2017年10月26日

【日記】部屋とコウモリとわたし

 先日の台風通過予報の晩、暴風雨が来る前に雨戸を閉めておこうと窓を開けたら、どうやら知らぬ間にお客さまが部屋に飛び込んでいたらしい。
 雨戸を閉めてしばらくしたら、細君が「おっきな蛾かなにかが飛んでる!」と叫んだのである。

 えっ、蛾!? いやだなぁ、と思いつつ、細君が指さすテレビ周りをレッドレンザーで照らしてみるが、そんな大きな蛾がいる様子はない。
「なんか、テレビ画面に映ったのを勘違いしたんじゃないの?」
「違う違う。本当になにかヒラヒラ飛んでたの!」

 細君が譲らないので、テレビ周りを再びレッドレンザーの光で舐めてみる。

「あっ、いた!」
「えっ?」

 確かになにかいる! なんと、テレビ台の下で、なにか小さな毛玉の塊が震えている。

「コウモリだ!」
「ちょ、ちょと。どうしよう。逃がしてあげたくても、まず捕まえなきゃ。ちょと君がコレ持って照らして」

 と、細君にレッドレンザーを預けて、光の中に毛玉ちゃんを照らしてもらう。可哀想に、毛玉ちゃんはブルブル震えているのだった。

「あぁ、恐いよね、恐いよね。お外に出してあげるから、ちょっとおとなしくしててね」

 そーっと、そーっと、両手の平で包んで、と、噛まれたか、翼の端が当たったか、掌にチクリ。でもたいしたことはない。
 なんとか、震える毛玉ちゃんは、両手でつくった球の中に収まってくれた。
 いつも想像しているコウモリより、とても小さい。握りつぶしてしまわないよう気をつけながら、細君に部屋の扉をあけてもらい、廊下の窓から、そっと外に逃がしてあげた。

 二人で、長いため息。ホーッ。
 手を丁寧に洗ってアルコール消毒。万が一のために。
 インスタ映え者なら、逃がす前にまず撮影! だったのかもしれないが、早く外に出してあげたくて、とてもそんな余裕はなかった。
 ブロガーとして失格ですな(笑)。

 というわけで、証拠はない。
 深夜にこの騒動、それに、逃がしたコウモリが無事かどうか、気にしても仕方ないのに気になって、しばらくドキドキして落ち着かなかった。

 細君調べによると、我が家に訪れたコウモリは「アブラコウモリ」だそうである。
 想像していたより小さくて、可愛くて、無事にお外のどこかで雨宿りしてくれたかな、と祈る他はない。

 わたしが通っていた小・中学校は大学の構内にあり、夕方になると、大学の校舎の中を、二、三匹のコウモリがよくグルグルまわっていたことを思い出す。
 たまにコウモリの死体が排水口の近くにあったりして、それは大きかったような記憶があるのだが、どうやら子どもの頃の思い出が変質しているようである。

 最近はめっきり、コウモリの姿を見なくなったなぁ、と思っていた。こんな形で再会できるとは、本当にびっくりである。

 コウモリは国内では特に寄生虫や伝染病の心配はないらしいが、国外では狂犬病の媒介者にもなり、国内であっても、ネズミ並の不潔さらしい。
 あんな可愛い顔をして……、と思わないでもないが、ネズミも可愛いのだから、まあおかしいことはないか。
 ゴキブリなどを捕食してくれるという意味では益獣だが、あまりたびたびのご来訪は遠慮つかまつりたいものだ。

 細君いわく、「コウモリが部屋に入ってくるのって、幸運の前兆なんだってよ」。

 へぇー。知らなかった。「幸盛り」「幸守り」の当て字があるようで、我が家にもなにか、いいことがあるといいな、と願う。

 でもその後、ひいていた風邪の熱が上がって寝込んじゃったんだけどね(笑)。
 急いでお外に逃がしちゃったのがいけなかったのかな……?
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年10月25日

【日記】岡田大司教様のご引退

 あなたは岡田大司教様がカトリック東京大司教区の司教をご引退されることをご存知でしたか?(知っていた/今知った)

 というわけで、東京大司教区のカトリック関係者には大ニュースが飛び込んできた。上記のとおり、本日25日のバチカン時間正午(日本時間で19:00)、カトリック東京大司教区の岡田武夫大司教様の引退が聖座に受理されたという。

 THE HOLY SEEにもすでに載っているニュースだからガセではない。

「ASIA/JAPAN - Resignation of the Archbishop of Tokyo and appointment of successor」


(クリックで拡大できます)。

 バチカン市――本日、教皇様は日本の東京大司教区、ペトロ岡田武夫大司教の引退を受理しました。後任は新潟教区司教の菊池功司教となります。


 岡田大司教様がご高齢になり、ご進退をお考えでいらっしゃるという雰囲気は東京大司教区内にあったものの、「えっ、今、このタイミングで!?」という思いは、東京大司教区の信徒、誰にでも浮かぶ感情ではないだろうか。

