2017年09月04日

【カットリク!】ゴルゴ13(文庫版)88巻解説

 さいとう・たかを「ゴルゴ13(文庫版)」88巻の解説より

 特殊性癖の質問を聴衆からいきなりされても動じないシンプソン博士のことを「血液型性格診断」の記事を書いて思い出して引用として貼り、そのストーリー「血液サンプルG」が載っている文庫版88巻の解説を読み、あらら、と筆をとった。

 なお、シンプソン博士についてご興味がおありの方は、「特殊性癖 シンプソン博士」あたりでググられるとよろしいかと。「血液サンプルG」の一ページをそれらしいコラ画像にしてあり笑ってしまうのだが、コラ画像は著作権的に貼れないので(引用にならず著作者の同一保持権を侵害する)、おのおのでお探しいただくしかない。

 さて、この「ゴルゴ13(文庫版)」88巻の解説、杉森昌武先生がお書きになられていらっしゃるのだが、一部間違いあり、しかし全体として間違っているわけでもなく、ちょっとセンシティブなので、いささか長めだが、前文全部を引用させていただいた。







 ゴルゴ13の名前の由来としてしばしば言われている、「ゴルゴダの丘でイエス・キリストにいばらの冠をかぶせた13番目の男」とは、すなわちイスカリオテのユダのことである。
 キリスト教世界で、史上最大の裏切り者として忌み嫌われてきたこのユダは、イエスが処刑された後、裏切った事を後悔して自殺したとも、あるいは事故死したとも言われている
 ゴルゴなら自責の念から自殺することも、ささいな不注意で事故に遭う事も考えられない。したがって、ゴルゴをユダになぞらえるのは、あまり適切とは言えないように思う。
 ところで、ユダが13番目の男と言われるようになったのには、ちょっとした誤解がある。
 イエスには生前、12人の主だった弟子がいて、新訳聖書(ママ)では、ユダの名前を12番目に記しているが、とにかく12人のうちの一人だった。
 それが、イエスの死後、弟子たちが教団を立ち上げる時に、ユダは裏切り者の汚名を着たまま死んでいた(ひょっとすると、内ゲバで殺されたのかもしれない)ので、経理担当だった彼の代わりを補充して、十二使徒と称するようになったのである。
 元来、12番目の男だったはずのユダは、いつの間にか13番目の男にされ、ついでに13という数字が忌み嫌われるようになってしまったわけである。
 イエスが処刑されようとした時、12人の弟子たちは誰一人としてその現場にはいなかった。みな、イエスの仲間として逮捕されたり処刑されたりするのがいやで、雲隠れしてしまったのである。
 そういう意味では、積極的か消極的かの違いはあっても、12人の弟子たちはユダと同じ裏切り者と言うしかない。
 ユダももちろん、現場にいなかったのだから、「ゴルゴダの丘でイエス・キリストにいばらの冠をかぶせた13番目の男」ではあり得ない。
 新訳聖書(ママ)を読めば、いばらの冠をかぶせたのがユダではないという事はすぐ分かるはずなのだが、こうした誤解は一人歩きをしていつしか定着してしまうもので、ユダはイエスを裏切った上に、いばらの冠をかぶせたひどい男という事にされてしまったのである。
「悪事千里を走る」(悪い噂はたちまち広がる)の典型的な例と言えるだろう。
 ゴルゴという男は、13という不吉な数字がよく似合う男なのかもしれないが、少なくとも相手が裏切らない限りは、誰かを裏切るという事はない。これはゴルゴにとって鉄壁のルールであり、ビジネス哲学でもある。
 そうした意味でも、ゴルゴの名称の由来が、「ゴルゴダの丘でイエス・キリストにいばらの冠をかぶせた13番目の男」というのには違和感がある。


 この解説は、聖書に記されていることと、歴史的なユダヤ教ナザレ派新興宗教(つまりキリスト教)教団の成立史として考察とされていることが併記されているので、突っ込むほうもどこまで突っ込んでいいものやら悩むのだが、わたしはリベラルなカトリックなので、平均的カトリックの知識を持って「カットリク!」を指摘することにする。

 さて――
 まず、完全に間違っている部分として「新訳聖書」はありがちな校正ミス。「新約聖書」が正しい。まあこれは、単純ミスだろう。

 次に、「イエスが処刑されようとした時、12人の弟子たちは誰一人としてその現場にはいなかった。」の部分だが、これは明らかな間違いである。十二弟子のうち、ヨハネだけはイエスの十字架のもとにいたとされている。

イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。(ヨハネによる福音書 19:26)


 ヨハネだけは少年だったので、捕吏に捕らえられることもなく、イエスの母マリアとともに十字架のもとにいた、というのが定説である。そこでイエスは死の間際、上記のように、母マリアをヨハネに託したのである。

カットリク!ポイント71――
カットリク!の十二弟子は、イエスの十字架の下から、みんな逃げてしまった。


 次、「イエスが処刑された後、裏切った事を後悔して自殺した」の部分。イスカリオテのユダの死因だが、少なくとも聖書的には、彼は、イエスの「処刑前」に自殺したことに(マタイ福音書では)なっている。

そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。(マタイによる福音書 27:5)


 ところが、使徒言行録ではこれが違うからややこしい。

ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。(使徒言行録 1:18)


 解説中にある「事故死」というのがこれを指すのなら、まあ間違ってはいない。しかしモニョるところでもある。
 このあたり、歴史的事実と聖書的記述の差が曖昧になっており、わたしの筆鋒がなまるのもご理解いただけたら、と。

 十二使徒の呼び方だが、解説だと歴史的事実の方を重視し、イエスの死後に十二使徒を自称したということになっているが、聖書的にはイエスが十二使徒を指名した、と、マタイ、マルコ、ルカの共観三福音書には明記されている。

十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、(マタイによる福音書 10:2)


そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、(マルコによる福音書 3:14)


朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。(ルカによる福音書 6:13)


 歴史的事実としては、イエスの死後に固められた教団の主要メンバーが、自らの地位を高めるために十二使徒を名乗り出し、それを福音書として記し、そのうちの一人イスカリオテのユダを内ゲバで亡き者にした、ということはありうることではあるが、そういった証拠はなにもない。
 わたしはリベラルなカトリックなので、上記のような柔軟な思考もできるが、「聖書信仰に立つプロテスタント」は、杉森先生の解説は間違いだらけだ! と拳を振り上げるかもしれない。

 迷ったが、このあたりはまだ、ギリで間違いとも言えないとも思うので、カットリク!ポイントはなしということで。

 いばらをかぶせた13人目の男がイスカリオテのユダというのが誤解云々は、まさしく杉森先生の仰るとおりである。

 以前、なにかのハッキング事件の新聞記事で、「犯人が被害者を13人としたのは、キリスト教の裏切り者である13番目の使徒イスカリオテのユダにちなんでと供述している」というものがあり、この明らかな間違いは無知な刑事の作文かと思っていたのだが、この間違いは、けっこうカットリク!として一般的なのだろうか。その記事を切り取っておかなかったことをずっと悔やんでいる。

 本著、さいとう・たかを先生の「ゴルゴ13(文庫版)」88巻には、ほかにも「マルコ福音書」を扱ったちょっとしたネタがあるので、そのうちカットリク!で扱うかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究