2017年09月09日

【日記】結婚について・その3

 結婚式は挙げときなさい。

 これは、結婚式も、披露宴も、両方含めて、である。

 最近は、「ナシ婚」と言って、婚姻届だけ役所に出して、結婚式も披露宴もやらないカップルが増えているそうである。
 わたしは、ブライダル業界のゼニ儲け主義を知っているので、それに乗ることはないとは思っている。が、結婚式と披露宴は挙げたほうがいい。簡素で慎ましやかで、内々の手作りの小さな催しでもいい。少なくとも「結婚式は挙げてないんですよ」というようなことを、これからの人生で会う人ごとに言うような結婚はおやめなさい。

 その昔、結婚は、「家と家とのつながり」だった。だから結婚式と披露宴は当然のことだったのである。しかしこの考えは確かに古い。くだらない、と思う若い人が多いこともわかる。
 しかし、結婚の本質とは、男と女が約束して家族になるというゲマインシャフトを、社会に公告してゲゼルシャフトに還元するという制度なのである。
 結婚によって、なにか社会的な利益が得られるからそれをするのである。それがわからないのなら、結婚などしなくたっていい、同棲でいいのである。
 結婚という、社会に認められた制度に組み込まれたいと思うのに、結婚式は挙げたくない、披露宴は不要、などというのは矛盾している。そんなことが「現代風で格好いい」と思っているのなら大間違いだ。

 もちろん、経済的な諸事情があって、結婚式や披露宴をできないというカップルもいるだろう。そういう場合は仕方がない。それでも、せめて洒落た写真館で着飾って写真を一枚とか、なにか小さなパーティくらいは開いてもよいのではないだろうか。

 わたしはカップルに「お金がたまるまで結婚は我慢しなさい」などというようなことは言わない。むしろ、「お金がないカップルこそ結婚しなさい」と伝えたい。
 結婚とは「病めるとき、貧しいとき、苦しいとき」に一緒にいてくれる相手ができるということなのである。「健やかなとき、富めるとき、楽なとき」は一人でも生きていける。そんなときにそれを目的に寄ってくる人間など人生の伴侶にはならない。

 結婚とは、自分が「病めるとき、貧しいとき、苦しいとき」に、相手が自分を見捨てない、という安全保障条約なのだ。同時に、相手が「病めるとき、貧しいとき、苦しいとき」にも、相手を見捨てないという相互安保条約なのである。

 わたしたちはこういう相互安保条約を結びましたよ、と世間に広く公約するのが、結婚式と披露宴なのである。

 どうにもブライダル業界の取っている統計ばかりなので、信憑性のある確固としたデータは出せないが、結婚式を挙げなかったカップルの離婚率は高い、という傾向はあるように思う。が、この数字については保留としたい。というのも、普通に挙式したカップルの離婚率も上がっているのが現代だからである。なんともはや、だが……。

 お金に余裕があるダンスィが「結婚式や披露宴なんて、女の見栄や夢をかなえてやるだけ。そんなものに金を使うのはもったない」と言うことがある。
 はっきり言っておく。それは、正しい。
 そして、言っておく。「お前は、女の最初の見栄や夢をかなえられない程度の男なのか?」と。

 結婚式や披露宴を挙げた既婚ダンスィは、ウェディングドレスだのケーキだの新郎新婦入場だのキャンドルサービスだの、みな、それが半ば莫迦莫迦しいことだと承知しながらも、愛する女の見栄や夢をかなえてやるために、グッとこらえて結婚式や披露宴につきあっているのである。
 結婚式を挙げた既婚男子というのは、自分の彼女のそんな可愛いところをバーンと許せる男気があるという共通認識があるから、社会でも共同戦線が張れるのである。

 女子も女子として、いざというときは「身ひとつであなたと一緒になります」という気概を見せなさい。今まで書いてきたことと矛盾するようだが、たとえ結婚式や披露宴を挙げなくても、あなたと一緒になって一生添い遂げます、という心意気を伝えるのだ。その気持ちが、現代の草食系ナシ婚派ダンスィの心を動かすのである。

 ブライダル業界も、「ナシ婚」派が増えていることに苦慮しているようだが、莫迦じゃないの? といった感じだ。今までのボッタクリを反省して、超格安プランなどでカップルを満足させられるよう工夫するべきである。そちらに関しては、潰れる業者は潰れてしまえ、という気持ちである。

 カテドラルで祈っているとき、「撮影の邪魔ですからどいてください」とブライダル業者に追い出された恨みは一生忘れないのである(「【カットリク!】プラチナ」参照)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記