 段階を追ってわずか数秒で解決する方法は、以下の通りです:

ステップ1:"ウイルスを削除"をタップして、推奨されたDoctor Clean - Speed BoosterアプリケーションをGoogle Playからインストールしてください。無料で。

ステップ2:アプリケーションを開いて、最新のアップデートをアクティブ化し、感染したアプリケーションおよびファイルをすべて除去してください。


 はぁー。くだらない。「戻る」をすると――


(クリックで拡大できます)

お使いのGeneric Android5.1(6)個のウイルスに感染しました。

直ちに解決しない場合、ウイルスにより携帯電話はクラッシュし、SIMカードが破損し、すべての連絡先が削除されます。

下記の手順に従い、ウイルスを除去してください。


 強制的にこのダイアログを出して、元のページへ戻らせない仕組み。本当にくだらない。
 つきあってやるかと「OK」すると――


(クリックで拡大できます)

ウイルス警告!
お使いのGeneric Android5.1がウイルスに感染しました!

OKボタンをクリックして、今すぐ携帯電話をスキャンしてください。


 わかったよもう。これも「戻る」で戻れないので「OK」してみると――


(クリックで拡大できます)

ステップ1:OKをタップして、推奨されたDoctor Clean - Speed BoosterアプリケーションをGoogle Playからインストールしてください。無料で。

ステップ2:アプリケーションを開いて、最新のアップデートをアクティブ化し、感染したアプリケーションおよびファイルをすべて除去してください


 さいですか。ここでOKすると、やっとGooglePlayへ飛んでくれる。


(クリックで拡大できます)

 言うまでもないが、こんなアプリは入れてはいけない。くだらないイカサマソフトである。
 評価もズタボロなので、ちゃんと読めばインストールしてしまうような方はいないだろうが、上記のようにダイアログで何度も脅されると、情弱な方は入れてしまったりするのかもしれない。なにしろ「累計ダウンロード数500万」にびっくりだ。入れてしまう人がちょっと信じられないが、まあ今の時代でも「オレオレ詐欺」にだまされる人がいるのだから……。

 もちろん、あなたのスマホは、直前のウェブブラウジングや、この一連のプロシジャでウイルス感染などしてはいない。これはわたしが保証する。
 その前は……わからないけどね。だまされて上記ソフトをインスコしてしまうような人のスマホは、ちょっとヤバいかもしれない。

 けっこう驚いたのが、これを「ごく普通の方の普通のブログ」に入っていた広告で強制的に喰らったこと。無料のブログサービスは多々あるが、こういったことを避けるため、サービス側が入れる広告を厳選、チェックするべきではないだろうかと思う。
 もちろん、ブログ主さんに責任はまったくない。

 こういう詐欺で儲けようとする連中には、以前の記事でも書いたが、一言、言ってやろう。

「人をだまして食う飯は美味いか?」
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年09月07日

【日記】タイトルは作者がつけているとは限らない

 韓国発のゾンビ映画「新感染 ファイナル・エクスプレス」は面白かった。超特急という狭い密室内でのゾンビ対人間という新機軸。しかもゾンビは動きが素早いタイプである。そんな絶望的な状況の中で、さらに人間対人間の醜い生存競争が繰り広げられる。
 すれ違い気味だった父娘の愛情、一見ダメ男と妊婦カップルの愛情、若いカップルを襲う悲劇、最後まで逃げ回る憎まれ役と、サービス精神もたっぷりだ。
 わたしは泣くまではいかなかったが、ラスト近く、隣席や後ろの方から涙をぬぐう雰囲気が感じられた。

 わたしがゾンビ映画で感動的なシーンがあっても泣かないのは、「こんな苦しい思いをするなら、早く楽にゾンビ側になっちゃったほうがいいよな」という日和見主義が根本にあるからだと思われる。

 それはともかく――。
 本作のタイトルはもともと、「釜山行き」だったとのことである。「新感染」というのは邦題だ。「ダジャレの好きな世代がつけたんだろコレ」という声もあるが、わたしはこれを、まあまあいいタイトルだと感じた。少なくとも、原題通り「釜山行き」だったとしたら、興味を持たなかったと思われるからだ。
 が、観終わったら「これは釜山行き≠フ方が良かったな」と思っていたりするのだから勝手なものだ。