 今夜は岡田大司教様をねぎらい、ロザリオ一環お捧げして、眠りにつくことにする。
posted by 結城恭介 at 22:00| 日記

【日記】選挙で替え玉

 と言っても、不正が行われたとか、そんな話ではない。

 今日は病院の帰り、役所に用事があったので、ちょっと足を伸ばして繁華街へ出たのであった。
 昼食はいつもならば抜いてしまうのだが、今日は「せっかくだから」というお店があるので、役所帰りにプラネタリウムへ寄ってから、その店、博多ラーメンチェーンの「一風堂」へ。

 ここは正午近くはいつも混んでいて、並んだあげくテーブル席に相席ということも珍しくない人気店。とはいえ混雑時間をずらしたおかげで、カウンター席にすぐ座ることができた。
 注文して待つこと数分。きましたよ。



「赤丸新味」に「替え玉ひとつ」。
 ちょっと左下をご覧ください。なにかカードがあるでしょう?



 そう、「投票済証明書」。
 先日22日の選挙で、この「投票済証明書」を貰っていると、全国の一風堂で「替え玉ひとつ」か「煮卵ひとつ」をサービスしてくれるという選挙割≠やっていたのである。
 せっかくだから俺はこの「赤丸新味」と替え玉を選ぶぜ、というわけで、ありがたく利用させていただいたのだった。

 この「投票済証明書」、不勉強ながら実を言えば、今回、一風堂が事前に行っていたサービス告知で存在を知ったのである。
 ググればわかることをドヤ顔で書くと、この「投票済証明書」の発行は選挙管理委員会の任意となっており、書式も形式もまちまちで、中には「うちは出さない」とウェブで宣言している自治体もある。
 わたしの住む地方都市の選挙管理委員会は普通に出してくれていたので、上記のとおりいただけたわけである。

 とはいえやはり、「投票済証明書」を貰おうという人は少ないらしく、わたしと細君が投票所の受付で「くださいな」と言うと、しばらく待たされ、奥の方に人が走って行って取ってきてくださったのだった。

 地域の商店街によっては、この「投票済証明書」で割引サービスを行っていたりもするらしい。一風堂もそうだが、そういう取り組みは素晴らしいと思う。
 選挙のたびに投票率の低さが嘆かれるが、十八歳から投票ができることになったわけだし、ぜひとも(こういったサービスのいかんに関わらず)ひとりひとりが前向きに一票入れるのが当然、という風潮にしていきたいものだ。

 わたしは二十歳で選挙権を得てから今まで、どの選挙も棄権したことはなかったはず。基本的にノンポリで特定の支持政党もないが、その都度、真剣に考え、一票を投じている。

 22日の選挙の「投票済証明書」でサービスを受けられる一風堂の選挙割≠ヘ、2017/10/31までやっているとのこと。今回の「投票済証明書」をお持ちの方は寄ってみられたらいかがだろう。



 美味しゅうございました。ごちそうさまでした。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2017年10月24日

【昭和の遺伝子】国鉄ストライキの思い出

 現代の「鉄ちゃん」が逆立ちしても体験できない鉄道体験を、昭和の人間たちは持っている。

 そのひとつがタイトルの「国鉄ストライキ」なのであった。
 電車に乗れないことを「電車体験」と言ってしまっていいものかどうかわからないが、あの混乱と困憊の記憶がたまに蘇ると、優しかった上級生の手の温かさも一緒に思いだし、ホッとするという一面もある。

 若い方のために念のために言っておくと、国鉄とはいまのJRである。「日本国有鉄道」を略して「国鉄」。民営化前の公社であり、職員は半公務員であった。
 そもそも半公務員である国鉄職員に「ストライキをする権利があるのかどうか」ということも焦点にされることがあり、根本的にその権利を求めてストをするという「スト権スト」などもあったのであった。

 当時、小学校低学年であったわたしは、あまりそんなことは理解していない。その日、いつも通りバスで駅へ行くと、そこで電車が止まっているので、ただ、困ってしまった。
 今思うと、国鉄がストをしているのにどうして親が登校させたのかが不思議だが、ストが回避できるorできないの線が微妙だったのかもしれない。
 なんにしろ、当時の親の世代に「学校を休ませる」というアタマがなかったのは確かである。
 また、今は新学期のはじめに「つらいなら学校に行かないでウチへおいで」と公共機関がツイートする時代だが、あの頃は補導員≠ェ随所をパトロールしていて、捕まると学校へ連れていかれ叱られる、というのが、子どもたち側の共通認識でもあった。


(弓月光「エリート狂走曲」1巻より引用。こうやって捕まっちゃうわけですよ。今でもある?)

