2017年09月20日

【書評】カルト村で生まれました。

 高田かや「カルト村で生まれました。」
 高田かや「さよなら、カルト村。」

 読んで、これは「書評」で取り上げたいなぁと思いつつ、どう切り込んでいいものやらと思いあぐねていた二冊。
 例えて言えば、最近は普通になった「中身がシーリングされたハガキ」が剥がしにくくて、ヘタしたらベリベリと中身まで破ってしまいそうな、そんな感じ。

 これは、著者、高田カヤ先生が「カルト村」で生まれ育ち(「カルト村で生まれました。」)、その村を出る(「さよなら、カルト村」)までのマンガレポートである。
 実際には「カルト村」で生まれてから19歳になるまでの記録とのこと。

 作中には一切出てこないが、この「カルト村」とは「ヤマギシ会」のことである。
 ご存知ない方のために解説を書きたいが、「批評本」を数冊読んだだけのわたしは、公平なスタンスからは書けないかもしれないので、ネットのソースをポインタする。

幸福会ヤマギシ会公式ホームページ
Wikipediaの幸福会ヤマギシ会のページ

「カルト」とは言え、宗教団体ではない。むしろそれとは正反対。この日本内で「共産主義をがんばっている生活共同体」である。農業、牧畜を基盤とした自給自足を目指す共同体であり、モノを個人が所有することを否定している。


(「教祖様!!」「怪しい礼拝!!」「拉致!! 監禁!! マインドコントロール!!」などはありませんでした、とのこと)

 ただ、高田先生のマンガを読めばわかるとおり、この日本の中で完全に原始共産主義を貫くことはできず、実社会からパンの余りものを「家畜のエサ」として貰ったり(そしてそれを食べる子ども)、実社会と軋轢を生まないよう擦り合わせをしながら村を運営しているようである。

 内容はマンガレポートであり、主に子どもの頃、高田先生がお持ちになられた生活の感想がそのまま描かれている。
 ほのぼのした絵柄もあって、読んでいるうちに、あれっ? これ、それほどカルトではないなぁ……という気分になってきてしまう。

 たとえば、村では食事は昼夜二回だけで、子どもはいつも腹をすかせており、その子どもは親と離れて暮らす(子どもたちだけで集めて育てられている)。
 子どもであっても相応の労働を強いられ、学校に関しては義務教育なので、実社会の学校へと通う。
 学校が終わったら、即、村へ戻り、また労働。共同風呂、皆で食事、夜のミーティング。そして就寝。その繰り返し、である。
 自分のもの、として所持できるのは、自分にあてがわれた引き出しの中のもののみ。下着などは別だが、衣服も共用で、実社会へ「晴れのお出かけ」をするときは、子どもの世話係が衣服を集めた部屋からみつくろってくれる。

 とにかく、高田先生の子ども時代は「お腹をすかせていた」らしく、食事関係の話が多い。
 また、子どもへの体罰も普通に行われていたことが描かれている。



 これは現代の実社会から見れば、明らかに子どもへの虐待である。
 だが――こう書いてきて、どうもわたしは、これが「カルトだ!」と怒りに胸のうちを震わせることができないのである。
 なんというか、「こういう社会もアリかなぁ……」と感じてしまったのだ。
 少なくとも、システムとしてこれが機能しており、子ども一人ひとりを「面倒見ている」点では、実社会でネグレクトをしている現代の一部の親などに比べればまともである。



 親と子を離して育てるシステムも批判はあろうが、これも「自分のキャリアのために」仕事を辞めず子どもを保育園、幼稚園にあずけて働き続ける現代人が、一方的に批判できることだろうか?

 続刊の「さよなら、カルト村。」の方で、最初は村に残って生きていくつもりだった高田先生も、紆余曲折あり、実社会へと出て働くことにする。
 それでもやはり、村で育った「世間ずれ」してない成年になりたての子どもであるので、少しズレたところはあったようで、出会い系サイトに登録し、そこで知り合った方と結婚することになるというハッピーエンド。
 ここで出会った、初めてメールを送った相手であり、のちの夫の「ふさおさん」がとても良い方であったから良かったものの、実社会においては、かなり危うい人生のスタートであったと感じる。



 通して読んできてみると、日本に実在する「カルト村」というより「共産主義のどこかの外国で生まれ育ちました」というような雰囲気がほのぼのと漂う。こういう感想は危険なのだろうか。いやしかし、わたしが何冊か読んできたヤマギシ会の批判本より、子どもの目線で書かれた本書二冊は、よほど真実に近いのではとも思う。

 ヤマギシ会は本書タイトルのように、日本の実社会からは「カルト」と言われてしまっているわけだが、これからの日本が突入しようとしている歪んだ貧困社会から見ると、ヤマギシ会のシステムは、最後のセーフティネットコミュニティになる可能性を孕んでいるかもしれないのである。

 最後に思ったのは、ヤマギシ会の「カルト」は宗教ではないなぁ、ということ。むしろ水と油の存在である。
「【書評】無宗教こそ日本人の宗教である」で、著者の島田裕巳先生はかつてヤマギシ会にいたという話を書いたが、やはりそのあたりも島田先生が「宗教学者」ではなく「宗教評論家」としてスベッている証なのだな、と改めて感じた。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評