 ちなみに各国のタイトルはこんな感じらしい。

 ブラジル:ゾンビの侵略
 チリ:ゾンビステーション
 フランス:プサン行き最終列車
 ポーランド:最終列車
 ロシア:プサン行きの列車
 スゥエーデン:プサン行き
 ヴェトナム:死の列車
 香港:ゾンビ高速鉄道

 そして日本が「新感染 ファイナル・エクスプレス」。
 みなさんの感性では、このタイトル、成功だろうか、失敗だろうか。

 ここ数年は、特にラノベなどで「正気か?」と思えるほど長いタイトルのものが多くなった。しかし読者諸兄姉、誤解してはならない。そのタイトル、著者がつけたとは限らないからである。むしろ、著者は抵抗に抵抗を重ねたのに、そのタイトルがつけられてしまった、ということもあるからだ。

 拙作のミステリ「朝刊暮死」がそうだった。
 わたしがつけたタイトルは「活字降る都」。もともとこの作品は、ミステリのカテゴリでラブ・ストーリーを描きたい、という気持ちがあったので、叙情的なタイトルにしたかったのである。
 また、本作はメタ的に作中作の通り殺人事件が起こるという再帰構造になっており、そこに登場する作品名が「活字降る都」だったので、どうしても変えたくなかったのだ。

 しかし、出版社であるSD社には「タイトル会議」という妙な風習があり、そこで作者の意向を無視した一方的なタイトルがつけられ、決定されてしまうのであった。作家への提案、ではない。決定、である。
 そこでついたタイトルが「朝刊暮死」。「ダジャレの好きな世代がつけたんだろコレ!」と、当時のわたしも叫んだ。しかも、作中作の作家も「結城恭介にしよう」というふざけぶりである。

「これで売れなかったら、タイトルのせいにしていいですよ」と担当氏はのたまった。だから言う。「タイトルのせいで売れなかったですよね!」

 というわけで、拙作「活字降る都」が、妙ちきりんな売れないタイトルに変えられたこと、作中作家の名前を変更させられたことは、今でも恨んでいる。
 のだ、が――。うーん、今回「新感染」は、いいタイトルだと思っちゃったんだよな、オレ。ただ、観終わった後は、やはり「釜山行き」がいいとわかったけれど。

 リアル書店で立ち読みできる環境が減り、Amazonのようなネット通販が増えてくると、ますますタイトルで「一発惹きたい」と思う編集者は多くなっているのかもしれない。このところは、長いタイトルも違和感がなくなってしまいつつあるし、売れた本の猿まねをして似たようなタイトルをつけた本も多い。
 編集者も売るためにいろいろ考えているのだろうが、実用書ではなく文芸書を売っている、という気持ちが少しでもあるなら、著者の意向も考えていただきたいなぁ、と、今でも思うわたしである。

 でも、あの遠藤周作も「沈黙」を本当は「日向の匂い」というタイトルにしたかったのに、編集者に変えられたのだよな。これは成功した例だと思う。
 なんとも、難しい。

 でも、約束したから何度でも言わせてもらう。
「変なタイトルつけられたせいで売れませんでしたよね!」
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年09月06日

【書評】青春しょんぼりクラブ

 アサダニッキ「青春しょんぼりクラブ」1〜15巻(完結)

「【書評】ナビガトリア」でもご紹介したが、今一番、脂がのっているマンガ家、アサダニッキ先生の「青春しょんぼりクラブ」が、2011年から足掛け6年で完結(単行本化)したので、そのレビューを。

 とはいえ、先に嬉しいお知らせが!



 とのことなので、まだまだお話は終わらない。きっと、依子や香菜の恋の結末や、みかんの缶詰が好きなアニ研部長にも彼女ができるとみた!?(わくわく)

 あらすじ――
 好きになった相手が、かならず他の女の子とくっついてしまう「当て馬体質」の」スタンドを持つ少女、桃里にま。彼女に目をつけたのが、「青年心理研究会」というクラブを主宰する、学園長の娘、三刀屋依子だった。
 同研究会には、麗しい女装のスタンドを持つ先輩、隠岐島武、2.5次元の相手に恋が可能なスタンドを持つ簸川諒という二名の能力者が控えており、にまは自分の意志の好むと好まざるに関わらず、恋愛の闘いの中へしょんぼりと巻き込まれていく。
 戦闘の中で成長し、また、隠岐島に惹かれていくにま。しかし、自分が好きになるという事は、また誰かの当て馬になり、隠岐島にフラれるということ。自らの心を抑えて、日々の闘いの中へとしょんぼりしていく彼女だったが――。