 そんなこんなで、親にも子にも無意識にすりこまれた「なんとしてでも登校させる&する」という気持ちがあったのである。なんという学校畜(笑)。

 人でいっぱいの駅は、客の怒号と駅員の応酬で渦巻いている。
「電車、止まっちゃったの? え、なんで?」と、子どものわたしはあたふたするばかり。
 事故で電車が止まったときは、私鉄に振り替えの切符が発行されたと思うが、このときはそのようなことはなかった。
「どうしよう……」この期に及んでも、家に帰って休むという考えが沸かないわたしに今びっくりである。「待っていれば動くのかなぁ……」

 台詞にすれば冷静なように聞こえるが、実際には半べそだったと思う。
 と、そのとき――

「君も××小の子だね」と、詰め襟のお兄さんから声を掛けられた。わたしの行っていた小・中学生の男の子は制帽をかぶっており、それでわかってくれたのだ。「僕は××中だから、一緒に行こうか」
 見れば、お兄さんと一緒に、自分と同じ小学校の子が数人。その中で、自分は一番小さかった。

「電車でひと駅だから、歩いて行こう。みんなで行けば大丈夫だよ」と、お兄さんはわたしの手を引いてくれた。「歩けるかい?」

 コクコクうなずく自分。お兄さんがとても格好よく、オトナに見えた。
 振り返れば、おそらく彼も中一か二くらいだったのではないだろうか。その年で、駅で困っている同じ学区の小学生を見つけて、こうやって手を差し伸べてくれるのは、なかなかできることではないと思う。

 お兄さんに手を引かれて、チビたちは、いつもは車窓から見る道路を歩いて隣の駅まで。朝からちょっとした冒険気分である。でもこのお兄さんがいれば怖くないなぁ、という気持ちであった。

 ××中は××小よりも先にあるので、お兄さんはわたしたちが校門に入るまで見送ってくれた。一時間目を遅刻、くらいで済んだと思う。
 今思うと、わたしが女の子だったら、ラブコメの第一話のような出会いである。が、 こんなに良くしてもらったのに、薄情なわたしは、お兄さんの名前も学年も聞かず仕舞いであった。はぇーさすが小学生(小並感)。

 ストライキは昼頃に終わり、午後は普通に電車に乗って帰ることができたと記憶している。
 帰宅したら、母から尋ねられた。

 母「恭介、あなた今日、学校行けたの?」
 わたし「行けたよー。電車止まってたけど、歩いて行っちゃった」
 母「えっ、すごいねぇ」
 わたし「うん、親切な××中の人が連れてってくれた」
 母「ええっ、名前とか聞いた?」
 わたし「ううん。全然」
 母「そう――。優しい人がいてくれてよかったね」
 わたし「うん!」

 まぁ、この程度の会話で終わりである。今だったら「どうして名前を聞いておかないの。お礼しないといけないじゃないの」とか、それ以前に「知らない人についていっちゃいけないでしょ」と叱られてしまうかもしれない。

 昭和はなんとも、大らかであった。
 今なら、小学生低学年の子どもが駅で半べそをかいていても、わたしのようなオッサンが声をかけたら「事例」になってしまうだろう。
 インフラ企業のストライキはもちろん勘弁だが、人と人とをつなぐ、昭和時代の大らかさは、もう少し、残っていても良かったかなぁ、と。

 あのときのお兄さんの手の暖かさと優しさは、名も知らず顔も覚えていない今となっても、わたしの中にほんのりと残っているのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2017年10月23日

【回想録】モノポリーの思い出

 実は前の「【回想録】風邪の思い出」を書いてから、三日が経っている。
 熱、下がりませんorz
 歳を重ねてから、確実に、単なる風邪にでも抵抗力が落ちていることを思い知らされている。
 というわけで、このブログも「一回休み」。

「一回休み」と言えば「すごろく」。「すごろく」と言えば「モノポリー」。
 そこで、短く「モノポリー」の思い出話を。

 はじめて「モノポリー」を知ったのは、二十七、八年前か。ホイチョイプロダクションのコラムでだったと思う。日本では、やっている人もまだ少なかった。
 そのコラムには「やると必ずと言っていいほど友情が壊れる」と書いてあり、こりゃ面白い、と、マージャン仲間で「やってみるか」と盛り上がって、わたしが購入したのだった。

 そのときのY君の台詞がカッコいい。

「俺たちの間に壊れる友情なんかねぇよ!」

 みな、おっかなびっくり、慣れないながらも、常道のホテル王をめざしたり、妙に鉄道にこだわったり、ただむしられる人生を歩んだり、「また刑務所だ。むしろラッキー!」という「あるある」で楽しんだのであった。
 上記のY君だが、なかなか上手いプレイヤーで、他プレイヤーへの甘い言葉と厳しい取り立てで毎回、勝負に勝つのである。
 モノポリーを体験したあとのY君の台詞が、またシビレるものだった。

「俺たちの間に、最初から友情なんかねぇよ!」

 みんな大爆笑である。

 その後、モノポリーは何度かやったが、我々の性にはあまり合わなかったようで、結局、またマージャンに戻っていった。
 あのとき買ったモノポリーも、書斎の押し入れのどこかにあるはずだが、もう十年も見つからずにいる。

 熱に浮かされた脳で思うのだが、マージャンはわりと理系的、モノポリーは文系的であるのかもしれない。

 というわけで、「GO TO BED!」
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録