2017年09月17日

【昭和の遺伝子】給食

 神奈川県大磯町の二つの町立中学校の給食で、大量の食べ残しが続いていることが問題になっているニュース。失礼ながら、笑ってしまった。いったいどれほどまずいのだろう、ぜひ食べてみたい。
「味音痴」のわたしに「まずい」と言わせたら大したものである。

 というか、わたしが通っていた小学校では、「給食がまずい」のは当たり前であった(中学は弁当)。
 学校内の調理場で作っていたので、メニュー自体は温かかったが、なんと、六年間で一度しか「美味い」と思ったことがない。

 第一、コメが出なかった。六年間で一回だけ、チャーハンが出た日があり、クラス中がどよめいたことを覚えている。どよめいたからといって、そのチャーハンが美味いわけではなかった。パサパサでボソボソ。それでも物珍しいという理由だけで、残飯率は低かったと思う。
 その一日以外は、毎日必ず、耳つきのパン二枚とマーガリンとイチゴジャムが出る。これはどんなおかずでも必ずである。そして牛乳も必ずつく。

 パンにシチューはいい。しかし、「どんなおかずにでも必ず」である。パンにミートソーススパゲティ、パンにカレー、パンに春雨サラダ、パンにクジラの竜田揚げ、パンに何かのあげもの、パンに麻婆豆腐、パンに酢豚……。最後の方になると、献立を考える側の「食えるものなら食ってみろ」という悪意すら感じるメニューばかりではないか。
 そこまでの意図はなかったとしても、栄養士が数字だけ合わせた、味のことなど二の次、三の次のメニューであったことは確かである。

 しかし「ほかを知らない」というのは大きい。六年間、わたしを含めクラスメートたちは「給食なんてこんなもんだ」と思いながら食べて成長していたのであった。
 そんなわけだから、大磯町の「食べ残し給食」をニュースで拝見しても「言うほどかね? わりと美味しそうじゃない」と思ってしまったり。

 わたしは戦中世代に「戦争中は美味いものなど食べられなかった。生きるためにまずいものでも何でも食べた。おまえたちの世代は贅沢だ」と言われて育った。だからと言って大磯町の「食べ残し給食」を「贅沢だ。我慢して食え!」とは言わない。憎しみの連鎖はわたしの世代で止めておきたいと思う。
「食育」という言葉を使う人はうさんくさい。ブタに名前をつけてクラスで飼育し、それを屠殺して子ども食べさせるのを「食育」だと言っている人間は莫迦だと思っているが、子どもには美味しいものを食べさせてあげて、本当の意味で「食事は楽しい」という経験をさせてあげるべきだ。わたしが「味音痴」で「食べるの嫌い」なオトナになってしまったからこそ、そう思う。

 六年間で一度だけ「美味い」と思った給食は、五年生の運動会の日に出た給食であった。たしか耳なしパンに甘いクリームが塗られたサンドイッチである。なぜその日に限って、そんなメニューが出たのかはわからない。ひょっとして来賓対策だったのかもしれない。やはりクラス中、美味しさに驚きの声があがった。目の醒める美味さとでも言おうか、「給食でもこんなに美味しいものが出せるんだなぁ」と顔を見合わせあったものである。

「ユリ・ゲラー」ブームのときは、ご多分にもれず、曲がったスプーンが出回ることが多かった。うちの小学校には超能力者が多かったらしい(笑)。

 振り返れば、わたしの「味音痴」と「食べるの嫌い」は、持って生まれた素養に加えて、さらにこの小学生時代の給食で培われたものかもしれない。

 先の大磯町の給食業者は、この先、契約を打ち切られてしまったら大変だろうが、起死回生の手段として、ぜひとも「日本一不味い給食」としてネットで冷凍販売を考えてはいかがだろう。少なくともわたしは買う。買って、自分がどれほど「味音痴」なのかを確かめてみたい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子