 こんな話だったっけ? いくら映画「ジョジョの奇妙な冒険・ダイヤモンドは砕けない・第一章」が公開中とはいえふざけすぎだ。アサダニッキ先生ごめんなさい。
 いやしかし、本作は傑作ラブコメストーリーを十二分に楽しめるマンガなのである。あらすじをここでわたしが書いてしまうくらいなら、読者諸兄姉、ぜひとも全巻、通してお読みくださいな。

 わたしは正直、テコイレで順繰りに新キャラが出てくる、いまどきのマンガの手法には飽き飽きしているのだが、アサダ先生のストーリーテリングはそれが実に自然で無理がない。いつの間にか新しいキャラクターが登場していて、気づくと読みやめられないのである。

 そして二転三転のストーリーはもちろん、とにかく、にまちゃんをはじめ、登場人物が実に生き生きとしている。次々と出てくるキャラクター全員で15巻を駆け抜けた、という感じ。


(お気に入りのトビラ絵を一枚。こんな感じで駆け抜ける!)

 キャラ一人ひとりに焦点を当てていくときりがないので、ヒロインにまちゃんの恋を追いつつ、好きなシーンを抜き出してみたり。

 そうそう、書き忘れていたが「青年心理研究会」とは――


(こんなクラブでございます)

 改めて1巻から読み直してみると、にまちゃんはずいぶん早い時期から隠岐島先輩のことを好きになっていたのだなぁ、とびっくり。なにしろ全73話のうち2話目(2nd STEP)で自覚しているのだから。読後の印象では、自覚するのはもっと後だったと感じていた。


(せつないよね)

 いろいろあって、確実に自分の「好き」に気づいてしまったのが20話目。翌21話で玉砕覚悟で、隠岐島先輩に告白。それまで失恋ばかりで、にまちゃんが告白までたどりついたのは、実はこれが生まれて初めて。けれど結果は――


(しょんぼり……)

 とはいえ「当て馬」スタンド未発動! 隠岐島先輩との微妙な仲は進展中へ。


(ふったくせに独占欲も見せる先輩に、こんなにまちゃんも可愛い)


(簸川先輩ねらいだったさおりんがなぜかライバルに!?。このシーンのさおりんの捨て台詞が好き♪「沿道で旗ふって見守ってな!」)

 この後も修学旅行やら珠算部廃部騒動やら、ラブコメの王道を突っ走って、一分に一度はニマニマ、クスリ、プッとしてしまう。にしても、隠岐島先輩を想うにまちゃんのストレートなけなげぶりが愛おしい。
 そしていつの間にか形勢逆転――。





 58話のここから先の10ページ。本作屈指の名シーンである。しかも衆人環視の中、ステージ上で愛の告白(委員長談)。よかったね、にまちゃん。
 そしてその後の不吉な予感の連続に大爆笑。

 全編通してアニ研部長がおいしいところをかっさらっているのもいい。
 まさか14巻のヒキのハリウッドオファーが15巻でもこんなに長く続くとは思わなかったが、生徒会介入の接近禁止令からテスト騒動を経て、最終的には――



 よかった、よかったよー。ラストはしょんぼりどころか満面の笑顔でハッピーエンド♥

 ところで、本作「青春しょんぼりクラブ」は、出る巻出る巻、表紙の雰囲気が全然違うのである。統一感がなくて、それがまた不思議といい感じ。
 逆に毎巻、あらすじとキャラクター紹介ページを隔てて、中トビラと目次のところで、にまちゃんが誰かと手を握っているという統一感。


(これは11巻。ページをまたいでいるのがおわかりいただけるでしょうか)

 それが14巻でにまちゃんの背中姿だけになって、15巻は進級したからか、はたまた全員集合写真を撮るためか、桜の花びらだけになっているという凝りよう。

 ベストの表紙は、やっぱり最終巻のこれかなぁ。



 右上……(笑) 最後まで不憫なアニ研部長に、これからの番外編「青春しょんぼりクラブ+」でも名前がつきませんようにと祈って(鬼)、今回、ミーハーで引用成分多めな記事の筆を置こう。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評